第17話 京華の家に②

 屋敷の奥に進むとやけに分厚い扉の部屋がある。京華はその重量のありそうな扉をよいしょと体重を使って開いた。


「どう? すごいでしょ」


 まるでサプライズのように大仰に両手を広げた。以前、京華の言っていた音楽部屋がここのようだ。中を見渡せばすっかり音楽スタジオのような内装となっていた。


 元々はピアノやバイオリンを弾いていた部屋だったのだろう。ここをきっと京華が時間をかけて今の姿に模様替えをしたのだ。それはピアノや譜面台が乱雑に部屋の端に追いやられていることから推察出来る。ピアノをいい加減に引きずった床の傷、本来そこにはなかったと思われる部屋に馴染んでいない大きな鏡。それらを全て見れば何となくわかるものがあった。


 ピカピカのドラムセットは恐らく新品で、その両脇には一般の家では過剰な出力のアンプが並んでいた。壁に立てかけられたダンボールが、それらを最近買い揃えた物であると示唆している。


 財力すごい⋯⋯。なんて冗談は抜きにしよう。こいつ、京華はバンドのためにこれを作ったのか。近頃、学校の間や放課後、一人でこそこそと何かしていたのはきっと自前のスタジオを準備していたからなのだろう。額に汗を滲ませながらこの部屋を作った姿を想像すると、俺も半端な気持ちではいけないと思った。


「⋯⋯ありがとな」


「何その反応⋯⋯普通にキモイんだけど」


「いや……まぁ、色々考えてくれたんだろ?」


「まさかあんた達の為に私がわざわざ用意したと思ってんの? それは自意識過剰過ぎ。ここは私の為の場所なんだけど」


 京華は顔を赤くして、支離滅裂な言葉で憎まれ口を言う。彼女と俺の視線が交わることはなかった。照れるくらいなら素直に言えばいいのに、そう思った。しかし藤堂京華は素直になれない女の子なのだ。


 ……素直になれないのは俺も同じか。しかし、だからこそ彼女の心情を読み取ることは容易く思えた。


 目下、練習場所については俺たちが抱える最大の問題となっていた。軽音楽部に所属してる訳でもない俺たちが学校内で練習出来る場所は少ない。また、直前までどんなバンドなのかを知られたくない。というのが京華の希望だった。りんごのとこのスタジオだっていつでも使える訳じゃない。学園祭までおよそ二ヶ月。経験者が集まったとはいえ俺たちにあまり時間は残されていない。


 そんな様々な問題に対して、京華は京華なりに色々考えてくれたのだろう。


「いいから早く、袋を寄越しなさいよ」


 「はいはい」と俺は手渡す。俺の小さな鼻笑いを京華は聞き逃さなかった。むっとしながら手荒に袋を受け取る。


 なるほどね。袋の中身はエフェクターやシールドなど、バンドに必要な小物の類だった。


「こんなの全部買わなくたって、みんな持ってるだろ」


「いちいち持ってくる方が面倒じゃん。それに忘れ物したから出来ませんとか嫌だし」


「それは一理あるな。だけど、お前これ請求されても俺払えないからな」


「甲斐性なさすぎ。別に請求なんてしないし。記念のプレゼントだとでも思ってよ」


「いや……。普通の学生はこんなに色々と買えないだろ」


 どこの楽器屋で購入したんだか知らないが、色とりどり多様で様々なエフェクターが床に並べられる。定番品から高価な物まで。それらを眺めてみて、それが数万円で収まっていないのがわかる。また、りんごのためのペダルもいくつか用意されていた。


 ネコ型ロボットか……。一体、どれだけ購入してきたんだ。まるで例の便利な高次元ポケットかの如く、紙袋の奥から次々に取り出されていく。


 そして、目に留まる。茶戸楽器店とプリントされたクロス。なるほど、これは店長も大喜びだろうな。


「少しやってかない?」


 几帳面に紙袋を元の折り目に沿って畳みながら京華は言う。ちらりと腕時計を見る。十八時、少しくらいならいいだろう。


「いいぜ」


「って、ギターがないか」


 気持ちがはやったか。京華はがっかりしたのか、肩を落とし落胆する。


「⋯⋯折角だから、弾きたいんだろ?」


「一人で弾くんだったら。後でもいいし⋯⋯」


 俺は床に腰を下ろしている京華の前までいく。不思議そうに顔を上げる京華を他所に手元に並べられた中から丁度いいドラムスティックを手に取る。


「⋯⋯昔チャドに少し教わったんだよ」


 ドラムスローンに座り、適当に叩いてみせた。


「はははっ。下手すぎ」


 京華は笑う。あぐらを崩し、よっと膝を支点に手を置いて立ち上がる。そうして、スタンドに掛けられたベースを持ち上げて、ストラップに頭を通した。


「言っとくけど、リズムしか取れないからな」


「仕方ないな。まぁ、下手なドラムでもいないよりマシか」


 

 京華と音楽を奏でるのは楽しかった。この気持ちに嘘はない。一つ一つの文字が並んで言葉になるように。一枚一枚の原稿用紙が積み上がって物語になるように。普段は口悪いし素直じゃない京華と、この時だけは本音で語り合ったような気分になる。演奏中の時間だけは俺たちに嘘も偽りも見栄も誇張も何も無かった。いや、嘘はあるか。互いに演奏中ミスしてもすまし顔なわけだし。


 それはさておき、誰が言っていたのか。音楽は嘘をつかない。既に破綻しているし、解釈も間違っているかもしれない。だけどこうして俺たちが互いの音に真摯に向き合って寄り添いあっていることに嘘はないと思う。俺は改めてこの時間が好きだと思った。そして、ふと頭をよぎった。俺たちのこの関係はいつまで続くのだろうか。学園祭が終わったら全てが無くなってしまうのだろうか。もやもやとした感情。今まで感じたことの無い気持ちに俺は内心戸惑わずにいられなかった。

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