第9話 藤堂京華は強引な女である

 風呂上り。スマホが点滅していたので手に取ると久しく顔を見ていない親父から電話がきていた。折り返しても出なかったが、しばらくするとまた電話がかかってきた。


「調子はどうだ?」


「変わらずだよ。親父こそ病気したりしてない?」


 生活に問題はなしと告げると親父はうるさい声で笑い、なら安心だと言った。


 俺の質問についての返答はなかったが、相変わらずパワフルな声で話すので答えなど聞かずとも元気にしているのだとわかる。


「今はどこにいるのさ」


 親父は仕事の都合で世界各国を回っている。だから先月と今月で滞在している国が変わっていることは珍しくなかった。


「オーストラリアだ。前の国との時差がひどくて困ってるよ」


 前はどこにいたんだっけな。日本とオーストラリアの時差は一時間程度だからヨーロッパの辺りにでもいたのだろうか。


「なかなか帰ってこないから母さんが怒ってるよ」


「それは怖い。ほとぼりが冷めるまで日本には帰れないな」


 そう言うとまた時差ボケに苦しんでる人とは思えない人の声で笑っている。


「そういえばあいつからも連絡があったぞ。ギターの修理に来たってな」


「そんなことでわざわざ……」


「いつもより元気があったって。誠人、最近いいことでもあったか?」


 学校以外のほとんどの時間を家で読書したりギターを弾いたりと、外で遊んだりスポーツもしない。そんな俺を事を心配しているのだ。


「別に、何も変わらないさ」


「なんだ。ギターを直したって聞いたからバンドでも組んだのかと思ったぜ」


「まさか」


 俺がバンド? 想像しただけで可笑しくて笑ってしまう。


「バンドはいいぞ。俺たちが学生の頃な、母さんは文化祭で歌ったんだぞ。それはもう大盛り上がりで、俺は裏方の仕事をさせられてだな——」


 何度も聴かされた聞き飽きた話だ。テンションの上がった親父がステージに上り、母さんに告白して、その時は盛大にフラれたって話も。


「誠人。信頼できる仲間を見つけるんだ。別に百人も友達なんていらない。お前のことをわかってくれる人間が少しでもいればいいんだ」


 友達ね。俺の頭にはなぜか京華の姿が浮かんだ。俺と京華は友達と言える関係なのだろうか。お互い他に身を置ける場所がない者同士がたまたま一緒にいるだけで、あいつだって今がいいなんて思ってないだろうし、いつか元の世界に戻る日だってあるかもしれない。


 電話の奥で誰かが親父を呼ぶ声がした。すると親父はすまんと謝って自分勝手に電話を切ってしまった。


 いつもながら勝手な父親だ。


「仲間ね……」


 いまいち想像ができなかった。



「ねぇ。ステージの出し物でライブやろうよ」


 屋上で昼飯を食べていると、京華はまた言った。


「嫌だ」


 即答すると、京華は答えがわかっていかたのように肩を竦めた。公園でギターを弾いたあの日から、京華の中で俺の歌を学園祭で披露すると決めたようで休み時間の度にこうして文化祭ライブに誘ってくるのだ。


 親父の電話はフラグだったのか。学校に着くや否や京華に呼び出され、何かと思えば「一緒に歌おう」だもんな。正直びっくりした。


「いいじゃん。絶対すごいライブにできると思うんだけど」


 京華は俺と歌いたいと言う。確かにあの時、京華の歌唱力には驚かされた。あの歌声でステージに上がればとんでもないインパクトだろう。


 今の彼女が落ちぶれて、かつての地位も権力も失っていることはあまりにも有名だ。そして俺のような、いるのか分からないような男と一緒に行動していることも。


 京華が歌えばそんな噂も吹き飛ばして、それをきっかけに前みたいにクラスの女王に返り咲く事だってあるかもしれない。


 アウェーな会場。様々な噂も評判も気にもせず堂々とステージに上がり歌う姿を想像する。それはきっと大いに盛り上がることだろう。


 だけど、その隣に俺が立っているのは想像できなかった。場違いだとも思った。


「誰も望まないだろ。俺がステージに立つことなんて」


 親父との会話も思い出す。遂に可笑しくて俺は苦笑する。


「そんなことない! あーもう、どうしてそんなに自分の評価が低いの? 誠人のギターと歌は絶対に人を惹きつけるんだから」


 歌ってなんかいない。と俺は今さら言い切れなくなっていた。冷静に思い返せばあの時、感情が高ぶって一緒に歌ったような気もしたから。しかし、それと学園祭で歌うことは話が違う。


 正直な話、お袋の話を聞いて心躍った頃があったのは間違いない。だけど……。じれったくてもじもじして、今の俺が格好が悪いのは理解している。だけど、それでも、俺なんかがと思ってしまう。


 京華は苛立つようにガシガシと頭を掻くと、ビシッと指を指した。


「じゃあ、言い方を変える。一人だと不安なの。だから私と一緒にステージに立ちなさい!」


 命令的な口調だった。男らしくなくて情けないとわかっている。俺はその言葉を待っていた。


 初めて一緒に帰った日もこんな言い方をしていた。京華の言葉には不思議な力があるように思えた。あの時だけじゃない。京華の言葉は俺の偏屈で、自分でさえ理解できない頑固で固まった心を融解する。


「ギターだけなら……。だけど、俺は歌わないからな」


「やった!」


 京華はグッと拳を握りガッツポーズをすると、申請してくると言い、走って行ってしまった。


 屋上から出ていく京華の背中を目で追った。一人になり気持ちを整理する。格好が悪かったな。これだけ背中を押してもらったのにも関わらず、歌わないとか言っちゃう自分の格好の悪さは一級品だ。それは置いておくとして、俺は純粋に京華の歌声を学校の皆に聞かせてやりたいと思った。その助けになれるのであれば協力したかった。


 普段、京華が口に出すことはないが、俺と行動し始めてからも裏で色々な事を言われているのも知っているし、未だ物隠しや嫌がらせが続いていることも知っている。やっぱり気に入らないし、自分のことのように苛立つ。


 京華をもう一度女王の座に返してあげたい。その気持ちは日に日に強くなっていた。

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