第6話 京華の歌声①

 北川は教室の前に立ち、文実の会議から持ち帰ってきた内容の報告をしていた。


 大まかな内容は二つ。ひとつはそろそろクラスの出し物を決めなければならないこと。もうひとつは毎年盛り上がりを見せる有志によるステージの出し物について予想よりも参加希望者が少ないので参加申請の期限を延長するということだった。


 昼休みになるとクラスの中心メンバーはいつものように集まり、ステージで自分たちも何か出来ないだろうかという内容で盛り上がっていた。


「誠人。屋上行こうよ」


 ぼんやりと席に座っていると京華が昼飯を片手にこっちに来る。


 俺は頷くと京華と共に屋上へ向かった。


 よく晴れた空の下でフェンスに背を預けながら俺たち二人は地べたに座った。


 京華は家で用意した弁当を持参していて弁当箱の中にはおにぎりが一つと栄養を考えられたバランスのいいおかずが綺麗に並べられていた。一方、俺は色んな栄養素の入ったパンとクッキー(所謂栄養調整食品)だった。


 俺たちはそれぞれの足元に広げる。これが今日の昼食だった。


「いつもそのパンだけど飽きない?」


 京華は自分と俺の昼飯を見比べる。


「……別に」


「しかも必要な栄養素がなんたらかんたらって、そんなに栄養のいいもの食べたいんだったらお弁当作ればいいのに」


「作るのは面倒だろ」


 そう言ってパンの袋を開けると、メープルの甘い香りが広がった。


「ママ……お母さんに頼んでみなよ」


 京華は両親のことをパパママで呼んでいることを恥ずかしいと思っているのか言い直す。


「ほとんど家にいないからな」


 別に家庭環境が悪いわけではない。両親ともにやや特殊な職業の為、家にいないことが多いだけである。


「そうなんだ。そうだ今度持ってきてあげようか?」


 京華は「うちのは美味しいから食べてみな」と言い、箸でソーセージを掴むと器用に俺の持つパンの上に置いた。


「いらねぇよ」


 俺はソーセージを落とさないよう慎重に口に運ぶ。


「……驚いた。悪くない」


 メープルの甘味とソーセージの塩気が絶妙な均衡を保ち、どちらの味を殺さず混ざりあっていた。


「いや、普通一緒に食べないでしょ……」


 京華は呆れた顔で言った。そして俺のパンの角をちぎり、真似て食べるとなんとも言えない表情をした。


「……もしかして味すれば何でもいい人?」


「……」


 美味しくないのか? 俺は黙って残りを食べた。


 俺は食べ終わったパンの袋をポケットに突っ込んで立ち上がる。校庭では昼食を終えた生徒たちが制服のままサッカーをしている。特にやることの無い俺はそれをフェンス越しに眺めていた。京華も自分の弁当を片付けると、几帳面に風呂敷で包み直してから俺の横に並んで立った。


「なんか、ベタな青春って感じだね」


「まぁ、制服でサッカーはないよな」


 靴もローファーだし。


「あーあ。私も青春したいなー」


 京華は固まった身体をほぐすように両腕を上に伸ばすと、引っ張り上げられたシャツがスカートからだらしなくはみ出した。


「してただろ。嫌な思い出だろうけど」


「やめろ。つーか、冗談ならもっとそれっぽく言えないのかよ」


 京華は膝で俺の尻を蹴る。気が付けば簡単な冗談を言い合えるほど、二人でいることに違和感を感じなくなっていた。




 日曜日。俺は修理に出していたエレキギターを取りに行くため、電車に乗って街の外まで出かけていた。


 修理依頼のできる楽器屋は、沢山の路線が集結するターミナル駅にある。そのため最寄駅から片道三十分ほど電車に揺られる必要がある。


 電車はその駅に近づくにつれて人が増えてくる。遂に乗車率も七割を越えたかというタイミングで目的の駅に到着すると、俺は人の波に逆らえず押されながら改札を出た。それはまるで工場のレーンの上を流れる製品の気持ちだった。


 混雑の中、駅から直角に伸びる大通りを少し進み、喫茶店を目印に一本裏道に入ると目的の店の前に着いた。


 苦手な人ごみのストレスで余計な体力を使った。当初の予定では、楽器屋を尋ねる前に昼食をとる予定だったのだが、気疲れのせいか食欲もすっかり失せてしまった。


 店に入れば不思議と疲れた心が落ち着いてくる。俺はここまでずっとつけていたイヤホンを外し、店内のBGMはなにが流れているだろうかと店の音に意識を集中させた。この店のBGMはいつもセンスがいい。昔の名曲を思い出すこともあれば新しい発見をすることもある。


 今日この店で流れていたのはイギリスのロックバンド。俺が生まれるよりも前にリリースされた曲だ。この曲を初めて聞いたのは中学生の頃で、寝付けなかった日の夜中に何となく聞いていたラジオで流れていた。


 初めて聞いたあの日からずっと大好きな曲で、夜の薄暗い部屋で誰かに聞かせるわけでなく、一人静かに歌っているような。それでも誰かに聞いてもらいたいと願っているような。中学校で流行っている歌も知らず音楽自体に興味がなかった俺にとって、それは衝撃的な出会いだった。そして、最後に曲名をパーソナリティが読み上げる頃には俺はペンと紙を用意していた。


 そうしてCDを買いに行き、何度も何度も聴いている内にどんなことを歌っているのだろうと次第に歌詞に興味が出た。今の時代ネットで調べれば有名な曲ほど簡単に和訳は見つかり、その和訳した歌詞を読んだとき二回目の衝撃を受けた。それはどうしようもなく根暗で、後ろ向きで、救いのない歌だったから。


 こんな歌を歌ってもいいんだ。自分の弱さだったり言葉に出来なかった不満をこのバンドが代弁してくれているように感じた。


 懐かしいことを思い出しながら、曲が終わるまで立ち止まっていた聴いていた。


 音楽が好きだ。素直に自分の感情をぶつけられるから。恥ずかしい言葉も感情も何にもぶつけられない気持ちも、音にすれば伝える事ができる。そして時々、誰かの心をどうしようもないくらい揺さぶり動かす力がある。


 ギターを早く弾きたいと思った。俺は買いそびれていたバンドの新譜を棚から取り、修理依頼のレシートと合わせてレジに向かった。


「待っていたよ誠人」


「どうも」


 店員は沢山いるのに、店長がわざわざレジに立った。 


 店長は親父の学生時代の友達だ。初めてギターに興味を持ったとき親父が紹介してくれて、それ以来店長にはお世話になっていた。


「そういやこの前、あいつから連絡あったよ。誠人は修理以外でうちの店を使ってくれないってチクっておいたぜ」


 慣れた手つきで最後の調整とチューニングをしながら、親父との電話の話を聞かせてくれた。


「遠いから……電車賃で弦が買える」


 店長はそれもそうだなと納得する。


 自分でもチェックするようにと手招きをするので、俺は全体的に触りながら確認する。注文内容に含まれていない細かなところまで調整してくれていた。


 親父曰く、この気配りの良さのせいで母を一度だけ奪われそうになったことがあるそうだ。でもそれは、ずぼらな親父の性格が原因なんだろうが……。


「店長。スタジオ空いてないの?」


 この店の隣には店長が同時に経営する音楽スタジオがある。店長の人の良さもあってか常に客で賑わっているのを知っているが、少しでもできるならとダメもとで聞いた。


「悪いな。おかげ様で今日も予約で一杯なんだ」


 

 俺は店長に修理してくれたことのお礼を言ってから店を後にした。朝から何も食べてないので流石にお腹が空いてきたが、今は食欲よりも早く家に帰ってギターを弾きたい気持ちの方が強かった。


 帰ったら夕方か――。行きの道を辿るようにまっすぐと駅に戻ることにする。


 駅に着くとタイミングよく電車が来たのでそれに乗車する。まだ帰るには早い時間だからかシートも空いていて、俺は慎重にギターを床に置くと両足で倒れないように挟み込んだ。


 揺られているうちに瞼が重たくなってきて、少しでもいいから休もうと目を瞑るとすぐに眠りに落ちた。


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