第5話 藤堂とハンバーガー

「ねぇ。いつも真っすぐ家に帰ってんの?」


 藤堂は腕を後ろで組みながら顔を覗き込む。長いまつ毛が弧を描いた。


「まぁだいたいな」


 俺は淡白に答える。視線は合わせなかった。


 一緒に駅まで歩いてわかったのは、こいつは意外とおしゃべりだということだ。


 かつての藤堂は、休み時間になると席に取り巻きが集まる。そして彼女は取り巻きたちが、騒がしくしているのを中心で眺めているイメージだった。それは彼女本来の姿ではないのだろうか。その見た目から自分のことばかり話していそうだが、実は結構会話が好きなようで、俺が返事しないと文句を言ってきた。


 徒歩で十五分もない距離を歩きながら、俺の事について様々な質問をされる。インタビューを受けているみたいだ。


 俺は自分の事を話すのが好きじゃなかった。だから曖昧な返事ばかりしていると、藤堂は俺の事を秘密主義者だと決めつけた。


「どうしてそんなに自分の事を話したがらないの?」


「別に……。答えたくないだけだ」


「でも私はあなたの事が知りたいんだけど」


「知って何になるんだ。俺の事知っても何も面白くないぜ」


 そう答えると藤堂はケチ臭いなと唇を尖らせた。


 自分を知られてもいい事なんてない。俺からしてみればそれは裸になって弱みを晒すようなものだ。別に誰かと趣味や考えを共有したいとも思わない。現に藤堂自身、自分の話はほとんどしてないじゃないか。


「ねぇ、そこのお店行ったことある?」


 藤堂が指を指したのは駅前のハンバーガーチェーンで、日本に住んでいていれば名前を知らない人はいないし、誰でも一度は食べたことがある店だった。


 俺は藤堂の言葉の意味を察し、驚きを隠せずに訊ねた。


「お前、食べたことないのか?」


「そ、そんなわけないじゃない。ハンバーガーくらい食べたことあるっての」


「……」


 疑いの目で彼女を見ると、藤堂は恥ずかしそうに言葉を付け足した。


「たまには、いつも行かないお店で外食してもいいかなって」


 まぁ、実際こいつが初めてだろうが知ったこっちゃないけど。


「そうか。それじゃ」


 俺は別れの挨拶をして、駅に向かって歩き出す。


「待ってよ。なんでこの流れで帰れると思うんだよ」


 ようやく一人になれると思ったのだが、藤堂は俺を帰らせまいと袖を引いた。


「一人で行けばいいだろ。人前で食事するのは嫌いなんだよ」


「あーもう。じゃあコーヒーでも飲んでればいいじゃん。ほら、行くよ」


  抵抗をするが藤堂は袖を離さない。制服が痛みそうだ。抵抗も虚しく、ずるずると引かれていくうちに自動ドアは反応して、扉が開いた。正面のレジに立つ店員の呆れるような目線が恥ずかしくて、俺はなくなく抵抗を止めた。



「おおー。これが本場のハンバーガー」


 藤堂は紙に包まれたハンバーガーを掴み上げると包み紙にプリントされた文字まで読んでるんじゃないかと思うくらい興味ありげに観察していた。


 本場のハンバーガーとはなんだろうか。俺だったらこう、紙に包めないようなボリューム感で皿に上に乗っかっているものを想像する。


 ……こいつ、本当に初めて来たんだな。


「なに? 見てたってあげないわよ」


「……いらねぇよ」


 本当に欲しがっていると思われても堪らないので、俺は視線を窓の外に移してアイスコーヒーを飲む。外は暗くなり窓ガラスには向かい合って座る俺たちの姿が反射していた。


 俺が藤堂を見ていたのは事実だった。不思議な女だと思った。こういう奴こそ学校帰りにハンバーガーショップに寄って仲間と時間を潰しているイメージだったからだ。


 それなのに、席に着くなり「メニューはどこ」と探して、向こうの席で片付けをしている店員を呼び出したりとジョークにしては笑えないギャグを披露して店員を困らせた。


 見かねてレジで注文するのだと教えると、藤堂は耳まで赤くしながら、列の最後尾に並んでいた。


 そうして買ってきたハンバーガーを今、慣れない手つきで食べている。


「こういっちゃなんだけど。あんまり上等な味ではないね」


 藤堂は半分も食べないうちにそんな感想を述べた。それはそうだろうな。


 この店にくる客の大半は上等な味など求めていない。お手頃な価格でハッピーになりに来てるのだ。まぁ、俺は普通に上手いと思っているけど。


「やっぱり初めて来たんじゃねぇか」


「細かい男は嫌われるよ。正直に言うとパパがね。身体に悪いからって食べさせてくれなかったんだよ」


 どうでもいいことのように咀嚼しながら答えると、藤堂は残りを食べ始める。


 そういや、こいつは家柄の良いお嬢様だったな。そんな漫画みたいな躾があるとは――勉強になる。使い道のない知識だが。


「家にばれたら怒られるんじゃないのか?」


「それ、私を不安にさせて早く帰らせようとしてない?」


 ……ばれたか。


「流石の私でも、そんな嫌がられると傷付くんだけど……。ただでさえ私の心はあの教科書のようにぼろぼろなんだから」


 藤堂は自虐的に笑う。そんな顔をさせるために言ったつもりではなかった。


「……すまん」


 会話が途切れてしまい心地が悪い。何か話したほうがいいのだろうか。


「あ、新しい教科書はかったのか?」


 返事はなかった。気まずい沈黙の中で俺は視線のやりどころに迷う。


 藤堂を見ることが気まずくて、俺は落ち着きなく天井の照明や壁のポスターに視線を動かす。


「ぷくく、あはははは。やっぱりあんたは面白いわ。今、私に気を使ってくれたの?」


 藤堂は片足を椅子の上に置きながらお腹を抱えて笑っている。……くそっ、からかわれた。


「帰る」


 付き合ってられん。俺はカバンを手に取って立ち上がる。


「ごめんごめん。冗談じゃん」


 藤堂はまた俺の袖を引いた。抵抗するにも結果が読めたので俺は諦めて座り直した。


「ごめんて。ほら、これあげるから」


 そう言って藤堂は、ラッキーセットの付録のキーホルダーを俺の前に置いた。


 メイド服を着たそれは薄ピンク色の尖った頭を持つ変なキャラクターだった。


「……いらねぇよ。何このキモいの」


「知らないの? 忘れん坊みょうがちゃんだよ」


「いや、知らねぇし……」


なんだそれ。忘れん坊みょうが? なんでメイド服着てんだ?


「まぁいいから。お詫びだよ。お詫び」


 理解出来ず黙り込んでいると無理やり手渡されてしまった。家に帰ったら捨ててやろう。そんなことを考えながらポケットに突っ込むと藤堂は満足そうな顔をして頷いていた。


「でも……まぁ、その。ありがとう」


「は?」


「は? じゃねぇし。一応……あんたなりに気を使ってくれたんでしょ」


「ちげぇよ。イジメ問題でホームルームが長くなっても面倒だから早く教科書を買い直せって言ってんだよ」


「あはは。素直じゃないんだから。大丈夫だよ。高校の範囲なんてもうとっくに学習済みだし」


けらけらと笑いながら言った。それが藤堂の強がりでない事は何となくわかった。



「楽しかった。また遊ぼう」


 改札口の前で藤堂は立ち止まると改まるように言った。


「……まぁ。気が向いたらな」


 その言葉がすっと出てきたことに驚いた。


 俺は一人でいるのが好きだ。自分の目の前で起こることは全て自分の責任だし。何より相手の気持ちを考える必要も無い。勝手に依存して裏切られて傷つくこともないから。


 目の前のこいつは、裏切られ一人になった。それでも誰かといようとする。俺は知りたいのかもしれない。……こいつといればわかるのだろうか。


「じゃあね。誠人」


「あ?」


「いいじゃん。名前で呼ばせてよ。私のことも京華でいいから。じゃあまた明日ね」


 一方的な挨拶を最後に藤堂は小走りで改札を抜けていった。


 ……じゃあな。京華。


 誰かに名前で呼ばれるのは久しぶりだった。やがて階段を上がっていく背中は見えなくなり、俺は改札に背を向けて歩き出す。


 学校にチャリを置いたままだから。






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