第3話 夕暮れの校舎裏で
いつまでこんなに暑いのだろうか。
テレビでは、この異常な気象のせいで東北・北海道産を中心に青果物が不作で、野菜の値段が上がっていると言っていた。人もこの記録的な暑さにやられて、今月もたくさんの人が熱中症で病院に運ばれているそうだ。
ネクタイが首周りを圧迫し、湿気た土を踏んだときの様に汗が滲む。もう駄目だ。明日からリモートで授業を受けたい……。
昼休み。久しぶりに食堂に来てみたが、想像以上の混雑具合だった。冷房は付いているが人が集まっているせいなのか、全く涼しく感じない。冷やしうどんにすればよかったと、俺は若干後悔しながらカレーを食べていた。昔どこかで聞いた話がある。カレーは読書しながら食べる料理として向いているらしい。だけど俺は左利きだから読みやすいと思ったことはなかった。ゆっくりとカレーを食べながら文庫本を読み進める。
やはり人の多い場所は好まない。本に集中することができなかった。今読んでる本は思っていた以上に面白くて、なるべく集中した状態で読みたい。だから俺は文庫本を閉じてトレーの脇に置くと、さっさとカレーを食べてしまおうと思った。
改めて見渡してみると、食堂を利用する生徒の多さが目につく。席のほとんどが埋まっていて、受け取りの列は未だに長い。一人で長机を使っているこの状況はあまりよくないな。そう思って、俺は食べるペースを上げた。
「相席いいかな?」
声をかけられて顔を上げると北川を中心にしたクラスの面々がいる。そしてそのメンバーの中には岩沢も含まれていた。
「……」
頷くと、彼らはお礼を言ってから席に座り始めた。逆に俺は片付けを始めて席を立つ。
「あっ、ちょっと」
北川が何か言おうとしていたが、聞こえなかった振りをして、その場を離れることにした。
今日のホームルームは早く終わった。
クラス当番の日だったので、黒板を綺麗にしてから日報をまとめて、職員室にいる担任に渡しに行く。その後、ごみ捨てをしなければならないので一度教室に戻る。
ゴミ箱の蓋を取って一杯になった袋を引っ張り上げる。
そして、やけに重たいゴミ袋の口を結ぼうとしゃがみこむと食べ物の腐敗した匂いがした。一体何を捨てたら一日でこんなにゴミが出るのだろう。これが大量消費社会か――、なんて考えているとゴミの中に教科書が数冊捨てられているのが見えて、これが重さの原因だと気が付いた。
コーヒーでもこぼしたのだろうか。捨てられていた教科書は、道端に落ちている雑誌のように茶色く変色し、よれよれになっていた。
「……くだらない」
うっかり口に出してしまうの仕方ない。教科書の裏面に「藤堂」とマジックペンで名前が書かれているのが見えてしまったからだ。
藤堂。あいつはよほど恨まれていたらしい。確かに絶対の女王であり、自己中心で身勝手な発言も多く見られた。でも、それは誰かをいじめたり貶めたりする為ではなかったように思えるのが客観的な意見である。
自然と俺はゴミの中から教科書を引っ張り出すと、自分のカバンに入れた。それから帰り支度を済ませて、ゴミ袋を片手に教室を出た。
廊下に出ると換気のために開かれた窓の隙間から、吹奏楽部の演奏するイーゴリ公が聞こえてくる。それを聴きながらオレンジ色の日差しの差し込む廊下を合奏に合わせるように鼻歌を歌いながら歩いた。
ゴミの集積所は校舎裏にあるので、一度下駄箱で靴を履き替える必要があった。俺はこのまま帰宅するからいいが、これでもう一度教室に戻るとなると、面倒な場所にある。校舎の裏手にはなんの施設もなく、雑草が好き放題に生えているので普段から人気の少ないところだ。
ぐるりと校舎を迂回したとき、茂みの中で動く女生徒の姿があった。その女生徒は何かを探している様子だった。窓から大切なものでも落としてしまったのだろうか。
女生徒は周囲を気にせずにうづくまるような体勢でおしりをこちらに向けていて、捲れ上がったスカートの下から黒色の下着が見えてしまっていた。
わざわざ言って辱めることもないし、俺は気付かぬ振りをした。下手したら覗き扱いされるかもしれないから。
そっと後ろを過ぎようと忍び足で歩いたが、踏んだ枯れ枝が想像以上に大きな音を立てて割れると、女生徒は肩を震わしてから振り向いた。
「誰?」
「……」
藤堂だったのか。俺は何も言わずに目を見る。
「……清水」
光栄なことに藤堂は俺の名前を知っているようだ。
黙って藤堂を見つめていると、彼女は自分のスカートが捲れている事に気が付き、慌てて元に戻した。
「見た?」
少し頬を赤くしながら、鋭い目付きで俺を睨む。
「まぁ、見えてたな」
正直に答えると藤堂は立ち上がり、つかつかと俺の目の前まで来て、胸ぐらを力強く掴んで引き寄せた。
「人の下着を覗くなんていい度胸してるじゃない。ただで済むと思わないでよ」
「ふん。お前が間抜けにパンツを出していただけだろう。勝手に見せておいてよくそんな強気に出れるもんだ」
反論すると藤堂はグッと言葉に詰まると、また顔を赤らめる。
俺は胸ぐらを掴む腕を取って離す。
「あんた言葉を話せたのね。それより何。あんたも私をバカにしてるの?」
だらんと下がった拳に力が入ったのが見えた。
「お前がどうなろうと興味ない」
「やっぱりバカにしてるじゃない! 何なのよ。私がなにしたっていうの」
藤堂は声を荒らげた。
不満をぶつけられても困る。それに、それを俺に聞いてどうするのか。敵意を剝き出しにする姿は、人に捨てられ人を信じることが出来なくなった捨て猫の様だった。
「お前の事なんかしらねぇよ。勝手に巻き込もうとするな。迷惑だ」
「……迷惑」
藤堂は反芻し、しばらく黙り込んだ。
「……っぷ、ふふふ。あはははは――」
何がおかしいのか。しばらく黙っていたと思えば、今度は可笑しそうに笑い始めた。ストレスで感情が変になっているのだろうか。
「――あーあ。ひさしぶりに笑った。あんた面白いじゃない」
私にそんな態度したのはお前が初めてと、藤堂は何か感覚のおかしなことを言いながら笑っている。
素直に笑えば可愛らしい顔をしていた。藤堂は一頻り笑い終えると、ありがとうと感謝をしてきた。わけがわからない。やっぱりどこかおかしいんだな。
「……」
「なんか言いなさいよ」
「別に、お前と話すことなんてない」
「変なやつ」
「……これお前のだろ。ゴミ箱に捨てられてたぞ」
カバンからボロボロになった教科書を取り出して手渡す。
「……そんなところにあったんだ。何をしたらこんなにボロボロにできるんだろう」
藤堂は自虐的に笑いながら、無惨な姿となった自分の教科書を寂しそうに見ている。
「どうでもいいけどさ。お前はお前らしくいればいいんじゃねぇの。それに、一人でいるのもそんなに悪いもんじゃねーぜ」
何様のつもりで言ったのだろう。自分に言っているのか?
「ちょっと、どこ行くのよ――」
なぜそんな事を言ったのだろう。虚しくなって、そこから離れた。
余計なことを考えそうで、いつもよりイヤホンの音を大きくして帰った。
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