妖狐篇(第二部)

第一章 孤軍奮闘

第1話 再び戦場へ(※主人公、一人称)

 一回目と同じ道を進んだ。賀口の事も気になったし、町の様子自体も気になったからである。俺は町の中に入ると、そこの郡司に「どうなりましたか?」と訊いて、相手の返事を待った。相手の返事は、「色々ありました」だった。


 反乱軍は一応鎮まったようだが、その火種はまだ消えていない。通りの市場で野菜を売っている者も、武官の依頼で刀を鍛えている者も、あの想像をまだ引きずっていた。武官の一部にも、あの想像を正当化している。「あの考えは、間違っていなかったのでは?」と、そんな風に考えていた。

 

 俺はその様子に頭を抱えたが、一方では複雑な気持ちを抱いていた。人間の気持ちは、そうすぐには変わらない。あの反乱によって、人々の気持ちが変わったのなら。その余韻もまた、そう簡単には消えないのである。


 俺は郡司の話に落ち込みながらも、相手から「賀口の事を訊こう」と思って、相手に「それ」を訪ねた。「アイツは、どうなりました?」

 

 郡司は、その質問に表情を変えた。質問の内容に苛立った、わけではないらしい。最初の溜め息を除いては、むしろ穏やかな表情だった。郡司は嬉しくも寂しいような顔で、通りの先に目をやった。通りの先には、町の人々が会話に花を咲かせている。「出て行きましたよ?」

 

 そう言ってまた、微笑んだ。それを心から喜ぶような顔で。「自分の口から『出て行く』と言ってね。両親の事も、説き伏せたようです」

 

 その話に衝撃を受けた。「アイツはきっと、変わる」と思っていたが。それが、こんなにも早くなるなんて。彼の事を見下すつもりはなくても、素直に「おおっ」と思ってしまった。


 俺は彼の行動に胸を討たれたが、同時に「俺も、頑張らなくては」と思った。彼には偉そうな事を言って、自分ができなきゃ恥ずかしい。相手の気持ちを煽った以上は、自分も「それ」に倣わなければならなかった。俺は「良い事が聞けたな」と思って、目の前の郡司に頭を下げた。「ありがとうございました」

 

 郡司は、その言葉に首を傾げた。彼の目から見れば、俺の行為は理解不能。こちらの感謝に対して、「い、いや」と戸惑うしかなかった。郡司は俺の遠征を労う意味で、今夜の宿と必要な道具を揃えはじめた。


「着替えの服と保存用の食料が、ほとんどですが。山の向こうは、無法地帯。補給らしい補給も、『ほとんど受けられない』と思うので」


 俺はまた、郡司の厚意に頭を下げた。御上の力でお金には困らないものの、こう言う厚意は嬉しい。服屋の店主から衣服を渡された瞬間、宿屋の店主に「ご自愛を」と労われた瞬間、その両目から涙が溢れてしまった。俺はその二人に頭を下げて、布団の上に寝そべった。「朝……?」


 そう呟いた時にはもう、朝だった。宿屋の夕食に舌鼓を打ち、温泉の感触に「ホッ」として、布団の上に倒れたところまでは覚えていたが、そこから先は暗転。「ハッ」と目覚めた時にはもう、宿屋の外から様々な音、小鳥の囀りや人々の声、宿屋の中からも「トントン」や「グツグツ」の音が聞えていた。俺はそれらの音に頭を掻くと、布団の中から出て、宿屋の食堂に向かった。「お早う御座います」


 店主は、その声に微笑んだ。俺への敬意もあったが、その挨拶自体が嬉しかったらしい。奥さんも、俺の挨拶に微笑んでいる。彼等は食堂の奥に俺を導いて、その空席に俺を座らせた。


 俺は座布団の上に座り、お膳の味噌汁に手を伸ばして、その味を確かめた。味噌汁の味は、美味しかった。味噌を使う時点で豪華だったが、その具材にも拘りが感じられる。味噌の味が染みた菜っ葉にも、朝廷の物よりも美味しい豆腐にも、彼等の愛情が感じられた。


 俺は二人の愛情に打たれ、お膳のご飯を頬張った時はもちろん、それ以外の山菜や獅子肉を頬張った時も、その味に「美味しい」と笑いつづけた。「こんなに美味しいのは、初めてです!」

 

 二人は、その声に喜んだ。夜明け前から仕込んでいる事もあって、俺の賞賛が本当に嬉しいらしい。俺が一杯目のご飯を平らげると、頼んでもいないのに「もういっぱい食いなされ?」と言って、茶碗の中にご飯を装ってしまった。二人は湯飲みの中にもお茶を注いで、俺の前からゆっくりと離れた。「味噌汁のおかわりは?」

 

 俺は、それに「要りません」と応えた。お膳の料理がまだ残っている上、朝からこんなに食べられないので、(心苦しいが)二人の厚意に首を振ったのである。俺は二人の厚意に「自分の調子で食べます」と言い、それに二人がうなずいたところで、残りの朝食をまた食べはじめた。


 朝食は、すぐに無くなった。気持ちに気合いが入っていたのか? それとも、一人の孤独に恐怖を抱いていたのか? 腹の中に食べ物を突っ込んでしまったのである。俺は宿屋の二人にお礼を言うと、一日分の宿代を払い、自分の馬に乗って、一人の旅をまたはじめた。

 

 一人の旅は、寂しかった。それを選んだのは「自分だ」としても、旅の途中で会話が無いのは寂しい。道中の景色、遠くに見える山々や、橋の下を流れる河川、事情に広がる青空、その向こう側に見える雲、それらが時間の影響を受けて、ある時には夕焼けを、またある時には星空を見せるだけだった。


 俺は数週間の野宿、何日かの宿泊を超えて、例の出入り口に辿り着いた。例の出入り口も、今までと同じくらいに寂しかった。そこから山の中に入った時も、湯気のような霧に神経を尖らせただけ。野宿の際に焚き火を燃やした時も、その燃える音や枝が燃える光景を見て、それに感傷を覚えただけだった。

 

 俺は時間の余裕を作った上で、静かな山道を降りた。山道の先には、例の世界。妖狐が統べる、魔の世界が広がっている。「また、ここに。うん!」

 

 怖がっては、いられないな。自分の意思で選んだ以上、それに怖がってはいられない。目の前の田園、見覚えのある風景に頬を叩いて、自分の馬を進ませるしかなかった。俺は馬の尻を叩いて、敵地の中をゆっくりと進みはじめた。


 烏が出てきたのは、正にその時だった。前と同じ時宜、その瞬間にふと現われたのである。烏は俺の姿を見つけると、(前の情報が生きているのか)数の優位を使って、俺の所に襲い掛かってきた。

 

 俺は、その攻撃を迎え撃った。少数の敵に包囲網を行くのは、戦いの定石ではあるが。それにも、乱れがある。個々の能力に応じた、差異がある。最初の一羽目から順位が付き、それに応じて攻撃が行われる。そこを狙えば、(たとえ囲まれても)突破口を見つけられるわけだ。一羽目の攻撃を躱した時点で、そこに僅かな隙が生まれる。「そこを狙えば」

 

 相手の攻撃を防げる。相手が俺の反撃に怯んだ隙を突いて、その翼を切れるわけだ。それに続いた二羽目の爪も弾けるし、三羽目の嘴にも「突き」を返せる。突きの威力を活かして、嘴を壊せる。それに相手が怯んだら、今度は胴体を切り裂けば良い。


 胴体の真ん中に刀を突き刺し、相手が前に進む動きを活かして、その体を一刀両断にすれば良いのだ。それに四羽目の烏が続いても、片方の目に刀を突き刺して、その視力を奪ってしまえば良い。俺は四羽目の翼を切り裂くと、落下の勢いを加えて、一羽目の烏に上から切り掛かった。


 烏は、その一撃に倒れた。切れ味が増した刃に負けて、その心臓を割られてしまったらしい。俺が相手の首筋を切った時も、そこから溢れる鮮血に負けて、地面の上に落ちてしまった。烏は失血の衝撃と落下の衝撃に悶え、少しの痙攣を入れて、すぐに動かなくなった。


 俺は、その様子に「ニヤリ」とした。敵を仕留めた感触は、いつ味わっても嬉しい。残りの連中に攻撃を入れ、それらが見事に決まった時も、言いようのない高揚感、相手の体から溢れる血に、その嘴から出る悲鳴に興奮を覚えてしまった。

 

 俺は刀の刃に付いた血を払って、鞘の中に「それ」を戻そうとしたが……。背後から感じる、謎の気配。自分に向けられる殺意。それがふと、俺の感覚を襲ったのである。


 俺はその感覚に驚いて、自分の後ろを振り返った。俺の後ろには一人、ではないな? 茶色の骸骨が、何体も立っている。俺の目の前から背後へと広がっていくように。骸骨の軍団が、土地いっぱいに広がっていたのである。俺は彼等の姿を見渡し、その背後に城を、前には見えなかった城を見つけた。「参ったな。でも」

 

 これが、普通。今居る場所は、敵の領域なのだ。敵の領域が、その敵に優しい筈がない。俺は自分の刀を握って、敵の骸骨達を睨みつけた。「上等だ。一匹残らず、ぶっ殺してやる!」

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