最終話 別れ(※三人称)

 の光? そう思った時にはもう、朝だった。寝屋の中に朝日が差し込み、その光に畳や壁が輝いている。中庭の枝には小鳥達が留まり、それぞれに枝の上を行き来して、好きな時に「ぴぃ、ぴぃ」と泣いていた。


 流人は自分の髪を掻いて、隣の女性に目をやった。隣の女性は、幸せそうに眠っている。毛布の中に裸を隠して、契りの余韻に「スヤスヤ」と眠っていた。流人は彼女の寝顔に微笑んで、その頬をゆっくりと撫でた。「ありがとうございます」

 

 相手は、それに応えなかった。昨日の疲れが残っているのか、夢の中に落ちていたからである。彼女は流人が布団の中から出て、自分の服を着はじめた時も、穏やかな顔で布団の上に眠りつづけた。流人は自分の服を着終えると、御上の寝顔に向きなおって、彼女に「さようなら」と言った。「

 

 そう呟いた瞬間に「うっ」と泣いた。流人は両目の涙を拭って、寝屋の外に出た。寝屋の外には光が広がっていたが、内裏の廊下をしばらく進むと、その向こう側から一人、流人の良く知る人が歩いてきた。流人は自分の足を止めて、相手の顔を見つめた。相手の顔は、「不安」と「恐怖」に震えている。「想良様……」


 想良は、それを無視した。まるで、流人の言葉を拒むように。「?」


 そう訊かれて、言葉に詰まった。誤魔化そうにも、その声が出ない。相手の目をただ、じっと見返すだけだった。流人は相手の目から視線を逸らして、自分の頭を「ポリポリ」と掻いた。


「う、うん、いや……。別に」


「誤魔化さないで!」


 想良は真剣な顔で、流人の手を掴んだ。それが自分の、「自分の怒りだ」と言う風に。「女の体を知ったんでしょう?」


 流人は、その質問に黙った。質問の内容はアレだが、その意図は間違っていない。「御上の体を知った」と言う点では、今の質問は正確無比だった。正しい質問を誤魔化すのは、難しい。「昨日はああ言ったけれど。御上はやっぱり、殿上人ですから。俺のような者と一緒になってはならない。御上には、御上に見合った人が居る」


 今度は、想良が押し黙った。流人は、優しい。優しいが、同じくらいに冷たかった。「愛」よりも「義」を重んじる時点で、(女にとっては)やっぱり冷たかったのである。女は(人にも寄るが)、「義」よりも「愛」を重んじて欲しい。


 世界がもし、「自分を裏切った」としても。貴方だけは、裏切らないで欲しい。私だけの、自分への愛だけは、貫いて欲しかった。想良は「彼の決断」に安心を覚えながらも、一方では親友への同情、その悲哀に胸を痛めた。「他の子にも、そうするの? 『自分は、義に生きるんだ』って?」


 流人は、その質問にうなずいた。「そうだ」と言うのは容易いが、それでは「義」に反する。「御上の立場や身分を重んじる」と言う義に。真っ向から「否んでしまう」と思った。


 流人は悲しげな顔で、床の上に目を落とした。「他の人は、別です。相手の身分が高い場合は、別ですけど。そうでないなら、相手の人と一生……」

 

 添い遂げたい。そう言おうとした瞬間に「それじゃ」と言われた。流人は相手の動きに遅れて、その体を抱き締められてしまった。「想良、様?」

 

 想良はまた、彼の言葉を無視した。彼の体も抱き締めて、それも放そうとしない。相手の声だけを聞いて、それに「うるさい」と言うだけだった。想良は彼の体を放して、その目に視線を移した。「涙」と「困惑」に濡れる、彼の目を。「あたしは、御上じゃない」

 

 そう言って、「一人の貴族。貴方と同じ、一人の人間」と言い足した。「あたしは、殿上人じゃない」

 

 流人は、その返事に目を見開いた。彼女の意図が、その気持ちが分かったから。真剣な顔で、両手の拳を握り締めた。流人は作り笑いを浮かべて、想良の顔に視線を戻した。


 「俺は御上と、彼女と契りました。殿上人である彼女と、相手の熱を抱き合ったんです。自分の気持ちが揺るがないように。俺は彼女の、御上の気持ちを裏切れません。たとえ、夫婦の関係になれなくても。俺は、彼女の命を守りたいんです」

 

 想良は、その返事に眉を寄せた。今の言葉に苛立ったわけではないらしい。彼が自分に対して言い訳を言った時も、その内容に「ふうん」と怒っていた。想良は、外の景色を観た。朝の気配が残る、穏やかな景色を。


「そのために一人……。流人君は、独りになって良いの?」


「え?」


「御上の愛を守るために? 流人君は、自分を捨てて良いの? いつ死んでもおかしくないのに?」


「それは……そう、かも知れないけど。俺は!」


「将軍じゃない!」


「え?」


「貴方は、一つの男の子。国の将軍である前に一人の人間なんだ。一人の人間が、そんな風に! 自分の人生を潰しちゃいけない」


 想良は流人の手を握って、自分の胸に「それ」を当てた。自分の胸が、彼の手に握られるように。「ドキドキしているでしょう? これが、あたしの気持ち。貴方に対する、あたりの感情。貴方には、これを受け取る権利がある」


 一緒に生きよう? 想良はそう、彼に微笑んだ。彼の涙をそっと拭うように。「あたしなら、貴方と一緒になれる。御上の前に立つ、貴方の隣に立てる。貴方の手を握って、その口に口づけできる」


 だから。そう言い掛けた瞬間に言いよどんだ。想良は彼の顔に視線を戻して、内裏の外をゆっくりと指差した。「あたしは、あなたを独りにさせない」

 

 流人は、その言葉に揺れ動いた。自分の家族からずっと疎まれて、その心に傷を負っていた彼。自分の命を賭して、大事な人を守った彼。そんな少年が今のように言われたらきっと、その心も揺らぐに違いない。彼女にまた手を握られた時も、その熱に「うっ」となってしまった。彼は彼女の手を握り返して、その目をじっと見はじめた。


「俺は、甘えちゃいけない」


「どうして?」


「将軍だから。俺はもう、ただの犬じゃないんです。俺の仕事にいっぱい、たくさんの命が掛かっている。神様と合わさった俺には。俺は普通の、人間の幸せを」


「求めて良い」


「ダメです」


「ダメじゃない」


「ダメです!」


 流人は真剣な顔で、彼女の肩を掴んだ。彼女に自分の気持ちをぶつけるように。「妖狐を攻めます。今度は俺一人で、あの場所に行く。朝廷の兵が、一人でも生き残れるように。俺は自分の力を使って、妖の将を討ち果たします」


 想良は、それに押し黙った。「彼の気持ちはもう、動かせない」と、そう本能的に思ってしまったからである。彼が孤独の戦いを決めた以上、それを否める事はできない。彼の背中を見送って、それに「意地悪」と呟くしかなかった。彼女は流人の背中が見えなくなった後も、悲しげな顔で廊下の角を見つめつづけた。


 流人は、内裏の外に出た。内裏の外には、彼の世界が広がっていたから。自分の後ろに「幸せ」を置いても、都の通路を歩きつづけるしかない。宿屋の馬小屋に近づいた時も、そこの御上に帰りを伝えて、自分の馬に歩み寄るしかなかった。


 彼は馬の腹を撫で、その頭も撫でて、馬の耳元にそっと囁いた。「ごめんな? お前だけは、置いていけない。俺の仕事に付き合って貰う」

 

 馬は、その声に首を揺らした。「肯定」とも「否定」とも取れない返事だが、その気持ちは伝わる。彼をじっと見る瞳からも、その意思が感じられた。馬は無言の中に覚悟を決め、彼との心中を望んでいる。彼が敵の弓矢に倒れた時は、自分もそれに従う覚悟だった。馬は彼の手に応えて、その頬に首を付けた。

 

 流人は、その温度に喜んだ。自分の命を預ける騎馬は、こう言う名馬でなければならない。流人は馬の上に乗って、その尻を蹴った。「さて」

 

 死にに行こうか? 妖狐を討つために、みんなの未来を守るために。この剣を、この拳を振るいに行こうか? 「うん」

 

 流人は「ニコッ」と笑って、都の門に向かった。今日の陽射しに輝く、赤色の門に。

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