第2話 妖狐(※三人称)

 。人間の世界に攻め入って三年、かつての都は朽ち果て、その支配も妖狐に移っていたが……。そこに一人の、正確には三人の侵入者が現われた。彼等はあの忌まわしい山を越えて、妖狐の世界に這入り込んだのである。


 彼等は(特に頭と思わしき少年が)見張り役の烏達と戦い、その体を壊して、烏のすべてを倒してしまった。今までは、そんな事などなかったのに。奴らはこれまでの常識を超えて、その常識を打ち破ってしまったのである。

 

 少年は、その事実に驚いた。彼も彼で人間の事を知っているつもりだったが、「まさか、こんな事があるのか?」と思ってしまったのである。相手の首を切ったので、「アレが生き返る」とは思えないが。それでも悪寒、アレへの寒気を感じてしまった。


 奴が(何かの力で)蘇ったら、色々と不味いかも知れない。自分の力で倒せるかも知れないが、自分以外の者……例えば、この配下や雑兵達では、「彼に敵わないかも?」と思ってしまった。妖の総大将たる自分が怖がる相手なら、それが起るのも決して不思議ではない。


 彼は座り慣れた玉座の上に座って、その手摺りに頬杖を突いた。「参ったねぇ、本当。軽い気持ちで散歩に行ったら、とんでも野郎に出会っちまったわ」

 

 周りの妖達は、その反応に困った。「そうですね」と笑うのは失礼な気もするし、「そんな事は、ありません」と否むのは無責任な気がする。肯定も否定も許せないこの空気は、「沈黙に徹するしかない」と思った。


 彼等は複雑な顔で、妖狐の顔を眺めつづけた。「妖狐様がおっしゃるなら、『相当の相手だ』と思いますが。それでも、一人です。一人の人間が、我等に勝てるなど。普通ならありえません」

 

 妖狐は、その意見に目を細めた。意見としては普通、今の情報から察した平凡な意見である。妖狐の意見を否めたわけでもなければ、それ自体を定めた意見でもない。周りの第三者達にも、「確かに」と言われる意見である。妖狐は相手の意見を認める一方で、彼等に自分の意見を話した。あの場所で覚えた違和感、何か言い知れぬ気配と共に。



「妙な匂い?」


「神の匂いに近いような、そんな匂いがしたんだよ」


 一同は、その言葉に押し黙った。「神の匂いがした」と言う事は、相手に「神か神の加護が付いているかも知れない」と言う事。それに類する何かかが憑いている事である。神がもし憑いていたら、妖でも苦戦を強いられるかも知れない。


 一同はそう考えて、妖狐の目から視線を逸らした。「厄介ですな? 神の階級はどうであれ、人間に神が憑いたのは不味い。神の力を使って、我々の世界を脅かしてしまう」


 妖狐はまた、周りの声に笑った。神は確かに嫌だが、それに怯える必要はない。妖狐程度の力で喉が切られるような神は、たとえ雑魚は殺せても、妖狐のような強い妖には「勝てない」と思った。妖狐は王座の上から降りて、一同の前を歩きはじめた。「怖がる事はない」


 そう言って、「ニヤリ」と笑った。まるで、自分の力を示すように。「我々は、貴き種族。あんな下等生物に負ける筈がない。我々は人間に代わって、この世を祓い清める。この業に満ちた、世界を。我々は、それを成し得る種族なのだ!」


 一同は、その声に猛った。人間への嘲笑もあるが、それ以上に自分達への期待、特に特別意識が強まったからである。自分達よりも弱い種族が、この世を統べられる筈がない。遊牧民族に飼われた羊の如く、飼い主の鞭にぶたれ、策の中に入れられるだけである。飼い主に「ああだ、こうだ」と言える立場ではない。一同は自身の種族に高ぶって、妖狐に「我が種族に栄光を!」と叫んだ。「うぉおおおお!」


 妖狐は、その声に微笑んだ。実に素晴らしい。様々な種類の妖を集めた幹部だが、これなら戦いも安心だ。心の中に一本、ぶれない芯がある。彼等を集めた時も「信じられる」と言う面子だったが、それを改めて確かめる事ができた。


 妖狐は玉座の上に戻って、そこから幹部達の顔を見渡した。幹部達の顔は、今の会話に活き活きしている。「神は、倒した。倒したが、またひょっこり現われるかも知れない。アイツみたいな人間がもし、他にも居るなら。そう言う可能性も、充分に考えられる。神と合わさった人間が」


 一同は、その言葉に表情を変えた。そんな事がもし、起ったら? 自分の命が危ないかも知れない。妖狐でも怖がる神が、自分達に「勝てる」とは思えなかった。一同は不安な顔で互いの目を見合ったが、一人の少女が「怖がっては、ダメ!」と叫んだ事で、その不安をすぐに忘れてしまった。「麗狐れいこ?」

 

 少女こと、麗狐は、その返事を無視した。見掛けの年齢は妖狐と同じくらいだが、瞳の中に確たる物、揺るぎない信念を感じる。周りの面々から「し、しかし!」と返された時も、それに「私達は、地上の主」と返した。


「人間よりも先に地上を統べていた者。高貴なる我が一族が、下等な人間に負ける筈がない。私達は自然の断りに従って、人間から世界の覇権を奪い取る」


 周りの妖達は、その言葉に怯んだ。怯んだが、すぐに「そうだ!」と思いなおした。妖の中でも上位にある妖狐族がそう言い切るなら、余計な不安は要らない。今までの興奮、今までの感情に従って、その野望を叶えるだけだった。彼等は妖狐の野望に従って、自分の拳を振り上げた。「我等に天の加護があらん事を!」


 妖狐も、その声に従った。彼等のように叫ぶ事はなかったが、その口元には笑みが浮かんでいる。妖狐は幹部の一人に目をやって、相手に「山の出入り口に一人、見張りの将を立てよ」と命じた。「新しい道があれば、別だが。人間が入れるのは今んところ、そこしかない。入口で待ってりゃ、先手を打てる。そこから入るのが、『神憑きだけ』とは限らないからな?」


 相手は、その指示に従った。彼等のように叫ぶ事はなかったが、その口元には笑みが浮かんでいる。妖狐は幹部の一人に目をやって、相手に「山の出入り口に一人、見張りの将を立てよ」と命じた。「新しい道があれば、別だが。人間が入れるのは今んところ、そこしかない。入口で待ってりゃ、先手を打てる。そこから入るのが、『神憑きだけ』とは限らないからな?」


 相手は、その指示に従った。妖狐の言う通り、そこを通るのが『神憑きだけ』とは限らない。自分の国に帰った(と思われる)二人が、朝廷に「これ」を伝える可能性もある。「霊峰を越えた先には、こう言う物が待っているのだ」と、そう御上に伝えるかも知れなかった。御上が人間の可能性に賭ければ、神憑き以外の人間が攻めてくる可能性、その不安も考えられる。「敵は、さっさと潰した方が良い。それがたとえ、普通の人間でも」


 妖狐は、その声に「ニヤリ」とした。これで、大丈夫。神の存在を知りながら、その恐れを忘れた。まるで、神の力を忘れたかのように。互いの顔を見合っては、その不安を拭い去ったのである。妖狐は近くの麗狐に目配せして、評定の間から出て行った。


「神を恐れるな、か。フフフッ、確かに恐れちゃ行けない。俺達がこの世を統べるためには、さ? 神だろうが何だろうが、そいつを殺さなきゃならない。でも」


「でも?」


「奴はたぶん、生きている。何かの力を使って、あの傷を癒しているに違いない。奴の中に神が居るのなら、その傷だってすぐに治せる筈だ。神の力が妖程度に負ける筈はない」


 麗狐。彼はそう、呟いた。彼女に「それ」を聞かせるように。「楽しくなりそうだね? 今までは、俺等の圧勝だったけど。これからは、五分の戦いができそうだ」

麗狐は、それに溜め息をついた。「妖狐」としてズバ抜けた力の彼だが、こう言うところは年相応。


 自分と同じ、あるいは、以上かも知れない相手にワクワクしてしまう。「人間を滅ぼす事」は忘れていないが、それでも戦いの本能を燃やしてしまった。麗狐は「不安」よりも「呆れ」が勝る顔で、彼の頬に触れた。「『そうだ』としても、油断は禁物。相手は……『雑魚』とは言え、見張りの烏を倒した人なんだから。気を抜いては、行けない。守りの将が倒された時は」


 本体を動かす。妖狐の周りに居る精鋭を動かして、その不気味な侵入者を叩く。そう言って、妖狐の顔から視線を逸らした。「人間に負けたらお仕舞い。私達の野望も潰える」


 妖狐も、その意見にうなずいた。流石は、婚約者。残りの幹部も優秀だが、彼女はそれ以上に優秀だった。彼の気持ちを重んじながらも、危ない事には「ダメだ」と言える。正に「制止役」と言える存在だった。


 妖狐はそんな彼女が嬉しくて、彼女の頬にそっと口づけした。「だぁいじょうぶ! 相手がどんなに強かろうが! 俺は、絶対に負けない。天下覇道は、妖狐族の夢だからな。その夢を叶えるまでは、何があっても死なない」

 

 麗狐は「それ」に驚いたが、やがて「クスッ」と笑いだした。こう言う部分が、本当に面白い。彼女は嬉しそうな顔で、彼の頬にそっと口づけした。「信じている」

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