最終話 二人の道(※三人称)

 試合から数日間は、旅の準備に追われた。将軍の権は使えるものの、すべてを現地調達にするのは難しい。今、買える物は今。当分の食料や戦いの武器、移動用の馬などは、すぐに買わなければならなかった。流人は想良と連れ立って、これらの物を揃えた。「よし、これなら」

 

 大丈夫。そう言いかけた瞬間に「あっ!」と驚いた。都の中を回っている時には気づかなかったが、何件かの店を回った後からずっとつけられていたらしい。建物の影から出てきた相手は、恨めしそうな顔で流人の顔を睨んでいた。


 流人は相手の表情に驚いたが、相手が武器を持っている事に気づくと、自分の後ろに想良を引かせて、目の前の相手にまた向きなおった。「正順」

 

 正順は、その声を無視した。声自体は耳に入っても、それを「聞こう」とは思わないらしい。右手の刀をぶらつかせて、流人の前にフラフラと歩き出した。正順は刀の柄を握りしめて、二人の、特に流人の顔を睨みつけた。「辞めろ」

 

 そしてもう一度、「辞めろ」と唸った。正順は流人の間合いに入って、彼の胸倉を掴んだ。想良がそれに驚く声を無視して。「将軍は、僕だ。僕こそが、将軍に相応しいんだ! 僕の血筋っから考えても! 将軍職は、僕のような」

 

 流人は、その続きを遮った。自分の地位に傲るわけではないが、これはあまりに不遜すぎる。自分の地位を忘れて、国の将軍に噛む付くなど。普通の感覚ではまず、ありえない事だった。流人は正順の手を掴んで、その目をじっと見返した。「正順?」

 

 正順? そう言ってまた、彼を宥めた。流人は正順の手を解いて、地面の上に目を落とした。「 ?」

 

 正順は、その質問に黙った。自分では答えは分かっていても、それを素直には言えない。武士の本分は、この二つから出来ているからだ。どちらか一方を選ぶのは、武士その物を否めてしまう。


 正順は「今の質問は、意地悪だ」と思う一方で、それを投げかける流人の事も「卑怯だ」と思った。「武勲」と「出世」を求めるのは、彼だって同じ筈なのに。「偉そうに言うな。僕達は、朝廷の奴隷。貴族のお世話係でしかない! アイツ等の命を守る……。僕達は、アイツ等に飼われなきゃ」

 

 生きていけない。それが武士の現実であり、また真実でもあった。どんなに強くても、朝廷の奴隷に変わりはない。正順は自分の身分を思って、そこに絶望を抱いた。「お前だって、朝廷の駒だろうに?」

 

 今度は、流人が黙った。そう言われたら、そうかも知れない。「天皇に好かれているらしい」とは言え、その身分はあくまで武士だからだ。武士が将軍になったところで、武士のそれ自体が偉くなるわけではない。朝廷の「将軍職」を賜っただけである。将軍が朝廷の一官職である以上、その身分もまた奴隷だった。


 流人はそんな現実に苛立ちながらも、一方では「正順の考えは違う」と思った。「駒には、駒の意地がある。俺は……馬鹿かも知れないが、それでも役に立ちたいんだ。自分の生まれた国を、育った世界を守るために」


 正順は「それ」に苛立ったが、やがて「プッ」と吹き出した。流人の言葉を心から見下すように。「詭弁だな、神の力で蘇っても。それじゃ、お前の神も浮かばれない」

 

 流人は、その言葉に眉を寄せた。今の発言は不快だが、それを否めるつもりはない。正順は、自分以上に武士の現実を見ている。武士がどんなに惨めかも、彼の方がずっと分かっていた。流人はそんな現実を知りながらも、穏やかな顔で正順の顔を見返した。


「なあ、正順? ?」


「なに?」


「このままの生き方で? お前は、お前のままで終わるのか?」

 

 正順は、その言葉に眉を上げた。自分が自分以外になれるわけはない。「意味が分からないな? 武に生き、武に滅びる。それが武士の、僕達の本分じゃないか? お前がどんなに拒んでも、その真理からは逃げられない。僕達は剣に生きる以外、生きる道がないんだ」

 

 流人はまた、弟の言葉にうつむいた。「やっぱり、そう答えるか」と。ある種の希望を抱いてた彼にとって、その答えは落胆でしかなかった。流人は自分の頬を掻いて、自分の弟に背を向けた。


「俺が言える立場じゃないけど。将軍だけがすべてじゃない。武官の頂きに立つだけが、すべてじゃないんだ。俺が神様に選ばれたように。お前にも、お前の道が待っている」


 。流人はそう、弟に言った。今の言葉に驚く弟を無視して。「自分の道を見つけろ。家のためでも、父のためでもなく。お前は、お前の道を見つけるんだ。俺のような人間ではなく、そうでないと」


 お前はきっと、殺される。それに「はっ?」と驚く正順だが、それも流人に妨げられてしまった。兄の背中をじっと睨む、彼。彼は腰の剣に手を伸ばして、その足にも力を入れた。


「どうして? 僕は」


「剣の腕じゃない。世の中に、家に殺されるんだ。俺がずっと、自分の親から虐げられていたように。自分の道を閉ざされてしまう。まるで、ゴミ捨て場のゴミのように。俺達は、お前も自分で言っただろう? 誰かにとっての駒でしかないんだから。駒は駒の意識を捨てなければ、ずっと駒のままだ。お前は、そんな程度で終わる奴じゃない」


 そう言われた正順が黙ったのは、その言葉に心を動かされたからか? 正順は一瞬の苛立ちこそ見せたものの、流人の意見には何も言わないで、自分の拳をただ握っただけだった。長いようで、短い沈黙。彼は自身の手を開いて、正面の兄に向きなおった。


「五月蠅い。僕は、お前とは違う。武士の落ちこぼれである、お前とは」


「なら、それを見せろ」


「なに?」


「お前が『本当に天才だ』と言うなら、俺にその証拠を見せろ。自分の心に従って」


 正順はまだ、兄の言葉に切れた。ちょっと強くなった程度で、この態度はあまりに不遜すぎる。彼は自分の兄に背を向けて、自分の足下に目を落とした。「見せてやるよ。どっちが、風氏の跡継ぎか? その答えを叩きつけてやる」


 流人は、その言葉に「ホッ」とした。誰よりも誉れ高い弟は、誰よりも打たれ弱い。今回の試合にも、かなり落ちこんでいる。下手な励ましを言うよりは、「叱咤激励を飛ばした方が良い」と思った。


 流人は横まで想良の顔を見、それから弟の背中に視線を移して、彼に「待っているよ」と言った。「お前が上がってくるのを待っている。お前は俺の、大事な弟だから」

 

 正順は、それに振るえた。振るえたが、兄の方には振り向かなかった。彼は足下の土を蹴って、今の場所から歩き出した。「言ってろ。気持ち悪い」

 

 そう言われたが、もちろん無視した。流人は弟の背中から視線を逸らして、想良の顔に目をやった。想良の顔は、今の光景に微笑んでいる。「行きましょう」

 

 国のために、俺が生きる世界のために。自分の道をしっかり進みましょう。流人はそう言って、今の場所から歩き出した。自分もまた、新しい一歩を進むために。彼は一日の休みを入れて、想良と共に都の中から出て行った。


 それを見ていた正順もまた、自分の道に向かって歩き出した。「不安」と「恐怖」が潜む、武士の道を。「征夷大将軍」とは違う、彼だけの道を。埃まみれの道を進んで、自分の家に帰ったのである。


 彼は家の玄関を開けると、その廊下を進んで、父の部屋に向かい、部屋の扉を開けて、父の前に座った。「父上」


 守屋は、その声に眉を上げた。「声の調子がいつもと違う」と思ったらしい。正順が自分の目を見てきた時も、それに不思議な感情、相手に飲まれるような感覚を覚えた。守屋は自身の服を正して、自分の息子に向きなおった。「どうした?」

 

 正順は、その質問に固まった。「覚悟はもう、決まっている」とは言え、父の眼光はやはり怖い。自分では分からなかったが、父の視線に「うっ」と怯んでしまった。正順は自身の気持ちを正して、目の前の父に頭を下げた。「お話があります」

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