第5話 運命の試合(※三人称)

 暗転、真っ黒な世界。そこに広げる、人間の呼吸。呼吸は彼の、少年の鼓動を描き出す。一度は止まった世界を動かして、そこに時間の概念を流した。流人は、その感覚に目覚めた。見惚れる程に澄んだ空の下で。自分の上半身を起こしては、自分の周りをゆっくりと見渡したのである。


 彼は「役所の中」と思わしき場所をしばらく見ていたが、そこに二人の人物、特に「天皇」と思わしき少女を見つけると、その少女に「え?」と驚いて、少女の顔をまじまじと見てしまった。「お、かみ?」

 

 まさか? 御上がこんな所に居るなんて。「復活」の事しか分からなかった彼には、この展開は流石に予想外だった。陰陽師に儀式の事を頼んでも、「御自ら陰陽庁に出向く」とは思えない。「一応は安全」と思われる内裏の中に控えて、「陰陽師に儀式の成否だけを聞く」と思っていた。


 流人は畏怖の念を持って、天皇の前に歩み寄った。「不躾ながら伺います。貴女様は、浮島天皇でいらっしゃいますか?」

 

 天皇は、それにうなずいた。「昔の面影はある」とは言え、相手は自分と同い年の少年である。その背丈はもちろん、顔形も美しくなっていれば、年相応に「う、うううっ」と戸惑ってしまった。彼女は頬の火照りを隠して、彼の質問に「そうだが?」と答えた。「お前は、風流人か?」

 

 少年も、その質問にうなずいた。あの世に逝って以来、自分の姿を見た事はないが。天皇の言葉を聞く限り、自分の姿もそんなに変わっていないらしい。昔よりも声が低くなっただけで、視線の高さも少し高くなっただけだった。流人は自分の身なりを整えて、天皇の前に跪いた。「黄泉の国より戻りました。風守屋が嫡男、風流人。我が命を賭して、天皇様にお仕え致します」

 

 天皇はまた、彼の言葉に赤くなった。「命の恩人が自分に仕える」と言うのは、なかなかに来る物があるらしい。想良が天皇の気持ちを察して、それにニヤニヤしても、その反応に「ムッ」と怒るだけで、「自分の気持ちを隠そう」とはしなかった。天皇は「ゴホン」と咳払いして、目の前の少年に向きなおった。今もまだ、頭を垂れている少年に。「頭を上げよ」


 流人は、その声に従った。「声の調子がおかしい」と思ったが、命が命だけに「分かりました」と動いてしまった。彼は真剣な顔で、天皇の顔を見つめた。天皇の顔は、彼の視線に赤くなっている。


「御上? お顔が」


「へっ? あっ!」


 天皇は、自分の頬を叩いた。これを見られるのは、流石に恥ずかしい。「何でもない、気にするな!」


 そう言って、誤魔化した。流人はまだ、首を傾げているけれど。彼に自分の気持ちを知られるのは、この上もなく恥ずかしかった。天皇は「ゴホン」と咳払いして、自分の身なりを整えた。「急な話で悪いが。お前には明日、剣の試合をして貰う。我等の未来を決める、大事な次第だ。お前には、その実弟。風正順と戦って貰う」


 流人は、その名に固まった。自分の弟と戦う? それも、国の未来を決めるような? そんな試合を明日、この都で行うのである。


 流人は、その事実に息を飲んだ。弟との試合に不満はない。自分も武士である以上、剣の勝負は避けられなかった。剣の勝負から逃げるのは、武士として一生の恥である。一生の恥を背負うよりは、戦死の方がマシだった。流人は武士の本懐を全うしたい気持ちで、天皇の命に「分かりました」とうなずいた。「その勝負、謹んでお受け致します」


 ただ……。そう、最後に付け加えた。流人は真剣な顔で、天皇の顔を見かえした。「いきなり本番は、辛いので。試合前に何度か、稽古はできませんか?」


 天皇は「それ」に驚いたが、やがて「クスクス」と笑いだした。確かにそうかも知れない。稽古もなしで本番に臨むのは、「流石に不味い」と思った。神と合わさった人間が、どれ程に強いかも分からないし。神の力がどれくらい強いかは、「できるだけ知っていた方が良い」と思った。天皇は「それ」を考えた上で、流人の願いに「分かった」とうなずいた。「では、稽古の相手を」


 決める。そう言われた陰陽師が出したのは、彼女の式神だった。紙の体で出来た式神、武士の姿に似た式神である。式神は腰の鞘から剣を抜くと、流人の方に向きなおって、彼にその剣を向けた。


 人間のようには喋らないが、目の前の相手に対して「自分が相手にしよう」と言っているらしい。陰陽師も、その態度に「うん、うん」とうなずいていた。二人は開けた場所に流人を導いて、流人に「ここでやろう」と言った。「建物を壊さない程度に」


 流人は、その誘いにうなずいた。流石にそこまでは行かないだろうが、そう言う雰囲気は感じられる。式神が抜いた剣の鋒にも、その雰囲気が感じられた。流人は想良から渡された木刀を受けとり、目の前の敵に向きなおって、地面の上を勢いよく蹴った。

 

 そんな事があった翌日、風氏の館にも、その出来事が知らされた。「死んだ少年が蘇った」と言う事実、「生きていたら、こうなっていた」と言う姿で、現世に戻ってきたのである。天皇は事前の命令通り、都の広場に風氏を呼び出して、彼等に「ご苦労」と微笑んだ。「話は、『聞いている』と思うが。正順には、その兄と戦って貰う。将軍職の任を賭けて、その剣を」


 正順は、その声を無視した。父からの重圧で、今にも倒れそうだったのに。自分の目の前に居る男は、紛う事無き兄だった。彼は「不安」と「恐怖」に駆られる中で、試合着姿の兄を睨みつけた。「まさか、本当に蘇るとは」


 守屋も、その声に続いた。「これは、悪夢に違いない」と、嫌な目で息子の目を見たのである。守屋は天皇の顔から視線を移して、その目をじっと睨みつけた。「悪趣味な事だ。コイツの正体が何であれ、死者の命を弄ぶなんて。天子のやる事とは、思えない」


 天皇は、その言葉に苦笑した。言葉の内容は尤もだが、それを言っている奴等が問題である。不遜極まり連中が「弄ぶ」を使うなんて、「おかしい」としか思えなかった。天皇はそんな気持ちを隠して、風氏の二人に「うるさい」と言った。「これは、勅令である。異を唱える事は、許さない」


 風氏の二人は、その言葉に苛立った。身分の差がなければ、「今すぐにでも殴りたい」と思うくらいに。自身の誇りを漏らしては、天皇にその怒りを見せたのである。彼等は自身の怒りを隠さないで、その命に「畏まりました」とうなずいた。「こんな茶番、さっさと終わらせましょう」


 天皇の遊びに付き合うなんて。二人は天皇の指示に従い、流人の真向かいに立って、審判から試合用の木刀を受け取った。「普通の木刀、か。天皇ご贔屓の相手だから、『何かの仕込みがる』と思ったけれど。そこら辺は、筋を通しているらしい」


 流人は、その言葉に眉を寄せた。これは、明らかに挑発。「お前など怖くない」と言う、安い挑発である。流人は挑発の内容に呆れながらも、「相手は自分の弟だ」と言う事で、その苛立ちを落ちつけた。


 余計な雑念は、戦いの邪魔になる。転生前の記憶が消えたわけではないが、「ここは、冷静に行こう」と思いなおした。流人は自分の木刀を構えて、自分の弟と向きなおった。「正順」


 無視。それでも、彼に「元気にしていたか?」と話しかけた。「俺は、あまり」


 正順は、その声を遮った。「お前の声など聞きたくはない」と言う声で。「会話は、要らない。これは、真剣勝負だ。真剣勝負に余計な言葉は要らない」


 流人は、その言葉に目を見開いた。だが、すぐに「ニコリ」と笑った。生意気な奴だが、中身は立派な武士らしい。剣の才に甘えない態度は、その剣先に魂を流していた。流人は、その魂に「クスッ」と笑った。「父の守屋は仕方ない」としても、コイツには武士の誇りが流れている。「剣の勝敗がすべてを語る」と言う、武士の本質が出ていた。「それなら」


 手加減は、要らない。相手が本気で来る以上、こちらも本気でやってやる。自分にもまた、武士の血が流れているのだから。流人は相手の動きを窺いつつも、相手に対して「いざ、尋常に」と言った。「勝負!」


 そう叫んだ瞬間に正順は、俺の前から姿を消した。一羽の烏が、闇夜の中へと消えるように。

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