第4話 神との契約(※主人公、一人称)

 あの世は、美しかった。そこら中に花が咲いて、その香りがいっぱいに広がっている。「俺が死んだ後に目覚めた場所」と言うべきか? そこにも良い匂いが満ちていたし、三途の川(と思う)からも芳香が漂っていた。俺は船の漕ぎ手に六文銭(なぜか、持っていた)を渡すと、船の上に乗って、向こう岸に渡った。


 向こう岸も、美しかった。爽やかな風に乗って、草原の草花が揺れている。元の世界で見たような花はもちろん、仏画に出てきそうな蓮の花も、その風に「ふわり」と揺れていた。僕は地面の上に座って、その景色を眺めはじめた。「気持ちいい」

 

 精神を鎮めるような感覚、自分の中から毒が脱けるような感覚。それが足の先から昇ってきて、言いようのない気持よさを感じた。この感覚に比べたら、この世の悦楽なんて水に等しい。豪華な衣装に酔いしれる気持ちも、金銀財宝に目を奪われる気持ちも、「これ」に比べてたら「つまらない」と思った。

 

 俺は死ぬ前の自分に眉を寄せて、その姿に「つまらない」と呟いたが……。遠くの方に落ち武者を見たからだろう。敬虔な気持ちでいっぱいだった心が、不意に「ダメだよ」と動きはじめてしまった。「お前は、ここに居るべきではない」と、そう内心で思ってしまったのである。


 俺はその気持ちに揺れ動いて、地面の上から立ち上がった。蓮の匂いを無視して、草原の中を走りつづけた。僕は「昼も夜」もなく、日が昇っては走り、日が沈んでは自分の体を休めた。

 

 そんな日々が、三年くらい続いた。太陽の上り下りで数えただけだから、実際はもっと多いかも知れない。俺は草原の先を目指して、その先に「解脱の手掛かりがある」と信じて、草原の中をひたすらに走りつづけた。

 

 でも、そんな物があるわけはない。死んだ人間は決して、生きかえられないのだから。「死」の状態から「逃げよう」としたって、その輪から苦られる筈はない。俺は真っ黒な気持ちで、地面の上に座った。草花の匂いが漂う、地面の上に。「ちくしょう」

 

 ちくしょう、ちくしょう、とくしょう。この命がもし、生きていたら。御上のために働けたのに。武勲は上げられなくても、天皇のために励めたのに。「命を失う」と言うのは、それだけで大きな罪だった。どんな偉業も、生きていなけりゃ意味がない。生きた人間が生きた世界を生きるからこそ、生きた仕事に精を出せる。

 

 俺は地面の上に寝そべって、そこから天の空を見つめた。いつも晴れている、雲一つない空を。「戻りたい、僕の生きていた世界に。あそこに戻れば」

 

 そう思った瞬間に覚えた違和感、「ドクン」と言う衝動。地面の上から思わず立ち上がるような、そんな衝動に飛び上がってしまった。俺は「不安」と「恐怖」の中で、自分の後ろを振りかえった。俺の後ろには一人、十五才くらいだろうか? 「貴族の衣服」とは違う、奇妙な服を着た少女が立っていた。

 

 俺は、その少女に打ち震えた。「ニコッ」と笑う顔の奥に何か、俺を探るような視線を感じたからである。俺が彼女に話しかけた時も、その真っ赤な瞳を光らせて、俺の目をまじまじと見ていた。


 俺は、その視線から逃げ出した。とにかく、「怖い」と思ったから。情けない顔で、彼女の前から逃げてしまった。俺は草原の中をひた走り、いくつもの川を越え、たまたま見つけた岩の裏に隠れた。ここまで来ればもう、大丈夫だろう。隠れた状態で岩の反対側を見てみたが、少女の姿はおろか、その気配すらも見えなかった。

 

 俺はその光景に「ホッ」として、自分の後ろに向きなおった。俺の後ろには、あの少女が立っていた。さっきと同じ顔で、俺の事を「クスクス」と見ていたのである。俺は「それ」に怯えて、地面の上に座り込んだ。「あ、あっ……」

 

 もう、ダメだ。彼女からは、どう頑張っても逃げられない。彼女がどう言う理由で追いかけているのかは分からないが、それでも「やっぱり逃げられない」と思った。俺は地獄の鬼よろしく、「目の前の少女もきっと、地獄の鬼に違いない」と思って、彼女に「俺を食いに来たの?」と訊いた。「閻魔様とかの命令で。君は、俺の魂を食べに来たの?」

 

 少女は、その質問に首を振った。その美しい牙を光らせて、俺に「違うよ?」と微笑んだのである。少女は俺の前に歩み寄って、俺の顎を「食べに来たんじゃない」と摘まんだ。「ボクは、君と契りを結びに来たんだ」

 

 その言葉に「え?」と固まった。「鬼の子」と思われる少女がなぜ、そんな事を? 人間である俺と契りを結ぼうとしているのか? 事の真実が分からない俺には、その意味がまったく分からなかった。俺と契りを結んだところで、「彼女に利がある」とは思えない。俺は「これは、彼女の罠かも知れない」と思って、彼女の目を見つめた。彼女の目は、俺の目をじっと見ている。


「どうして、俺と?」


ばれたから」


 少女はそう、答えた。「浮島天皇の願いで」と言い足して。彼女は俺の目を見かえすと、草原の上に目を落として、一つの花を指差しはじめた。「喚び出したのは、陰陽師の少女だけど。ボクは、神降ろしの儀式で」

 

 喚び出された、戦神いくだがみ。そう言われても、すぐにはうなずけなかった。「神降ろしの儀式」が「神を呼び出す儀式だ」としても、それと自分の関係が分からない。それにどうして、自分が選ばれたのかも。一介の人間でしかない俺がこんな神と関われる理由は、普通の人間でしかない俺にはどうしても分からなかった。


 俺は不安な顔で、少女の顔を見かえした。「これも、彼女の罠かも知れない」と。「君の言う事が『本当だ』として。天皇はどうして、俺を選んだの?」

 

 少女は、その質問に眉を寄せた。質問の内容に苛立った、わけではないらしい。俺の表情を見て、その気持ちを考えているようだった。少女は申し訳なさそうな顔で、俺に「これまでの経緯」を話した。「実は……」

 

 こう言う事があって。そう聞かされた少女の話は、あまりに衝撃だった。数ある魂の中から自分が選ばれ、神憑きの対象に選ばれたなんて。信じるよりも先に疑う方が勝ってしまった。


 俺は自分の気持ちを落ちつかせて、少女の顔を見つめた。少女の顔はやはり、俺の目を見ている。憂いを帯びた瞳で、俺の目をじっと見ていた。俺はその視線に負けて、彼女の目から視線を逸らしてしまった。「そんなの出来すぎている。俺が助けた人をまた、助ける事になるなんて。普通に考えても」

 

 おかしい、おかしすぎる。書物の中には「ご都合主義」と言う物があるが、それは物語だからこそ通じる物であって、「現実の世界ではまず、ありえない」と思った。奇跡のような奇跡は、奇跡のような偶然よりも信じられない。


 俺は自分の前に舞い降りた可能性を疑って、それに「否」を「突き付けよう」としたが……。脳裏に蘇る記憶、天皇が泣き叫ぶ声。天皇はあの時も、「助け」を求めていた。自分の命を守るために。彼女は都が炎に焼かれる中で、その命を必死に叫んでいた。

 

 俺は、その声に打ち震えた。御上の命を守るのが、我が役目。武士が武士たる役目である。天皇が「助けて!」と叫んでいるのに「それ」を無視するわけには行かない。千里を駆けて、御上の所に馳せ参じねば。俺は心の迷いを捨てて、目の前の少女に向きなおった。俺に「戦神だ」と名乗った、一人の少女に。「行くよ」

 

 いや、ダメだ。彼女が神様なら、相応の言葉を使わなければならない。「行きます。俺は、御上の命を救いたい。御上が守ってきた物をこの手でみんな、守りたいんです!」

 

 少女は、その返事に頬笑んだ。「それを待っていた」と言わんばかりに。「風流人」

 

 それに「はい!」と応えた。覚悟が決まれば、返事も強くなる。少女も、その返事に喜んでいるようだった。俺は真剣な顔で、少女の目を見つめた。「お願いします、俺に力を貸して下さい!」

 

 少女は、その言葉にうなずいた。俺の手に自分の手を重ねて。「神との契りは、言霊。ボクの言葉に応えれば、その魂を強まる。今からボクが言う事を繰りかえして」

 

 我が命は。


「我が命は」


 神の代。


「神の代」


 天に仕える、御霊なり。


「天に仕える御霊なり」


 少女は、その結びに微笑んだ。俺の心を「そっ」と宥めるように。彼女は穏やかな顔で、俺の体を抱きしめた。「共に生きよう、キミの命が尽きるまで。ボクはずっと、キミの傍に居る」


 俺も、その言葉にうなずいた。俺の命が尽きるまで、彼女の事は決して放さない。俺と彼女は、文字通りの一心同体である。俺はそんな気持ちで、彼女の耳に囁いた。「貴女の名前は?」


 永久羅とわら。それが彼女の、戦神の名前だった。永遠の修羅を求める神。彼女は、人間に「それ」をもたらす神だった。俺は彼女の名前に驚いて、彼女に「良い名前だね」と微笑んだ。「俺の名前は……」

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