第3話 願いと望み(※三人称)

 思わぬ勅令に驚いた風氏だが、すぐに「馬鹿らしい」と思った。「できるかどうかも分からない儀式で蘇った死者」と戦うだけでも、お笑いなのに。それに勝てば、征夷大将軍になれるなんて。おとぎ話が好きな子どもにも笑われそうな話だった。そんなのを試験の基準にして、「御上の頭は、狂っている」としか思えない。


 風氏はそんな嘲笑を隠して、天皇の顔に向きなおった。天皇の顔は、その表情を消している。守屋と正順が思わず笑いかける程に真面目な表情を浮かべていた。「今の事態に焦る気持ちも分かります。この国の惨状を見れば、そう言う気持ちにも……。ですが」


 天皇は、その「ですが」に目を細めた。普通に聞けば、話題の変化にしか思えないが。彼等の述べる「ですが」には、自分への侮辱が感じられた。彼等は態度にこそ見せないが、天皇に対して嘲笑を、つまりは不遜を見せている。天皇は「それ」を感じた上で、自分の怒りを「ぐっ」と堪えた。「なにか?」

 

 風氏、特に守屋は、その声に「ニヤリ」とした。相手の真意がなんであれ、自分の側に主導権がある。その感覚が、何よりも嬉しいらしい。天皇が自分の顔を睨んだ時も、それに「フッ」と笑い返した。


 守屋は我が子の顔に目をやって、それから天皇の顔に視線を戻した。「現実を見ましょう。勅令を出すのは容易いが、その責任も考えた方が良い。貴女の言葉は言わば、神の言葉なんですから」

 

 それに「イラッ」とした天皇だが、すぐに「待てよ?」と思いなおした。天皇は「ニヤリ」と笑って、相手の目を睨みかえした。「確かに。なら、その命も絶対だ。私の言葉が、神の言葉である以上。それには決して、逆らってはならない。お前の理屈に従えば、そう言う事になる」

 

 守屋は、その言葉に顔を歪めた。「しまった」と思ったらしい。(「天皇」とは言え)「小娘の戯言だ」と思っていたが、その油断を見事に突かれてしまった。「才女」と呼ばれたこの娘は、自分が思っているより優秀らしい。守屋は天皇の才覚に驚く一方で、自身の主張も決して引っ込めなかった。


「それでも」


「怖いのか?」


「え?」


「自慢の息子が、負ける」


「わけがないでしょう!」


 思わず怒鳴ってしまった。正順への侮辱は、自分への侮辱である。「お前は、この程度の人間だ」と、そう罵る侮辱だった。守屋は天皇の挑発に負けて、自分の理性を忘れてしまった。


「正順」


「は、はい!」


「試験を受けろ」


「はっ?」


 一瞬、思考を忘れた。父の思考を読んでいたらしい彼だが、この展開は流石に読めなかったらしい。興奮気味の父に「落ちついて」と言って、その怒りを宥めたくらいだった。「それでは、相手の思う壺です。僕達が自分の意見を曲げなければ」


 守屋は、その意見を聞かなかった。計算高さで有名な彼だが、こう言う事には熱くなる。自分の威信を傷つける相手にはどうしても、その理性を忘れてしまった。守屋は息子の背中を叩いて、彼に「帰るぞ!」と怒鳴った。「試合前の総仕上げだ。神の力に甘えた人間よりも、お前の方が強い事を証してやる!」


 正順は、その言葉にフラフラした。こうなってしまったもう、手を付けられない。天皇に頭を下げたら、我が家に帰るしかなかった。彼は内裏の中から出た後はもちろん、都の通りを歩いている時も、憂鬱な顔で父の背中を見つづけた。「仕方ない。ちゃっちゃと済ませて、将軍になろう」


 勝つのはどうせ、自分だし。こんなのは、自分の力を試すお遊びだ。ただのお遊びで、征夷大将軍になれるならむしろ、幸運である。正順はそんな事を考えて、家の中に入った。それとほぼ同じ時間に天皇も貴族達の顔を見渡した。


 天皇は彼等の声にうなずいて、都の陰陽庁に向かった。都の陰陽庁では、想良が彼女の到着を待っていた。天皇は「ニコッ」と笑って、想良の隣に歩み寄った。「すまない、ちょっと五月蠅い連中が」


 想良は、その言葉に首を振った。陰陽庁の長である以上、そう言う情報も知っていたからである。武士の勃興、特に風氏の台頭は、彼女にとっても恐怖だった。武士への差別はまったくないが、あの傍若無人さはどうしても好きになれない。想良は天皇の気持ちを察して、彼女に頭を下げた。「お疲れ様」


 天皇も、その言葉に微笑んだ。彼女の言葉はいつも、自分を慰めてくれる。天皇は想良の厚意に涙して、彼女の後ろに目を移した。彼女の後ろには、儀式の祭壇が建っている。


「普通だね。『儀式』って言うから、もっと」


「『凄い』と思った?」


「ええ。神様と合わさるんだもん、その祭壇も……ほら、『豪華になる』と思った」


「確かにね。でも、これが正しいの。荘厳な儀式が必ずしも、『豪華になる』とは限らない。『神降ろしの儀式』は言わば、死者の命を弄ぶ事だからね。華やかになるわけがない」


 想良は祭壇の前に行って、儀式の準備を始めた。必要な物は体揃っていたが、神への祈りを捧げなければならないからである。想良は天皇が見ている前で、神降ろしの儀式を行いつづけた。


 神降ろしの儀式は、どれ程続いたのだろう? 正確な時間は分からないが、夜まで続いたのは確かだった。地面の上に倒れる、想良。想良は天皇に自分の体を抱き起こされたところで、相手に「終わったよ」と微笑んだ。「あとは、神様次第。神様が憑依の対象を選んでくれるか。あたし達はただ、その結果を待つしかない」


 天皇は、その言葉にうなずいた。神の思し召しには逆らえないが、それでも「良かった」と思う。儀式が無事に終わっただけでも、天皇としては万々歳だった。儀式と関わった想良も、無事に帰ってきてくれたし。親友の命が奪われなかっただけでも、彼女としては最高だったのである。天皇は想良の頭を撫でて、彼女に「ありがとう」と言った。「貴女は、最高の陰陽師よ」


 想良は、その言葉に手をヒラヒラさせた。少しの謙遜と、恥じらいを込めて。彼女の賞賛に赤くなったのである。想良は天皇の肩を借りて、建物の中に戻った。建物の中には、蝋燭の明かりが満ちている。


「庭の中に五芒星を描いた。今回の儀式がもし、上手く行けば。転生者は、そこに現われる。神と合わさった、新しい命が」


「そう……。ねぇ?」


「なに?」


「しばらく泊まっても良い? その転生者が、現われるまで」


 想良はその願いに驚いたが、やがて「クスッ」と笑いだした。天皇としての責任もあるだろうが、それ以上に思うところがあるのだろう。朝廷の貴族達が許すなら、「いつまで居ても構わない」と言った。想良は床の上に寝そべって、額の汗を拭った。「夕ご飯、まだでしょう? 係の人に言えば、料理を作ってくれるから。あたしは、疲れたから休憩」


 天皇は、その言葉に吹き出した。本当はもう、限界なくせに。自分への配慮を見せる親友が、「とても可愛い」と思ってしまった。天皇は想良の頭を撫でて、建物の庭に目をやった。


「儀式」


「うん?」


「上手く行くと良いね?」


「うん」


 想良は、頭の位置を動かした。その頬に床の温度を感じるように。「あたし達はずっと、不幸だった。色んな命を奪われて、自分の家を追い出された。あたし達には、『それ』に抗う権利がある。これは、その第一歩。神様にあたし達の不幸を訴える。理不尽な事がずっと、続く筈はない」


 天皇も、それに「そうだね」とうなずいた。天皇は建物の縁側に行って、そこから都の空を見上げた。都の空には、美しい星々が浮かんでいる。「終わらせよう?」


 こんな悲劇は、自分達の代で終わらせるのだ。次代を生きる人達が、平和に生きているように。この不幸は、今の時代で終わらせるのだ。天皇は右手の拳を握って、都の空に「それ」を突き上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る