第2話 天皇の課題(※三人称)

儀式の条件は、以下の通り。

一、術者が儀式を行う日から数えて、三年以内に死んだ者の魂を使う事。

二、死者の内容を記した諸物、それに類する者が残っている事。

三、神降ろしの本体である神が、憑依候補の死者を気に入る事。

四、三の条件を満たした死者が、自身に対する神降ろしの儀式を受け入れる事。

 これらを満たした死者は「神付きの人間」として生まれ変わるが、死後は神の使いとして、その輪廻転生りんねてんしょうから外れなければならない。


 天皇は、書物の頁を閉じた。儀式の内容は、そんなに難しくはない。条件の内容が厳しいだけで、その内容自体は分かりやすかった。自分が死者で、あの時に死んでいれば、「儀式の候補に選ばれたかも」と思える程に。今の憲法よりもずっと、分かりやすかったのである。


 だが……それでも、悔しい。死者の記録は朝廷にも残っているが、「彼等が神に選ばれる」とは限らないからだ。死者の一覧を眺めても、その一人を指差すとは限らない。神降ろしの儀式は、それ程に難しい儀式だったのである。


 天皇は床の上に書物を置いて、自分の頭を掻いた。「やっぱり無理なのかな、人間の世界を救うなんて?」

 

 想良は、その弱気に眉を上げた。「可能性」の面から言えば、天皇の反応は正しい。たぶん、自分も同じ反応になるだろう。「成功」よりも「失敗」の確率が高い博打なんて、一流の博打打ちでもやらない勝負だ。「勝った時」の事を考えるのは、三流の博打打ちである。天皇は、そんな愚か者には思えない。想良は彼女の思考を察した上で、彼女に「止めましょう」と言った。「こんなにつまらない賭けは。貴女はもっと、現実的な賭けに」

 

 挑むべき。そう言いかけた想良だが、天皇にその声を遮られてしまった。困った顔で天皇を見つめる、想良。想良は気持ちの動揺を落ちつけて、相手の顔をまじまじと見た。「やる?」

 

 そしてもう一度、彼女に「やる?」と訊いた。その眼光に「うっ」と怯えるように。「本気で言っているの?」

 

 天皇は、その質問にうなずいた。一も二もなく、相手の目をじっと見かえして。彼女は上座の上から立ち上がると、想良の隣に行って、その肩に手を乗せた。「準備を進めて。私は、勅令を出すから」

 

 それに「待って!」と叫ぶ、想良。想良は彼女の手を掴んで、その目をじっと睨んだ。「そんな急に! よく考えたの?」

 

 その答えは、「考えた」だった。考えた上で、今の質問に「急がなきゃ!」と答えた。「神降ろしの候補が、減ってしまう前に。神様に選ばれなきゃ!」


 天皇は最後の言葉を飲みこんで、陰陽庁の中から出て行った。想良も、その背中を見送った。二人は立場の違いこそあれ、一方は勅令の、もう一方は儀式の準備に取りかかった。儀式の準備が整ったのは、それから三日後の事だった。


 だが、その間に様々な問題も起こった。天皇の勅令に対する反発、そして、「神など不要」と叫ぶ声である。彼等は不神論者も居たが、その大半が出世を望む野心家達だった。風流人の実家である風氏もまた、それを望む一人。今は亡き流人を忘れて、その繁栄を望んでいる一族だった。


 風氏一族は「自分達の力を示そう」として、内裏の前に馬を走らせた。「神降ろしの儀式など下らない。そんな物で、この国が救えるか。この国を救えるのは、それに見合った存在。武士団の頂きに立つ、この風氏である!」

 

 朝廷の貴族達は、その怒声に頭痛を覚えた。流人が天皇の命を救って以来、それを「家の手柄」と考えた風氏は、貴族達に一族の朝廷入りを求めて、朝廷の大臣達に婚姻を持ちかけたり、天皇自体にもそう言う話を持ち掛けたりしていた。流人の弟である、かざなみの正順まさなおも天皇に対して「自分も、御上の命を助けた一人だ」と言い張っているし。その父である風守屋もまた、天皇が貴族達に息子の婿入りを頼んでいた。


 貴族達は、そんな風氏の態度を嫌っていた、だけではない。天皇の気持ちもそうだが、貴族の大半も彼等を嫌っていた。自分の利益しか考えない家、家の名前にしか興味がない一族。文字通りの外道。そんな一族に生まれた流人が「天皇の命を守った少年だ」と考えると、その悲劇があまりに切なく、そして、「腹立たしい」とさえ思った。


 自分の命に代えてもなお、「国の光を守ろう」とした姿は、正に武士だったからである。そんな真の武士を辱めた彼等は、「本当に腹立たしい」としか思えない。いつもは天皇への攻撃にご熱心な右大臣も、この時ばかりは冷たい態度を貫いていた。「下衆な連中め。ここは、お前達の来る所ではない!」


 そう咎められたが、肝心の風氏には通じなかった。風氏は今の言葉を無視して、天皇の顔に視線を移した。天皇の顔は、彼等への怒りで歪んでいる。


「そのような事は、おっしゃらずに。是非とも、我等武士に勅令をお与え下さい。妖狐の手から、この世を救うお役目」


「を、与えるわけがないだろう? お前達は、息子の命を蔑ろにした。母御が命懸けで生んだ、我が子を。子供の命も守れぬ輩に国の命運は」


「『任せられぬ』と? 面白い。ならば、おん自らが戦いますか? 我等に代わって、人間の敵と。鎧兜を着て、『太刀を振るう』と言うのですか?」


 その質問に押し黙った。権力の面では上でも、武力の面では到底及ばない。相手の剣と槍で、あっと言う間に潰される。貴族の中にも武芸を囓っている者は居たが、武士の力には到底敵わなかった。


 貴族達は相手に足下を見られた気持ちで、その顔をじっと睨みかえした。「し、しかし、貴重な兵を死なせるわけには行かない。人間は一度も、妖に勝った事はないんだ。どんなに優れた名将でも、妖の力にはまったく」

 

 敵わない。そう言いかけた貴族達に風氏は、「プッ」と吹き出した。自身の立場を忘れた、不敵な態度で。「敵うかも知れない」

 

 そう言って、正順の肩を叩いた。正順自身にも、その意識を確かめさせるように。「我が子、正順は、文字通りの天才です。齢十五で、『都一』と呼ばれる程の。御上がお認めになれば、将軍すらもやれる器です」

 

 正順は、その言葉に微笑んだ。自意識過剰ではないが、自分の腕には自身があるらしい。ふらりと現われた蝶の体に刃を見せると、それをふわりと振り上げて、蝶の体を真二つにしてしまった。正順は腰の鞘に刀を戻して、目の前の貴族達に向きなおった。その麗しい顔を光らせて。「私に掛かれば、妖狐の体も真二つです」

 

 守屋も、その言葉に微笑んだ。息子の遊びに「フフッ」と喜んでいるらしい。彼は天皇の顔に視線を戻すと、不敵な顔で彼女の目を睨んだ。「息子に軍勢をお与え下さい。さすれば、妖狐の軍勢も討ち果たせる。そんな神頼みに頼る必要はない」

 

 天皇は、その言葉に眉を寄せた。彼の言葉に心が揺れたからではない。今の態度を見て、その覚悟を決めたからだ。「コイツ等に国は、任せられない」と、そう内心で思ったからである。彼女は周りの貴族達に目配せして、関白の少女に「勅令を出す」と言った。「儀式は、取りやめない。風氏の面々は、本儀式が終わるまで……」

 

 蟄居ちっきょ。そう言いかけた瞬間にある事を思いついた。彼等の怒りを抑える(かも知れない)、一石二鳥の手を。これを使えば、「蟄居」と「試験」の両方ができる。天皇は「それ」を計算に入れて、風氏の面々に意識を戻した。「風守屋並びに正順。お前達に試験を与える。正順の力量を試す試験だ。それに受かれば、正順に将軍の任を与える」


 二人は、その提案に喜んだ。特に正順は、嬉しさのあまりに「よし!」と笑っている。右手の拳も握って、自分がもう受かったつもりになっていた。二人は嬉しそうな顔で、彼女の顔を見つめた。「それで、その条件とは?」


 天皇は、その言葉に「ニヤリ」とした。その言葉を「待っていた」と言う風に。「一騎打ちだ。儀式で蘇った神付きと一対一で戦って貰う。

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