第一章 神降ろしと征夷大将軍
第1話 神降ろしの儀式(※三人称)
千年の都、そう呼ばれた時期もあった。東西南北、そして、中央。都の周りに防壁を築き、その四方に出入り口を設け、大地の気脈が流れやすいように興した都は、それ独自の文化を築いた素晴らしい都だった。
都の中には内裏が造られ、内裏の中には貴族達が集まる場所。つまりは、貴族の会議所が作られた。そこから少し離れた所に貴族達の家々が建てられ、その周りには下級貴族、「無位(位の無い貴族)」と呼ばれる貴族達が住んでいた。
無位の貴族達は、貴族以外の身分とほぼ同じ。国から与えられた田圃や、自分が拓いた畑を耕して、僅かな収入に少しの慰めを与えていた。命の不平等に負けないように、身分の理不尽に負けないように。彼等は自分の身分に不満を抱く中で、彼等なりの世界を生きていたが……。そこに一つ、巨大な影が現われた。人間の社会を脅かす影、妖狐の率いる怪しい影が現われたのである。
彼等は人間の世界に入り、彼等の都を侵し、そして、その中から追い出してしまった。人々はそんな力に負けて、国の隅へと追いやられたが、神の霊気で守られた土地に逃げると、そこに仮初めの都を築いて、滅びの現実から目を背けはじめた。
「今日は、今日の事だけを考えれば良い」と、そんな考えに逃げはじめてしまったのである。本来なら「どうにかしなければ」と関白や各大臣達も、今は「致し方ない」と諦めている状態。それを諫める参議達すらも、その態度も「だよな」と諦めていた。
彼等は、今の惨状にうつむいた。今の都にも「猛将」と呼ばれる武官達は居たが、彼等だけではどうにもならない。武官の統率者たる征夷大将軍も、さきの戦いで命を落としていた。彼の後任たる武官や武士、その他兵士達も、妖との戦いで命を落としている。現天皇である
貴族達はそんな現実に揺れて、自身の気持ちを漏らした。「この地に流れて、三年。一応の安息は得たが、それも時間の問題だ。奴等が神の霊峰を越えれば、この地も灰燼に帰してしまう。我等の造った都が、妖狐の力に落ちてしまうんです。人間の権を集めた、都が……」
天皇は、その続きを遮った。彼等の話が事実であれ、それを聴きつづけるのは辛い。上座の肘掛けを倒して、その場から立ちたい気分だった。天皇は自身の気持ちを落ちつけて、貴族達の顔を見渡した。貴族達の顔は、今の話に暗くなっている。「落とすわけには行かない。私達には、それを守る義務があるんです。建国以来より続く義務が。私達は、その義務を守らなければならない!」
貴族達は、その声に溜め息をついた。そんなのは、分かっている。目の前の御仁に言われなくても、そんなのはずっと前から分かっていた。先祖が命懸けで切り拓いた国を自分達の代で終わらせるわけには行かない。自分達には「それ」を守る、守る以上に栄えさせる義務があるのだ。あんな狐に負けたくらいで、この繁栄を終わらせるわけには行かない。
貴族達は自身の怒りを分かった上で、天皇にその怒りを「ぶつけよう」としたが……。右大臣の発言によって、その機会を奪われてしまった。右大臣の顔に視線を集める、貴族達。彼等は不機嫌な顔で、右大臣の顔を見かえした。「なんです?」
右大臣は、その返事に吹き出した。「自分にそう言う返事が返る」と分かった上で、彼等の堪能を嘲笑ったらしい。左大臣の制止を受けてもなお、その笑みを浮かべていた。右大臣は嫌な顔で、天皇の顔に目をやった。「口では、何とでも言える。問題は、『それ』が実際にできるかです。雑魚の攻撃にすら抗えない我々が」
天皇は、その意見に苛立った。右大臣に言われなくても、そんな事は分かっている。「人間が妖と戦うには、それ以上の力が必要だ」と、苦い経験から分かっていた。兵士達の力をどんなに上げたところで、今のままでは
天皇は「それ」を分かった上で、右大臣の顔を睨みかえした。「口では、何とでも言える。問題は、お前にその案があるかどうかだ。人間が妖怪に打ち勝つ、その具体的な策が」
あるわけない。そう訴える、右大臣の眼光だった。右大臣は扇で自分の口元を隠すと、床の上に目を落として、この場の全員に「それを考えるのが、貴女の役目」と言った。「『才女』と呼ばれた、貴女の御役目です。天皇の地位にある、貴女の。貴女には、『それ』を考える責任がある」
貴族達は、その発言にいきり立った。今の発言は、あまりに無礼。自身の職務を捨てた、無責任な発言である。天皇に対して、そんな態度は許されない。彼等は右大臣の前に詰めよって、彼に「慎みなされ!」と怒鳴った。「今の言葉は、不埒千万! 自身の立場を忘れ」
天皇は、その続きを遮った。右大臣の不遜は許せないが、今は「この場を収めるのが先決」と思ったらしい。関白が天皇に話しかけた時も、それに「大丈夫」と微笑んだ。彼女は穏やかな顔で右大臣を見、それから周りの貴族達を見渡した。「右大臣の言い分にも、一理ある。ここでああだこうだ言うよりは、私一人で決めた方が早いかも知れない」
それを聞いた貴族達が黙ったのは、彼女の意図を察したからか? 不満げな顔で、「分かりました」とうなずいてしまった。貴族達は朝廷の礼に倣い、天皇が部屋の名から出て行った後も、暗い顔で彼女の背中を見送りつづけた。
「右大臣様」
「なんです?」
「貴方は当分、ここに出なくて良い」
右大臣は「それ」に驚いたが、やがて「クスッ」と笑いだした。まるで、その反応を読んでいたように。「構いませんよ? 私一人が出なくても、この状況は変わりませんから」
そんな会話で荒れた話し合いだが、天皇にはもう関係ない。右大臣の言葉に苛々していたものの、その頭は既に別な事を考えていた。天皇は内裏の中から出ると、世話役達の声を無視して、自分の馬に跨がり、馬の尻を叩いて、都の陰陽庁に向かった。都の陰陽庁は、内裏から少し離れた所にある。以前のような造りではないが、一応の屋根と雨除けはあったので、そこら辺の民家よりはマシだった。
天皇は馬の上から降りると、係の者に用件を話して、陰陽庁の中に入った。陰陽庁の中は、静かだった。三年前の事件が原因で、陰陽師の大半が死んでいたからである。
部屋の住人は、その声に応えた。歳の頃は天皇とそう変わらない少女だが、案内係の陰陽師が彼女に頭を下げた辺り、組織の中でも偉い立場にあるらしい。天皇には部屋の上座こそ譲ったが、その態度には(ある種の)余裕が見られた。彼女は案内係の陰陽師に人払いを頼むと、それが周りの人間を遠ざけたところで、目の前の天皇に向きなおった。「ようこそ、陰陽庁へ。御上は、今日もご機嫌麗しゅう」
天皇は、その続きを遮った。「そんな決まり文句は、言わなくても良い」と言わんばかりに。「
陰陽師の名は、「想良」と言うらしい。「万策尽きた。どうか、力を貸して欲しい」
想良は、その言葉に吹き出した。一月前にも同じ事を言われたので、それに思わず吹き出してしまったらしい。想良は自分のお茶を啜って、皿の上に湯飲みを戻した。「今日の会議も、ダメだったの?」
そう言われた瞬間に暗くなる、天皇。天皇は自分の湯飲みに目を落として、その水面をじっと眺めはじめた。「何も進まない。『人間では、妖に勝てない』の一点責めだ。右大臣にも、嫌みを言われちゃうし」
想良はまた、彼女の言葉に吹き出した。貴族の娘よりも出世を求めた少女が、『同い年の天皇に喧嘩を売る』とは。第三者の自分は、本当に面白い事だった。朝廷の椅子取り遊びに勝った御褒美が、天皇への罵詈雑言なんて。「面白い」としか、言いようがない。正直、腹を抱えて笑いそうだった。
想良は口元の笑みを消して、目の前の天皇に向きなおった。「まあ、『それは良い』として。問題は、これからの事ね? 人間が妖と戦うためには、どうするか? それが、一番の課題」
今度は、天皇が押しだまった。天皇は少しの沈黙を置いて、想良の目を見つめた。
「何か手は、ない?」
「ない」
即答だった。何の躊躇いもなく、その言葉を吐いてしまった。「正確には、『ないかも知れない』かな? それができるか分からない以上、今のあたしには『ない』としか言えない」
天皇は、その返事に眉を上げた。(相手の質問には、どちらかと言うと)「こうだ」と言い切る人種の想良だが、こんな風に言いよどむのは珍しい。天皇が「それ」に食いついた時も、困ったような顔で、その顔を見かえしていた。
天皇はそんな反応が気になりながらも、「これは、何かあるな」と思いなおして、想良の顔を見かえした。「責任は、取る。だから、話して。貴女の見つけた、とっておきかを」
想良は「それ」に戸惑ったが、やがて「クスッ」と笑いだした。天皇の目力に負けて、その要求に「分かったよ」と折れたらしい。彼女は書棚の中から書物を取り出すと、書物の封印を解いて、天皇にその文章を見せた。「あの時は、必死だったけど。都が焼かれた時にね、役所の中から持ちだしていたみたい。『ここの資料は、絶対に燃やさせない』って。これは、その時の生き残り。生き残りの中に埋もれていた、秘蔵っ子だよ」
天皇は、その言葉に息を飲んだ。あの事件で様々な物が失われたが、陰陽庁の資料もまた例外ではない。彼等の尽力で火を免れた書物も多くあるが、それ以上に失われた書物も多かった。国の歴史書や、学術書など。妖狐の襲来で失われたのは決して、人間の住まいだけではなかったのである。……これは、そんな悲劇の生き残り。天皇は自分の手に持つと、不安な顔で書物の題名を呼んだ。「神降ろしの術?」
陰陽師も、それに「クスッ」と笑った。天皇の反応を初めから分かっていたように。陰陽師は楽しげな顔で、書物の裏側を指差した。「ずっと昔に書かれた物だけど。ようは、神様をくっつける儀式ね。対象の物に神を降ろす、最上級の儀式。これには、その方法が書かれている」
天皇は、その言葉に表情を変えた。それがもし、可能なら。妖と戦えるようになるかも知れない。人間の力を越えて、あの化け物と戦えるかも知れなかった。天皇はそんな興奮を隠して、自分の脇に書物を置いた。「術の条件は? 汚い事なら、私が引き受ける。それで、人間の世が助かるのなら!」
陰陽師はまた、彼女の言葉に溜め息をついた。それもまた、初めから分かっていたように。
「確かに被るかも知れない、汚名を。この儀式には、死者を使うから」
「え?」
それは?
「どう言う?」
「意味? 言葉通りの意味だよ。この儀式には、死者が要る。ここ三年の内に死んだ、魂が。神降ろしの儀式を受けられるのは、その生から解かれた人間だけなの」
天皇は、その言葉に押しだまった。それが示す、死者への冒涜と共に。
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