アナトミストと例のマスク
レコンスーツを使ってジャンプした俺とマリアは、赤い森を飛び越えて沼地の手前に着地した。
まだ沼に足を踏み入れていないというのに、あたりの地面は軟弱そのものだ。
地面を足についた瞬間、スーツのブーツがくるぶしまで埋まってしまった。
着地の衝撃もあったろうが、それにしても足場がゆるい。
砂っぽい土と汚水が入り混じり、水の足りないココアに足を突っ込んだみたいだ。
『こりゃひどい。うかうかしてると泥に飲み込まれそうだ』
『どろどろ!』
『それにしても……ひどいところだなぁ』
直に目にすると、沼地はこの世の終わりのような光景だ。
鉛色の空の色を映す水面の上に霧がたちこめ、霞の向こうには枯れ果てて傾いた木々が幽霊のように立ち尽くしていた。
湿気もすさまじい。湿った空気がレコンスーツの表面に水滴を作り、白い装甲板の上を小さな玉が流れ落ちる。
臭いもひどい。腐った生ゴミのような臭いが俺の鼻をついた。
牛乳をこぼした万年床でイカが寝ていたらこんな臭いがするだろうか。
レコンヘルメットの表示を見ると、アンモニアやメタン、硫黄が検出された。
想像通り、この沼地の空気は腐敗によって汚染されているようだ。
レコンヘルメットがなかったら、沼に入る前に窒息していたかもしれない。
『こりゃたまらん。次のジャンプでいっきに丘まで行っちゃおう』
『ジロー様、解剖学者さんに見られて大丈夫?』
『あー、そこはまぁ……スキルってことで。それよりこの場を一刻も早くあとにしたいかな。古墳に〝膝砕き〟なんて名前がついてる意味がようやくわかったよ』
『ここを歩いてたら膝と足がガタガタになっちゃうから、かな?』
『だね。いくらなんでも足場が悪すぎる。レコンスーツがあって助かったよ』
俺とマリアはもう一度ジャンプして、沼地の中心にある丘に着地した。
スーツがなかったら、あのドロドロの沼の上を進む羽目になったことを考えると背筋が寒くなる。あんなとこいたら、絶対に変な病気にかかるよ……。
『さて、依頼人はどこかな……?』
『キャンプにはいないみたい?』
俺とマリアは丘を見渡したが、解剖学者らしき人は見当たらない。
キャンプに人影はなく、焚き火にも火の気配がなかった。
『となると……あそこか?』
丘の中央には石でできた構造物がある。
おそらくだが、あれがブロークンニー。膝砕きという異名を持つ古墳だろう。
学者は俺達が到着する前に、古墳の中に入ってしまったのか?
『ジロー様、入ってみる?』
『……それしかないか。行こう』
『うん!』
俺とマリアは丘をのぼって古墳に近づく。
まず目に入ったのは、円形に並んだ柱だ。
柱は長い年月を経て屋根と共に崩れ落ち、長さがまちまちになっていた。
『ふーむ……昔はお堂のみたいな建物だったのかな?』
比較的原型をとどめている柱の上には、わずかに屋根の残骸が残っている。
往時の古墳は、ちゃんと屋根で覆われていたのだろう。
しかし、残った残骸もいつ崩れ落ちるかわかったものではない。
崩壊しきった柱は俺たちの身長よりも低くなっている。
俺とマリアは、その柱の間からそーっと古墳の中に入っていった。
『見てジロー様、階段だよ』
『まーた地下かぁ……やな感じ』
柱の間をくぐると、そこは
底を見ると、階段の終わり、石の床がオレンジ色に光っている。
いや、石自体が光っているわけではない。何かの明かりが灯されているようだ。
『……明かりが見えるね』
『もしかして解剖学者さん、かな?』
『かも、行ってみよう。足元に気をつけて』
『うん』
石段の間隔は大人を想定したもので、マリアには大きすぎる。
俺は彼女の手をとって地の底に向かった。
階段の終着点につくと、そこには謎の器具が並んでいた。
器具は遺跡に比べると明らかに新しい。
おそらく最近になって持ち込まれたものだ。
奇妙にねじくれたガラスのフラスコや、銅でできたヤカンのお化け。
これらの道具には、どことなく既視感があった。
『ジロー様、これってゼペットさんのアトリエにあったのと同じじゃない?』
『あ、言われてみれば確かにそうだね。解剖学者は錬金術もやってるのかな』
階段の反対側の壁には、松明が壁のスキマにぶっ刺さしてあった。
松明の下には木製の重厚なダブルドアがある。
俺は念のため、レコンヘルメットで扉の向こうをスキャンしてみた。
モンスターがいて、奇襲される可能性も考えられたからだ。
『ふーむ……誰かいるな』
扉の先でテーブルに向かって腰を曲げた
『ノックしてみる?』
『うん、そうしてみよう。忍び寄る必要もないからね』
俺はドアをたたき、木の板の向こうに「依頼で来たものですが」と、声をかける。
すると人影はうんざりといった風に首をふり、こちらに向かってきた。
ギィ、と重苦しい音を立てて扉が開く。
その瞬間、俺は息をのんだ。
細く開いた扉の間から、トリのクチバシがにゅっと突き出してきたからだ。
クチバシの正体は解剖学者の被っているマスクだ。
解剖学者は口元がクチバシのように突き出したマスクをしていて、目の部分には丸いガラス板がはまっていた。
大剣を振り回す剣士がでてくるダークファンタジーの漫画で見た記憶がある。
たしか「ペストマスク」といって、中世の医者が使っていたマスクだ。
「おやおや……これはまた、奇妙な風体の助手が来たものだ」
マスクの下から、くぐもっているが高い女性の声が聞こえてきた。
どうやら解剖学者は女性のようだ。
学者が着ている墨色のローブの胸元が盛り上がっている。
しかも大きい。もしかしたら結構若い人なのかもしれない。
「依頼を受けてきました。僕はジロー、それでこっちがマリアです。なんでも、研究のためにモンスターを捕まえたいそうですが……」
「さよう! いやはや、依頼を受けてくれて感謝するぞ。最初は野外研究所を設営しようと思ったが、あまりの湿気と悪臭に
「え、え? えーっと……」
「おっと、これは失礼。久しぶりに会話できる存在と出会ったせいでついつい……。申しおくれた、私の名はマギーだ」
そう言って解剖学者はマスクを外す。
すると、黒いマスクの下から真っ白なクチバシと、オレンジ色の瞳が現れた。
羽毛に覆われたその顔は、どう見ても人間のそれではなく鳥のものだ。
……いや、本当にトリだったんかい!!
◆◇◆
※作者コメント※
またなんか、本当にごく一部の業のある人に向けなキャラが出てきたなぁ(
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