アクマの姿

「アイザックさん……? あれ、いないな」


 コテージに入ると、オーナーのアイザックさんの姿がない。

 もしかして、あの戦いを見守っていたギャラリーの中にいるんだろうか。


「勝手に使うことになるけど、リリーさんも言ってたし、たぶんいいよね……」


 俺はマリアを窓の下にあるソファーに横たえた。リリーの言う事が確かなら、日の当たる場所で安静にしていればそのうち元気になるはずだ。


「えーと、これじゃ苦しそうだな……ちょっとごめんね」


 俺はマリアのヘルメットを外し、頭の下にクッションをいた。

 唇の血色はいいし、顔色もそんなに悪くないように見える。


「レコンヘルメットのUIを信じるなら、体温と脈拍は正常な値だ。となると……問題はエーテルの変調みたいだな」


 この世界の人間は、体調のほかにエーテルの調子を整える必要があるようだ。

 もしそれが崩れると、今の彼女のように命まで危うくなる。

 魔法のある世界なんて便利に思えたが、とんだ代償もあったもんだ。


「ふぅ、僕も休むか……」


 マリアほどじゃないが、俺も消耗しきっている。

 心配と緊張の混じった息を追い出し、ソファーの前で床に腰をおろした。


 すると、両肩に重しでものせられたみたいに、疲れがどっと襲ってきた。

 彼女にエーテルを送った反動が、今になってやってきたようだ。


「…………。」


 ソファーの上には両開きの大きな窓があり、その木枠にはレースで編まれた白く薄い夏用カーテンがかけられていた。


 カーテンは木々の頭をかすめる陽光を浴び、いっそう白く輝いていた。

 目にちくちくと健康的なまぶしさが刺さる。


 俺は疲れた体にむち打ち、窓を開けることにした。少しでもここの環境を良くするため、新鮮な空気を取り入れてやろうとおもったのだ。


 窓の建付けは固い。

 俺はかんぬきを弾き、窓枠を外に押し出すようにして窓を開した。


 窓は湖の反対側にあり、森に面している。

 そのせいなのか、青々としたすこし湿った風が吹き込んできた。


 頬をなでる、ほんのわずかな風。

 それでもカーテンは喜ぶように大げさに身をよじらせている。

 踊り子が脱ぎ捨てたドレスだけが踊っているようだ。


 俺はソファーの前でマリアを見守り、起きるのを待つことにした。

 そうしてどれだけの時間がたっただろう。

 マリアが寝返りをうったかと思うと「あっ」と思う間もなく、俺の足の間に落っこちてきた。ごちんっ! という音とともに、俺は声にならない悲鳴を上げた。


 彼女の体が軽いといっても、不意打ち&スーツの重量コミコミだ。

 今度は俺がダウンするところだった、


「おぉぅ……!!!」

 

「…………(ぱちくり)」


「お、おはようマリア……」


『あれ、ジロー様? じゃぁここは……?』


『ここは湖畔のコテージだよ。マリアがエーテルの変調で気を失っていたから、ここに運び込んで休ませてたんだ』


『そうだったんだ……。あ、あのサメさんは?』


『ジャークシャークのことなら、もう大丈夫だよ。あいつはリリーさんがやっつけて……とにかく、全部終わったよ』


『リリーさんが? え、ドラゴンじゃなくて?』


『うん? ドラゴン??? ここにドラゴンなんていないよ』


『……そうだよね。ドラゴンなんているはずないよね……』


『ははぁ、さては夢でも見てたのかな?』


『そうかも。えっとね……こーんなおっきいドラゴンと湖の中で出会ったの!』


 マリアはそういって小さな両手を広げて、ドラゴンの大きさを表現しようとする。

 彼女の努力は認めるが、その大きさだとせいぜい大型犬くらいだ。


『なるほど。マリアはそのドラゴンさんにお願いでもしたの?』


『うん。ジロー様……サメさんが研究室と地下水脈をつなげたとき、ものすごい水が入ってきて、みんなバラバラにはぐれちゃったでしょ?』


『そうだね。僕も水に流されて、気づいた時は湖のどこかにいた』


『私もそう。何も見えない真っ暗な水の中ですごく怖くて、寒くて、どんどん体から力が抜けていって……そうか、死ぬんだ。そう思った時、ドラゴンに出会ったの』


『あんな真っ暗な闇の中で?』


 水底は本当に見通しが悪かった。

 あの中で見れるとしたら、相当巨大な……う、考えるのはやめよう。

 考えるだけでゾッとする。


『それで、そのときに思い出したの。サイゾウさんから聞いた湖の伝説の悪魔って、このドラゴンさんなんじゃないかなって』


『うん、なんでまた?』


『そのドラゴンさん、片目が無かったの。目がなくて、そのかわり私が入れそうなくらい大きな穴がぽっかり空いてたの』


『なるほど……サイゾウさんの話だと、湖の悪魔は石で片目をつぶされて、湖のなかに封印されてるみたいな話だったもんね』


『うん。だから私……ドラゴンさんに、私の命をあげるから皆を――ジロー様を助けてってお願いしたの』


『ちょ、ちょっとマリア! いきなり何を言い出してるの?! そんな軽々しく命を捧げちゃダメです、めっ!! もっと大事にして!!』


『ふふっ、ドラゴンさんもまるでおんなじこと言ってた』


『えぇ……?』


『お礼はもうもらったから、何も受け取るものはない。そういって私の体はぐっと上に持ちあげられた。そこからの記憶はぜんぜんない、かな』


『ふーむ……? あ、ぐいっと持ち上げられたのは、そのとき僕がマリアを持ち上げたからかな? きっと気を失ってる間に夢を見たんじゃない?』


『うん、たぶんそうだよね……』


『伝説だと悪魔だっていってるし、ドラゴンの話なんてどこにもでてこないもの』


『そう、だよね。あれっていったいなんだったんだろう……』


『たしか、低体温症になると幻覚を見るって聞いた記憶があるし、たぶんそれじゃないかなぁ? 幻覚なら、とりとめがない話なのも理屈が通る』


『うーん……残念、かな』


『残念?』


『だって、ドラゴンさんと友だちになれたら楽しそうだもん。私が見たドラゴンさん、怖いモンスターに見えなかった、かな』


『確かに、そんなドラゴンなら僕も会ってみたいかな~』


 そうこう話しているうちに、マリアの血色はすっかり元通りになっていた。

 こわばっていた頬もリンゴのように染まってぷにぷにだ。


 ほっと安心したところ、コテージのドアが開く音がして俺はハッとなった。

 振り返ると、玄関にアイザックさんが立っていた。


「すまんすまん、ちょっと見物にでててな」


「アイザックさん! すいません、ソファーお借りしてます」


「いいってことよ。リリーとかいうのに大体の話は聞いたからな。おたくらが色々と骨を折ってくれたのは知ってる。どうぞ使ってくれ」


「ありがとうございます。ところでリリーさんは――」


 まさにアイザックさんに聞こうとしたその瞬間だった。


<ドゴォォンッ!!!>


 耳をつんざくような轟音がして、地震のような地響きで窓がふるえた。

 音がしたのはコテージの反対側だ。

 何事かとおもってそちらにいって窓から外を覗くと、俺は肝をつぶした。


 窓の外で、M1エイブラムス戦車が砲口から煙をあげ佇んでいたのだ。


 カーキ色の戦車の背中、つまりエンジンの上にはサメ頭の犬が山積みになって網でまとめられており、網の中には他にも見たこと無い生物がいる。


「な、なんじゃありゃ……?」


 見ていると、砲塔のキューポラから見慣れたバケツ頭が顔を出した。

 間違いない。リリーだ。


 彼女は左右を見回し、何かを探しているような様子を見せる。

 俺は視線をそらし、窓を閉じようとしたがワンテンポ遅かった。

 車上のリリーはあっけなく俺を探し当ててしまった。


「おぉ、少年、!!」


 ぐっ、なんて視力だ。

 あの小さく細い兜の覗き穴から外を見ているとは思えない。

 鷹か何かか?


「リ、リリーさん、それはいったい……?」


「うむ。これは新たなる我が愛馬、チープインパクトだ!」


「馬じゃなくて戦車ですよね。わざわざ研究所まで行ってパクってきたんですか?」


「パクったのではない。主人を亡くした勇敢な馬を引き取るのは騎士のほまれだ」


 ほまれは森で死んでますよ。

 いやほんと、何してるんだこの人……。



◆◇◆



※作者コメント※

おや、リリーが色んな意味で帰ってきてる……?

生きてたんかワレ!


それとジローくん、なんだか名状しがたい何かとコネが出来たようです。

イアイア!

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