湖畔の異変
それからしばらくの間、俺とマリアはコテージの中で客を待った。
食堂のテーブルについて何をするでもない。手持ち無沙汰な時間がすぎていった。
『ね、ジロー様』
『うん? どうしたの』
『さっき買ったカップ、もういちど見ても良い?』
『もちろん』
『ありがと!』
『カップはマリアが買ったんだから、僕に気を使わなくていいのに』
『ジロー様、めっ、だよ』
『???』
なぜかマリアに怒られてしまった。
うーむ……理不尽だ。
彼女は買ったばかりのマグカップをいそいそと包みから出した。
すると、ごわごわした包み紙の中から、つるんとした黒猫が姿を表す。
あらためてみると、なかなかの作だ。
アイザックさんは自分で自分のことを〝器の達人〟なんて言っていた。
自分で自分を達人呼ばわりなんて、うぬぼれ屋もはなはだしい。しかし、カップの出来栄えをみる限り、それが思い上がりではないことがわかる。
カップの表面に狂いはなく、すべすべとして、触っているだけでも気持ち良い。
また、猫の尻尾をかたどった取っ手にも遊び心があった。
このカップは、2つ並べると尻尾が絡み合うようになっているのだ。
彼がこのカップのことをつがいと言っていた意味がわかる。
これは2つじゃないと意味がないのだ。
「おや、ネコチャンにミルクはいかがかな」
「あっ、すみません……」
「いいってことよ。ちょっと洗ってくるぞ」
俺たちがカップを並べていたら、アイザックさんがそれに気付いた。
間もなく彼はカップを洗って、中に砂糖の入ったミルクを注いでくれた。
「美味しいね」
「…………(こくこく)」
「それにしても妙だな」
「何がです?」
「客さ。この時間ならそろそろ来てもおかしくないんだが……」
そういってアイザックは、コテージの柱にかけられた時計を見た。
円盤の上にある黒い鉄針は、ちょうど天頂を指している。
『マリア、時計の見方ってわかる?』
『うん! いまの針の場所だと、ちょうどお昼だよ』
『ありがとうマリア』
異世界の時計が指してる時間は、元の世界と変わらないのか。
なんか並行世界めいてるなぁ……。
ま、余計なことを考えている場合ではない。状況に集中しよう。
「僕、ちょっと外の様子を見てきます」
「……何かイヤな予感がする。気を付けてな」
「はい! 行こう、マリア」
「…………(こくり!)」
俺とマリアはコテージを出て、客の姿を探すことにした。
もしかしたら、殺人鬼がすでに……?
そんな考えが頭をよぎるが、俺は悪い想像をふり切って足を前に進める。
『ジロ―様、あれ見て!!』
「な……?! なんだこれは――」
湖畔のほとりにあったそれを見た俺は目を疑った。
なぜ、なぜこんなものがここに……!?
「これは……屋台?」
そこにあったのは、お祭りで見るような屋台だった。
鮮やかな布で飾られた屋台のそばには、ノボリまで立てられていた。
湖からやってくるさわやかな風にはためく赤色の旗には「串焼き」の文字。
そして屋台の中には、うちわで炭火をあおいで火をおこしながら、焼き串をせわしなく回している騎士の姿があった。リリーさん??????
屋台とかなんとかって言って走り出したけど……マジでやってるよこの人!!
「らっしゃーせー!!!」
「騎士様、ネギマを10本くれ!」
「かしこまった!!」
しかもリリーの屋台には結構な客が入っている。
ノボリの下には結構な行列ができており、まとめて買っている客もちらほらいた。
俺は並んでいるお客さんに会釈をしながら屋台に入る。
そして、彼女の手がすこし休まったところを見はからって声をかけた。
「何やってるんですかリリーさん……」
「むう、みてわからぬか!?」
「わかるけどわかりたくないです」
「少年、君はずいぶん哲学的なことを言うな。考えすぎは毒だぞ。若いうちは勢いのままにうごくことも重要なこともある」
「リリーさんはもうちょっと考えたほうが良いと思います」
「しかし少年、君はちょうど良いところに来た。私は焼くのに集中するから、君には会計と客の相手を頼む。見たところ客商売に慣れてそうだからな」
「え? たしかに料理でバイトしてましてけど、なぜそれを?」
「簡単なことだ。君の言葉使いや所作は経験者のそれだ。客に挨拶をしながら屋台にはいり、さらに私のジャマにならないよう気を使っただろう?」
「……まぁ、それが普通じゃないですか?」
「ふふ、君にとってはそうかも知れないな。剣豪と普通の剣士の異なる点は、どんな非常識で激しい練習でも、それが普通のものと思うことにある」
「なるほど……いや、そんなちょっとイイ話風のことしても、騙されませんよ?! 怪物退治に来て屋台を開く剣豪がいてたまりますか!!」
「おっと、次のセットが焼きあがったぞ。さぁ、お客様を待たせる気か?」
「ああもう!!」
「フッ、君のような達人であれば、客を待たせるなどという無礼は働けないはずだ。ククク……目論見通り!!」
「クッ、それでも騎士ですか!?」
「目的は手段を正当化するのだ。さぁお客様が待っているぞ!!」
俺はなし崩し的にリリーの串焼き屋台を手伝わされた。
まさか、異世界に来てまでバイトの経験が生きるとは思わなかったぞ。
お金と串を数えていても、お客はお構いなしに注文を投げつける。
俺はそれらの注文を声色から区別して客の顔とひもづけ、脳内のメモに貼った。
ほんのわずかな間に、五感を圧倒する情報が怒涛のように押し寄せてくる。
あぁ……懐かしい。久しく受けてなかった刺激だ。
脳の奥にある使われてなかった部分が活性化する感じがある。
「ネギマ10本です! そちらはレバー2本とつくね3本ですね!」
屋台の姿をして入るが、ここは戦場だ。
そして、背中合わせにいるものたちはすべて戦友だ。
リリーが注文の焼き串をうち、火を入れて焼き上げる。
マリアがそれを紙で包み、ヒモで巻く。
そして俺はそれを客に渡して金を受け取り、注文を受ける。
屋台の中でひとつのサイクルが完成し、
ここに来て俺はふと、正気に戻った。
……俺たち、ここに何しに来たんだっけ?
◆◇◆
※作者コメント※
ホントだよ!!!
リリーは作者の意を無視して、勝手に展開を乗っ取ってくる。
恐ろしい子だわ……
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