焼き物の達人
――しばらく後。
湖畔のキャンプ場に到着した俺とマリアは、自転車を降りて深呼吸をした。
湖のほとりは周囲よりも気温が低い。
冷たく、澄んだ空気が肺に染み渡り、ペダルをこいで火照った体が冷えていく。
ウルル湖は樹勢豊かな木々に囲まれた森の中にあった。
針葉樹が作るギザギザのシルエットの向こうでは、山々が青くかすんでいる。
このあたりはスギやカエデ、そしてシラカバが森のメンバーらしい。
森の木々はお互い身を寄せ合うように密集して生えていた。
そのせいで、ここから見える森の中はひどく暗い。
森というよりは、まるで湖を囲む自然の壁といったところか。
湖面は鏡のように静かで、壁のような森が上下逆さになって映り込んでいた。
「ここがウルル湖か……殺人事件があったせいか、がらんとしてますね」
「うむ。ものさびしいものだな」
ボート遊びをしている人や、バーベキューを楽しむ人の姿はない。
人が殺されたなら当然か。
だが、客が少ないとなると、情報を集めるのに苦労しそうだ。
「ふむ。……こうなったら、奥の手を使わなければなるまい」
「奥の手? いったいそれは?」
「知れたこと、人がいないなら集めれば良いのだ。屋台をだすぞ!!」
「……はぁ?」
リリーは自転車をこいで湖畔に走っていってしまった。
屋台って、一体何を考えてるんだ……?
ダメだ。最初からわかってたけど、あの女騎士はアテにならない。
僕とマリアで事件に関係する情報を集めるとしよう。
『ジロー様、あそこで話を聞いてみるのは、どう?』
『なるほど、コテージなら人がいるかも』
マリアが指さした先には、湖のほとりに建つ木造の小屋があった。
建物は古びているが、ちょこんとした佇まいにはどこか愛嬌と温かみがある。
コテージの屋根からのびる煙突からは、薄い煙が立ち上っている。
火を使っているということは、中に誰かいるに違いない。
俺は自転車を引いてそのコテージに向かった。
しかし、近づくにつれて、俺は何かが違うことに気づいた。
湖の静けさが不自然に感じられ、風が吹くたびに木々がざわめく音が耳に残る。
マリアも気づいたのだろう。一瞬立ち止まり、周囲を見回した。
鳥のさえずりも、虫の音も聞こえない。
まるで森全体が息を潜めているかのようだった。
このウルル湖は一見平和な場所に見える。
だが、何か得体の知れないものが潜んでいるような……そんな気がした。
『何かイヤな感じがする。早く入ろう』
『う、うん。』
俺とマリアはコテージの前に立った。
小屋の周りはとても静かで、中からも談笑の声などは聞こえてこない。
『静かだな……おや?』
コテージの横を見ると、小さな車庫があった。
入口のシャッターは開きっぱなしで、その上には銀色の車輪が掲げられている。
あれは「銀輪屋」の看板だ。
このコテージでは自転車のレンタルもやってるらしい。
『ジロー様、あれって自転車屋さんの、だよね?』
『そうだね。自転車はここに留めさせてもらおうか。中に店の人がいるかも』
『う、うん……』
自転車を留めた俺は、コテージのドアノブに手をかけた。
すると、ゾッとするほど冷たい金属の感触が指先に伝わった。
驚いた俺は、ほんの一瞬だけ心臓が早く鼓動した。
中に死体があったらどうしよう。もう全員殺されていたら?
そんな考えが頭をよぎるが、俺は深呼吸をしてドアをゆっくりと押し開ける。
<ギィ……!>
油の切れた蝶番がきしみ、耳障りな音をたてる。
コテージの中に入ると、パチパチと薪のはぜる音が耳に入った。
「誰かいませんかー!?」
声が出せないマリアの分も足し、俺は大声で叫んだ。
すると、古い床をきしませるキシ、キシ、という音がした。
誰かがやってくる。俺はホコリで溝が真っ白になった黒い床を見つめた。
じっと待っていると、眼帯をした中年の男がコテージの奥から現れる。
「兄ちゃん、そんな大声を出さなくても聞こえるよ。そこまで年寄りじゃない」
男は白髪交じりの短髪で、街でよく見るようなチュニックと革のベスト着ていた。
どこにでもいそうな、まるで特徴のない男だ。
右目につけている眼帯がなければ、人混みで彼を探すのは骨が折れるだろう。
俺とマリアを見た男は、青々としたひげそりあとをこすり面倒くさそうに言った。
「メシか? 泊まる場所か? それとも土産か?」
「えーっと、僕たちは冒険者なんです。ここにはとある依頼を受けまして」
「冒険者……なるほど。例の怪物退治か?」
「そうです。といっても、僕たちが退治しにきたわけじゃなくって……それを退治しようとしている遍歴の騎士がいまして、僕たちはその手伝いです」
「…………(こくこく)」
「ようするに、助手として情報を集めてるわけだな」
「はい。ここでお店をしてるおじさんなら、何か知ってませんか?」
「といってもな……俺は警備員でもなんでもない。この小屋で仕事をしているだけの商人だ。客が何をしているかまでは見とらんよ」
「何を売ってるんですか?」
「
「あ、ここに来るまでに使った自転車をガレージにとめちゃったんですけど、あれで大丈夫ですか?」
「それはかまわんが、もう返すのか? まだまだ日は残ってるぞ」
「あー……調査に使うと思うので、もう少し乗ります」
「あぁ。レンタルの時にもらった半券は返す時にもらうよ。ところで、調査ってことはあんたらも泊まる場所やメシが必要だろう?」
「いくらです?」
「2人だからな……そうだな、3食つけて一人銀2でいいだろう。どうだ?」
銀貨2枚ってことは、一泊1万円かぁ。
ちょっと高めのビジネスホテルくらいの値段だ。
まぁ、殺人鬼がいるかも知れない湖畔で野宿は危なすぎる。
この際仕方ないだろう。
「それで構いません」
俺とマリアは財布から銀貨を出しておじさんに渡した。
そういえば、まだ名前を聞いてなかったな。
「僕はジローです。こっちはマリア。おじさんの名前は?」
「アイザック・クァン・マイルハムだ。長ったらしいからアイザックで良い」
「アイザックさんですね。よろしく」
「よろしくジロー。飯までちと時間があるが、それまで聞き込みでもするか?」
「そのつもりです」
「今の時間なら、客はだいたい湖畔にいるが、飯どきにはここに来る客も多い。昼まで待つのもアリだとおもうぞ」
「なるほど。てっとり早く聞き込みするには良さそうですね」
「ここで待つなら、土産でも見ていくと良い」
「ちゃっかりしてるなぁ……それが目的なんじゃないですか」
「はは、だがモノは確かだぞ。こうみえても『焼き物の達人』なんて言われてたんだ。もっとも、安くてそこそこの皿は工場でたんまり作られる。そのせいで、達人でもこんなヘンピなところで作るハメになったがな」
「そうですか? 陶芸には良いところじゃないですか」
「かもな。家から皿を持ってくるのを忘れた客が、舌打ちしながらうちの土産を買ってくのを除けば、最高の環境といっていいだろう」
「あー、観光地あるあるだぁ……」
皮肉っぽく笑ったアイザックは、俺たちを土産物コーナーに案内した。
なるほど『焼き物の達人』と名乗るだけあってたいしたものだ。
棚に並んでいる器はどれも薄く、白く美しい。
それだけでなく、商品開発に勤しんだ形跡も見て取れる。
湖畔を描いた絵皿や、ネコちゃんの耳がついたマグカップまであった。
あの顔でこの耳をつくったと思うと、ギャップがすごいな。
「…………(そわそわ)」
マリアは黒猫をかたどったカップを手にとってそわそわしている。
取手がS字を描いた尻尾になっていて、カップにはネコの顔が描かれている。
どことなく間が抜けていて、愛嬌のある感じがたまらない。
どうやら、彼女はこのカップが欲しいらしい。
「マリア、それがほしいの?」
「…………!(こくこく!)」
「嬢ちゃん、なかなかにお目が高い。一点ものだが、銀1でいいぜ」
マリアはお財布から銀を取り出すと、アイザックの手に乗せる。
すると彼はカップを2つとって彼女に渡した。
「…………(ぶんぶん!)」
「あの、買ったのは1個だけで――」
「いや、こいつらはつがいなんだ。かたっぽだけ売れたら可哀想だろ?」
そういってアイザック2つのカップを包んで渡した。
皮肉っぽいところはあるが、なかなか気の良い人のようだ。
「……ところで、アイザックさんはなんでここに落ち着くことになったんですか?」
「おっと、もう仕事の時間か?」
「そんなところです」
俺が肩をすくめると、彼は右目の眼帯を指さした。
「俺がここに落ち着くことになったのは、これのせいだ」
「…………?(かしげっ)」
「俺は自分のことを平凡な職人だと思っていた。土をこねて形作り、そして焼く。だがこのケガをした時、俺は〝戦争〟という怪物の一部であり、その
アイザックはそう言って棚に飾られていた絵皿の一つを手に取った。
青い旗を持ち、輝く鎧に身を包んだ勇壮な兵士たちが皿に描かれている。
あの旗は……通りすがった車列が掲げていたのと同じものだ。
つまり、絵皿に書かれているのは、シルニアの兵士か。
「20年前の戦争の折、森の中を進んでいた俺はシルニアの兵士どもに呼び止められ、荷物を改められた。なんでも俺の荷物に『潜在的な危険』があったそうだ。武器を運んでいたり、密書を持ってるんじゃないかってな。俺は粘土が兵士を襲ったりしないことを説明したが、迷信深い彼らは気に食わなかったようだ」
「それで目を?」
「そうだ。荷物は重要じゃなかった。俺が言うことを聞かないことが気に食わなかったんだろう。ガントレットをつけた拳を顔面に叩き込まれた。礼節と修辞学はシルニア軍ではあまり重要な教科ではないようだな」
「それでここに落ち着くことになったんですね? 行商は危険だから……」
「あぁ。もう厄介事はゴメンだ。なにせ人生はまだ続く。くだらない
◆◇◆
※作者コメント※
最近、アホみたいに暑いので読者の皆様も熱中症にお気をつけください。
作者もダメージを受け、ぐでたま状態です。暑スギィ!!
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