小さい悪と、大きな悪
俺はリンを持ちあげると、塔を出ることにした。
このことをワルターにも教えないと。
「みゃーん?」
「ちょっと我慢してくれよ。君とあの日誌しか証拠がないんだ」
「みゃ」
塔の外にでると、ランスロットさんとワルターが一服しているところだった。
俺が日誌のことを説明している間、ふたりは黙って聞いていた。
しかし、女主人が上級吸血鬼かもしれないと言ったとたん、その顔色が変わった。
「そいつが本当だとしたら、かなりマズいことになるな」
「女主人が上級吸血鬼だという、ジロー殿の考えは間違っていないと思います。ですが、日誌だけでは証拠としては弱いですね」
「そんな……」
「子どもの首の傷だけじゃな。日誌に書かれている女を殺したって話も、直接の証拠は残ってはないだろう。とっくに埋葬されてるだろうしな」
「じゃあ、どうしようもないってころですか?」
「おい、聞けよ小僧。俺が受けた依頼は幽霊屋敷の呪いをとくことだ。依頼主の正体を探ることじゃない」
「だからって、放ったままにできませんよ」
「冒険者の基本を忘れたか? 俺たちは物語に出てくるような英雄サマじゃない。仮に上級吸血鬼だとしても、いったい誰が金を払ってくれるんだ?」
「――ッ!」
「…………!(くわっ)」
「そんな顔するってことは、何も考えてなかったんだな?」
「それは……」
「ワルター。そのくらいにしておきましょう」
「いえ、ランスロットさん。僕からも言わせてください」
「ジロー殿?」
「ワルター……あんたの言い分は、冒険者としては正しいかもしれない。だけどその正しさは、怪物にこの街で勝手をすることを許すことになる」
「だったらどうする?」
「つまり、依頼があれば良いんでしょう? 孤児院の女主人が上級吸血鬼である証拠をつかんで、冒険者ギルドに依頼を作ってもらいます」
「…………!?(はっ!?)」
「そう来たか……。だがな、女主人は冒険者ギルドの上客でもある。ハンパな証拠を出しても握りつぶされるのがオチだ」
「……」
「それに、ただの客としてみれば金払いもいいし、冒険者の評価も甘めにつけてくれる〝おいしい客〟なんだ。それを投げ出してでもトラブルを作り出すのか?」
「吸血鬼が吸うのは血だけじゃないんですね」
俺の言葉にワルターは肩をすくめた。
『ジロー様……ケンカはめっ!』
『あっ、うん。ちょっと冷静になるよ』
彼とのやりとりが目に余ったのだろう。マリアにしかられてしまった。
頭にくるが、ワルターの言い分は冒険者としては筋が通っている。
上級吸血鬼と言っても、今は依頼を出してくれるただのお客さんだ。
金払いもよく、冒険者の評価も甘い上客。
となると、女主人を支持する冒険者は多そうだ。
不確かな証拠で彼女を告発すれば、冒険者と敵対する可能性も出てくる。
下手すれば冒険者ギルドとも。ワルターはそのことを指摘している。
不快だが、彼は間違ったことを言っていない。
「……上級吸血鬼ってのは本当に厄介ですね。人間社会に寄生して、獲物であるはずの人間に自分を守らせている」
「少し冷静になったか?」
「まぁ、はい。」
「女主人を放っておいても、ヤツが獲物にしているのは帝国人。それも孤児だけだ。冒険者ギルドは政治的中立をうたっているが……なんともいえんな」
「いえ、日誌にあった女性と書士は王国の人です。秘密を守るためならやつは犠牲を出すことをためらわない。だけど……」
「だけど、何だ?」
「彼女が孤児を助けているのも事実です。日誌には十分な食事を出しているともありました。僕には女主人がただの怪物とも思えない」
王都で帝国人を助けることがどれだけ困難なのか。
処刑に集まった人々を見れば、想像するのはそんなに難しくない。
孤児院をつくって運営するのは、並々ならぬ苦労があっただろう。
ただの怪物なら、そこまでするだろうか。
「なんでそう誰彼かまわず気にかけるかね?」
「ジロー殿は、私のような兵器でもなければ、貴方のような道具でもないからです。彼は相手の事情も知らずに戦いを挑むことをよしとしない」
「ハっ、言ってくれるね」
「騎士の剣は、何を斬ったかではなく、何のために斬ったかに金拍車の意味がある。ここはジロー殿に任せてみるべきだと私は思います」
「僕は――その女主人と話してみたいと思います。その上で決めたい」
「仕方ねぇなぁ……。どちらにせよ、幽霊屋敷の件を報告に行く必要があるからな。行くには行く、だがこの依頼は俺の依頼だ。勝手なことはするなよ?」
「はい、わかっています」
「先達としての忠告だが、こんなことばっかりやってたら長生きできんぞ……」
「長生きして過去の過ちを悔い続けるよりは、自分のしたことに納得したいんです」
「俺だってそうだよ 小僧、誰だって後悔なく生きたいもんだ。だが現実は物語じゃない。最善を選んだとしても、思ったとおりにことが運ぶことは少ない」
「……はい。」
ふと、俺は空を見上げた。
時間は昼下がり。工場の煤煙の向こうにある太陽の光が一層薄くなっている。
日が陰って空気に湿り気がまじってきた。
これは……ひと雨来そうだな。
◆◇◆
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