アルフレートの日誌
「幽霊屋敷で殺人があったなんて、ワルターさんはそんなことひとことも……」
「彼にも知らされてなかったんでしょうね。日誌の始まりはこうよ――」
ルネさんは息を吸うと、くたびれた革表紙の本の中身を朗々と読み上げた。
「この数年、私ことアルフレートは毎日同じことの繰り返しだった。朝早く、市場で朝食用の塩パンと干し肉、ラードを買い、その足で広場の日陰に書き物机を組み立てる。それから日没までの間、読み書きの出来ない工場労働者のために、気の利いた恋文や、法に則った陳情書の類を代筆してやるのだ」
「なるほど。幽霊屋敷の以前の主は、文章を書くのを仕事にしていたんですね」
「えぇ、日誌の主はアルフレートという名の書士だったようね。続けるわよ」
ルネさんは黄ばんだページをめくった。
「サラに出会ったのは半年前の祝祭日だった。私がいつものように客を待っていると、雇い主に対する陳情書を書きたいと言ってきたのだ。彼女が仕えているミアという女主人は、孤児院を経営している篤志家だそうだ。しかし、子どもたちの様子がどうもおかしいという……」
「孤児院? ちょっと待ってください、それって――」
「偶然とは思えないわよね? 続けるわよ」
「…………(こくこく)」
「孤児院では、帝国人の子供たちを引き取っているとのことだ。このご時世に感心なことだ。しかし、食べ物を十分に与えているにも関わらず、子どもたちの顔は青ざめて具合が悪そうだというのだ。サラは食べ物が悪いのではないかと思ったが、サラと子どもたちは同じテーブルで同じものを食べているはずだ」
帝国人の子供を引き取っている孤児院だって?
ワルターさんの依頼主と一致している。同一人物とみて間違い無さそうだ。
「そこでサラは、子どもたちが流行り病にかかっているのではないかと恐れた。彼女が子どもたちの体を調べると、首のあたりに腫れ物や傷があった。そこで彼女は医者を呼ぼうと女主人に訴えたが、にべもなく断られたそうだ。そこで私の助けを借りに来たというわけだ――」
「子どもたちの様子がおかしいのを知りながら、孤児院の女主人は医者を呼ぶのを嫌がった? どうにも妙ですね」
「そうね。このあと日記の主はサラと深い間柄になったようね。読む?」
「遠慮しておきます。他人の日記ですよ?」
「あら、詩的でなかなか良い出来なのに。特にこの『私は激しくゆさぶられ、次第に昂ぶり泡立つ、彼女の香りの中に沈み込んだ』なんて」
「……あー、ここまでのことをまとめましょう」
「そうしましょうか」
まず人物だ。
手記を残した幽霊屋敷の主「アルフレート」
帝国人の子供を集めて、孤児院を経営している女主人の「ミア」
そして、彼に相談を持ちかけた「サラ」
主だった登場人物は、この3人だ。
サラの相談のきっかけとなったのは、孤児院の子供たちの異変。
孤児院の子どもたちの体が弱っているという。
しかし、子どもたちの食事はちゃんとしたものであり、サラも同じものを食べている。食中毒や栄養不足では無いらしい。
子どもたちの様子を調べると、首に腫れ物や傷があり、サラは病気を疑った。
そこでサラは、女主人に医者を呼ぶように訴えた。
だが、女主人はその訴えを拒絶した。
「――と、こんなところですね?」
「えぇ。サラはアルフレートに相談して、法に則った陳情書を役所に出すつもりだったようね。だけど……」
「何があったんです?」
「アルフレートが陳情書を書いたところ、女主人からそれを取り下げるよう、金銭の持ちかけがあったらしいわ」
「女主人はどこで陳情書のことを知ったんでしょう?」
「そこはアルフレートも不審に思ったらしいわね。彼は女主人を気味悪がって、サラに孤児院の仕事を辞めるよう勧めたんだけど……」
「受け入れなかった?」
「そう。彼女は子どもたちを放っておけず、孤児院で働き続けた。だけど彼女に異変が起きるの。彼女はアルフレートの子をみごもっていたんだけど……子どもたちと同じように、首筋に奇妙な腫れ物ができていたらしいわ」
「えっ、サラも同じ病気に? じゃあ……」
ルネさんは開いていた日誌をいったん閉じると、最後のページを開いた。
「――私はサラの死の原因が、あの女主人にあると確信している。私は孤児院をたずねるつもりだ。なぜ病を放ったままにするのか、女主人を問い詰めるつもりだ」
「アルフレートは、ミアに会いに行っているんですか? ってことは……」
「依頼主は屋敷の由来も、そこに住んでた人間のことも知っているはず。さて、この日誌の内容……ジローくんはどう考えるかしら?」
「首筋の傷、そして子どもたちの青ざめた顔……最悪の想像ができますね」
「…………!(はっ)」
「首筋に傷のできた死体をトンネルの中で見たことがあります。血を吸い取られた彼らの顔は蒼白で、一見すると病人のようでした」
「……つまり?」
「女主人は吸血鬼、それも上級吸血鬼ではないでしょうか」
ルネさんは何も言わずに日誌を閉じる。
パタンという小さな音が、しめった石の間でこだました。
◆◇◆
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