吸い尽くす者

「へぇ、何の御用でございましょうか」


 鉄の扉の後ろから卑屈な声色を投げかけてきたのは、猫背の下男だった。


 男は飾り気のないなチュニックの上に、分厚い茶色のケープをかぶっている。


 はげ上がった頭には地図のようにシミが浮き、落ちくぼんだ目の間からは大きなワシ鼻が突き出していた。


 ケープのせいもあって、下男の風体はおとぎ話に出てくる魔法使いを思わせる。


「はて……あなた様方は?」


 しわくちゃの顔にはまった目がぎょろりと回り、俺たちを見る。

 俺はその動きにどことなく魚を思い出した。

 下男の視線がワルターさんに向くと、得心がいったようだ。


 特に何を聞くでもなく「お入りくだせぇ」とだけ言って、俺たちを引き入れた。

 ……なんか、拍子抜けだ。

 下男は弱々しく、とても吸血鬼の手下には見えない。


 俺たちは孤児院の中に通されるが、この建物に客間はないらしい。

 入ってすぐの場所にある、普通の部屋のような場所に通された。


 部屋には合計で8つの椅子がそれぞれ対面に並べられている。


 椅子の前には落書きとシミだらけのテーブルがあり、その上には誰かが忘れたであろう、イヌのぬいぐるみがそのままになっていた。


 床にも積み木やら、人形なんかのオモチャが転がっている。

 この孤児院、なかなかにフリーダムな環境のようだ。


「座って待とうか」

「…………!(こくこく)」


 なすがままになったリンを抱いたまま、マリアはちょこんと椅子に座る。

 ワルターはどかっと乱暴に椅子にまたがり、ルネさんは音もなく腰を下ろす。

 

 この4人、座りかただけでも性格が違いすぎるな。

 俺も椅子に腰掛け、じっとして女主人がくるのを待つことにした。



「……雨か。」


 水滴がポツポツと屋根を叩く音が頭上から聞こえてきた。

 とうとう天気が崩れてしまったらしい。


「チッ、帰りはれて帰ることになりそうだな」


 ワルターがぼやいたその時だった。マリアの腕の中でまどろんでいたリンが目を覚ましたと思ったとたん、毛を逆立てて威嚇するような声を上げたのだ。


「ふーっ!!」


「…………!(わたわた)」


 急に興奮したリンの様子にマリアもあたふたとしている。

 何事かと驚いた俺は、彼女に心の声で話しかけた。


『マリア、リンはどうしたの?』


『わかんない。目を覚ましたとおもったら、急に……』


 リンはテーブルの上にあるロウソクの光が届かない闇の中を見ている。


 俺はリンが見ている方向に目をこらすと、黒い喪服のようなドレスを着た女性がそこにいることに気づいた。

 

「雨具を持っていらしてないなら、うちのを使っていかれますか?」


 闇の中にいる女性は、優しい声で俺たちに語りかける。

 彼女が孤児院の女主人のミアか。


 影を縁取るようなドレスから覗いている肌は、ぞっとするほどに白い。

 その蝋のような生命感のない肌に、鮮血のような赤い巻き毛が垂れていた。


 彼女は長いまつげの奥にある赤い瞳でこちらを見る。

 憂いを帯びながらも、意思の強さを感じさせる力強さがその奥にあった。


「お初にお目にかかる方々もおりますから、あらためてご紹介いたしますわね。私はミア。この孤児院、『子どもの家キンダーハイム』を運営している者です」


「えっと、僕はジローです。この子がマリアで、こちらはルネさんです。その……今回の依頼では、ワルターさんの助手をしました」


 ミアに対して3人のことを説明している間も、リンは落ち着く様子がない。

 いったいどうしたことだろう。


「その子には嫌われちゃったかしら」


「ごめんマリア、いったんその子を連れて席を外してくれないか?」


「…………!(こくこく)」


 これでは落ち着いて話をするどころではない。

 俺は彼女を孤児院の入口、ミアが目に入らないところに送ることにした。


「それでワルター様、訪問の理由は依頼についてでよろしいですわね?」


「そうだ。結論から言おう。幽霊屋敷の怪異に悩まされる事はもう無い」


「まぁ、それは良い知らせね!」


「ミアさん。いくつか質問があるのですが、よろしいですか?」


「おい、小僧、勝手に話すなと――」


「おかまいなく。何が聞きたいのかしら?」


「例の幽霊屋敷はこの孤児院からずいぶん離れていますよね。いったいどうしてお買い求めになったんですか? 前の主と何か関係でも?」


「孤児院として使うつもりはありませんわ。あの屋敷は資産運用の一環ですもの」


「資産運用?」


「そう。簡単に言うと、安く買って高く売る。それだけですわ」


「では……あの幽霊屋敷を求めたのはお金のためで、その他に何の理由もなかった。そういうことでいいんですね?」


「えぇ。このご時世、寄付だけで孤児院の運営をするのは難しいの。それが帝国人の孤児ともなると……わかるでしょう?」


「難しさはさらに上がりますね」


「シルニアの人々の多くは、帝国人に良い感情を持ってないわ」


「帝国人が悪人だから、ですか?」


「そう思ってる人もいるけど、大半は憎悪すら抱いてないわ」


「――愛情の反対は憎しみではなく無関心。そんな言葉もあるわね」


 ルネさんの言葉に、ミアは赤毛を指に巻いて頷いた。


「ヒトは物事をシステム化すると罪悪感や責任感を失いやすいの」


「というと?」


「例えばニワトリの屠殺とさつを例に取りましょうか。命を奪ったという実感は、首をへし折った直後ではなく、彼らにエサをやり、育て、殺し、羽をむしり、はらわたを取り出し〝肉〟にする。その全てをやり遂げた時にやってくる」


「罪悪感を感じるには、その命の誕生から最期まで関わらないといけないと?」


「そう。命の誕生から終わりまでを作業として分けていくと、ヒトは自分の作業に没頭することになる。命を奪うことも工程のひとつでしかなくなってしまうの」


「……自分は命令されただけ。作業の分担は罪悪感を分けることでもあると?」


 ミアは目を細め、ゆっくりと微笑んだ。

 俺の言葉に「我が意を得たり」と思ったのだろう。


「それだけじゃありませんわ。システム化のもっとも大きな効用は、自分でない誰かのせいにできるということ。エーテル回収車の運転手や、ホースをひくだけの兵士たちに罪の意識は生まれようがない。罪悪感や責任がないということは、羽をむしった命に対する感謝の念も消え失せる……」


 俺は言葉をつむぎ続けるミアの口元を見た。

 鮮烈なルージュがひかれた形の良い唇は、どこか非人間的なものを感じる。

 そこから出てくる言葉も、どこか浮世離れしたものに思えた。


「工場のためにエーテルを回収される奴隷を鶏となぞらえるなんて、悪趣味ですね」


「本質的には同じものですもの。店に並ぶ色とりどりの商品が誰の犠牲に寄りかかっているのか。それに想いを寄せるヒトはそう多くない」


「あなたはそうでないと?」


「……小さな探偵さん。あなたはどちらの味方かしら?」


 ミアはどちらの味方とはいったが、「王国」と「帝国人」とは言わなかった。

 しんとして、周囲の闇が重くなった気がする


 マズイ事になったかも知れない。

 ミアは、すでに俺たちが彼女の正体を知ったことを勘づいている?


 どうする……?



◆◇◆



女主人の名前のミア(mia)の意味は、北方源語で「私のもの」を意味します。

あ、彼女との会話シーンを書く時につかったBGMは、ウィッチャー3より『Child Of The Elder Blood』です。

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