呪いと香
俺たちはワルターに続いて、町中を歩き続ける。
いったいどこまで行くのかといぶかし始めた頃、彼の足が止まった。
「ここが現場だ。立派なもんだろう?」
「こんな大豪邸だとは思いませんでした。……本当にここですか?」
俺は眼の前の屋敷を見上げる。
屋敷は3階建てで、幅はそこらへんのコンビニ位の大きさだ。
大きさこそ立派だが、建物はかなり傷んでいる。
いや、廃墟の一歩手前といってもいいだろう。
レンガ造りの壁はツタに蝕まれ、ジャングルのようになっていた。
屋根のスレートは歯抜けになり、今にも剥がれ落ちそうだ。
窓は板で塞がれ、その下の鎧戸は雨だれの湿気で腐って真っ黒だった。
「別に呪われてなくても、お安くお買い求めできそう」
「…………(こくこく)」
「この屋敷を見る限り、依頼者はたいそうな資産家なんですね」
「まぁ、そういってやるな。孤児院の拡張のために、新しい入れ物が必要なんだと」
「王国では孤児が増えてるんですか?」
「そうともいえるし、そうじゃないともいえるな」
「?」
「王国が帝国との戦争に勝利して、たくさんの奴隷を仕入れた。しかしそこで問題になったのが、大量の戦災孤児だ。王国人の孤児はシルニアがなんとかするが――」
「帝国人はそうじゃない?」
「…………(ぶすーっ)」
「だな。帝国人、それも奴隷の子供なんて誰も面倒見やしない」
「しかし、今回の依頼主は除いて……ってことよね?」
「あぁ。彼女は生まれの区別なく、子どもたちを世話している。この老いたラバが曲がった背骨にムチ打って働く理由がわかるだろ?」
「依頼主はなんていうか、その……良い人なんですね」
「今じゃずいぶん珍しくなった心根の持ち主だよ」
「昔はそうじゃなかったんですか?」
「あぁ。どいつもこいつも銃を持ち出して、槍と剣を捨てていった。そん時に騎士道も落っことたらしい。今は誰しも自分のことしか考えん」
そういえば、ランスロットさんが言ってたな。
銃がこの世界に現れた後、騎士団の何倍もの数の銃士隊が組織されたって。
スキルが無いと振るえなかった力は、銃によってありふれたものになった。
その結果、力を持つことに責任が伴わなくなった。そんなところだろうか。
「外でくっちゃべってても仕方がない。そろそろ中に入るぞ?」
「はい」
屋敷の入り口を塞ぐ扉は、ぶ厚い樫の木で作られて金属で補強されている。
ドアと言うより要塞の壁だ。
扉が頑丈なら、カギもそれに見合ったものにするという決まりがあるのだろうか。
ワルターは屋敷のドアに、鉄の棒のようなカギを差し込んだ。
ガチンと、重々しい音を立てて錠前が弾ける。
重厚なドアを肩で押し開ける。
屋敷の中は薄暗く、なんともいえない奇妙な臭いがした。
「なんですかこの臭い?」
「…………!(ふれーめんっ)」
屋敷の中に入った俺は、奇妙な臭いに顔をしかめる。マリアも臭いに面食らったのか、ミントガムの匂いを嗅いだ猫みたいな顔になっていた。
一方、ルネさんは何ともなさそうだ。ゴーレムの体は臭いにも鈍感らしい。
「つい先日、依頼人がまじない師から買った香を焚いたらしい。目まいがするか?」
「これを嗅げばイヤでもそうなるはずよ。この臭い……ヒヨスにマンドレイク、それとドクニンジンね。殺虫剤、いや、毒ガスの間違いじゃないかしら。どれも強い毒性を持つ植物よ」
「げ、この臭いって毒なんですか?!」
「そうね。今はだいぶ薄まってるけど、長時間吸い込んだら危険よ」
「ほう、詳しいな」
「化学や錬金術については多少ね。私を作ったゼペックのアトリエには、錬金術に関係する書物や器具があったから。これ、呪いを跳ね返す香なんかじゃないわよ」
「オレはスキルのおかげで毒耐性があるが……お前さんは平気なのか?」
「私はゴーレムだもの。でも、マリアちゃんとジローくんは厳しいわね」
ワルターさんがケロっとしてるとおもったら、スキルのおかげだったのか。
耐性も何も無いこっちはもう限界だ。
「なんかクラクラしてきました……マリア、レコンヘルメットをかぶろう」
「…………!(こくこく)」
俺はクリエイト・アーマーでヘルメットを作り出して被った。
こうなると知ってたら持ってきてたのに……。
ヘルメットをかぶると、即座に首元が閉まって空気の音がする。
<フシュ!>
『警告:空気中に神経系毒性を持つアルカロイドを確認。エアの供給を行います』
ですよねー……このお香、完全にダメな奴だった。
香を作ったまじない師は完全なヤブだ。
これを焚いた御婦人は、よく大丈夫だったな。
「それがお前さんの創造魔法か。ランスロットから聞いたときは半信半疑だったが、本当だったんだな……」
「はい。ワルターさんも使いますか?」
「オレはいい。感覚が鈍るから、あまり兜は被りたくない」
「そうですか……」
レコンヘルメットは、逆に感覚が鋭くなるんだけどなぁ。
まぁいいか。さっそく屋敷の調査を進めるとしよう。
「ワルターさん、どこから始めましょう?」
「そうだな……1階の応接間から始めるぞ。そこにあったカセットデッキが壊れたのが、そもそもの始まりだったらしい」
「わかりました。行きましょう」
「…………!(こくこく)」
俺とマリアは屋敷に上がって応接間を目指す。
しかし、ルネさんは玄関で立ち尽くすようにしていた。
「ルネさん、行きましょう」
「えぇ、そうね」
(ヒヨスとマンドレイクを一緒に使えば、効果も高くなるけど毒性も高くなる。薄めれば、幻覚剤や麻酔薬として使えなくもないけど、この濃度じゃ……先日の時点では明らかに致死量ね。その御婦人とやらは、いったい何者なのかしら?)
◆◇◆
※作者コメント※
(豆知識)ドクニンジンは葉っぱがパセリに似ていることから、愚か者のパセリとも言われる毒草で、ソクラテスがあおった毒杯の中身としても有名です。その毒性はドクニンジンが産するコニインに由来しており、30分から1時間でマヒして死に至ります。つまり、今回屋敷の中で焚かれてた香は、クッソやばいヤツです。
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