マリアと白き死


 マリアと子供たちはトンネルの中を進み続けていた。

 墨を満たしたような暗闇の中、ランタンの頼りない光がゆれ動く。


 彼女たちは北を目指していた。

 もっとも近い別のスラムはそこにあったからだ。


 スラムの名は『オールドフォート』という。

 その名前が示す通り、古い要塞をそのまま〝檻〟とした場所だった。


 シルニアの王都の始まりは、たったひとつの小さな城だった。

 それが次第に大きくなって街になった。


 街の始まりとなった要塞は、モット・アンド・ベイリーと呼ばれるタイプだった。これはジローの世界では9世紀、中世前期の北ヨーロッパで多く作られたものだ。


 このタイプの城は、大きな土のモットの上に木や石で作られた塔があり、そのもとに柵や堀で囲まれた広い中庭ベイリーがある。


 また、モット・アンド・ベイリーは、わざわざ丘を作らず、自然な丘を利用する方法もある。王都の始まりとなった要塞はこちらだった。


 つまり、マリアが目指す『オールドフォート』は、街の比較的高い場所にある。

 トンネルの底を流れる、か弱い水の流れ。

 この水流に逆らって進めば、古い要塞にたどり着けるということだ。


「…………(きっ!)」


 マリアは前方に立ちふさがる闇を見据え、勇敢に進む。

 だが、彼女の行く手をさえぎるものは、闇だけではなかった。


「Syheeee……」


 ヘビが獲物を威嚇するような空気を吐く音が聞こえる。

 モンスター、それも吸血鬼だ。


 ランスロットが危惧した通り、トンネルの中は下級吸血鬼の巣になっていた。

 トンネルを進むマリアは、すでに3体の吸血鬼を始末していた。


『ヘビのような声。そしてこのヒナゲシみたいな甘い香り……アルプ?』


「…………!(サッ)」


 マリアは子どもたちに向かってセントリーガンを置くよう、手で指図する。

 黒髪の少女がマリアの前にアタッシュケースを置いた。これが最後の1基だ。


『――来た』


 甘い香りが強くなり、周囲に何かの気配がする。

 魂なき機械は姿なき存在をとらえ、闇の中に銃弾をたたきこむ。


 すると、銃口から噴き出す炎が異形の姿を明らかにした。


 まず印象づけられたのは、石膏を塗りたくったような真っ白な姿だ。

 細く、やせ細ってアバラの浮いた胴体に長い手足。その肌は白癬に侵されたかのようにボロボロで、乾いた皮膚の間からはピンク色の肉が覗いていた。


 アルプの異様な体躯にマリアは息を呑んだ。


 銃弾をものともせず、アルプは黒い闇の中を泳ぐようにこちらに迫ってくる。

 まるで、地に足をつく必要がないと言わんばかりの動きだった。


 怪物の顔が炎で明らかになった瞬間、子どもたちから声なき悲鳴があがる。

 アルプは異様な体をしていたが、顔も同様だった。

 目鼻がなく、唇もない口元は食いしばられた歯がむき出しになっていた。


『ランスロットおじさんの言った通りの姿……まちがいない、アルプだ!』


 異形の姿は子どもたちを震え上がらせるのに十分だ。

 マリアは銀の剣を抜く時、わざと鞘にこすらせて音を立てて抜いた。

 自分がコイツと戦えると示し、子どもたちを落ち着かせるためだ。


 子どもたちがパニックになって、勝手に逃げたら大変なことになる。

 迷子になってしまったら、二度と再会できないかも知れないのだ。


『…………!(ぶんぶん!)』


 マリアは手を振り、子どもたちを守るよう年長者に指示する。

 黒い髪の短髪の少女はマリアにうなずき、子どもたちに手をつながせた。


『――すぐに片付けるから!』


 シールドベルトを起動したマリアは、銀の剣を煌めかせてアルプに切りかかった。

 闇の中を泳いでいた異形に大上段の構えから力強い一閃が振り下ろされる。


<ボフンッ!!>

「ẞËhy……!」


 奇妙な音がトンネルにひびいた。

 カーテンをホウキで力いっぱい叩いたときのような、そんな音だ。


『くっ、やっぱり手応えが浅い……!』


 銀剣を胸に受けたアルプは、霧となって消えて呪いの言葉を残した。

 アルプも吸血鬼の一種だ。

 その見た目通り、身体能力それ自体は貧弱だ。

 しかしこの怪物は、ある厄介な能力をもっていた。


『アルプは変身する。霧、猫、そしてコウモリ。下級にもかかわらず、上級吸血鬼が持つ能力の一部が備わっている……だったよね』


 マリアは上段の構えを解き、銀剣を低く構えた。

 あえて上半身から剣を遠ざけることで、アルプの攻撃を誘っているのだ。


『――そこッ!!』


 斜め後ろに空気の揺れを感じる。マリアは身をかがめるように小さな体をひねると、剣を振り上げた勢いのまま、闇の中に銀剣を叩き込んだ。

 

「Shyyyyyyyy!!」


 しかし、アルプはそれを読んでいた。

 霧のまま剣を通り過ぎると、白いヒョウの姿になって鋭い爪を振り下ろした。


『あっ、マズ――』


 アルプの凶爪がマリアにせまる。


 怪物の凶器は、闇の中でホタルのようにほのかに光っていた。

 爪を見たマリアは、「キレイだな」と、場違いな考えが頭に思い浮かんでいた。

 剣を持った手は伸びたまま、引き戻しても防御には間に合わない。


『ゴメン、ダメだった。おじさん、ジロー様……』


 彼女は次に起きることを想像し、瞳を閉じる。

 次の瞬間に周囲を襲ったのは、空気を揺るがす激しい衝撃。

 ――肉が裂け、血しぶきのあがる凄惨な水音が闇の中に響きわたった。



◆◇◆

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