第4話 ケンカップル

 冷蔵庫に入っていた梅酒は缶ではなく瓶だった。ビールも焼酎もびっしり入っていたはずだが、驚くほど速いペースで紗月の腹に吸い込まれていった。

 紗月に言われた通りにウーロン茶と交互に、ゆっくりペースでちびちび飲んでみたら、ちょっとフワフワする程度で気持ちよく酔えた。


「こんなに量飲めたの、初めてかも。ちゃんと意識ある」


 二つ目の缶を開けても起きている事実に、直桜は地味に感動していた。


「若いうちはちょっとずつ肝臓を慣らすのだよ。飲んでるうちに飲めるようになるから」

「紗月さん、あんまり直桜に変なことを教えないでください」

「えー? 外で変な飲み方して、お持ち帰りされちゃうより良くない? 意識あれば自分で帰ってこれるし」

「おもっ……。それは、そうですね。確かに……」

「護、紗月に毒されてるよ」


 いつも通りにツッコめるくらいには正気だ。


「ねぇ、紗月って、いくつなの? オバさんとか言ってるけど、俺たちと変わんないよね?」


 見た目は律や穂香と、そう変わらないように見える。

 何気なく言った言葉に、護と紗月が絶句した。


「えー? 直桜、酔ってる? それともリップサービス的な? そういう接待は求めてないよ?」


 けらけら笑う紗月に、護がそっと耳打ちした。


「紗月さんは、桜谷さんより年上です。三十六歳ですよ」

「えぇ⁉」


 正直、見目は律より年下に見えるし、何なら自分と同い年と言われても信じてしまう。

 しかし、表情に現れる貫禄や落ち着きは、確かに実年齢相応なのかもしれないと思った。


「化野、聞こえてんぞ」


 紗月が低い声で唸った。

 ひぃ、と護が本気で怯えている。


「三十六は、別に良い。桜谷さんより年上、別にいらん情報だろ」

「すみませんでした! ハイボール作ります!」

「なら良し」


 護が必死でハイボールを作り始めた時、インターフォンが鳴った。


「こんな時間に誰だろ。てかこの部屋、インターフォン付いてんだね」


 立ち上がろうとする紗月を制して、直桜が玄関に向かう。

 事務所なら気配でわかるが、結界でシャットアウトされているこの部屋は、外界の気配を探りづらい。

 玄関の扉を開けると、必死の形相の清人が立っていた。


「紗月が反魂儀呪に襲撃されてこの部屋に保護されたって聞いたけど、いるか?」

「いるけど……って、ねぇ、清人」


 直桜の言葉を待たずに、清人が部屋に駆け上がる。

 部屋の中では、護が献上したハイボールを片手に高らかに笑いながらサキイカを咥えている紗月の姿があった。

 気配に気が付き、紗月が振り返る。


「あ、清人! 久しぶり~。清人は何飲む? もうあんまり酒、残ってないけど」


 あんぐりと口を開けて、清人が呆然と立ち尽くしている。


「清人さん、こんばんは。とりあえずハイボール作ります?」


 端から見ていると、護も酔っぱらいのノリだなと気が付く。

 清人の隣に立ち、こそっと声を掛けた。


「見ての通り紗月は無事だけど、その情報、誰にもらったの?」

「そんなん、陽人さんしか、いねぇだろ」


 清人の声が、いつもより低い。


「そうだよね。まぁ、襲撃されたのも保護されたのも、嘘ではないから」

 

 清人が無言のままズカズカと部屋の中に進み、紗月の隣に屈む。

 紗月の手から酒を取り上げ、一気に飲んだ。


「わ! ちょっと清人、今、化野がハイボール作ってるから! 何故、待てない」

「お前こそ、何やってんだ。何でこのタイミングで酒盛りなんだよ! しかも、直桜とは初対面だろうが!」


 清人の怒り方も、よくわからない。

 紗月が両頬を手で包んで、うっとりした。


「そうだよ~、初めて会ったよ、神喰いの惟神。文献にすら載ってない生きる歴史だよ。直桜って呼んでいいって。可愛いよね~。連絡先、交換しなくちゃ」


 紗月がさっきより完全に酔っぱらいと化している。

 フワフワしながらニコニコしている紗月は、何とも可愛らしく見える。

 清人の腕が紗月の肩を掴んだ。そのまま抱き締めそうな素振りに見えたが、次の瞬間、清人の額が紗月の額を思いっきり頭突いた。


「‼!」


 恐らく、直桜と護は同じ顔をしたと思う。

 後ろに仰け反った紗月が、反動をつけて上体を戻し、同じくらいの強さで清人に頭突きを返した。


「何すんだよ!」

「こっちの台詞だ。何で数年ぶりに会った先輩への挨拶が頭突きだ。理解できるように説明しろ」


 紗月の頭突き返しが余程に痛かったのか、清人が涙目になっている。紗月はといえば、全く平然としている。

 清人の背中から枉津日神がすぃと姿を現した。


「どうした? 清人。怪我でもしたか? おぉ、可愛らしい娘子がおるな。初めて見る顔よ。知り合いか?」


 枉津日神が興味ありげに紗月を覗き込む。

 紗月が枉津日神を見詰めて固まった。


「え? なんで? なんで清人から? 藤埜家は何代も前に惟神の神を失ったんだよね?」

「いやまぁ、色々あって、戻った」


 大変簡略化した説明をした清人を、紗月が見下ろす。


「じゃぁ、この神様は、枉津日神おうつひのかみ? 体の中から出てきたってことは、清人も神喰いなの?」

「いや、俺は魂重たまかさねで神喰いみたいになってるだけで……」

「魂重⁉ 成功例はほとんどないって聞いたけど⁉ 一体、どんな裏技を⁉」


 清人の胸倉に掴みかかり、ぐいぐいと揺らす。


「やっぱり紗月、詳しすぎるね。魂重なんて、集落の中でも知らない人間の方が多いのに」

「確かに、そうですね。どうやって調べているんでしょう」


 大学の研究や独学で辿り着ける知識量とは思えない。

 

「ふぅむ、あの娘が紗月か。確かに霊力が高い。それに惹き付ける力が強いな」


 直桜の背から直日神が表われた。


「直日まで出てくるなんて、珍しいね」

「出てきたのではなく、引き出された」

「へ?」


 直桜と護が、驚いた顔で直日神を見上げた。


「恐らく枉津日も同じであろう。顕現するには親和が足りぬとの話であったが、あっさり出てきおった。紗月に引っ張られたのだ」


 紗月はいつの間にか清人の前に正座して枉津日神に挨拶を始めている。

 その様子を困ったような照れたような顔で清人が眺めていた。


「だから色んな事件に巻き込まれるのかな? 紗月のその力って、どういうモノなの?」


 直桜の問いに、直日神が首を傾げた。


「人の霊力以外には、何も感じぬが。じっくり霊元を辿れば、何かわかるやもしれぬな。機があれば紗月の手を握ってみよ」


 直日神が直桜に促す。


「だったら今、握ってみる?」


 直桜は紗月の背を指で突いた。


「ねぇ、紗月。直日が握手したいって言ってるんだけど」


 振り返った紗月が眼球を落とす勢いで目を見開いた。


「えぇ! 直日神様、イケメンですね……。はじめまして……霧咲紗月と申します」


 既に潤んでいた瞳が潤みを増している。

 感動している様子は表情で十分わかった。


「紗月、吾はどうじゃ? いけめんか?」


 紗月の背中に絡まる枉津日神に、何度も頷く。


「対の神様なだけあって、似てるけど、枉津日神様の方がちょっとだけ女性みありますね。綺麗です」


 酔いはすっかり冷めたのか、酔っているからなのか。紗月の神様二人の観察は鋭い気がする。


「手を出してみよ」


 直日神に促されて、紗月が素直に手を出した。

 その手を直日神が握ろうとした瞬間、紗月の体が前に倒れた。


「紗月!」


 咄嗟に腕を出し、直桜が体を支える。倒れ込んだ紗月の体を清人が抱き上げた。

 眠っているようにも気を失っているようにも見える。


「まさか、寝堕ちた?」


 仕事で疲れていたところに酒盛りを始めたのだから、寝堕ちてもおかしくはないが。


「神気に中てられたか。これだけ敏いと神に囲まれるのは辛かろう」

「でも紗月は祓戸四神とも仕事に行ってたし、その時は何ともなかったですよ」


 清人が訝し気に直日神を見上げる。

 直日神は顎に指をあて、押し黙った。

 紗月の全身を眺めていた目が、腹で止まる。臍の下あたりを人差し指ですぃと撫でた。


「……疲れたのだろう。充分に休ませてやると良い」

「わかりました」


 歯切れの悪い返事をして、清人が紗月を抱え、ベッドルームに向かう。

 その後ろ姿を直日神がじっと見詰めていた。


「直桜、しばらく紗月と共に動けるか?」

「うん、忍に打診してみるけど。何かわかったの?」

「今はわからぬが。共に在れば、わかるやもしれぬ」


 直日神のこんな顔は初めてで、直桜の中に言い知れぬ不安が過った。

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