中編

 吾輩は猫である。

 名前があるのかどうかは分からないが、飼い主からは『猫さん』と呼ばれている。

 およそ一年と十二ヶ月前に転生した。

 いや、二十年と一年と十二ヶ月くらい前か?

 なにせ俺は二十年後の世界へと転生した身なので、時系列が少しややこしいことになっているのだ。大型トラックにかれて死亡して、二十年後の未来へと転生した後に一年間彷徨って、そして女子高生に拾われて十二ヶ月が経っている。

 色んなことがあったな。

 食べ物を求めて走り回ったり、女子高生に拾われたと思ったら正体が半分バレたり、夏祭りに行ったら事件に遭遇したりもした。ちなみに、あの犯人達はまだ捕まっていない。

 あと、飼い主の高校にも行ったんだぜ?

 そのときは文化祭だったのだがぁ……危うく死にかけたな。飼い主と出し物を見て回った。一年生が出店した猫耳カフェでホットケーキをサービスしてもらったし、三年生のお化け屋敷で叫びまわったりもした。

 その後、サバゲー部の部長にも会った。最初に見たときは女子だと思ったが……まさか男だとはな。いわゆるおとこというものだ。一本取られたぜ。

 まぁ、とにかく、色んなことがあったわけだ。

 あの日から――あのハロウィンから、二ヶ月程が経っている。

 今日は十二月二十二日。

 クリスマスの三日前であり――俺の命日である。


「よぉ、デブ猫。わざわざこのアタイのために、その肉球でリモコンを殴ってお風呂を沸かしてくれていたのかい? ありがたいじゃあねぇか」


 死ぬ前に自分の人生(猫生)を振り返っていたら、突然大声が背中を蹴り飛ばしてきた。

 振り向くと、そこには素っ裸の変態がいやがった。

 モデル業をしていても何らおかしくない豊富な体型に、ロングストレートな黒髪。空耳そらみみ 狗尾えのころの産みの親にして育ての親――空耳 彼尾花かれおばなである。

 タオルを左肩にかけ、骨盤に右手を置いている。

 男前だ。

 いや、男前なのは別にいいんだけどよ……。せめてこう、そのタオルを胴体に巻くとかして隠すもんは隠そうぜ? 男の前で男前に裸見せびらかしてどうすんだ。

 バスルームで脱げよ。

 ここだけど。

 バスルームで脱ぐのはごく自然なことだし、猫の前で恥じらっても意味ねぇけど。

 彼尾花は先程俺が沸かした湯舟に接近する。

 おい待て。

 ガチで待て。

 何故に湯舟に近づく?

 まさかとは思うが、まさかのまさかとは思うが、まさか俺が俺のために沸かした俺の湯舟にその豊富な体を沈めるつもりじゃあねーよな?


「よっこいしょ」


 おい、何で左足上げてんだ?

 その長い美脚を俺の湯舟に投入するつもりか? その第一歩から俺の湯舟に侵入するつもりなのか!?

 俺が沸かしたんだぞ?

 俺の湯舟なんだぞ!?


「どっこいしょー!」


 つま先から足裏をかけてかかとへ――足首からふくらはぎを過ぎて膝裏ひざうらへ――太ももからくびれを経て背筋へ――そして肩甲骨に!

 ザッバアンっと巨体を沈められ、浴槽からお湯が溢れ出る。零れ出る。ナイアガラの滝のように、イグアスの滝のごとく……。

 あ…………。

 ああああああああああああああ!

 あ、ああぁ、あああああああああぁあああああぁあぁあああ!

 俺の湯舟が! 俺が沸かした人生(猫生)最後の湯舟がぁ! 溢れ出すぅう!

 うおーん!


「ふいぃ……お? どうした、デブ猫。そんなにアタイのパーフェクトボディを見つめて。人間様の入浴シーンがそんなに珍しいのか? ほれ、お湯をかけてやる。ぽっかぽかだぞー」


 彼尾花はお湯を手ですくい、俺にぶっかける。

 程よくぽっかぽかだぁ……。

 ぽっかぽかというよりも、猫にとってはあっつあつなのだが。

 さて、どうするかな。

 人生最後のお風呂を奪われた以上――こともあろうか彼尾花に略奪された以上、俺はもうすることがない。死に場所探しに散歩にでも行くか?

 仕方がない。お風呂は諦めて散歩に出かけよう。

 猫らしく死に場所を探そう。

 どこで死のう?

 できるだけ見つからない所がいいんだろうな。樹海が最適なのかもしれないが、残念なことに、この町には樹海がないのであった。いくら田舎だからって、自然物ならなんでも揃っているわけではないのだ。草が欲しいならデパートに行け。

 山なら城壁並みにあるのだが、登るのが面倒だ。登るまでが面倒だ。手を伸ばせば届きそうなくせに、いざ向かえば意外と歩くはめになる。

 困ったな……どこで死のう?

 そんな思考を巡らしながらバスルームの扉を蹴り飛ばして開けると(最近になって、ドアノブにしがみつくよりも蹴り飛ばした方が早いことに気が付いた)、


「おい、デブ猫。お前も一緒に入るか?」


 彼尾花が誘った。

 …………すごく入りたいです。

 いや、いやいやいや。

 猫と一緒にお風呂に入るとか、絶対にしてはいけないだろ。

 自分で言うのもなんだが、猫とは病原菌の塊なのだ。家猫なら多少はマシかもしれないが、俺のように外で散歩しまくる猫は何を持ち込んで来るか計り知れない。細菌、ウイルス、バクテリア、ダニ、幼虫、寄生虫、ほこり、砂や土……その他エトセトラ。

 だから、絶対に猫と混浴してはならない。

 猫の体を洗ってあげるのはいいのだが、むしろ積極的に猫が嫌がろうとも洗わなければならないのだが、その後は手をしっかりと石鹸で洗おう。俺との約束な?


「ほいよ、お前用のミニ風呂だ」


 彼尾花は浴槽からおけにお湯を掬い、床に置く。

 『けろりん』と書かれたプラスチック製の黄色い桶。いかにも銭湯にありそうな桶だった。……そういえばこいつ、銭湯好きだっけ?

 桶の湯気立つお湯に、俺の顔が映る。

 もちろんねこづらだ。

 確かに、これなら病気の心配はない。

 扉を閉め直した俺は彼尾花が設置したミニ風呂に体を沈める。

 お湯が零れる。

 これで桶のお湯は三分の一にまで減ったが、それは仕方がない。


「お? 本当に入った。面白いな、こいつ」


 彼尾花は俺を見下ろして言った。

 狗尾よりも悪質でいやらしい笑みを浮かべて。

 親子である彼尾花と狗尾の共通点をずっと探していたがぁ……これか。


「これぞ、本当のねこ鍋――なんちゃって。ウエッヘヘヘ!」


 こいつ、独り言多いな。一人で笑っているぞ。

 んー? 俺に話しかけているんだから、独り言じゃあねぇのか?

 どっちにしろ、俺が言うことではない。

 ていうか……。

 ていうか――


「ていうかこの手があったんかい! これならわざわざ浴槽いっぱいにお湯を溜める必要もないし、風呂椅子を沈める手間もいらないし、その後水を全部流す無駄もないし、さらにはお風呂掃除をする苦労もいらねぇ!」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ! 猫が喋ったぁあああああああぁああああああぁ!?」

「しまった!」


 “しまった”じゃねーよ。

 何うっかり本気でツッコミ入れてんだよお前馬鹿だろそうだよバカだよこの野郎。

 どうすればいい!? どうやって誤魔化す!? 文化祭のときはちくわ大明神みたいに『誰だ今の』で乗り切ったが、今回の場合は『猫が喋った』と主犯がはっきりと明確に確定している。

 ミステリー小説でいうところの、探偵によって事件関係者が集められた場で、探偵にビシッと指され『あんた犯人!』と死刑宣告を受けたようなものだ。いくらでも言い逃れできそうなのに、犯人らが素直に犯行の経緯を語り出す理由がやっと分かった。逃げられるわけないわな、こんなもん。

 …………。

 ふむ。


「久しぶりだな、彼尾花。俺だ!」

「お前か!」


 最終奥義『開き直る』。

 この女に誤魔化しが効くとは思えないから、もはやこの手しかあるまい。


「二十一年前にブラジルで大型トラックに轢かれて死にやがった、あのお前なのか?」

「その通り、二十一年前にブラジルで大型トラックに轢かれて死にやがった、あの俺だ」

「わかめの千切りを常に頭から被っていた、あのお前なんだな!?」

「わかめの千切りを頭から被った覚えはないが、お前からはそう見えていたであろう、あの俺なんだ!」

「なんで?」


 だよな。そうくるよな。

 さて、どんな嘘をつくか。

 本当のことを語るのは四割にとどめたい。すべてをあらがたなく語るとシニガミが仕事をしにくるかもしれないのだ。別に真相を百パーセント伝えたところでシニガミが来訪しない可能性はあるのだが、だがしかし、少しでも来る可能性があるのなら、下手に賭けに出ないほうがいいだろうよ。

 嘘を考えるのは得意だ。俺は今まで嘘を駆使することで生き延びてきたからな。一回死んだけど。

 妖精に転生して、そして猫に寄生したとか。あるいは、実は死んだように見えて死んでなくて、でも体が事故の後遺症で動かなくなったから、猫型ロボットを遠隔操作しているとか。他にもまだまだ思いつく。

 どの嘘をつくかだな……。

 なぜ嘘をつくかではない、どの嘘をつくかだ。

 …………何故だろう、デジャブを感じる。


「……俺、この猫に憑依ひょういしたんだよ」

「憑依!?」

「そうだよ! 憑依したんだよ!」

「なんでそのデブ猫に!?」

「都合よくお前の前にいたからな! 都合よく憑依することにしたんだ!」

「どうやって!?」

「お前が都合よく猫にお湯をかけたうえに都合よくお湯に入れたからな! それが都合よく憑依拳法に当てはまったんだ!」

「すげー! 都合いい女だなアタイ!」

「んだ!」


 騙されてくれている感がすごい……。

 ま、取り敢えずはこれで、一件落着、というものだな。

 流石に風呂場に携帯電話は持ち込んでいなかったみたいだし、#される心配もねぇな。よかったよかった。


「それで、アタイに何の用だ?」


 らしいというか何というか、理由さえ分かれば次に進める彼尾花。昔からこういう女だ。

 用か――そこまでは考えてなかったぜ。


「いや、二十一年ぶりにお前の入浴シーンを堪能しようと思ってな」

「そうかそうか。堪能して満足したら成仏してくれよな」


 セクハラをあっさりと受け流された。受け流されるどころか全身全霊で受け止められた。


「……冗談だって分かっているよな? 彼尾花」

「え? あ、冗談? もちろん分かってたよ、うん。アタイを何だと思ってんだ?」

「…………」

「そ、それはそうとして、特に用事がないなら久しぶりに語り合わねーか?」

「語り合う?」

「そう、語り合おうぜ。評論ひょうろんし合おうぜ。高校のときみたいにな」

「高校って……世界せかい評論部ひょうろんぶのことか?」

「久々に評論したいんだ。あの事件以来、世界評論部は潰れてしまったしよ」

「あー……」

「楽しかったろ? やろうぜ、評論」


 世界評論部。

 確かに――ものすごく楽しかった。

 『ものずごく楽しかった』としか表現できない自分に苛立ちすら覚えるけど、しかし今思いつく言葉の中では、これが一番しっくりくるんだ。


「いいね、やろうじゃあねぇか。んで、お題は?」

「そうだな……よし、お題は――」


 それから俺と彼尾花は湯舟に浸りながら、語り合った。

 評論した。

 自分の考えと世間の常識を述べた。

 お題はころころと転がるように転換し――実に様々なことを話題にした。主題にした――天才と変人の違いは何か、好かれる政治家と嫌われる政治家はどこが違うのか、売れるゲームと売れないゲームはどう違うのか、先を行く先進国と追いつけない先進国はどんな差があるのか、地球温暖化は騒がれるのに地球寒冷化は無視される理由は、ナンに付けるカレーよりもお米にかけるカレーが人気な訳は――?

 そりゃあ盛り上がったよ。

 熱くなりすぎたときは、お互い口を揃えてこう言うんだ。


 “批判じゃあねぇ、評論だ”


 さも免罪符のように、水戸みと黄門こうもんの印籠のごとく。

 彼尾花と俺は評論した。

 母親と飼い猫は語り合った。

 二十一年ぶりに――否、それよりも遥かに遠く――それこそ高校時代以来、世界評論部が廃部になって以来、あの事件以来――だ。

 それはそれは有意義な時間だった。

 命日として申し分ないくらいに――最高の対話だった。

 けどまぁ、楽しい時ほど時間は早く過ぎるもので、


「そういえば……お前、最近飯食ってねーよな?」


 と、彼尾花は若干不自然な形でそう聞いてきた。


「……んー、まぁな」


 最近は食欲が湧かないのだ。

 ご飯を出されても食べ残すことが多い。


「食べ残す? おいおい、ちょっとは食べたみたい言ってんじゃねーよ」

「? それだとまるで、俺は一切物を食べていないみたいに聞こえるぞ?」

「みたいに、じゃなくて――実際にそうなんだよ。お前は先週から、一切、一粒たりとも、ご飯を食べていないんだぜ」

「そう――だっけか?」


 一切、一粒たりとも、食べていない――?

 しかも先週から? 俺はちゃんと食べたつもりなのに? ご飯を食べ終わった度に、また残してしまったと、しっかり罪悪感に駆られているというのにか?

 昨日だって――え?

 あれ?

 あれ、れ?

 


「アタイの可愛い愛娘が用意してあげてんだ、食べてやれよ。……アタイ、そろそろ出るぜ――お湯が冷めちまった」


 彼尾花は水しぶきと共に立ち上がると、浴槽から出て扉へと向かった。

 ガラガラと擬音が鳴る。

 確かに、桶のお湯はとっくに冷めきっていた。これでは水風呂だな。

 彼尾花は足を一歩外へと踏み出したところで、踵を返して言った。

 俺に言った。


「評論家や小説家は……ついつい気の利いたことを言ってやろうとして、遠回しに分かりにくく言う癖があるんだよな。けどよぉ、アタイは評論家でもなければ小説家でもねーんだわ。だからはっきりとストレートに言うぜ――狗尾と仲直りしな。アタイの可愛い愛娘なんだ」


 彼尾花がいなくなったバスルームで、俺はひとちる。


「全部――見られていたのかよ」


 朝。

 朝食を食べて――俺が食べていたかどうかは不明だが――しばらくして、俺は飼い主である女子高生と口喧嘩をしたのである。

 二ヶ月前のハロウィンから――あの満月の日から――死にかけたあの日から――死に損なったあの日から――狗尾とは、まともにお喋りしていない。

 お喋りできていない。

 できるものか。

 断罪を邪魔されたことが気に入らないのか、無間地獄行きが決定したのが嫌なのか――気まずい。ただただ気まずい。

 そんな言葉を交わすことなく続いた二ヶ月間で、お互いに鬱憤うっぷんが溜まっていたのかもな――溜まりに溜まったものが、今朝、爆発した形だ。

 何を言い合ったかは――


 “猫さん、どうしたの?”

 “なんで無視するの”

 “あの日何があったのかちゃんと言ってよ!”

 “私だって――!”

 “ごめん。ちょっと、散歩行ってきます”


 ――今もなお、頭の裏にくっきりと焼き付いている。

 俺は今朝のことと満月の日を思い返して――決して反省しているわけではない――ため息をついた。ため息を一回つく度に、幸せがひとつ逃げていくらしい。有名な話で悪かったな。

 人間だった頃、その有名な話を耳にした俺は『そもそも逃げる幸せがない』と解釈したものだがぁ……今の俺には、逃げる幸せが思いのほかあったのだ。

 うすうすと気が付いてはいた――気が付く自分を自覚しようとしなかったのだろうか。だとしたら、お前は――どうしようもないクズだよ。


「……シニガミに言わせれば、これも過剰な自己じこ嫌悪けんおなんだろうけど」


 俺はミニ風呂から出て外へと向かった。

 灰色の空が広がっており、少し雪が降っている。雪の結晶が重なり合い、やがて積もるだろう。

 二階建ての空耳家を見上げる。

 彼尾花の娘を大切に守ってきた家――空耳家。

 散歩の出発点から到着点は、常にこの家だった。学校に行くのもここからであり、帰るのだってここである。いつだって、見送るのも出迎えるのも、この家の大きな役目だ。そしてその役目を、この家は果たしてきた。

 ありがとうな、今までお世話になったぜ。

 というのはもちろん冗談の一種であり、どうせまたこの家に帰って来る羽目になるんだろうけどよ。

 俺は空耳家から視線を外した。

 空耳家に背中を向け、道を再確認する。道は左右に伸びていて、左を向けば朝日高校があり、右に行けば石の鳥居があるだろう。

 狗尾なら……どっちに向かう?

 今は冬休みだから学校に行く必要はないのだが、学生である狗尾なら気軽に足を運ぶかもしれない。図書室だって開いているかもしれないし、サバゲー部のメンバーが遊んでいる可能性だってある。

 ということは……学校か?

 学校には入らなくても、通勤路なら散歩の道として最適だしな。

 よし、ではでは学校方面へと――左へと進もう。

 そう決定したとき、そう決意したときだった。

 俺は正面に――あるものを見つけてしまう。

 とある名前を発見してしまう。

 空耳家の正面――つまりは向かい側の家の、表札。

 誰が住んでいるかを示す、その表札には――嘆川なげきがわと書かれていた。

 嘆川――嘆川 るい

 俺の中学校時代から高校時代の同級生であり、世界評論部のメンバーでもある――嘆川誄。左腕を二本、右腕を二本、合計四本の腕を持つ女の子。

 誄はかなりのゲームマニアで、はっきり言ってオタクで、もっと言えば腐女子で、昔はよく対戦ゲームでスコアを競い合ったものだ。

 それがどうして、嘆川家が空耳家の前に――?

 俺が人間だった頃は、確か……そうだ。正面だ。

 俺の実家の向かい側にあった。

 それがどうしてここに?

 ????

 引っ越したのか? こんな狭い町の中で? 引っ越しの理由としては、色々とあるんだろうけれども……。いやでも、この家、当時とは別段変わった様子はない。家の形は、俺の記憶と一致する。

 引っ越したのは、嘆川家ではなく――おい待て、そんなまさか!?

 俺は振り返って空耳家を再び見上げる――ただし今度は、自分の記憶をまさぐりながら。そして次は、空耳家の間取り図を頭の中で浮かべる――あ。

 ――またもや一致した。

 やはり、引っ越したのは嘆川家ではなく――俺の両親だ。

 俺の両親がこの家から去り、彼尾花たちが住み着いた。

 俺は猫に転生してから、狗尾に拾われてからずっと――自分の実家に戻っていたのだ。

 この町から出て行って以来、俺は実家に帰ったことがなかった――そう思っていたのに。

 でも違った。

 死に至り、女子高生に拾われることで――俺は毎日のように、自分の家に帰っていたんだ。帰宅していた。猫に寄生していたのではなく、猫として帰省していた。

 こんなこと……こんな運命じみた、奇跡まがいなこと――


「――あっていいのかよ?」


 さらにその後、学校方面へと向かった俺だったが、狗尾は見つけられなかった。家出少女の捜索は、そう簡単にはいかないらしい。

 だがまったく手掛かりがなかったわけではなく――とある現場に遭遇した。

 正確には現場ではなく、跡なのだが。

 事故の跡。

 いたるどころのブロック塀が崩れており、その痕跡を辿っていくと……家が二軒ほど破壊されていたんだ。巨大なイノシシでも突進したように、ぽっかりと大穴が開いている。崩れてはいない――なんとか家の形は保っていた。

 何があったんだ?

 どうしてこんなひでぇことになる?

 穴の向こう側もなんだか大変なことになっているらしいが、このいつ崩れてもおかしくない穴を通る自信はないので遠回りして向かった。

 そこにあったのは、シャッターを突き破られた古店ふるみせ

 中を覗くと、一台の丸いワゴン車が停まってあった。

 どうやら犯人は……この車らしい。

 この車の持ち主らしい。

 車の中も見てみたが、乗っている人は誰もいなかった。

 気になるのは、何故か車内が焦げていたことだ。後部座席を中心に、木の根っこのような黒い跡が広がっている。

 いや、それは別にどうでもいいんだ――どうでもよくないのは、携帯電話が落ちていたことだ。

 その携帯電話は――春の日に狗尾が見せた、あの携帯電話だった。狗尾が#しようとしていた、あの携帯電話。

 さらには靴まで落ちている。二足ともだ。

 その靴は間違いなく、狗尾お気に入りのスニーカーだ。俺はほぼ毎日、間近で見てきたんだ――俺が間違うはずはない。匂いだって狗尾そのもの。

 交通事故。

 焦げ。

 携帯電話。

 靴。

 ――狗尾。

 これは……俺のただの予想に過ぎないのだが――推理とも言えないのだが、おそらくは。こんなこと考えたくもないのだが、おそらくは。

 おそらく、狗尾は――誘拐された。

 車で誘拐され――抵抗しようと未成年みせいねん保護ほご目的もくてき拡散型かくさんがた電流開放でんりゅうかいほう装置そうちを――国から未成年限定で支給されるスタンガンを――発砲した。それを食らって混乱した犯人らは、結果として、派手に事故を起こした。

 普通なら、こんな大惨事を引き起こせば警察やら救急車やらが駆けつけてくるはずだ。それなのに、誰も来ていない。通報していないからだ。通報できないからだ――誘拐犯だから。

 狗尾は――どこだ?

 携帯を置いて行ったのはわかる。高電圧でぶっ壊れただろうしな。

 靴を脱いで行ったのは――何故だ?

 外を見ると、小さかった雪が大きくなっていた――これか。

 狗尾は、電圧で気を失わないために――雪を踏むことにしたんだ。狭い車内であれを撃ったら、撃った本人だってただでは済まない。急激な電圧により失神するはずだ――狗尾はそれを防止するために、冷たいアスファルトの道を裸足で歩くことにした。とある漫画で舌を噛むことで失神を回避するシーンがある。刺激で失神を回避するのだ。現実で舌を噛んだら出血して死ぬだけだが。

 事故の後、誘拐犯たちに連れ去られた可能性は低い。

 誘拐犯は高電圧でしばらくは動けなかったはず。なら逃げれるだろう。

 政府から支給された電撃銃は『拡散型電流』という名前が付いているものの、実際は指向性の電流――つまりは一方向に飛ぶ電流だろうな。でなければ、撃った本人は確実に感電することになる。それでは自己防衛の意味がない。他にも、撃った本人は感電しない仕組みが施されているはず。狗尾は誘拐犯よりも軽症で済んだとしたら――


「――どこか安全な場所に逃亡している」


 とは言っても、そう長くは持たない。

 逃げ続けるよりも、隠れる選択を取るだろう。


「…………問題は――どこに隠れたか、だな」


 普通に考えたら空耳家だが、ここからでは結構遠い。

 俺だってかなりの距離を走った。

 なるべく体力は温存するはず……あー、しまった。体力だけじゃあねぇ、体温も温存しないといけない。真冬だ――しかもここは日本。凍死の危険もある。

 急がねーと。

 俺よりも先に、あいつが死んでしまう――!


「どこだ――どこ行きやがったんだよ、狗尾!」


 俺は古店から出て辺りを見渡す。

 どこか、どこか身を隠すのに相応しい――さらには、雪だってしのげる――そんな逃亡にぴったりな場所はねぇのか!?

 くそっ、どこだ、どこだどこだどこだ――ここから見える範囲で、咄嗟に逃げ込める都合のいいところは――!

 ないのか――あった。

 道の端っこに――それはあった。

 俺は雪が積もりだした道路を進み――それを見上げる。

 俺は、猫の短い脚を動かして、それを――

 ――石の鳥居を潜った。

 石の鳥居から先は、アスファルトの道ではなく、古い石畳みが敷かれている。

 石畳みに従って道を進むと――木の影でうす暗い参道を通り抜けると、そこには大きな神社があった。

 当然である。

 鳥居があれば神社がある――本来、何があるのか考えるまでもないのだ。

 これだから――恐怖心というものは、怖い。

 管理されていないのか、それとも見放されたのか、かなり古惚ふるぼけた神社だ。

 神社といえば賽銭箱があるわけで――その奥にはもちろん、拝殿はいでんがある。

 俺は賽銭箱を飛び越えて、拝殿へと歩み寄った。

 俺は猫の手で社の戸をゆっくりと慎重に開いた――そこには――


 ――社の中には、膝を抱え体育座りをする空耳狗尾がいた。

 俺は言ってやった。


 “よぉ、お嬢ちゃん――探したんだぜ?”

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