断 罪 編

「断罪……って、どういうことだ? 俺を殺すのは、冬なんじゃ、なかったのかよぉ……?」


 私の影の中、膨らんだ体の三毛猫は目を震わせながら言った。


【断罪】

【断罪とは、罪をさばくことである。罪人または罪があると疑われる者を審判にかけ、それに相応しい罰を与えることである。その際、罪と罰は公平であることが理想とされる。うちくびという意味もあるが、こちらの意味で使用されることは少ないし我らも望まない。お前は腹を潰されて死ぬべきだ】


 私の姉が答え、私の兄が解説する。

 姉は質問に答えるのが好みなのだが、少々不器用なので説明不足なことが多い。そのため、解説が好きな兄が補足をするのだ。……ほんの少しだけ、余分なことまで言うところがあるが。


「それを決めるための審判だよ――冬に死ぬか、今夜、断罪するか」


 私は宣言した――宣告した。

 そう、これはあなたのための審判。

 冬死ぬか、今、処すか。

 期限を迎えるか、罪を制裁するか。

 そのための――三体のシニガミによる緊急裁判。

 多くの故人のために、一匹の猫の元へと、我々は集合した。


「審判って、なんのことだよ」

「あら、自分の罪、忘れちゃったの? いつも、いついつも、いっつも自分で自分を責めているじゃない――人間の頃から、ずっとね」


 忘れたとは言わせない。

 否、忘れたと言ってくれるとありがたいのも、本音だ。

 だがあなたは忘れてなどいないだろう。

 人間の頃から――あなたが抱えている巨大な罪を。

 猫の体が膨らむほどに貯めこんだ罪悪感を。

 死してなお、転生してなお――あなたは忘れない。


「……なぁ、おめぇよ。おめぇっつーかおめぇらよ、俺の――何を知ってんだ?」

【過去】

【過去とは、過ぎ去ったすべての時間のことである。過去は誰かが覚えている限り存在する。たとえその過去を本人が覚えていなかったとしても、関係なく確実に存在する。一説によれば、過去とは感情の集結体であるため、同じ場にいたとしても、決して同じ過去を共有することはできないらしい】

「つまり、あなたが人間だった頃の――すべてよ」

「…………」


 猫は目線を下げ、何かを考えているようだ。

 思い出しているようだ。

 心当たりは無数にあるはずだ。

 産まれて死ぬまでの記憶。そして転生。

 過去を振り返り、そしてまた、自分を責めるのだろう。

 あなたはそういう猫だ。


「……おい、シニガミ。真面目に答えな――審判で、何を決めるんだ?」

「真面目だよ、私はずっとね。それに、あなたに質問する権利があると思う?」

「……ねぇのか?」

「ないよ。でも、せっかくだし答えてあげるね。あなたの最後をどうするか、よ――期限を迎えて冬に死ぬか、期限を待たずに私たちに断罪されるか」

「どう違うんだ? 冬に死ぬのと、今殺されるの」

「はい、質問タイムしゅうりょーう! 今からは、正確には日の出まで、私たちシニガミの質問に正確に純粋に嘘偽りなく答えてね!」


 さあ、始めよう。

 あなたの終焉しゅうえんを決める夜を――あなたに制裁せいさいを下すクロを――あなたへ後悔こうかいの夜明けを――私達に投げられた不条理なとむらいに結末を!

 二十年と一年と十ヶ月を得てついに開幕。

 審判が、裁判が、証明が、修正が、尋問が、断罪編が――ついに始まる!


 尋問者:シニガミ代表一同。

 罪人:三毛猫。


 いざ――尋問じんもん開始かいし


「Q1、あなたは人間として何年何月何日に生まれた?」

「A、1981年7月13日だ」

「Q2、どこで?」

「A、日本というところの九州というところで」

「Q3、死ぬまでに犯した、あなたの罪をすべて答えて」

「A、いやだ」

「ストップストップ! いったん休憩!」


 一時休止。


「もーう、真面目に答えてよ! 人に真面目を要求するなら自分も真面目になりなよ!」

「真面目だ、大真面目だ」

「だったら答えてよ! いやだって何!? よくもまぁこの空気で回答否定できたね!?」

「いやいやいや、“罪をすべて答えて”ってなんだよ。心当たりがありすぎて答えられねーよ。そりゃあ誰だって回答否定するだろ」

「えぇ……?」

「というかおめぇら、全部知ってて尋問しているよな? 俺に再認識させたいのか整理したいのかわかんねぇけどよ、だったら答えやすいように尋問しやがれ!」

「落ち着きなよ。ね?」

【深呼吸】

【深呼吸とは、息を大きく吸った後にゆっくり息を吐く行為である。自律神経を落ち着かせ、興奮を抑える作用があると言われている。そしてこのセリフは、我が妹に向けて発せられたものである】

「……え? 私?」

【焦り】

【焦りとは、期限に迫られ苛立ち落ち着きを失うことである。目的を達成できず失敗を繰り返すことでも、この焦りは発生する。また、焦りを無理に隠そうとして、言い間違いをする、順序を飛ばす、などの行為として表に現れることもある】


 おーけー、わかった。

 すべて理解した。

 確かに、今のは私が悪かったのだろう。焦っていたのは事実だ。良い結果を出そうと慌てていたのも、また事実だ。いかなるときであっても、順番は重んじなければならない。シニガミらしからぬことをした。

 まずは落ち着こう。

 そこから始めよう。

 姉のアドバイスに従い、胸に手を当て、深呼吸をする。大きく息を吸って、肺に溜まった空気を思いっきり吐く。

 ……よし、焦らずにいこう。

 幸いなことに、今夜は満月だ。


「……うん、大丈夫。よしでは、大事なポイントを順番に押さえていこっか! その代わり、きちんとちゃんと答えてちょうだいな。どんだけ悩んでもええからさ。じっくりと、ねっとりと、審問していこう。とは言っても、日の出までには――午前四時までには終わらせよう。今が午後九時ね」


 審問者:シニガミ代表一同。

 罪人:三毛猫。


 改めまして――審問しんもん再開さいかい


「問1。人間として大学に通っていた頃、どんな暮らしをしていたの?」

「貧しい暮らしをしていたな。格安のボロボロな木造アパートで、アルバイトで生計を立てていた。貯金は一応あったのだが、学費だから手を出すわけにはいかねぇしよ。大学の上位受験を通ったから、授業料は半分免除されたものの……それでも、ぎりぎりだった」

「問2。誰と暮らしていたの?」

「…………家族とだよ」

「嘘つき。高校を出たとき、親から追い出されたよね――もう一度聞くよ――誰と暮らしてたの?」


 猫は回答を渋った。目が右へ左へと世話なく動く。

 私達は待った。

 ただただ待ち続けた。

 あなたが口を開くまで待つ。

 思い出したくないのであろう。

 だがしかし――その抵抗は無意味なのだ。

 思い出すまでもなく――まぶたの裏に焼き付いている。

 忘れようと涙を流したところで、瞼の裏は洗えない。とは言っても、涙すら乾いたか。

 やがて猫は、解答する。

 己の過去を語る。


「ひとつ歳下の――女の子だ。狭くボロボロな部屋で、ひとつ屋根の下、俺はそいつと暮らしていた。おめぇより小さかったな。そいつは普段大人しいんだがぁ、一度喋ると延々に皮肉を並べるクセがあった。本人も気にしていたな。あと……変な対抗心があって――競争心があって、自分が勝つまでは決して諦めない性格だった。他人と比較されると火が付いちゃって、相手か自分か、あるいは両方崩れるまでしがみつく。噛みつく。捕食する。だがぁ……変なこだわりがあった。んや、美学とも言うべきか。なんというべきか……皆が好きなものは嫌いで、嫌いなものは好きで――そうだ、そいつは“異端”が好きなんだ。“常識”が嫌い、許せない――そんなヤツだった。今思えばそうだ。テストで高得点を狙うのは常識、だったら平均点ジャストを取る――女性が髪を伸ばすのは普通のこと、ならば自ら髪を刈り上げる――そういう、女の子だった」


 そういう、女の子だった。

 次の審問は?

 次は何を訊く気だ?

 猫は私を睨んだが――まだだ。まだ次のステージへ行くべきではない。

 まだあなたは――語っていない。語っていない人がいる。

 同居人がもうひとりいたはずだ。

 隠している人がいる。

 隠している、命がある。

 隠している――小さい命がいる。


「…………隠したつもりはねぇよ。ただ……言うべきかどうか迷っただけだ」


 雲が月を包むほど長い時間が経過して――あなたはそう切り出した。


「赤ん坊だよ」


 続けられた言葉に、姉は痙攣けいれんするように肩を震わせた。気がした。

 猫は続ける。


「俺と、女の子と、赤ん坊との三人で、一室の中暮らしていた。大学に通いながらバイトをして、なんとか生活費を拾っていたよ。親からの支援だなんて、そんな贅沢なモンはない。俺は家から追い出された身で、そいつは――愛己あいこ 稚世ちよは家出した身だしな。最初のうちは余裕ぶっこいでいたんだが……どうやら俺は、経理がヘタらしい。……んで、次はどうせ“誰の赤ん坊か”、だろ? どうせ分かってんだろぉ? 。大学に入ってしばらくした頃、稚世が赤ん坊抱えて――雨の日だったか――アパートに来てな。どうも俺の子らしいから、責任取って一緒に暮らすことにしたってわけだ。――なんだよ、文句あんのか?」


 いや、それでよい。

 演劇者が二分の一そろったのだ。愛己 稚世、赤ん坊、そしてあなた。これで、次のステップへと進める。否、前へと、2000年から1998年へと、大学から高校へと戻れる。

 さかのぼろう。

 あなたの肩にのしかかる重圧の源へと、たどりつこう。

 すべての根源を明かしたうえで――まとめて断罪しよう。

 ところでタイムリミットは?

 足りるだろうか?


【零時】

【零時とは、午後十二時のことである。一日の終わりを表す目的で使用されることもあるが、正確には一日の始まりを意味している。また、ドイツ史においては第二次世界大戦にて降伏した1945年5月8日を意味し、戦後史が始まったことを指している言葉でもある】


 現在時刻午後十二時。残量時間は四時間。

 うん、どうにか間に合いそうだ。

 では、次の審問へと移ろう――


【ふたりはどこだ】


 ――姉が唐突に言葉を発した。


「…………あ?」

【稚世ちゃんと赤ちゃんはどこだ】


 回答好きな姉が、唐突に糾弾きゅうだんした。

 予想外であり予定外である猫宛の糾弾。

 解説好きの兄ですら絶句する。

 熱く熱せられた冷ややかな言霊ことだまが、“どこだ”の三文字に覆われていた。

 まだだ。

 それはまだ――叩くべきではない。

 耐えるべきだ。耐えなければならない。それは姉が最も分かっているはずなのに。理解しているはずなのに。事前にミーティングした際、姉が真っ先に提案したことだ――なにがあろうと、責めるのは最後。

 そう言っていたではないか。満場一致でそう約束したではないか。

 猫は――答えた。


「死んだよ――崖から突き落としてな。俺が――俺が、殺した。赤ん坊抱えた稚世ごと、崖から、突き落とした――たったそれだけで死んだよ」


 即答だった。


【何故】


 姉は責め立てる。

 こうなったら、もう、止めることはできない。

 仕切り直しが効かない……このまま進めるしかない。一本道だ。

 一本道と例えるには――荒れ果てていたが。


「何故って……何故だろうな。俺が訊きてぇよ。稚世が来て、共同生活を始めて……一年くらい経った頃かな? なんかもう、このまま生きれる気がしなかったんだ。生き延びれる気がしなかったんだ。このままだと――だと、マジでだめな気がしたんだ。貯金も底を尽きたし、アルバイト代でも限界が来ていた。大学も卒業しなきゃあなんねぇし、アルバイトを続けながらレポートを書き上げるのには無理があった。いや、そのふたつくらいなら可能だ――でも、子育てもしろって……不可能なんだよ。稚世だって、まだ十八なんだぜ? 十八歳の少女に、“子育てはお前ひとりでやれ”って――こくすぎるだろ。俺がいなきゃ駄目なんだ。でもな……俺はそこまで――勉強と金稼ぎと子育てを同時進行できるほど――有能じゃなかった。無能だった。俺はな、こう見えて、昔は神童しんどうだとほめられてたんだよ。俺は自分が万能だと思っていた。だが……現実はどうだぁ? 無能だ! まるっきり無能だ!」


 だから殺した!

 そんな無能な自分が嫌いで殺した!

 俺を無能だと気付かせた――あの女が憎くて殺した!

 赤ん坊ごと、ゴミをゴミ箱に捨てるかのようにな!

 俺って――クズだよなぁ!


「それだけじゃあねぇぜ……?」


 そして、猫は語った。語り続けた。

 自慢するかのように。

 自分の功績をたたえるように。

 自虐するようにして。

 猫は――訊かれるまでもなく、己の罪をつづる。


「そもそもな、赤ん坊を勝手に産みやがったのは稚世なんだよ

「俺にすら内緒でな

「拒絶されるのが嫌だったんだろうよ

「わがままだよなぁ?

「最初は親の元で――稚世の両親の元で子育てしていたんだがぁ……

「家を飛び出して

「そして俺のところに来やがった。どうやって俺の住み家を調べたんだろうな?

「不気味だぜ

「親といりゃあ――俺に殺されることもなかったのによ

「本当に、馬鹿でわがままだよなぁ?

「ていうか、普通はろすだろぉ?

「赤ん坊摘出てきしゅつすれば、稚世だって、ごく普通の高校生活を送れたはずだ

「いや、さすがに無理か

「みんな、降ろしたというのによ

「あ?

「違う違う……

「四人のうち一人が摘出手術を受けた。

「あと三人中二人は産もうとして、残る一人は妊娠していなかった

「妊娠しなかったかわり、自殺したけどな

「あー、い、あぁ。確か……

「うん

「産もうとした二人の片方は無事に出産して

「その通り、愛己稚世だ

「もう片方は――流産だった

「高校生の身体だからな――産むには、幼すぎる

「ケハハ!

「笑えねーよなぁ?

「四人とやらかして三人妊娠させちまうなんてよぉ!

「しかも十七歳で、だ!

「高校二年生の男が、一人で、同じ学校に通う女を三人も産ませた!

「一晩で!

「四人一緒に、な!


 愛己あいこ 稚世ちよも、

 城楼棚せいろうだな 如雨露じょうろも、

 いかり 伝馬てんまも、

 嘆川なげきがわ るいも、

 そして――ああ、彼尾花も、あいつだって、

 俺のせいで落ちたようなものだ。


「その癖に、俺はしっかりと大学に行きやがってんだから笑えるよなぁ!?

「いや

「笑えねー

「ケハ、ケハハ!!

「……おい

「笑えよ

「なに睨んでんだよ――怖えよ

「まぁでも、クズが受けるべき眼差しではあるな

「最高だ」


 綴り終えた猫は、吐き気を催すほど黒く思い空気の中、高らかに笑った。

 ケハ、と。

 ケハハ、と。

 ケハ、ケハハ、ケハっハハハハハっハハハっハハッハハハッはははッははハハハはハハハ、ケふ、ケふフフフッハハハハハ!

 と。

 クズのように笑った。

 最低で最悪な悪人のように、罪人のように、笑うのであった。

 罪が、夜を満たす。

 夜が罪を呼び寄せ、今、この瞬間、クズが正体を現した。

 真の意味で――クズが転生した。

 クズの転生が――完了しつつある。まもなく完成する。

 二十年と一年と十ヶ月を得て、転生が終わろうとしている。

 転生が……あなたが……終わる。

 すべて終わる。


「なぁ、おめぇらよ……」


 行きつく先は――


「俺ってば、本当に……」


 ――無間むげん地獄じごく


「……本当に、最っ低なクズだよなぁ?」


 そんなのお断りだ。


「それは違う」


 私は否定した。

 私が拒否した。


「…………………………あ、あぁ?」

「それは――違う。間違っている」


 罪を拒絶した。

 あなたがわるぶるのを――弾劾だんがいする。

 断罪する。私が断罪してみせる。

 あなたの――あなたが抱えている偽の罪を――ひとつ残らず断つ。


「間違っているって――なんだよ。全部――ひとつ残らず、本当のことだ」

「違うよ」

「何が違うっつーんだよ!? 根拠あんのかよ!?」


 あなたはいらたって怒鳴り散らすように言った。

 猫の細い表情筋をぎりぎりまで引っ張り、小さな顔を歪ませる。

 だが私はやめない。


「違う、なにもかもが間違っている。あなたはそうやって、なにもかも自分が悪いかのように言って――自分を罪人たらしめている――他人の罪を、被ろうとしている」


 他人の罪を悪を過ちを――自分の責任へと、転化している。加害者ぶっている。

 転嫁てんかしている。

 そんなことはさせない。

 そんな不正を、偽りを、世界は許さない。


「他人の罪って何だよ――全部、俺が悪いだろ!? 四人中三人を産ませて、三人の赤ん坊殺して――稚世を崖から突き落として! 全部、ぜんぶぜんぶ、俺が――俺が――俺がやったんだ!」

「違うの。あなたがやったのではない――あなたは、させられたの」

「何をだよ!?」


 足の震えが止まらない。息ができない。喉の奥で、何かが、どす黒い何かが――どす黒い怪物が、這いあがって来る。

 こんな心境になったのは……おそらく初だ。私は他人の心境を探るのは得意だが、自分の心を区別するのは、苦手なのだろう。

 私は声を荒げた。


「被害者はあなただって言っているの――!」

【静止】

【静止とは――】

「――うるさい! 姉と兄は黙ってて……!」


 もう、我慢ならない。我慢などするものか。

 こんな、めちゃくちゃな道化師どうけしを目の当たりにして、冷静になどなれるものか――!


「あなたはいつも、いつもいつも、悪い事があったら自分のせいにしている――」


 Springハル,Summerナツ,Autumnアキ.

 今すぐ、今すぐに、今までのすべての文章を見直せ。

 一度も、この三毛猫が――他人のせいにしている行が、あっただろうか。

 前編中編後編、前編中編、前編中編――この猫が語り部を勤めた、すべての話に――猫が他人のせいにする場面が、一度たりとも、なかったはずだ。

 『俺が悪いものの『俺が悪かったものの『俺の責任でもある』

 いつだって、自分を責めていたはずだ。

 転生する前から、転生した後も――

 1998年から、2030年まで――


 ――あなたは、とんでもない嘘つきだ。


「……意味、わかんねぇよ。俺の、俺自身の罪だよ。俺が、あの、あいつら……も」

「違う。あなたは――」

「テキトーに否定してんじゃねぇぞ!」


 渦巻く空気を張り詰め直すように、あなたも声を荒げる。


「俺が、俺がな! みんなを――城楼棚せいろうだな部長を降ろさせて! 親友のるいを自殺に追い込んで! 仲良くしてくれた 伝馬てんますら流産させちまって! 挙句の果てには、俺を頼ってくれた愛己あいこ稚世ちよを突き落とした!」


 その荒れた声は、涙声にも似ていた。


「俺が――俺が全部、悪いんだよぉ!」


 俺が悪いと、自分が悪いんだと、あなたは訴える。

 加害者になるため、罪を告発する。懺悔する。

 シニガミに、訴えかける。訴え語る。

 だが


「違う。あなたは被害者――」


 世界は決して甘くはない。


「何を、おめぇは、何を根拠に――!」


 それゆえに、世界はすべてを見ている。悪い事も良い事も、世界はすべてを知っていてすべてを正しく公平に厳密に罰する。加害者も被害者も平衡に批判する。加害者が被害者に成り済ますのはもちろん許さないし、被害者が加害者のふりをするのも決して見逃さない。


「襲われたのは――あなたよ。さとる」

「…………ちがう、違う」

「高校生だったとき、あの日あの夜、襲われたのは――あなた。あの四人に――先輩から、同級生から、後輩から――性的暴行を受けた」


 一方的に。

 四人の少女から、少年だったあなたは、襲われた。

 その結果――十八が摘出し、十七が首を潜り、流産し、十六が赤ん坊抱えて家出した。言及するまでもなく最悪の結末であり、バッドエンドである。

 もしこれが小説なら(もしこれが小説なら、あまりにも悪趣味だ)、ここで終わりであるが――残念ながら、リアルは続く。

 死ぬまで――否だ。死してなお、続く。

 転生して継続する。リユースされリロードされる。

 “転生”という言葉の重みを、ほとんどの人は、解さない。

 私にすら、解せない。


「……うウェッ、それでも、稚世を、突き落としたのは、俺だ。稚世と赤ん坊を殺したのは――俺なんだよ」


 それでもあなたは、嗚咽混じりに加害者をかばう。

 被害者に助けを求めた、図々しいとも言える加害者を、少女を庇う。

 自分が加害者になることで、加害者を救う。


「確かに、あなたは二人を崖から突き落とした」

「だったら……!」

「頼まれたから、従った」

「…………」


 “私を、ここから落としてください。背中を押してください。私と、この子を――楽にしてください。このまま生きる方がこくですから”


 懇願こんがんだった。

 俺はそれまで、死ぬよりは生きた方が、ちったぁマシだと思っていた。

 死ぬことは悪い事だと。

 生きていれば、いいこともあると。

 そう信じていたんだ。

 でも、世界は甘くなかった。

 世界は厳しかった。

 事件を隠し通すつもりでいたがぁ、それは警察を侮辱しているようなもんだ。

 証拠は段々と見つかり、みんなは淡々と逮捕されていく。

 そして、裁判長が少女らに告げた『有罪』により、俺はひとりぼっちに戻った。

 マスコミは……いや、世間は「日本初、少女による少年強姦事件」として騒ぎ立てた。

 それでもなお生きて、家から追い出され――お前は虚言家の恥だ――孤独に埋もれそうになって、独り言が板についてきた頃、稚世がやって来た。俺の家に、赤ん坊抱えて来てくれた。あの事件以来、行方不明になっていた稚世が、愛己家で匿われていた稚世が、稚世が――。

 罪を、償えると思った。

 俺は、稚世と、赤ん坊と、この三人で、三人家族で、一生を過ごすのだと。いつかは三人で笑顔を咲かすんだと――そんな運命だとばかり、考えていた。

 けどよ。

 生きるよりも死んだほうが救われるって――救われることもあるって、そのとき、知ってしまったんだ。稚世に、教えられた。

 稚世の背中を押したとき。

 暖かい背中に触れたとき――知ってしまったんだ。

 


「カ、カハハ……」


 足から、短い四本脚から力が抜けていく。

 二本足で立っていたなら、ふらっと倒れていただろうな。

 脂肪か何かで膨らんだ胴体が、そのままソファーのように頭を支える。

 俺は三人(三体? 三柱?)のシニガミらを見上げた。

 三人とも真っ黒な布を羽織っている。夜の暗闇に溶けてしまいそうだが、背中から漏れる月の光がそれを防いでいた……つってもまぁ、猫の目だから関係ねーけどな。

 俺は言った。せめてもの反抗だ。


「……稚世を殺しておいて、大学を中退することなく通い続けたのは、なんでだ? それに、稚世と暮らしていた時だって……大学をやめて、仕事と子育てに集中していりゃあ、多少は、余裕ができたんじゃねぇのか……?」


 自分が一番大事だったから、罪の意識がなかったから――じゃあねぇのか?


「あなたは、神童として育てられたから――優等生として、期待されていたから。。大学に進学しない道を、中退という仕組みを――そもそも、知らなかった。一本道しか、教えてもらえなかった」


 一本道しか知らなかったって、他の道を教えられなかったって、そんな――そんなバカみてぇな話、あるわけねぇだろ……?

 と、俺は言い逃れしようとしたものの。

 すべて――本当のことだった。嘘じゃなかった。

 当時の俺にとって進学とは、布団で寝るようなもので――そのくらい、抜かしてはならないものだった。必要不可欠なものだった。進学しない人がいるだなんて、考えもしなかった――中退という単語の存在を知ったのは、サラリーマンになってからだ。

 例えるなら――敷かれたレールの上、だ。

 足だけではなく、胴体からも、背筋からも力が抜けていくのがわかる――あぁ、もう、ダメだごりゃ。俺の体は、だるまのように、横に倒れこんだ。だるまは倒れねぇけどな――ハハ。

 嘘をつくのは、疲れる。

 嘘を見破られるのは、もっと疲れるよ――これ本当な。

 ちょっとしたヤツアタリのつもりで、俺は横になったまま吐き捨てるように尋ねた。


「お前ら……結局のところ、何がしたいんだ……? 人様が一生懸命ついた嘘を手当たり次第に見抜きやがって……ぇえ? 探偵ごっこでもしたいのかよ。何のために――真相を無駄に暴いてんだ?」


 俺はてっきり、姉のほうが簡潔に答えて、兄のほうが長ったらしく説明してくれると思っていたのだが……全員、黙ったまま口を開かない。

 姉も兄も妹も、何も答えやぁしない。

 …………言い過ぎた、か?

 三人とも突っ立ったまま、俺を見ている。その目は、何かを躊躇しているようにも見えた。


「…………何で、答えてくれねぇんだ? まさか、本当に探偵ごっこのつもりだったのか? ……お、おいおい。遊びで、遊びで人の心えぐってんじゃねぇよ」

「……遊びなんかじゃないよ――決して」


 妹のシニガミは、重い口を開いて言ってくれた。


「あのね、さとる――。あなたは、もうすぐ死ぬの」


 ん?

 いまさら何言ってんだ、こいつ?


「そりゃあ、そうだろうな。今夜、お前らに断罪されて死ぬんだろうな」

「その反対だよ。今、断罪しないと――今年の冬に、あなたは死ぬ。断罪さえすれば――あなたは、あと十五年は生きることができる」

「……あ?」


 いやマジで、何言ってんだコイツ?

 断罪しなければ死んで――断罪すれば、生きられる?

 生き延びられる?

 今年死ぬか、十五年延命するか?


「意味わかんねぇよ――お前らは、俺を断罪しに来たんじゃなかったのかよ」

「そう、断罪しに来た――罪を断ちに来た。あなたの――罪悪感を切りに来た」


 ますます混乱する。

 罪を断ちに、罪悪感を切りに……。

 わかんねぇよ。いったいぜんたいどういうことだ。謎々なのか?


「今から、説明するね――審問タイムは、一つ残しておしまい。これからは――謝罪会、かな。シニガミによる猫のための謝罪会。釈明会」

「……釈明? 何の釈明だ?」


 とは言っても、シニガミが釈明することだなんて、限られていた。


「あなたが、二十年の時を経て猫に転生した理由……そして原因、をさ。3Rから外れて記憶を保持したまま猫となった理由。さらには、あなたが二年も持たずに、今年の冬に死ぬそのわけを――説明するよ」

「……なんで裁判から、説明会になるのかわかんねぇが……。へぇ、そりゃあ楽しみだな」

「……うん、本当に――楽しみだね」


 そうして、水色のシニガミは語った。

 俺が猫になった理由を、記憶が残っている経緯を、死ぬわけを――説明した。

 説明し――解明し――解釈し――釈明した。


 釈明会――開幕かいまく


「あなたは死んだ

「人間だったころ、大型トラックに跳ねられ潰され――そして死亡した

「ショック死だったよね、確か

「まぁ、轢かれたところで……あなたは運転手をではなく、自分を責めるのでしょうけど

「とりあえずそんなわけで、あなたは死んだ

「死亡して――身体と魂が分離して――その魂を、私達シニガミは回収した

「回収して

「3Rを執行した

Resetリセット,Randomランダム,Reuseリユース

「記憶を消して、無作為に、転生

「三ステップのうち、最初のステップ――Resetを実行に移した

「でもね

「失敗したの

「いくら消しても、いくら洗っても――

「――記憶が、蘇ってくる

「何かから、あなたの人間としての記憶が、感情が、感傷が――溢れてくるの

「私達シニガミは、その記憶がどこから溢れてくるのかを調べた

「調査して、検査して、研究して、探究した……

「その結果――判明した

「解明した

「あなたの記憶は、

「感情は、

「感傷は、

「あなたの“罪悪感”から噴き出ていた

「あなたが、人間だった頃に、生きていた時に、溜め込んでいた“罪悪感”が――自己嫌悪が――自省の念が――自傷が――毒を噴出していた

「魂の奥深くに沈んだ“罪悪感”が――記憶に、執拗にからまっていた

「決して手放すまいと――握りしめていた

「忘却を拒むように、許しを恐れるように――抱いていた

「“罪悪感”を媒体にして――記憶を復活させる

「その事実に、荒技に、あなたそのものに、私達シニガミは

戦慄せんりつした

「ひとつ記憶を消せば、また新たに分裂して

「ふたつ感情を洗えば、はるかに多く増殖して

「みっつ感傷を剥がせば、完璧に元通り……

「“罪悪感”そのものを――殺すしか、方法はない

「殺した

「殺して殺して殺して

「殺しまくった

「でも――ダメだった

「あふふ……駄目だった

「“罪悪感”を削ったところで――記憶から、あなたの記憶から……新たな“罪悪感”が発生したの

「“罪悪感”から記憶を蘇らせ、記憶から“罪悪感”を産む。そしてまた――

「まさに無限ループ

「例えるなら無理げー

「記憶が蘇る前に消して、“罪悪感”が産まれる前に殺して……

「それを繰り返すこと二十年

「二十年が経過した――人間の世界ではね。

「シニガミの世界はね……人間の世界よりも、時の流れがハイスピードなの

「つまり……

「ね?

「いやぁ、もう本当に大変だったよー!

「切っても切っても切り裂いても――次から次へと押し寄せて来るんだから

「鎌がぶっ壊れるところだったよ~

「鎌が割れると死ぬからね――シニガミは

「世界中からResetのエリートが集められたんだけどね

「三分の二が割れちゃった

「シニガミは――3Rの適用外なの

「あはは、こう言うと、まるで保険の適用外みたいだね

「うん

「割れたところで、転生しない

「どこに行くんだろうね――割れていったシニガミは

「いやぁでも、なんとか終わって良かったね

「二十年もかかったけれども!

「いっぱい割れたけれども!

「彼らは二度と転生しないけれども!

「なんとか無事に終息してほんとうによかったぁ!

「いえぇい! 拍手プリーズ!

「ぱちぱちぱち

「…………、

「…………………、

「…………………………。

「うん

「そうだよ

皮肉ひにくのつもり」


 シニガミはそこで、少しの間、俺を見た。

 憐れんでいるような、軽蔑しているような、泣きそうな笑いそうな――そんな目で。

 俺を見ていた。


「そんなある日

「“罪悪感”と記憶を相手に戦争をくりかえして二十年が経ったある日

「突如として

「“罪悪感”が動き出した

「それまでは増えるだけだったそれが――

「反抗を始めた

「反攻を行った

「“罪悪感”による反撃が、開始された

「“罪悪感”は、シニガミを踏み潰しながら逃走した

「赤ん坊のように喚き散らしながら

「爆走した

「その先にあるのは――人間の世界

「人間の世界に向かっていた

「帰ろうとしていた

「私達シニガミは、人間の世界へ脱走されるのを防ぐべく二重の結界を張った

「第一次結界『キャロット

「第二次結界『スティック

「人間の世界で、“罪悪感”がどのように暴れるのか

「想像もつかなかった

「だから

「絶対に

「命に代えても、食い止めなければならない

「まぁ、案の定失敗したけど

「二重の結界は容易く破られた

「容易くあっさりと破られたけれども

「けれども――まったく無意味ではなかった

「『脱走を防ぐ』という主効果は失敗したけど

「副効果は発動した

「『暴走を防ぐ』という副効果は――発動した

「第一次結界『キャロット』が、“罪悪感”をからへ誘導し

「第二次結界『スティック』が、“罪悪感”を殻へ押し込んだ

「罪悪感を

「記憶を

「魂を

「身体へとぎゅうぎゅうに押し込んだ

「限度なく暴れる魂を、限度ある身体へ封印することで

「暴走を防止した」


「それで俺は、猫に転生した――ってことか」

「そういうこと」


 確かに、猫の体なら活動にも限界がある。

 食べなければ死ぬし、寝なければ狂う。酸素を吸って二酸化炭素を吐かなければならない。命としての制限を与えた。死んだ悪霊に生きた身体を与えることで、命に縛った。


「そして、転生した悪霊おれの捜索に一年を費やした――ということだな?」

「そだね。本当は三重目の結界がマークする予定だったんだけど、張るのが間に合わなくてね。二重がやっとだったの」

「お疲れさーん」

「…………」

「すまん」


 続けてくれ。


「そして今年の冬、あなたは死ぬ

「あなたの捜索を進めると同時に、あなたが次にいつ死ぬか計算したの

「シミュレーションしたの

「その結果

「九百九十九通り計算した結果

「九百九十八通り、今年の冬に死亡した

「残り一通りは……転生に失敗し、3Rに従うほか道はなく――消滅したか

「でもね

「猫に転生していたから、その消滅した可能性は消滅した

「その代わり、九百九十八通りの可能性が浮上した

「再び恐怖に踊らされたね、私達シニガミは

「私達シニガミは

「シニガミは……

「なんて言えばいいんだろうね? この感じ

「言わなくてもわかるかな? この感情

「このトラウマ

「トラウマ、だなんて安っぽい言葉、使うつもりはなかったんだけどね

「……本当はね、人間に転生させるつもりだったの

「八十二年間、計画を練るはずだったのに

「じっくりと

「ねっとりと

「対策を講じるつもりでいたのに

「でもね、

「3Rの二番目のステップ、Randomに邪魔をされた

「たとえ一番目のステップが失敗したところで

「失敗したからって

「二番目と三番目を無視することはできなかった

「世界は、甘くはなかった

「世界は厳しかった

「人間でなければ、あなたの膨大な“罪悪感”を保存しきれない

「猫の小さな器では――

「二年が限界

「だから私達シニガミは、戦争を防ぐために

「こうして人間の世界へと訪れた

「戦争を防ぐ方法は、二択。

「ひとつめの選択。あなたが死亡したら直ちに結界を張り、さっさと転生させる。また死亡したら転生させ、また死亡したら転生させ……それを永久に繰り返す。もちろん記憶は消えない。あなたの“罪悪感”も消えないまま、無限を繰り返す。あなたを――無間地獄へと突き落とす

「ふたつめの選択……あなたに、罪を忘れてもらう。抱えた“罪悪感”を捨てさせる。偽の罪だと、無罪だと、認めさせる。そうすれば、死んだとしても記憶は蘇らない。Resetを実行できる。3Rに従って、何も知らない赤ちゃんとして、転生することができる

「戦争を――しなくても済む

「だから私達は訪れた

「二十年と一年の戦争を終わらせるために

「こうして――

「あなたを――断罪しに来た

「あなたの――後悔つみを断ちに来た」


 水色妹のシニガミは、俺に巨大な鎌を突きつけながら言う。

 懇願する。


 “お願い、無罪だと認めて。罪悪感を捨てて。もう――あなたとは戦いたくないの”


「……長生きできるっていうのは、どういうことだ?」

「あなたが溜め込んだ罪悪感で、その体は限界を迎えている。罪悪感さえなくなれば――今年死ぬことなく、あと十五年は生きることができるよ」

「…………記憶は、どうなるんだ?」


 狗尾えのころとの記憶は、残るのか?

 彼尾花かれおばなとの想い出も、消えるのか?

 稚世と暮らした苦労も――そこそこ楽しかったんだぞ?


「罪悪感がなくなれば、直ちに、記憶も殺す――罪を、産まないようにね」

「………」

「猫として――ごく普通の猫として、生きることができる」


 ごく普通の猫は――喋ったりしない。

 ごく普通の猫は――寂しさを誤魔化すように、ひとちたりしない。


「飼い主と――お喋りも、できねぇよな」

「もちろん、どうぜん……ね?」

「あいつは――一人で、大丈夫なのか? あいつ、いつも明るく振舞っているクセに、弱っちぃんだ。無理して、無茶して――いつ崩れてもおかしくねぇんじゃ……ないのかよ」


 狗尾の母は、彼尾花は――きっと、おそらく、海外で働くことになるだろう。

 そうしたら――狗尾は、またひとりぼっちだ。

 高校生にもなったら、もう十分に大人だが――まだ十分に子供でもある。

 子供と大人の狭間、みたいに言われるけれども――決して、そんな得体の知れないものではない。高校生は――高校生という生き物は、男女問わず、大人でもあり子供でもある。

 子供だからバカができて。

 大人だから大したことでもないことで泣けるんだ。

 しかもやっかいなことに――子供だろうと大人だろうと、誰かといたいのだ。

 高校生はその欲求が二重増しなんだから――本当に、やっかいだ。


「あなたが死ぬ方が、酷だよ――それこそ、狗尾を壊しかねない。記憶が消えるだけなら、お喋りができなくても――あの子のとなりに、いることができる。猫として、飼い主に――飼い主を、なぐさめることができる。笑わすことも、心配をかけることも、怒らすことも、癒すことだってできる。どっちにしろ、あなたが先に死ぬでしょうけれども――それでも、もう少しだけ、狗尾に付き添ってあげて」


 もう少しだけ、生きてあげて。

 シニガミはそう言った。

 それはただ、俺を説得させるための口実だろう。だろうけど、正論なのに変わりはなかった。誤魔化しだろうと嘘だろうと、優しさならば――騙されてもいい気すらする。

 だが――記憶を消すということは、イコールで死ぬようなものなんじゃ?


「……そう言われると、そのようなものなんだけどね。確かに、あなたにとっては、死ぬようなもの。でも――他の人にとっては、そうでもない。周りの人にとっては、狗尾にとっては、生きているのとなんら変わらない。会話はできないけど、生きている。生というのはね、案外……一方的だろうと、成り立つんだよ」


 それは――仏壇に手を合わせる母親みたいなものか。

 いつまでも亡き娘の部屋を片付けようとしない、家族のようなものか。

 それでも……いいのか?

 はたして良いのか? 悪いのか?

 狗尾に身体だけ残して、魂だけ残して――消えてしまうのは正しいのか? 狗尾なら、俺が黙りこくっていようと、普通の猫みたいに振舞おうと――いつも通りに接してくれるだろう。たとえ素っ気ない反応だろうと――それこそ一方的に、話しかけてくれるだろう。そこにいるだけでもいい――存在してくれるだけでもいい。完全に消え去るよりは――死なれるよりはマシ。思い出を語り合うこともなく、ふざけ合うこともなく――狗尾が一方的に語り、一方的にじゃれる――そんな生き方もありなのか……?

 罪を返済することもできず(シニガミに言わせれば、偽の罪だそうだが――)、罪悪感も全部忘れて、黒い思い出をすべて残すことなく捨てて――加害者だろうと被害者だろうと、そういう因果関係なんか知らないことにして――許されるものなのか? 城楼棚部長も誄も伝馬も――稚世も――彼尾花も忘れ去って、はたしていいのか? ズルなんじゃねぇのか? ルール違反じゃねぇか?

 本当に――いいのかよ。

 勝手に救われて――いいのかよ。

 だから俺は――あの日、稚世を突き落としたあの日、あの雨の日――救われる方法を知っておきながら、落ちなかったというのに――こんなわがまま許されるのか?


「死んだからって、救われるとは限らないんだけどね。むしろ――救われるのをあきらめたようなものなんだけどね」


 水色のシニガミは、見透かしたように言った。


「許すよ」


 姉は答えた。


【許す】


 兄は補足した。


【許すとは、これにておしまい、という意味である】


 そして妹が、まとめた。


「私達が、許す。そのために――あなたを許すために、私達はここに来た。あなたの元へ来た」


 そいつは俺に、寝そべったままの俺の首に、そっと大きな鎌の刃を当てる。

 ひんやりとしていて、気持ちいい。

 おめぇは刃を当てたまま、しゃがみこんだ。

 俺と距離を縮め、目と目を近づけ、視線を絡み取りながら――言いやがった。


「だから――あなたも、許してあげて」


 おめぇに、そんなこと言われたら――ちょっくら許してやっても、いいとさえ思える。


「記憶を消すって――罪を切るって、どうすんだ?」

「この鎌で、あなたを切るの――先輩から借りたこれ、すごいんだよ。身体と魂を傷つけることなく、記憶と感傷のみを切ることができるの」


 俺はじっくりと、お前が握っている大鎌を見た。

 向こう側が透けて見えるほどに薄い赤色の刃に、ごつごつとした黒い柄。その柄には黄色い文字が彫られていたが……やはり、俺には読めん。どこの言葉なのか検討すらつかない。


「忘却体質『のこされた一枚いちまいかえで』」


 それが、この鎌の名前らしい。


「……体質って、なんだ?」

【固有体質】

【固有体質とは、シニガミが個別に持つ鎌のことである。シニガミはそれぞれ違った体質を生まれつきで持っている。姉ならば『予報よほうはずれの解答かいとう』、我ならば『一人ひとりあるきする考察こうさつ』。鎌とはシニガミの命そのものだが、他人に貸し出すことも可能である。……実を言うと、先輩が本当に貸して下さるとは思いもしなかった】


 要するに、超能力ってことか。

 へぇ、おもしろいモン持ってんじゃあねぇか。


「でも、そんなに便利でもないんだよね。この鎌。切るためには、いくつか条件がいるの」

「条件?」

「ひとつ、切る対象が生きていること。ふたつ、切る対象が許可すること」


 それが、罪悪感を切る条件。

 切る対象が生きていること――あぁ、なるほど、それで戦争中は使えなかったんだな。

 そして、許可がいる。

 それはつまり――


「つまり――あなたの許しがいる。あなたが許さないと――私は、切ることができない」

「…………そりゃあ、不便だな」


 そりゃあ随分と――不便な鎌だ。

 選択権は俺にある。

 無間地獄に落ちるか、記憶を無くすか。今年の冬に死ぬか、十五年は生き延びるか。余命一ヶ月は狗尾と過ごすか、余生十五年を狗尾と暮らすか。すべての責任を負うか、罪悪感を余すことなく捨てるか。拒絶するか、切られるか。自分を罰するか、許すか。

 人間の頃とは違い――猫である俺には、多くの選択肢が与えられた。

 しかもそれら選択肢が、たった一言で決まるっていうんだから。

 多くの読者は、俺がここで長く深く熟考すると思っているだろうな。

 でも、そんなに難しく考えることもなかった。


「しゃあねぇな、許してやるよ」


 俺がそう言うと、驚いたのか、三人のシニガミ達はお互いの顔を見合わせた。


「えーっと、え? そんなあっさり?」

「わりぃかよ、あっさりしてて」

「いや、いやいやいや、えぇ……? ほぼ即答だったよ? ほぼほぼ即決だったよ? もう、記憶が蘇ることはないんだよ? 運よく罪悪感だけが切れるとか、記憶はそのまま残ってたとか、そんな都合のいい展開は用意してないよ!?」

「そんなご都合主義な展開いらねぇ……」


 マジでいらない。

 俺はもう、何回も何十回も何百回も、何時間も何日間も何年間も、罪を償うことだけを考えてきた。自分を罰することのみを行ってきた。いまさら、熟考するまでもない。今思えば、この選択肢を選ぶために、シニガミに切られるために、頑張って生きてきたのだろう――と締めくくるのは、さすがに無理か。

 自分を罰するのは疲れたとか、他人の罪で苦しむのはもう嫌だとか、そういうわけではない。

 むしろ俺は、まだまだ自分を罰し足りないくらいだ。無間地獄なんかでは全然甘い。大叫喚だいきょうかん地獄じごくだろうと大焦熱だいしょうねつ地獄じごくだろうとなんだってばっちこい。

 それに俺は、他人の罪で苦しんだ覚えはない――すべて俺自身の罪だ。シニガミに暴かれたくらいで、糾弾された程度で、俺の思考回路は治らない。いや、故障しない。

 でもまぁ、別にいいじゃん。

 自分を罰するなんかより、飼い主と共にいるほうが、ぜってぇ魅力的だ。

 あいつを泣かすのは、もう少し先でいい。


「……後悔、しないでよね。約束だよ」

「残念だがぁ、約束しても守れねーな。今から、忘れるからな」

「…………約束だよ?」

「あー、はいはい。覚えとくよ――後悔はもう、すでにだっぷりとしてある」


 高校二年生の時から、ずっとな。

 だがそれも、今夜で終わる。

 いや……今朝終わる。

 窓の外を見ると、空色の空が広がっていた。山と空の境界線があわい。夜明けだ。


【刻限】

【刻限とは、物事を終わらせなければならない時間が近づいていることである。……簡潔に言うとタイムリミットだ。もう少し説明したいところだが時間がない。ゆうゆうと急げ】


 ……そういえば、タイムリミットってなんのことだ? シニガミが人間の世界にいれる時間が決まっているのか? 三分が過ぎると石になるとか。


「だそうだ。さっさとやってくれよ」


 俺はお前に頼んだ。


「……うん。さっさと――ちゃっちゃとやっちゃおっか」


 私は、ゆっくりと立ち上がった。


「………………」


 お前は鎌を持ち上げ、そこでスッと止まった。


「……おい、さっさと切れよ。こっちは準備できているんだ」


 私は、尋ねる。ちょっとした気まぐれのつもりだった。


「ねぇ……あなた。切られる前に何か――最後に何か、聞きたいことある?」


 俺は少しだけ考え、まっさきに思い浮かんだことを聞く。


「そうだなぁ……」


 あなたの質問は、最後の質問だけは――見透かせなかった。


「何でも聞いてよ――何でも答えるよ。こう見えて、シニガミなんだから」


 俺は質問する。質問しといて、余計に気になった。


「お前は――なんで、シニガミになったんだ?」


 そんなことを聞かれるだなんて、見透かせるはずもなかった。


「なんで――なのかな。起きたらシニガミだった、って感じ――目を開けたら鎌を握っていた、のかな。どうなのかな――確か……二十一年前なんだよね、私が私になったのは――私にも、よく、わからないや」


 お前はそこで、いやらしい笑みを浮かべた。追究などできるはずもなく、追及なんかもってのほかだ。


【残り三十秒、一、ニ、三】

【急げ】


 姉と兄が急がす。もう、時間はない。


「だそうだから――バイバイ、あなた」


 お前は別れのあいさつを言った。飼い主以外の誰かにあいさつを返すのは――実に、二十一年ぶりだ。


「また会おうな――それまでは、バイバイだ」


 私は鎌を握り直す。


【四、五、六、七、八】

【着々と急げ】


 お前の目を見直す。


【九、残り二十秒、一、ニ、三】

【いそいそと急げ】


 あなたを見下ろす。


「…………痛かったりしねぇよな?」


 俺はゆっくりと目を閉じた。


「大丈夫、上手に切るから――」


 あなたに、私は忘却体質『残された一枚の楓』を――


【四、五、六、七、八、九】

【そして】


 お前は赤い鎌を力強く握りしめ、俺に――


【残り十秒――】

【世界は――】


 振り下ろした。


【一、】


【動き出す】



 ――



「――――狗尾!?」


 全員の視線が私に集まります。

 私、空耳そらみみ 狗尾えのころは見てしまいました。

 私の部屋で、黒いマントを羽織ったなぞの三人と、床にだるまのように倒れこんだ猫さんを。

 なぞの三人のうち一人、水色の髪を持つ女の子は、赤い鎌を振り下ろす寸前――いや、真っ最中でした。

 私は頭を深く下げ、懇願しました。


「お願いします、猫さんを連れて行かないでください――私の、大切な家族なんです――!」


 どうしてかはわかりませんが、反射的に、本能的に危機感を覚えて、不安に思って、このままでは――猫さんが消えてしまいそうだったから。どこか遠いところに行って、そのまま帰ってこないかもしれない――。

 そんなのはいやだ。


「――――ッ!?」


 水色の女の子が驚愕きょうがくしました。頭を下げていたので前は見えませんが、そんな気がしました。察しました。

 猫さんを切る直前、刃が猫さんの身体に食い込む寸前――赤い鎌が白く変色しました。白いツタが、白い粘菌が、赤い刃を覆って――います。


【九、十、時間切れです】

【時間切れとは、残りタイムリミットが完全になくなったことである。それは即ち――運命うんめい歪曲わいきょく失敗である】


 きれいなお姉さんと平凡なお兄さんは言います。この二人は何を言っているのか、私にはよく分かりませんでした。


「…………あぁーあ」


 水色の女の子はまじまじと鎌を見ていましたが、やがてため息をつきました。


世界せかいとの約束やくそく、かぁ……」


 いや、本当に何を言っているのでしょう、この子。“セカイ”という名のお友達でもいるのでしょうか。


「おい、切らねぇのかよ……?」

「仕方ないじゃん。世界との約束やけん」

「あ? んだよ、それ」

「昔、馬鹿なシニガミがいてね――そいつが、狗尾ちゃんと約束しちゃったのよ。三年前、世界を仲立ちにね」

「……意味わかんねーよ」


 私にも分かりません。シニガミと約束した覚えなんてありませんし、この人達がシニガミだと今気付きました。


「この白カビはね、世界からの警告なの。『約束破ったら、お前がこうだぞ』っという、めちゃくちゃ恐ろしい警告」


 猫さんは目を丸くして、じっと鎌を見つめます。


「まぁ、実際に、こうして発動するのは極まれなんやけどね――世界は、自由で自由主義な気まぐれ者だもんねー」


 魔法カードの話でしょうか。


「……で、どうすんだよ」

【帰宅】

【帰宅とは、住み家とする場所または元いた位置へと戻ることである。この世のほとんどの人々は、帰宅するために働き帰宅するために歩いている。帰宅する所を持たない者であっても、かつては持っていたしやがて持つようになる。帰宅とは、生きる根本そのものであると言える。無論、生きない者も、例外ではない】


 そういうと、お姉さんとお兄さんの二人は、開かれていた窓から身を乗り出し……そして飛び降りました。水色の女の子も、鎌を担ぎ窓へと向かいます。


「お、おい……! マジで帰るのかよ!?」


 猫さんは立ち上がってシニガミたちの後を追いかけようとします。私は猫さんを抱いて持ち上げました。ずっしりと重かったです。


「おい、狗尾! 放せ、放せっつってんだろ!」


 放しません、決して。

 水色のシニガミさんは窓の縁にピョンと両脚を乗せ、振り返って言いました。


「残念だけど、世界には逆らえないんだよね。気まぐれなクセに頑固なんだから」


 猫さんは、私の腕の中で暴れながら叫びました。


「おい待て、シニガミ! 俺は、俺はこれからどうすればいいんだよ!? お、俺は、どうすれば――!?」

「さぁねー。私にも分かんないや。でも確かなのは、あなたは冬に死ぬ、ということくらいやね」


 猫さんは暴れてシニガミさんが去るのを止めようとします。私は猫さんが抜けないよう、強く抱きしめました。

 猫さんが暴れながら叫ぶ中、その子はこう言いました。


「ではでは、皆さんお疲れ様でした! キュートでラブリーなシニガミちゃんはこれにて撤退いたしますッ! それでは、バイビー♪」


 そして飛び降りました。

 猫さんは私の腕から抜け出し、窓へ走っていくと、縁のところで足を止めました。縁に四本足で立って、しばらく外を睨んでいると、ペタンと腰を下ろします。おまけに大きなため息をひとつ。

 本当になんとなくですが、外では三人のシニガミたちがマラソン大会並みに走っている気がします。

 部屋には、猫さんと私の二人が……一匹と一人が残されました。

 リビングでは、母がいびきを豪快にたてながら寝ています。

 ……しばらくは、お互い沈黙していました。

 外から、小鳥のさえずりが聞こえます。

 車の走り去る音が聞こえます。

 私は、沈黙に耐えきれず口を開きました。

 口を開いたものの、何を喋ればいいのか、何と話しかければいいのか、よく分かりません。

 私が金魚なみに口をパクパクさせていると、猫さんが外を眺めたまま言います。

 私に言ったのか、独り言ちたのか、それすら分かりません。

 私には、何もわかりません。


「本当に……酷だよなぁ」


 こうして、三毛猫は重荷を捨てることなく、冬に命日を迎えることとなった。

 その命日が来るのは、この日から三十日と二十二日後――即ち十二月二十二日である。その日は惜しくもクリスマスの三日前。

 せっかくだし、ちょっと早いけど先にクリスマスパーティーを済ませてしまおう、どうせならクリスマスイウ゛も同時進行で楽しんじゃおう――と展開は、残念ながら、ない。

 そんなハッピーエンドなど、誰も望まない。

 この先にあるのは波乱万丈はらんばんじょう極悪非道ごくあくひどう鬼畜きちくな鬼ごっこ。

 最終章にして第四章、Catch one's death! ≪フユ≫が始まるのは――まさしくその命日である。

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