後編

 一人の女性と何人かの男は祠の裏へと消えていきました。

 その女性の悲鳴も消えました。

 男たちの声は消えませんでした。聞きたくありませんでした。

 やばい。

 マジでやばい。

 私は――空耳そらみみ狗尾えのころは本能的にそう思います。

 「狗尾ってキラキラネームだよね」って、友達から言われたことがありますが、決してそんなことはありません。ちゃんと『狗尾』と書いて『えのころ』と読みます。パソコンとかでは『えのころぐさ』と入力して『狗尾草』に変換できます。

 それはさておき。

 たった今、何人かの男たちが一人の女性を無理やり木の建物の裏へと連れ込みました。真夜中に。山奥ところか山頂で。

 私の危険信号が黄色をチカチカと点滅させます。

 何があったの?

 そもそも何かあったの?

 どうすればいいの?

 私は説明を求め、隣の猫さんへと目を向けました。

 そこには――知らない成人男性がいました。

 デブ猫ではなく――大柄な体格をした男性が、ベンチの上に立っていました。

 ここでの『大柄な体格』とは、お腹が出ていて脂肪をたくわえた体、という意味ではなく――肩幅があって、筋肉のついた体、という意味です。

 殴られたら痛いでしょう。

 蹴られたら痛いでしょう。

 の千切りみたいな頭をしていました。

 垂れ下がったわかめが――髪が顔中を覆っていて、表情は見えませんでした。でも怒っているのは分かりました。怒っているのを察しました。

 見開いた目が、虚ろな目が、髪と髪の隙間から覗いていました。

 逃げなきゃ。

 逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ。

 でも、でもでもでも、あの人、助けないと。

 誰かは知らないけど――助けないと。

 バッグの中に、『あれ』、あるから――『あれ』さえあれば、助けれる。でも、取ろうとしたら、この人に殴られるかもしれない。

 と。

 私はそんなバカげたことを考えました。

 この男性が私のバッグの中身だなんて知るはずもないし、そもそも『あれ』さえあればすべて解決する保証なんてありません。

 それでも私は、どうしたら『あれ』を使えるかだけを考えていました。学校で、部活で使っている『あれら』と近い形をした『あれ』を、どうやら私は過剰に信頼していたようです。

 そうだ。

 猫さんだ。

 猫さんに取ってもらおう。

 猫さんは猫だから、こう……じゃれているふりをして、うまいこと『あれ』を取ってくれるはず……。

 どうせなら猫さんに『あれ』撃ってもらおう。

 猫さん、器用だし。猫の手でPCゲームとか普通にするし、結構上手いし。

 猫さん、猫さん猫さん猫さん。

 ねぇ、どこ?

 いないの?

 どこにも?

 逃げたの?

 私を置いて?

 狗尾も逃げるだろ、とか思って逃げたの?

 猫も逃げる状況なの?

 ヘタな嘘をついてまで――この町には酒屋もラーメン屋もない――落ち込んだ私を励ましてくれたのに?

 猫さんも逃げる状況なの?

 だったら――逃げないと。あの子は――大丈夫でしょ。誰か、助けてくれる、はず。すぐ近くでお祭りしているから、誰か来るよ。うん、来る、よ? 声も、悲鳴も怒号も、聞こえた、よね?

 あれ?

 あれ――れ?

 私、本当に逃げて大丈夫なの?

 うん――大丈夫だよ。

 私には現実逃避みなかったふりしかできないもの。

 と。

 私はそんなことを考えました。私はそう判断しました。

 私はそう判断し、右側を、男性とは反対側にある石階段の方へと走ろうとして、腰を浮かしました。

 私の判断を――馬鹿げていると受け取るか、愚かだと受け取るかは、読者みなさんに任せます。

 受け取りを拒否しても構いません。

 だって、


「待ちな――狗尾。逃げるには早すぎる」


 猫だって拒否したのですから。

 そのハスキーな聞き覚えのある声に反応して、反射的に反応して、左側を振り返ると――そこには猫さんがいました。

 あの、わかめの千切りみたいな頭の男性はいませんでした。

 どこにも見当たりませんでした。

 見えるのは、祠と木々と草々と土と夜の町と黒い空と黒い雲と白い月と三色の三毛猫だけでした。

 猫さんがやっつけたのでしょうか? 猫さんが食べたのでしょうか? 妖精の魔法で消し去ったのでしょうか?


「ね、猫さん。いいいっいいっ今ね、おおおおっおお大きな男が――」

「よく聞け狗尾。落ち着いて聞け。お前は山を降りろ、降りて役所の前にある交番に駆け込め。そして今見たすべてを話せ。そして連れてこい」

「え? でも猫さんは――」

「わかったか? 狗尾」


 猫さんは真面目な、あるいは神妙な面持ちで言いました。猫なのに。

 わからなかった、とは言わせない強い迫力がありました。猫なのに。

 私は心配心を完全に否定されましたが、でも、任務のようなものを与えられたからなのか、不思議と安心させられました。

 私のちりちりに散らばっていた思考が、心が、猫によって与えられた一つの任務に向け、一つに収束するのが分かりました。

 猫からの任務内容『警察を連れてこい』。

 山を降りて交番に行って警察に助けを求める。

 困惑している女子高生にとっても、分かりやすい任務でした。

 猫さんは犯人達(何の?)が逃げないように、ここで見張るつもりなのでしょう。むやみに助けに行けば、犯人達に容易く逃げられるでしょう。複数の男達vs女子高生一人(あるいはもう一人。女子大生でしょうか)とデブ猫一匹では勝ち目がありません。私たちの方が。

 猫さんは賢いです。

 ですので私は、そんな賢い猫に四の五の言わず、素直に、迅速に従うべきでした。

 そうしていれば、犯人らは警察の人に捕らえられていたでしょう。

 そうしていれば、私はあんな酷い目に合わずにすんだでしょう。

 そうしていれば――猫さんも、死なずにすんだでしょう。

 そうしていれば――猫さんも、もう少し生きれたでしょう。

 そうしていれば――クリスマスも、楽しく過ごせたのでしょう。

 しかし私は、わがままな私は、猫さんに四の五の言うのでした。


「……わかった。で、でも、その、警察の人には何て言えばいいの?」


 そのくらい自分で考えろよ、えのころ

 今の私はその時の私に失望を隠しきれません。

 失望しましたよ、狗尾わたし

 そして猫さんは、今は亡き猫さんは、そんなわがままな私に優しく、状況説明も兼ねて教えてくれるのでした。

 わかりやすく。やさしく。

 残酷なくらい、やさしくわかりやすく。


「女の子が襲われている」


 猫さんは真っ黒な何かを込め――否、真っ黒な何かを隠しきれずに、溢れ出させながら言いました。

 襲われて。

 襲われて。

 襲われて――強姦?


 【強姦】ごうかん。

 暴力または脅迫などを用いて、強制的に性行為をおこなうこと。


 その言葉が、私の脳の中でくるくるくるくる回りました。

 くるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくると回った結果――私は駆け出しました。

 石階段の方ではなく――祠の裏へと。


 私は私に失望せざるを得ません。

 この時の私の心境は、今の私には分かりません。思い出せません。

 しかし、この時の私の心境をうまく表現してくれる、そんな魔法の言葉があります。ありきたりな言葉ではありますが……この時の私をぴったりと言い表す、不気味な程にぴったりな言葉があるのです。

 この言葉を考え出した名も知らぬ誰かも、こういう心境だったのでしょうか。

 ありがとうございます、名も知らぬ誰か。

 あなたのお陰で、大変多くの作家らが助かりました。

 衝動しょうどうられ――


 衝動に駆られ、私は駆け出しました。

 バッグを片手に。

 後ろから猫さんの呼び止める声が聞こえてきます。しかし、ほぼ何も考えていないのと同然の私を止めるまでには至りませんでした。

 今度は猫さんが、私を追いかける番でした。

 祠の裏には、複数の男と一人の女子大生がいました。

 男どもはざっと見たところ、四人。

 どいつもこいつも私なんかには気づいていません。

 男どもは女性を地面に押し倒していて、女性のワイシャツに手をかけていて――


「        」


 私は何かを言いました。言った気がします。怖くて声が出なかったのか、喋ったら声と共に黒い何かが――喉の奥の黒い怪物かいぶつが溢れ出そうになったのか。

 聞こえなかったのか、夢中になっているのか、男どもは振り向きもしません。


「おい狗尾――!」


 追いついた猫さんが何か言おうとしましたが、私はそれを行動で遮りました。

 真っ直ぐ見据える暇もなく――バッグから『あれ』を取り出し、安全装置を外し、引き金を引きました。『あれ』は警鐘けいしょうを鳴らしながらも高圧電流の塊を吐き出します。

 私が放った高圧電流は真っ直ぐに飛び、四人のうち一人に直撃しました。

 直撃する際に、一人を吹っ飛ばしながら拡散した電流が他の二人を襲います。巻き込まれた二人は筋肉と神経をめちゃくちゃにかき回される感覚に襲われ、その場でもがき苦しみます。直撃を受けた一人は、落下地点で微動だにしません。死んではいないでしょう、たぶん。もう一人は――既にいませんでした。白髪だった気がします。

 『あれ』。

 通称『あれ』。

 略称『未成年みせいねん保護目的ほごもくてき拡散型電流かくさんがたでんりゅう開放装置かいほうそうち』。

 正式名称『未成年みせいねん保護ほご目的もくてきとして支給しきゅうされる拡散型かくさんがた電流でんりゅう開放かいほう装置そうち』。

 六年前、世界規模で犯罪が急増した時がありました。

 その際に世界各国から「未成年に身を守るすべを与えないとは何事か」と非難を受けた我が政府が未成年限定で支給したのが、この、銃型スタンガンです。

 最初に支給された当初の名は『自己防衛用電撃銃じこぼうえいようでんげきじゅう』でしたが、危険すぎると国民から批判が相次いだので、色々と改名やら改造やらされた結果、『未成年の保護を目的として支給される拡散型電流開放装置』に落ち着きました。

 一部を除いた学生たちには不人気です。テストに出るので。


「…………あ?」


 あ。

 私があれを撃ってから男どもの悲鳴が治まるまで、ずーっとあんぐりと目と口を丸くしていた猫さんがようやく発した言葉は「あ」でした。

 知らなかったのでしょうか。

 あの人は――私よりも年上であろう若い女性は……気を失っていました。

 …………。

 …………。

 未遂、です。

 私は何故か全身から力が抜け、その場に倒れこみました。

 尻餅をつきました。その動作に女子っぽさは皆無です。女子っぽさを意識しているつもりはありませんが。

 猫さんはそんな私の横を通りすぎ、テクテクとあの女性へと向かいます。

 二足歩行で。

 気を失ったあの子をじっくりと目視で検査した結果、猫さんは私に言いました。

 いや、私にではなく、自分に?

 独り言のようです。


「両腕両足、肩にあざができたな。出血はかすり傷、のみか? 頭を打ったわけではなさそうだ。だとすると……急激な電圧による失神だな。心拍停止はしていない。息もある。脈が怪しいが……死ぬほどではないだろ。110番に通報だな。救急車は警察に任せる」


 独り言を終えたらしき猫さんは私へと振り返ります。


「110番に通報しな、狗尾。警察呼べば救急車も来る。……お前、それ何だ?」

「え? えっと、これは――」

「いち! いち! ゼロ! しやがれ!」

「あっはい!」


 私は慌てて携帯電話を取り出し、110へと通報しました。

 110に電話をかけるのこれが初めてで、質問に対してぎこちない返答をした上に最後はほとんど勢いに任せてしまいました。生まれて初めての経験を堪能している場合ではないことぐらい、さすがにこの時の私にも分かります。


「……通報、した」

「そっか。あとお前噛みすぎじゃあねぇか?」

「だって初めて通報したし……」

「平和酔いしてんじゃねぇよ。……あとお前、それなんだ?」

「え? えっと、これはあれ」

「あれで分かるわけねぇだろ」

「えーと……国から未成年限定で支給される、スタンガン?」

「国から!? 未成年限定で支給される!? スタンガン!?」


 猫はこの銃のことを知らなかったようです。

 猫さんはこの銃が初めて公表されたときの民衆の反応を、そっくりそのまま再現しました。あるいは、この国へ初めていらっしゃった外国人のようなリアクション、です。

 六年前に支給されたこの銃も、いまではすっかりと定着しましたが、本来はこの反応が正しいのでしょう。


「え? 何? この時代そんなに治安悪いの!? 未成年にスタンガンが支給されるほどに!? 国は何を考えてんだ? 他に取れる政策があったはずだろぉお!? ってか、ええぇ! スタンガンなのそれ!? さっきの威力で!? 危うく山が焼けるところだったぞ!? ってかてか、祠まで焦げちゃってんじゃあねぇかあぁ! ほブォア!? こんなこと日常茶判事なの!? すっげー平和そうに見えたけど裏ではこんなことありまくりなの? ここはマシな方で、え? 都会の方は世紀末状態なの!? 俺が死んでいる間に何が起こったんだぁあああああ!!」


 流石に慌てすぎです。

 こんなことがありまくりでは黙ったもんではありません。

 すっげー平和そうに見える通りにすっげー平和です。

 ……たぶん。

 ところで、死んでいる間に、とは……?


「いやいやいや、世紀末って程ではないよ、全然。六年前に犯罪が急増したことがあったけど今は――あれ?」

「あ? 六年前って――あん?」


 いませんでした。

 高圧電流に直撃した男は相変わらずくたばったままでしたが――拡散した電流に巻き込まれた二人の男は、姿を消していました。

 四人のうち、三人にまんまと逃げられました。

 私はこの夏の日、犯人らを逃がしたことを、逃がした罪を、一生背負うことになります。

 嗚呼ああ、遠くからサイレンの音が聞こえます。

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