中編

 その後、景品に砂を詰め落とされないようにしていた射的のおじさんは警察に連行されることとなった。野次馬の誰かが通報したのだろうな。

 狗尾は少し前までは「え、え? 警察来た!? やばいやばい。まじぱないの」と騒いでいたが、今はぐったりとうつむいている。射的を本気で楽しみにしていたらしく、本気で楽しんでいたらしく、こんな事態になってしまいショックを受けたようだ。先ほどまでは無理をして明るく振舞っていたのだが……その気力も失せたな、これは。


「おい、狗尾。なーに萎えてやがるんだ?」

「……あ、うん。大丈夫だいじょうぶ。元気はつらつだよ、うん」

「萎えてんじゃあねーか。なーにが元気はつらつだ。やめろ、俺まで萎える」

「……妖精って、萎えるの?」

「萎えるに決まってんだろ。S2機関があるわけじゃあねぇんだ」

「へえ……」

「…………」


 だめだこれ。

 彼女に振られて一週間経った男みたいになっていやがる。女だろうがでめぇは。

 ……さて、どうするか。

 俺の責任でもあるからな……うーん、|独(ひと)り|言(ご)ちたい。どうにも頭が回らねぇ。射的で強く頭をぶつけたからか? だとすればあの警察に傷害罪も訴えとけばよかったな。いや、動物愛護団体にか?

 ……考えろ、考えろ、考えろ。

 どうすれば狗尾を元気付けられる?

 どうすれば狗尾を励ますことができる?

 そもそもお前、誰かを励ませられたことがあんのか?

 責任を果たせ、お前。


「……おい、萎え萎えの狗尾」

「萎えてないってば」

「俺様特設の席へと案内してやるよ。|萎狗尾(なえのころ)」

「萎えてないって言ってるでしょ」

「おお、怖え怖え。……来ないなら置いてくぞ」


 俺は狗尾の腕からするりと抜け出し、駆け出した。

 猫らしく。

 後ろから狗尾の「猫さん、ちょっと待って! 置いていかないで!」という声が追いかけてくる。だーかーらー、おめぇは振られた男かっつーの。

 俺は祭りを楽しむ人々の足々の間を縫うように走り、神輿の下を通りすぎる。

 さーてと、まだ残っていればいいのだが。

 なにせ、あの席を特設したのは、もう三十四年も前のことなんだぜ?

 残っているほうが奇跡というものだ。

 俺は走って走って走り、やけに立派な――この町でもっとも大きな建物だ――役所の前を通り、やけに小さな――この辺りでもっとも小さな――山を見上げた。

 最後に見たのが……三十一年ほど前か? 相変わらず登りにくい石階段、相変わらず崩れそうな鳥居、おそらく相変わらずだろう|祠(ほこら)。町は少し変わったが、これからも変わるが、ここは変わらねーな。

 後ろを見ると、狗尾が息を切らしながら山を見上げていた。俺と同じように。


「ぜぇはぁ……ぜぇはぁ……猫、猫さん、こ、こここ、ここなの?」

「息切れすぎだろ」

「ここ……なに?」

「来た事ねーのか?」

「横を通ることはあるけど……え? まさか猫さん、ここ、登るの?」

「あったりめぇだろ?」


 俺は石階段を駆け上がり、鳥居をくぐる。

 鳥居をくぐったら異世界とか、時空を超えるとか、そういうのはないぜ?

 人が登るために設計されたとはとてもじゃあねぇが思えない石階段を登り、頂上に着くと、ちょっとした広場が現れた。その広場を見張るように、固く閉ざされた祠が鎮座している。そして、広場のふちに質素なベンチが置かれていた。祠に対して背を向けている。

 三十四年前、俺が勝手に置いたベンチだ。

 俺が人間だった頃、最後に来たとき、このベンチには何も塗られてなく、ニスすら塗られてなく、木の自然感あふれるオーラをぶっ放していたのだが……。

 俺がいない間に何が起こった?

 茶色に塗られていた。

 茶色というよりは……チョコ色か?

 ご丁寧にニスまで塗られてやがる。こんなことをしでかすのは、この町にある高校か、この町のはずれにある中学校くらいか? 学校の特別授業として塗ったのだろうなぁ……。

 不良が塗ったとは考えにくい。

 治安はめちゃくちゃいいのだ、この町。先ほどは警察を呼ぶ騒動になってしまったので、説得力は皆無なのだが。昔に一度だけ大きな事件が起こったりはしたものの、普段は軽犯罪すら起こらないほどに安全な町だ。壁に描かれるラクガキはせいぜい、小石か鉛筆で描かれたものである。

 そもそも、こんなに丁寧に塗る不良なんていないだろう。

 そう考えると(思い出すと)、狗尾があれほど落ち込むのも無理はないな。

 犯罪に対する耐性がない。

 悪事に対する免疫がない。

 だって田舎だもん。

 俺はチョコ色に染まったベンチに腰を下ろした。人間のように。

 ……今度は手作りオーラをぶっ放してやがる。

 狗尾は運動が苦手なわけではなかったらしく、思ったよりもすぐに追いついてきた。


「わ……。こうなってたんだ、ここ。あ、もしかしてこの祠、猫さんの?」

「んなわけあるか。狗尾、ここに座ってみな」


 そう言われた狗尾は俺の隣に腰を下ろした。

 二人とも、否、一人と一匹は祠に背を向ける形になる。


「…………えっと、それで?」

「それでって、何がだ?」

「座ったけど?」

「おいおい、狗尾。俺の話聞いていなかったのか? 俺は座ってみなって言ったんだ――座って見なって言ったんだ」


 この町を見下ろすには――最高の席なんだぜ?


「わぁ……」


 狗尾は驚いたのか、感動したのか、間を繋ぐために口を開いたのか、そんななんとでも取れそうな声を漏らした。狗尾が見たのは――

 夜の町だ。

 夜の町が広がっていた。

 屋台と人々で埋め尽くす広い一本道が、この山へと向けられている。俺らへと向けられている。神輿も見える。その一本道から|数多(あまた)の細道が枝分かれし、町じゅうへとめぐらされている。細道を点々と照らす|家々(いえいえ)。祭りだというのに、家の中で何をしているのだろうか。

 『星の生る木』だ。

 これを最初に見たとき、俺はそう思った。

 人間として生きていた頃に読んだ作品の中に『星の生る木』というものが登場する。

 その『星の生る木』がどういったものなのか、今では思え出せそうにない。

 それが登場する作品の名すら忘れてしまった。

 もの凄く感動し、読み終わった後はしばらくの間ぼーっとした記憶はある。

 どうして忘れてしまったのだろうな。

 いまさら独り語ちたところで、記憶は蘇らない。

 クズが猫として蘇ることはあるけれども。

 夜の町を見下ろして狗尾は何を思うのだろうか。

 何を考えるのだろうか。


「あそこが、さっきの射的のところだな。あの緑色の屋根、見えるか? 昔、喫茶店があったんだ。何度も青い屋根のほうが似合うって助言してやったんだが、頑固な野郎でな。今は老夫婦が住んでいる。結構うまかったんだぜ? アイツの抹茶パフェ。あの全身緑色野郎、今はどこでなにをやってんだろうな。元気にしているといいんだがな」


 俺は猫の指で示しながら説明してやる。

 猫の目なので視力は悪いものの、まあ、だいたいこのあたり。


「あの、あーくそ、役所が邪魔だな。赤い屋根がはみ出ているの、見えるか? 昔は小学校だったんだが、今は高校になっているな」

「あー、あそこ、私が通っている学校。ん? 青色だよ?」

「青だぁ? ……色変えたのか。昔は赤だったんだが、今は青なんだな」

「昔は赤い屋根だったの?」

「そう、赤い屋根だった。なんで青い屋根にしたんかな? 赤い屋根もかなり気に入っていたのによ。てかお前、あの学校だったのか。……で、あの白い屋根は図書館。新設したな。黄色が酒屋、茶色がラーメン屋だ。食ったことぁないけどな。食っとけばよかったな、あそこのラーメン。好きだった女子が紹介してくれたんだ。……今のは蛇足だな、忘れろ」

「猫さん、妖精なのに好きな子いるの?」

「忘れろってば。妖精だって恋には落ちる。んで、ラーメン屋の前に大きな鳥居があるの知っているか? ここからじゃあ見えねぇな」

「あの、石の鳥居でしょ?」

「そうだ。俺よ、昔はあの鳥居が苦手だったんだよ。なんか暗いし、鳥居の向こう側はよく見えねーしよ。まぁとにかく、俺は苦手なんだよ。あの石の鳥居がよ」

「ほへぇー、怖いんだ?」


 狗尾は顔を町から俺のほうへと向けると、にやぁとして言う。

 いじわるな笑顔だ。何度も見たことはあるが、こればかりは慣れそうにない。

 そして、元気な証でもあった。


「怖くねぇよ! おめぇは行ったことあるか? あの石の鳥居の向こう側」

「えーと、ない。何があるの? 向こう側」

「知らねーよ。だからお前に聞いたんだ」

「何があるんだろうね、向こう側。いまから一緒に行く?」

「それは……愚案だな。遠慮するぜ」

「えぇ……。やっぱり怖いんでしょ?」

「違っげーよ! 怖いんじゃなくて苦手なんだよ!」

「じゃあ行く?」

「……いつか、な」


 俺がそう言うと――そう約束すると、狗尾はそれで満足したのか、また町のほうへと向き直る。そしてしばらくは、二人とも――否、一人と一匹はそれ以上言葉を交わすことなく、夜に包まれた町を見下ろしていた。

 こうしていると、俺は俺が死んだことすら、俺は俺が猫に転生したことすら忘れてしまいそうになる。

 どうしたのだろうな、俺の頭。

 人間だった頃はこんなことはなかったのによ。

 さすがに、隣の飼い主のことまでは忘れないけどな。

 あぁ。

 ああぁ……くそ。

 めちゃくちゃ居心地がいいじゃあねぇか。

 だが、いつまでも町を見下ろしているわけにはいかなかった。

 狗尾は明日、学校に行かなければならないし、寝坊して遅刻でもしたら大変だ。俺は……散歩という重大な日課がある。そういやぁ、シニガミのヤツ、あれから会ってねぇな。冬になったら会えるのか?

 先に沈黙を――心地よい沈黙を――破ったのは狗尾だった。

 大きく背伸びをして、俺に言った。


「ねぇ、猫さん。ひとつ、聞いていい?」

「いくらでも聞けよ。この町のことなら大抵答えてやる」

「猫さんって、どこから来たの?」


 予想外すぎた。

 予想外すぎて困惑してしまった。

 一瞬、その文の意味を理解しかねる。だが、理解するまでもなく、意味は「猫さんって、どこから来たの?」だった。

 最初に言葉を交わしたときもそのようなことを聞かれたが、そのときは「俺ちゃん妖精!」ということにしたのだ。この話はここでおしまい、なのだと俺は思っていたのだがな。

 こいつ、さっきからずっと、それを考えていたのか?

 否。

 俺と風呂場で遭遇したときから、それを考えていたのか?

 否否否。

 俺を拾ったときから、それを考えていたのか?

 笑顔でぎゃんぎゃん喚きながら、俺が何者なのかをずっと疑っていたのか?

 拾ってくれた際も、言っていたよな――猫さん猫さんどこから来たの?

 何故?

 何故みんな俺を疑う?

 もそうだった。

 、誰も俺の言うことを信じちゃぁくれなかった。

 、誰かが俺のことを信じてくれたら、みんなバラバラにならずに済んだのだ。

 狗尾も、狗尾も俺を疑うのか――待て。

 待て、待て、待て。

 否、否否否、否否否否否否否否否、否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否――いな

 違う。

 違うんだよ、俺。

 人が人のことを気にするのは、普通のことなんだよ。

 人が人のことを知りたがるのは、当たり前のことなんだよ。

 捨て猫を心配し、何があったのか、どこから来たのかを知りたいと思うのは、当たり前のことだ。落ち着け、俺。狗尾は俺のことを疑っているんじゃあねぇ。好奇心で聞いているんだ。|猜疑心(さいぎしん)じゃあねぇんだよ。お前のようなクズと一緒にしてんじゃねぇ。俺が妖精だというのは、流石に信じていないだろうけれども。

 落ち着こう。

 落ち着くんだ。

 人の好奇心を――心配心をへたに拒んで、あの女と同じことを繰り返すな。

 被害妄想が強すぎる――お前の悪い癖だ。


「なんで、それを聞くんだ? 狗尾」

「だって猫さん、やけに詳しいもん。この町のこと。私、この町には産まれたときからずっと、十七年間もここで生活していたのに、こんな隠し場所があるって知らなかったもん」


 なるほどな。

 なるほどなぁ……。

 さてさて、どうしたものか。

 正直に告白してやっても(俺が元人間であること。俺が猫に転生したこと。俺がこの町で育ったこと)、俺は別にいい。俺には何の害もない。

 問題にすべき問題らしい問題点は、シニガミだ。

 あいつはどう思う?

 俺はあのシニガミに口封じされた覚えはない。一切ない。巨大な鎌を喉元に突きつけられてニコっとされたこともないし、いきなり周囲の人々が血を吹きながら倒れ「警告だよーん」という幻聴が聞こえたこともない。

 姿を現したこと自体が口封じなのではないか、と考えた頃もあったものの(シニガミはいるよ、という口封じ)、やはり口封じと捉えるには弱すぎる気がする。

 転生したことを話そうとすると口が開かなくなるとか、魔女に心臓を愛でられるとか、そういう設定もありうるか?

 ……すっげー独り言ちたい。

 よし、狗尾に告白しよう。

 自白しよう。

 しかし、すべてを話すとガチで、シニガミがガチで仕事をしに来る可能性もある。

 すべてを話した俺を含め、すべてを聞いた狗尾まで殺される可能性は、決して低くはない。

 そこでこの俺、猫さんはこんな作戦を提示する。

 作戦名『|察(さっ)せよ』。

 重要な真実へと辿りつけそうな一部の情報へと繋がりそうな伏線を提供する作戦である。

 俺はすべてを言ったことにはならないし、狗尾もすべてを知ったことにはならない。シニガミが仕事しに来ることもない。おそらくは。だと良いなぁ。

 ではでは――作戦開始。


「あったりめぇだろ? だって俺――」


 仮に、分からなかったとしても、解らなかったとしても、だ。

 あの緑一色野郎に聞けば、余計な事まで教えてくれるだろうよ。

 頑固なくせに口は軽いんだ、あの野郎。


「だって俺――この町の名前を変えた張本人なんだぜ?」


 そのときであった。

 若い女性の悲鳴と複数の男の怒号が響いた。

 シニガミに仕事された狗尾の悲鳴と、それに対する俺の怒号――という訳では決してない。狗尾も俺も生きている。

 お祭り中である下の町で新たなる事件が発生した――のでもない。

 それに、悲鳴と怒号が聞こえたのは――


 ――後ろである。

 反射的に振り向いた猫と、驚いて振り向いた女子高生が見たのは――祠の裏に連れて行かれる一人の女子大生と、無理やり祠の裏に連れ込もうとしている数人の男だった。

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