【短編】軍神悪役令嬢~通りすがりの幽霊に体を貸したら、嫌味な婚約者とその愛人達に仕返ししてくれた~

来須みかん

一話完結

 目の前で、またおかしな茶番が始まってしまった。


「ロアンナなら、できるよな?」


 美しい笑みを浮かべながらそう言ったジークハルト殿下が私を見ている。私達の関係は婚約者だけど、こちらに向けられた瞳はとても冷たい。


 殿下が私を気に入らない理由は分かっている。私が殿下より年上なことと、髪色が黒だからだ。


 我がクラウチ公爵家の初代が異界の者だったせいなのか、我が家門に生まれた者は高確率で黒髪になる。だから、父も弟も私と同じ黒髪だ。


 私の瞳は明るい紫色だけど、華やかなものを好む殿下からすれば、瞳の色は関係なく、この暗い髪色を見るだけで気分が悪くなるとのこと。


 そういう殿下は金髪碧眼で、女性と見間違えてしまいそうなほど見目麗しい王子様だった。だけど、私から言わせてもらえば、殿下は線が細すぎて今にも折れてしまいそう。年齢が5つ下で私の弟と同じなこともあり、とてもじゃないけど、異性に見えない。


 私の理想は、同年代か年上で、見た目を重視する人ではなく、もっとこう仕事ができそうな人がいい……いえ、私の趣味はさておき、ようするに私達は婚約者でありながら、お互いのことをよく思っていなかった。


 それでも、政治的意味合いで、すでに成立してしまった婚約なのだから、愛はなくとも義務でそれなりに仲良くすればいいと思っていたのは私だけ。


 婚約が決まってからというもの、ジークハルト殿下は、事あるごとに私に嫌がらせをしてきた。


 しかも、すぐに分かるような嫌がらせではない。


「おまえは、将来私の妻になり王太子妃になる。だから、これくらいはできるよな?」


 そんなことを言いながら私に無理難題を押しつけてくるのだ。


 今だって、急に庭園に呼び出されたと思ったら、ジークハルト殿下のお気に入りの若い美人メイド達がずらりと並んでいる。


 美しく華やかなものを好む殿下らしく、この王太子宮に勤めるメイドは顔重視で選ばれている。

 そのせいか、メイド服を着ていても彼女達はキラキラと輝いていた。


 そんな彼女達を私は呆れた顔で見てしまう。


 ジークハルト殿下、今日はどんな無理難題を言うつもりかしら? まったく次から次へと飽きないの? 王太子ってヒマなの? 忙しいのは私だけ?


 心の中で深いため息をついていると、急に男性の声がした。


 ――うわぁ、すんごい美人がいるな……。


 声の主である男性の姿は見えない。


 普通なら驚くところだけど、実は私は幽霊の声が聞こえる。クラウチ家初代当主であるショーイチが、この世界に来たときに女神から祝福を受けたかなんかで、様々な能力を与えられたらしい。


 その能力は、子孫にも代々受け継がれていったのだけど、時と共に低下していき、今は私が幽霊の声を聞けるだけ。私以外のクラウチ公爵家は、幽霊に憑りつかれやすい体質だけど、それ以外なんの能力も持っていない。


 私は今まで幽霊の声が聞こえるなんて、うるさいし迷惑でしかないわ……と思っていたけど、ジークハルト殿下の婚約者になってから、この能力は大活躍した。


 なぜなら、ジークハルト殿下の無理難題を幽霊たちの協力で解決しているから。


 私は心の中で側にいるであろう男性の幽霊に『ちょっと、そこのあなた』と声をかけた。


 しばらくの沈黙のあとで『……え? 俺?』と戸惑う声が返ってくる。


『そうそう、あなた。私と少しお話しましょう』

『え? え?』


 戸惑いながらも男性の声が近づいてくるけど、やっぱり姿は見えない。


『あなた、お名前は?』

『ラ、ライズ、です』

『ライズさんね。私はロアンナよ』

『ロ、ロアンナ様……』

『様なんて、いらないわ』

『で、でも、どこからどう見ても、貴族のお嬢様ですよね?』

『まぁ、そうなのだけど。幽霊に様付けされてもね』

『ゆう、れい?』


 今までの幽霊と同じようにライズさんは動揺した。私はできるだけ優しい声を出す。


『残念だけど、あなたはもう亡くなっているの。亡くなったたましいは天国にいくのだけど、強い後悔がある者は地上に留まってしまう』

『お、俺が……死んだ? そんなこと、急に言われても……』


 ライズさんはブツブツと何か言いだした。


『……そうか、俺、あのとき階段から落ちて……打ち所が悪くて死んだ、のか?』


 どうやら自分の死因を思い出したようね。


『ライズさん、このまま地上に留まるといつか自我を失って悪霊になってしまうわよ』

『悪霊!?』

『そう。私があなたの後悔を取り除いてあげるから、代わりに私を助けてくれないかしら?』

『俺の、後悔?』

『幽霊は後悔を取り除くと天国にいけるわ』

『俺は……』


 深刻な声が聞こえてくる。


『一度でいいから……』


 難しいことじゃないといいのだけれど。


『……女性とお付き合いしてみたかった』

『んんっ!?』


 私の声で我に返ったのか、ライズさんが慌てている。


『その、俺、ド田舎で育って! 同じ年頃の娘さんがいなくて!』

『なるほど、田舎では過疎化が深刻なのね』


 私が正式に王太子妃になった際には、何か政策を打ち出しましょう。とりあえず、今は置いておいて。


『分かったわ。女性とお付き合いさせてあげるから、私に協力してくれる?』

『ほ、本当に!?』

『本当よ。男女の深い関係になるのは無理だけど、デートぐらいならいいわよ。手を繋ぐまでは許しましょう』

『マジか……』


 クラウチ公爵家のメイドに事情を説明したら、街でデートくらいしてくれるわよね。ちなみにデートのときは、私の体をライズさんに貸すから、メイドは私とデートをすることになるけど。


『ぜ、ぜひ! よろしくお願いします』

『こちらこそ。では、さっそくだけど、ライズさんには私を助けてほしいの』

『あっ、はい』


 私は意識を幽霊のライズさんからジークハルト殿下に戻した。


 ちなみに私がライズさんと交渉している間、殿下はネチネチと私に嫌味を言っていたけど、いつものことだからすべて聞き流していた。


 ジークハルト殿下が私を見て、ニヤッと口端を上げた。ちょうど、今から殿下が無理難題を話すみたいね。


「優秀なロアンナなら、王太子宮のメイド達にバラ園の整備をさせられるはずだ」


 殿下の後ろでは美麗メイド達がクスクスと笑っている。


 ちなみにメイドといっても、彼女達は皆、貴族。ジークハルト殿下の側室を狙っていたり、お手がついたりすることを願っている貴族の次女や三女だった。


 貴族として育てられた令嬢達が、庭仕事なんてするはずがない。そもそも、彼女達から見れば婚約者の私は邪魔者。私の指示なんて聞くつもりもないはずなのだから。


 それが分かっていて、ジークハルト殿下は彼女達に庭仕事をさせろと言っている。この無理難題を解かなければ、殿下は私が無能だと言いふらすだろう。


 そうして、この婚約自体を陛下に考え直させる気でいる。または、私に父であるクラウチ公爵に泣きつかせて、公爵家に頭を下げさせてこの婚約をなかったことにしてもらう気だ。


 私としては、この婚約に少しも未練はないけれど、私を悪者にして婚約破棄されたら困る。私と婚約解消したかったら、自分から陛下に言いなさいよね。この卑怯者!


 そういうわけで、私は『できません』とは決して言わない。


 じゃあ、どうするかというと、今までそうしてきたように幽霊の力を借りて今回も解決してみせる。


 私は再び心の中でライズさんに話しかけた。


『こういう状況なのだけど、どうにかできないかしら?』

『ど、どうにかって……』

『幽霊はどこにでもいけるの。壁もすり抜けられるし、どこにいても誰にも見つかることがない。そのことを使って、例えば、あの中のメイドの弱みを見つけて――』


 私達の脳内会話をジークハルト殿下がさえぎった。


「ああ、もちろん庭園の整備は、明日の日が暮れるまでだ。賢いロアンナならできるよな?」


 時間指定までしてきたわ。まったくもう。


 私の隣でライズさんの声がする。


『……なるほど。ロアンナ様、何点かお聞きしたいのですが?』

『何かしら?』

『ここは王太子宮とのことですが、ロアンナ様は、どういう立場の方で、どのような権限を持っていらっしゃいますか?』

『権限?』

『はい、例えばあのメイド達。メイド達を管理するのは誰でしょうか?』

『それは……』


 本来なら未来の王太子妃である私だった。でも、今はジークハルト殿下が好き勝手している。


 そもそも王太子宮は、将来王妃になったときの練習をするための場所なので、この宮をうまく管理できなければ、王妃になんてなれはしない。


 逆に、この王太子宮を管理できるものこそが未来の王妃ともいえる。


 この状況をなんとかしないといけないと思っていても、ジークハルト殿下からの無理難題のせいで、なかなか思うようにいかないでいた。


『私よ。それがどうしたの? まさか、言うことを聞かないメイド達をその権限を使って辞めさせるつもり?』


 そんなことをしたら、クラウチ公爵家は王太子妃失格の烙印を押されるだけではなく、あちらこちらに無駄に敵を作ってしまう。


『いえ、そうではなく……こういうのはどうでしょうか?』


 ライズさんが私の耳元で囁いた作戦は予想外だった。私はクスッと笑う。


『面白いわね。あなた、それ、自分でやってみる?』

『えっ!?』


 驚くライズさんに私は自分の体を明け渡した。


 意識の入れ替わりの瞬間、一瞬だけけたライズさんの姿が見えた。


 ライズさんは私より年上の男性だった。美形には程遠いけど、誠実そうな顔をしている。この真面目顔で『女性とお付き合いしてみたかった』と言っていたのだと思うと、申し訳ないけど面白い。


 私の体に入ったライズさんが「は? え?」と驚いている。


『少しの間、その体を貸してあげるわ。あっ、ちなみに私が嫌だと思ったことは、その体ではできないわよ』


 前に男性の幽霊に体を貸したとき、私の胸を揉もうとしたけど、両腕が痺れてできなかった。あくまで私の意志で体を貸すだけで、私の体を好き勝手できるわけではない。


『では、ライズさんのお手並み拝見ね』


 **


【王太子ジークハルトSide】


 ロアンナにメイド達を使って王宮バラ園の整備をするように命じた。


 押し黙るロアンナを見て、私は今日こそは勝ったと思った。ロアンナから視線を外し、愛しい人に目を向ける。


 美しいメイド達の中でも、ひと際目立つピンクゴールドの髪。私の最愛の人エリーは、まるでエメラルドのような瞳にうっすら涙を浮かべてこちらを見つめている。


 ああ、エリー。本来なら君が私の婚約者になるはずだったのに、この浅ましい年増が公爵家の力を使って無理やり私の婚約者の座に納まった。


 いくら公爵家の血筋でも、こんな年上で陰気臭い髪色の女が私にふさわしいはずがない。


 その点エリーは誰よりも美しい。しかも、伯爵家の令嬢なので、ロアンナさえいなかったら、陛下も私達の婚約を反対しなかったはず。


 だから、この年増がいかに私にふさわしくないかを陛下に知ってもらうために、今まで様々な要求をロアンナにしてきた。


 すべてはロアンナに「すみません、できません」と言わせるためなのに、一度も成功したことがない。


 でも、今回は違う。愛するエリーと共に考えた過去最高の難題。


 メイド達にはロアンナの言うことを聞かないようにきつく伝えている。そして、エリーの言うことだけを聞くように、と。だから、ロアンナではバラ園の整備はできない。


 しかし、エリーならできる。ロアンナを泣かせたあとで、エリーがメイド達に命令してサラリとバラ園の整備を終わらせる。そうすることで、ロアンナよりエリーが王太子妃にふさわしいとこの宮の者達に知らしめることができるはずだ。


 王太子宮を掌握できたものこそ、王妃にふさわしい。これは、誰もが認める事実。


 今すぐエリーを抱きしめたい気持ちを抑えて、私は憎きロアンナに向き直った。


「……?」


 いつもは隙のないロアンナが、なぜかオドオドしているように見える。


 さては、何も思いつかなくて泣きそうなのだな。私が勝利を確信したとき、ロアンナは自信なさげに手を挙げた。


「えっと……。では、メイドさん達の中で、一番偉い人は誰でしょうか?」


 ロアンナの言葉にメイド達は顔を見合わせる。この中では伯爵令嬢のエリーが一番偉い。


 エリーがおずおずとこちらを見たので、『何があっても君を守る』という意思を込めて私は力強く頷いた。


「はい、私です」

「あなたのお名前は?」


 そう聞かれてエリーは瞳に涙を浮かべる。


「ロアンナ様、ひどいです……。いくらジーク様の寵愛を得ている私のことが憎いからって、名前を知らないふりをするなんて……」


 私はすぐに「エリーをいじめるな!」と彼女を背中に隠した。それを見たロアンナは「あっ、エリーさんと言うのですね」と反省する様子がない。


「では、エリーさん。あなたをこのバラ園の整備の責任者に任命します」


 そう言ったロアンナの口調は淡々としていた。


 私とエリーの声が重なる。


「は?」

「え?」


 ロアンナは、もう一度同じことを口にした。


「ですから、メイド達の中で一番偉いエリーさんをバラ園の整備の責任者に任命します」

「何を言っているんだ!?」


 驚く私を見て、ロアンナはきょとんとした顔をする。


「何をって。今、殿下がロアンナ様……じゃなくて、私にバラ園の整備を命じたではありませんか」

「そ、そうだ! なのに、なぜエリーが?」

「エリーさんは、この王太子宮のメイドですよね?」

「そうだ!」

「では、私の命令を聞く義務があります」

「はぁ!?」


 コテンと首をかしげさせるロアンナ。


 なんだその動きは? なんだその無邪気な顔は!?


 今までそんな顔したことなかっただろうが! 


「私は王太子の正式な婚約者で、そして、この王太子宮の管理を一時的に任されています。だから、この宮で働く者達も私の管理下にあるのです。エリーさん、バラ園の整備の指揮をとってください」


 エリーはポロポロと涙を流し始めた。


「ひどいわ、ロアンナ様……」

「えっと、何がひどいのか分からないのですが? とにかく、エリーさんはメイド達に指示してしおれたバラの剪定せんていから始めてください。今日中に終わらせるように」


 私は涙を流すエリーを抱きしめた。


「エリー! こんな女の言うことを聞く必要はない!」


 ロアンナは、ゆっくりと首を振る。


「殿下。この宮の責任者は私です。いくら殿下でも宮の管理については口出しできません。エリーさん、言うとおりにしてください。そうしないと、私はあなたに罰を与えないといけなくなる」


 エリーは震えながら私に抱きついた。


「ジーク様。私、怖い!」


 怯えるエリーを胸に抱く。


「この年増の言うことは聞かなくていい! さぁ、エリーあっちへ行こう」

「はい……」


 その場を立ち去ろうとした私達に、ロアンナは「エリーさん、バラの剪定頑張ってくださいね」と声をかける。


 無視していると、ロアンナは他のメイド達に「あなたたちは、責任者に抜擢したエリーさんの指示を聞いてくださいね」と伝えた。


 バカな女だ。エリーはそんな命令を聞かないし、他のメイド達はエリーの指示がないと動かない。


 おまえは何もできずに明日の夕方を迎えて、自分が無能であることを晒すのだ。


 計画通りになったことを祝い、私とエリーは二人きりで甘いひと時を過ごした。


 *


 次の日の朝。


 私とエリーがロアンナを嘲笑うためにバラ園に向かうと、そこには王太子宮の使用人達が集められていた。


 私のお気に入りのメイド達はもちろんのこと、宮を警護している騎士達の姿もある。


「な、なんだ?」


 ものものしい空気の中、使用人達の中心にいたロアンナが私に向かって片手を挙げた。


「あ、殿下いらっしゃいましたね。では、エリーさんに今から罰を与えます」


 その言葉を合図に、騎士達がエリーを拘束した。


「なっ!? エリーに何をする!?」


 ロアンナは、またあのきょとん顔をしている。


「何って、エリーさんは私の指示に従わなかったので、今から罰せられます。陛下の許可は取っています。王太子宮の管理を怠った者への罰は、ムチ打ち十回だそうですよ」

「はぁ!?」

「では、始めてください」


 淡々と騎士に指示を出すロアンナ。


「や、やめろ!」


 私が制止しても騎士達はやめようとしない。


「一回」


 バシッと痛そうな音がしてエリーの悲鳴が上がる。


「二回」


 ムチで叩かれたエリーの服が破れて背中から血が滲む。私は慌ててエリーを守るために彼女に覆いかぶさった。


「殿下。邪魔です。そこをどいてください」

「な、なんなんだ!? なんなんだ、お前はっ!?」


 ロアンナはまた首をかしげた。そして、とても不思議そうにこう言う。


「この体の方は、クラウチ公爵家のロアンナ様です。あなたの婚約者であり、この王太子宮の管理責任者でもあります」

「だからって、こんなひどいことを!?」


「ひどいって……バラ園の整備は殿下の指示ですよ?」

「私が命令したのは、お前にだ! ロアンナ!」


「はい。だから、その命令を受けて私がエリーさんにそうするように指示を出しました。しかし、彼女は仕事をしなかったため罰を受けることになってしまった。何かおかしいでしょうか?」

「おかしいだろうが!?」


「どこがですか? 私は王宮の規則に従っているだけです」

「……ぐっ」


 おかしいに決まっている。それなのに、今、エリーは罰せられている。ということは、周囲の使用人達はこの状況が正しいと思っているのか!?


 フゥとため息をついたロアンナは、私のお気に入りメイド達を振り返った。それだけでメイド達はビクッと体を震わせている。


 それもそのはず。私の寵愛を得ているエリーが、ロアンナの指示を無視してムチで叩かれたのだ。


 ようするに、これからは、ロアンナの言うことを聞かなければ、自分達もそうなるということ。


 ロアンナは、淡々とした口調で「エリーさんの次に偉いのは誰ですか?」と尋ねた。


 メイドの一人がガタガタと震えている。


「誰ですか?」


 ロアンナの問いかけに、震えながらも前に出てきた。


「あなた、お名前は?」

「……マリア、です」


「では、マリアさん。エリーさんの代わりにあなたをバラ園の整備責任者に任命します。今から、しおれたバラの剪定を始めてください」

「……」


 マリアは縋るように私を見ている。


「ちなみに、できない場合はマリアさんにも罰を与えます」

「ひぃ」


 小さく悲鳴を上げたマリアは、メイド達にバラを剪定するように指示した。指示を受けたメイド達は青い顔のままテキパキとバラの剪定を始める。


 それを見たロアンナは、私を振り返った。


「殿下。バラ園の整備、無事に終わりそうです」


 ロアンナにフワッと微笑みかけられて、私は背筋が凍るような気がした。


 ***


 ジークハルト殿下の顔が、青いを通り越して土気色になっている。


 作戦をやりきったライズさんは、私の顔で『フゥ、なんとかなりましたね』と穏やかに笑う。


『……すごいわ。あなた、何者なの?』


 通りがかりの幽霊に助けを求めただけなのに、たった一日で王太子宮を牛耳ってしまった。


 ライズさんは照れるように頭をかいた。


『あっ、俺はノアマン辺境伯です。じいちゃんがトーゴで』

『えっ?』


 トーゴと言えば、数十年前に魔族が攻めて来たとき、異界から来た英雄の名前だ。確か、魔族からこの国を救ったことで爵位と国境付近のノアマン地方を与えられて辺境伯になったはず。


 魔族進軍の際には、我がクラウチ家も英雄トーゴと共に戦ったのは有名な話だ。


『ということは、あなたは英雄の子孫?』

『そう、なんですけど……。俺はただの兵法と戦記好きです』

『兵法と戦記?』

『えっとなんか、家の地下にじいちゃんが異世界から持ち込んだ兵法書や戦記がたくさんあって……。それを読むのが趣味で……。今回は、それを応用して解決しました』


 ライズさんが言うには、今回のことはソンブという人物の逸話を参考にしたそうだ。


『ざっくり説明すると、王様が兵法に優れているソンブを王宮に呼び寄せて、王様の愛妾二人と愛妾に仕えるメイド達を兵士に見立てて、兵の訓練を見せてほしいと言うのですよ』

『何それ。そんなのできるわけないじゃない。嫌がらせだわ』


『そうですね。もちろん、愛妾やメイド達はクスクス笑うだけでソンブの言うことを聞きませんでした。しかし、ソンブは二人の愛妾を隊長に命じてメイド達をその部下にします。そして、指示通りにしないと隊長に罰を与えると言ってから、号令を出したのです』

『誰も言うことを聞かなかったでしょう?』


『はい。だから、ソンブは、罰として隊長に任命していた二人の愛妾を切り捨てました』

『……え?』


『そして、切った愛妾の代わりにまた二人の隊長を任命したのです。そうしてから号令を出すと、今度はメイド達全員がソンブの号令にしたがったという話ですね』

『なるほど。それを元にして、今回のジークハルト殿下のことを解決したのね』


 コクコクとライズさんは頷く。


 さすが英雄の孫。


 英雄トーゴによって、魔族が封印され、今のように平和が訪れていなかったら彼もまた英雄と呼ばれていたに違いない。


『えっと、それでですね……ロアンナ様?』


 ライズさんは私の体を使って、もじもじしている。


『あの、お約束の件は……?』

『ああ、女性と付き合いたいってやつね。どんな子が好みなの? 約束通りデートさせてあげるわ』


 顔を真っ赤にしたライズさんは、『あの、えっと』と繰り返している。そんなに言いよどむなんて一体、誰を指名するつもりなの!?


『ま、まさか殿下の想い人のエリーさんとか言わないでよ?』

『言いません、言いません! 俺の好みは……その、ロアンナ様で……』


 私はたっぷり時間を空けてから『ええっ?』と驚いてしまった。


『わ、私?』

『はい! 初めてロアンナ様を見たとき、すんごい黒髪美人がいるなと思って無意識に近づいてしまって』

『あなた、私目当てであの場にいたの⁉』


 そういえば、ライズさんは『すんごい美人がいるな』って言っていたわね? まさかあれが私のことだったなんて……。


 ジークハルト殿下から会うたびに外見をけなされているから、自分のことだと思えなかった。


『は、はい……。俺も黒髪だから、なんか勝手にロアンナ様に親近感を覚えてしまって……ダメでしょうか?』

『ダメじゃないけど、私の体は一つしかないのにどうやってデートするつもり?』

『あ、ああっ? 本当ですね、どうしましょうか⁉』

『どうしましょうって……』


 私はこらえきれなくなって笑ってしまった。こんなに笑ったのは、久しぶりだった。


『分かったわ。約束はきちんと守ります。以前、私の弟が幽霊に憑りつかれてとんでもないことになったことがあるから、弟の体を使えるかもしれないわ』


 弟もジークハルト殿下の態度にはいつも怒っているので、事情を説明したら体を貸してくれるかもしれない。


 その後、本当に弟の体を借りたライズさんと、私は街中デートをした。


 他の人から見たら、弟と出かけているだけなので、何も問題にはならなかった。


 ライズさんがあまりに緊張して照れているので、私まで少し照れてしまったのは内緒。


 日が暮れてデートが終わるころ。ライズさんとの別れが近づいて来た。


 ライズさんは「ロアンナ様、ありがとうございました! とても楽しかったです。幸せで……もうなんの悔いもありません」と満面の笑みを浮かべている。


「私もとても楽しかったわ」


 ジークハルト殿下の婚約者になってから、私は笑わなくなった。楽しいことがひとつもなかったから。


 ライズさんに出会ってから久しぶりに笑った。とても楽しかった。でも、ライズさんはもうこの世にはいない人。だからこそ、私はポツリとこんなことを言ってしまった。


「……あなたのような人が、私の婚約者だったらよかったのに……」

「ロアンナ様……」


 ライズさんは何度も手を出したり、引っ込めたりしている。


 私が不思議に思っていると、ぎゅっと手を握られた。


「俺は天国からずっとロアンナ様を見守っています!」

「ライズさん……。ありがとう」


 後悔のなくなった幽霊は天国に行ってしまう。ライズさんが淡い光に包まれた。フッとその姿が消える。


 気がつけば、ライズさんは消えて私の弟がいた。


「姉さん……」

「何?」

「あのライズさんって人、本当に幽霊?」

「え?」

「前に僕に憑りついた幽霊と雰囲気が違うというか……。上手く言えないんだけど」


 弟の疑問は、私が王太子宮にある自室に戻るとすぐに解決した。


 なぜなら、私の耳元で見えないライズさんの声がしたから。


『ロ、ロアンナ様ぁあ!』

「ライズさん!? 天国から戻って来たの?」

『それが、俺、どうやら死んでなかったようで! 一瞬だけ自分の体に戻ったんです!』

「ええっ、じゃああなたは生霊だったってこと!?」

『そうみたいで! でも、すぐに体からはじき出されてしまって……。俺じゃない誰かが、俺の体の中にいました!』

「ええっ……それって、どういう状況なの?」


 シクシクと泣くライズさんの声が聞こえてくる。


『ロアンナ様、俺の体を取り戻すの手伝っていただけませんか⁉ もちろん、それまでロアンナ様に誠心誠意お仕えしますから!』

「ライズさんがいてくれたら、私も心強いけど……」

『他に頼れる人がいないんです! お願いします!』

「分かったわ」


 こうして、兵法と戦記好きの辺境伯と体を共有することになった私は、ジークハルト殿下の嫌がらせをことごとく撃退。


 その容赦ない行動から物語に出てくる《悪役令嬢》のようだと恐れられてしまう。


 さらに、封印が解けた魔族の軍隊をライズさんの兵法で撃退し、《軍神》なんて呼ばれてしまい、ジークハルト殿下に土下座されながら「今まですまなかった! お願いだから婚約を解消してくれ」と泣かれる日が来る。


 そして、無事に自分の体を取り戻したライズさんに結婚を申し込まれる日が来ることを……今の私は想像すらしていなかった。




 おわり



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