ハナとツバキ

月野志麻

ハナとツバキ

 寄せては返す波が、防波堤に当たって音を鳴らす。

 昼前に投げた小さいワインの瓶は、未だに海の上を漂っている。

 瓶にくくったビニール紐の端を握って、体操座りをして、私はただ待っている。

 ――……マナちゃんは、海の向こうへ行ってしまったんや。

 十年前。小学一年生の夏の暮れ。お線香の匂いが漂う畳の部屋で、裏のおじいちゃんが、私の背中をさすりながら言った。縁側から見える空は青く、雲ひとつなかった。大きな台風が過ぎ去ったあとだった。

「ママ。海の向こうにおるなら迎えに来てよ」

 ずっとそう手紙に書いてるでしょ。

 誰がこんな可愛い子ひとりにできるのって言うのなら。海の向こうに本当におるなら、この瓶を引っ張って、紐を引っ張って、私のことも連れていって。

 立てた膝に顔を埋める。潮と汗で少しべたつく。

波菜はな。今日はどんな? 釣れた?」

「ぜんぜん。なんもよ」

 魚釣れた? みたいに椿つばきはいつも言う。同じ学校の制服を着た椿の腕は、ほんのりと小麦色になっている。

「部活だった?」

「おお。暑かったわ、今日も」

 椿は小学生の頃から野球やってて、高校生になった今もずっと続けてて、夏休みも部活ばっかりで大変やなって帰宅部の私は思う。

「なぁ」

「うん?」

「海の向こうって、どこなんやろな」

目を凝らして、遠くをじぃっと見つめる椿の視線を追う。

「海の向こうは……海の向こうやろ」

「水平線のとこか? それとも、もっと奥か? でも、この先ずっとずっと行って、ずっとずぅっと行ったら、またここに戻ってくるやろ」

地球は丸いからと言う椿の言葉に私の喉は詰まる。そんなん知らんよって言葉は飲み込んで、代わりに唇が尖った。

 視界の端で何かが光る。椿のほうへ顔を向ける。椿の手に、コルク栓がついた小さな瓶が握られているのが一瞬見えた。

 一瞬やった。

 椿が綺麗に振りかぶって、それは弧を描いて、夕日になった太陽のほうへ消えていった。

「俺も手紙、書いたんよ」

「なんて書いたん?」

「波菜を連れていかんでくれって」

 俺がいるから安心せぇって。と椿が笑う顔は眩しくて、よく見えない。

 ぱちゃんと飛沫が上がる。

「あ、鳥が」

「魚や思うたんやろ」

ほどけた紐が宙を舞って海面に落ちていく。私の手紙が入ったボトルは、天高く舞う。

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ハナとツバキ 月野志麻 @koyoi1230

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