第32話④ ミクロコスモスの痛み
「!!」
実経ははっと目を覚ます。寝たまま、頭を動かすと、そこは見慣れない家具があり、自分が寝ているベッドには天蓋がついていた。
「…汚っ」
床には魔法器具が、机の上には書類が雑多に散乱していた。ベッドから起き上がり、書類を見てみると、それは魔法に関する研究内容が丁寧に書き記されていた。
(今の魔法術式の大半はクヴァレが極秘、または機密性の高い術として扱っている…クヴァレに対抗して七大一族が魔法の運用に試みたが、クヴァレからの甚大な被害を受けて断念したのは最近だったはず…しかも…)
実経は自分の体を見る。ソロモンからの魔法で瀕死だった肉体には目立った外傷がない。それだけでなく、体もうまく動かせる。
(時間が戻っている感覚とは違ぇ、多分治癒魔法だとは思うが…)
「やっと起きたか」
「!」
部屋の扉が開けられ、ウェルテクスと侍従の魔法使いが入ってきた。
「余の前で無礼だが、まあいい…座れ」
汚かった部屋でウェルテクスがすいっと指を動かすと書類や魔法器具やらが動き出し、棚に整頓した。
「用件は?」
警戒心をむき出しにする実経は恐る恐る椅子に座り、本題を聞く。
「魔法使いを統括する組織をつくる…そのための駒となれ」
「……」
ウェルテクスの目的を聞いた実経は絶句した。
「
「余はそう思わぬがな…」
偉そうに足を組み、頬に肘をついてあっけらかんと申すウェルテクスに実経は少しばかり引いた。
「…魔法は確かにクヴァレが独占してるが、真実を言うと魔法の開祖がほとんど仕切ってるだけだ…クヴァレで魔法使える奴は少ねえだろうよ」
「玩具を取られまいとする子供だな…」
「…まあな、俺が頂点魔法を使えるなんて信じられねえが、それさえもただの好奇心で片づける奴らだ」
「たしかに、頂点魔法の一つにあるな…条件は
愉快なことを聞いたとウェルテクスは少し嬉しそうにしていた。そんな彼を見た実経は淡い期待がぐっと心に生まれた。
(こいつなら俺の夢見た魔法の頂になれるはずだ)
「いいぜ、お前の言うこと聞いてやる…その代わり…」
ふいに思い出した最悪な過去にぐっと心が苦しくなる。こんなことに思いを耽ていても、状況が一変するわけではないことを実経は誰よりも理解していた。
(やっぱ無理なんだよ、ウェルテクスと話したあの時から、俺は誰もが嫉妬する才能を持った天才と、魔塔で魔法を進化させた天才どもを多く見てきた…どいつもこいつも目を輝かせて現実を変えれるなんて思ってやがった…だからこそ、ずっと変化を待ってる
実経は奮闘するイレミアを見た後に、イニティウムとカトレアに視線を戻す。
―肝心な時に何も出来ねえ俺が、一番俺を凡才たらしめる
鎌を握る手に明らかに力が抜けて、完全に諦めてしまう。しかし、その直後、
「実経!!!」
地面を突き抜けて、最深部に向かったノーヴァが大声で彼の名前を呼んだことで、はっと気持ちが変わる。ノーヴァは祢々切丸で血の塊を一刀両断する。すぐに再生を始めるが、実経とノーヴァの間が塞がれる前に、ノーヴァは持っていた槍を投げて渡す。その槍を見た実経の頭にはある言葉が脳裏によぎる。それはセアの言葉…
『お前の凡才は私が天才に導いてやる』
時は少し遡り、実経達が足止めを担っている間、ノーヴァは一人で最深部へと走っていた。その道中は苛烈を極め、
「…」
息を深く吸い、吐く。呼吸を整えて、何かあっても対処できるように構え、扉を開ける。しかし、ノーヴァの予想とは違った光景が飛び込んでくる。天井は高いが、それほど広い部屋ではない。しかし、その地面には青く発光する花が一面咲き誇っており、海を連想させる。その奥に聳え立つ巨大樹はミッドナイトブルーの幹で、その枝はインディゴやアイアンブルーで、葉はマリンブルーに鮮やかに輝いて、神秘的な空間を造っている。その木に吸い込まれるように近づいていく。
『あら、来客?』
「!」
完全に油断していたノーヴァの背後に立つ誰かに向けて、後ろを振り向かず刃を頸に当て威嚇するが、
『驚かせちゃったみたいね、悪かったわ』
動揺せずに謝る女にノーヴァは刀を下ろして振り向く。その女は銀髪だが白髪に近い髪をたなびかせ、燦然と輝くパライバトルマリンを持つ大人と子供、どちらともとれるような風貌だった。だが、溢れ出るオーラはどこか凍てついていて、どこか恐怖を感じる。
「どうなっているんだ?セア…」
『ん?私のこと知ってるの?』
「有名だぞ」
『…ふーん?それで、
「今年を含めると593年だ」
『…なるほどね…ならもうじき…』
「悪いが、そんなことに付き合っている暇はないんだ…俺が行かないと実経が殺られる」
焦っていることを隠さず、弟である実経が危険にさらされていると苛立っているノーヴァはセアに怒りをぶつける。しかし、そんなことセアの知ったことではない。だが、ノーヴァの言葉を聞いてセアは不機嫌そうに苦言を呈する。
『そうやって甘やかすから変わらないんじゃないの?』
「時間をかけてやるしかない、荒治療で悪化したらそれこそ…」
『それが甘いのよ…あなたが言ったじゃない、暇
「ああ、だから、」
『でも私は慰めるなんて優しいことできないから』
セアの発言にノーヴァは怒るかと思ったが、思うところがあったのだろうか、少し微笑んだ。
「合わんな」
『ほんとにね…まあ慰めは私が実経を鍛え終わってからにしてね』
そう言うと、樹木が光を帯び、どこからか風が吹く。そしてセアの手には荘厳な槍が握られていた。その槍は無機物でありながら神々しい。
『今の私はこの槍、エデンの槍にこもった思念体…』
(これが…エデンの槍、繋縛の水晶なのか?)
エデンの槍と呼ばれるものを見たノーヴァは少し不審がるが、わざわざ思念体を残すなんて手間をしたならば、本物なのだろうとノーヴァは納得した。
『次はちゃんと話しましょう』
「ああ、楽しみにしておく」
光のようにセアの体が輝いて消えていく。完全に消える前にノーヴァはエデンの槍を受け取り、急いで実経達の援護に行こうと走り出して、扉を開けて最深部を後にした。取り残された思念体のセアは呟いて消えていった。
『
実経はエデンの槍を力強く握る。すると、彼の視界には最良の太刀筋が見えてきた。それは実経が長い間天才を見て、自然と研ぎ澄まされた五感…紛れもなく彼の実力だ…
実経は息を整えて踏み出す。先ほどの焦れったさが嘘のように羽ばたく。その羽ばたきは鮮血をも飲み込み、一瞬で血の塊を斬った。実経のはためく動きは周りに伝達され、実経の思いに感化される。イニティウムが連射して天井に張りついた地の塊を落として攻撃してくるが、イレミアが樹木で薙ぎ倒す。そしてイニティウムと同じ方法で移動範囲を制限させた。それはイニティウムを模倣したアルケミストには愚行であったが、たった一瞬、動けない時間を作れば良かったのだ。イレミアの考えはノーヴァの考えそのもの、いくら強者と言えど急襲には刹那の隙が生じる。血で武器を形取るイニティウムの手を切断し、攻撃の手段を
(実経に足りなかったもの、それは実績だ…実経は今に至るまでトリを務めたことはない、あの子の過去は己の才能を高めるチャンスはあったがあの子が一度でも輝けるチャンスは訪れなかった…それは天才の嫉妬から起こった暴挙、実経が自分から進むことを諦めさせた…だが諦めたのは紛れもなくあの子の甘えだ)
ノーヴァは気絶したカトレアを抱きかかえてイニティウムから距離をとる。それを見たイレミアも察して後退する。
(おそらく大事な状況ではあの子の周りの誰かが終わらせていた、失敗を二度と味わいたくなかったあの子はその状況に甘んじていた、だが今、あの子を助ける者は誰もいない)
「輝け、傲慢に」
ノーヴァの考えた通り、実経以外誰もイニティウムに向かうものはいない。その状況が彼を実感させる。
―輝けるのは俺だけだ
「初めての晴れ舞台が姉貴を殺るだなんてなぁ、気ぃ引いちまう」
自分を育て上げた恩師である姉、その差は永劫、埋まることはない…その圧倒が彼の五感をさらに研ぎ澄ます…それだけではない、彼が今まで生きてきた経験の中でここまで危機に瀕したと思ったことはない…緊張が彼の命を死神のごとく刈り取ろうと
「信じてよかったぜ!」
一種の絶望の状況に実経は嗤う、斬られた腕のまま、より一層力を込める…猛烈なスリルと痛みが五感を最高潮までに研鑽させる!胸の高鳴りとともに彼を…一条実経という凡才が世に解き放たれる!!
「アル•ラーズィー…お前に感謝を!」
穂は
「よくやった!かっこよかったぞ!」
「そうね、御姉様の悔しい顔が目に浮かぶわ」
ノーヴァだけでなく、敵であるイレミアも実経を讃えた。
「それにしても、よく御姉様を倒せたわね…本人より弱かったとはいえ…」
「え?ああ、まあ…あれは賭けだったし、俺がマジでやれたことがよかったんじゃねえのか?それにアルケミストは姉貴だったよ、俺が世話になったころの完璧な姉貴だったから行動も信用できたし…」
褒められ過ぎて照れ隠しのため、はにかむように笑う実経を2人は兄姉として微笑ましく思う。しかし、どうにも腑に落ちない点があるのか実経はもんもんとしていると、体が浮いたかと思うと、癒される森の匂いがした。
「抱擁は御兄様だけですけど、今回ばかりは
イレミアはそう言って実経を軽々と持ち上げた。ノーヴァの腕の中には意識が未だ戻らないカトレアがいるが応急処置をしたため命に別状は無さそうだ。
「それじゃぁ、帰ろうか!」
原初一族の里、イニティウムの持っていた小瓶が一人でに揺れ始め、内側から破裂してしまった。
「無事に踏破できたみたいね、血が溶けていなくてよかったわ~」
「?どういうことですか?」
イニティウムの発言に白練はどうもピンときていない。
「ああ、ごめんなさいね…私たち原初一族の能力を完全に知っているのは同族と長だけだから…」
「あの御方も機密事項として教えてくださらなかったです」
「情報漏洩を防ぐためね、そうは言っても
イニティウムは手に持っていた小瓶を白練に見せる。それは振動がないにもかかわらず、波紋を広げている。
「私は血の女帝、その異名通り血を操る能力…但し、私の能力とは他とは違う…これはアルケミストに浸透させた血と同じよ」
「通常であれば位置が随時わかるという能力は私もあの御方と一緒に何度か拝見しています」
「私の血が浸透したものの視界と聴覚を盗むことができる、私が盗み聞きしたり盗み見してても相手にはばれないから便利なのよね~」
「へぇ、ですが私に言ってよかったのですか?」
「ええ、私たちはお互いにセア•アペイロンの血肉なのだから」
イニティウムが言った言葉にゾクリと背筋が凍るが、表情を崩さず平常心を装う。
「今度はお前の番よ、
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