第29話 アポロニオスの痛み

時は遡り、実経とキルケが穴に落ち、不可抗力として二手に分かれた。10女”穏”の元祖イレミアと対峙するカトレアとノーヴァ。ノーヴァには好意的な態度を取るが、ノーヴァの隣に立っているカトレアには厳しい言葉を放つ。

「随分な御挨拶ですわね、”穏”の元祖ならば穏やかであるべきですわ」

「慎ましくあるべきなのは貴女の方でしょう、史上最も優艶な魔法使いである貴女がね…」

「あらあら」

「フフフッ…」

2人は火花を散らして、彼女らを取り巻く空間が不穏なものとなる。ノーヴァはアワアワと悶えるが、カトレアに一歩近づく。

「あまり煽るな、イレミアは強いぞ」

忠告をするノーヴァを下から無言で眺める。じとっとした視線にノーヴァは顔を向けると、ぐいっとカトレアがノーヴァを自身に近づける。そして耳元で、

「分かっております」

それを見たイレミアの目が豹変し、指が枝へと変化する。その枝は2人の間を引き裂き、カトレアを猛追する。浮遊魔法のみを駆使して全て避ける。

(ほぅ、イレミアの’樹木’を軽々と…これが魔法使いの最高峰か)

「御兄様誰を見初めているのですか?」

すうと生気の抜けた顔がいっそうの恐怖を引き立てる。

「御兄様の瞳を潤す者はわたくしだけで十分ですわ」

迷宮内のこの空間に張り巡らされた根が四方からノーヴァを攻撃する。その先端は鋭利な針の形状になっており、当たれば死んだも同然だ。イレミアが樹木で追随すると、ノーヴァは祢々切丸で斬る。

「ノーヴァ様下がってください…炎よ、炎天の如く魔女を燃やせ」

アマリリスの花を形どる炎が’樹木’ごとイレミアを燃やす。

「あらら」

「その程度の炎でわたくしを火炙りに処すことなんてできないわ」

炎の海を裂いて立つイレミア、ノーヴァは炎を避けるため壁を斬ってくりぬき足場を作る。と、’樹木’で覆われた。

「……」

こんこんと内側からノックをするように叩く。

(壊せるには壊せるが、味方とはいえ女の闘諍とうじょうに介入するのは失礼変態だとイニティウムが言っていたな…しかしイレミアを単独では骨が折れるだろう、これは加勢に……)

「ノーヴァ様」

「?」

「気が向いたらお助けください」

ニヤリと嗤うカトレアが言葉の裏で物語る、しばし観ていて下さいと…

そう言われたら仕方ないと、ノーヴァは大人しく引き下がる。ふわっと着地するカトレアに攻撃はしない。

「着地狩りをしないとは…なのですね、流石は’穏’の元祖」

訳:着地狩りもしないなんて…上品すぎると間抜けですわ、名は体を表すとはまさにこの事、ねっ? 元祖様?

「あら、そうかしら」

訳:わたくしの上品さにやられたかしら

「ええ、是非とも見習いたいですわ…その平穏に至るものを」

訳:ええ、妾の反面教師ですわ…上品さは見習いたいですわね

「そんなことを言われたら、貴女に’穏’の元祖として贈り物を授けたくなるわ」

訳:褒められたならお返しが必要よね

「それはそれは光栄なこと……ですが妾はですので贈り物など…妾が身につけるには劣等かと、」

訳:妾は気高いの、そんな妾には不要…貴女がつけていればいいじゃない

「遠慮しなくていいわ、わたくしが身に纏ったものは一度目よりも輝きを増す…だけれど、貴女にはわたくしが一度も身に纏うことのない贈り物を授けるわ」

訳:付加価値があるのをご存知? わたくしの身に纏うものはプラチナ価格なのよ…でも、貴女にはなんの価値もない’新品’をあげる

「それは妾が纏うからこその輝きが?」

訳:あら、それは妾の付加価値が必要なのかしら?

「ええ、貴女には尊厳死自然なままに死ぬことを許してあげる」

訳:ええ、無様に死に逝く貴女の付加価値がね…だから許してあげる

お互いが笑い合いニコニコとしているのに殺伐とした空気が空間に亀裂を入れてしまうような痛みを与える。ノーヴァはやれやれと呆れたような態度を取るが女の言葉は重く含みがあると察して無下にすることができない…そんなことを考えていると2人が動き出す。

イレミアが’樹木’を1つにまとめ巨大な棘のような武器を作り攻撃する。その周りにも小さな枝が伸びており、カトレアが回避する度に攻撃を開始する。

カトレアが炎を操り樹木を燃やそうとするが無駄だと判断し、

「植物よ、命の灯火を燃やせ」

地面にある草や花に魔法を放つ。すると、草や花が生い茂り、蔦のように這いイレミアの足を拘束する。それに動じることはなく、カトレアの方に手を向け、その手を軸に捉える。

古代魔法アスピダ風の那比逝きアネモイ

カトレアが強風を吹かせる。それはただの風ではない、風の中には霧のような小さな小さな刃が混ざっている。イレミアが樹木で風を防ぐために自身の周りを樹木で覆うも、その樹木に深い傷を与えてバキバキと倒れていく。

「森の中に隠されるものほど美しき者は、妾の蝶が蝕むわ」

重厚な樹木を全て無効化すると、イレミアだけが剥き出しになる。待っていましたと言わんばかりに杖を向ける。

古代魔法アスピダ風の那比逝きアネモイ山吹蝶の標本」

強風が吹き荒れる中で刃が蝶をかたどり、そのままぶっ飛ばす。

「………すごいな」

圧倒的な威力を誇る魔法、それにより鍾乳洞内に無数の刃が刺さり、落石もある。元祖相手にここまでやるとは思っていなかったらしく、ノーヴァの声が歓喜のあまり震える。



座天使ソロネ級魔法使いは魔塔主不在けん任務での総責任者、しかし座天使ソロネ級でも序列が存在する…それは魔法使いとしての素質の是非に及ぶ」

煙管をふかす姿まで優美なイニティウムに視線を落とす白練に説明口調で落ち着くイニティウムは、魔塔からもらった領収書をじっと見つめる。

「では、何故なにゆえに彼女を、カトレア様をお選びになられたのですか?」

「彼女はね凄いのよ…原初一族が誇る魔法の使い手オリゴ、時空魔法と頂点魔法をも使いこなせる元祖実経、武器魔法のスペシャリストである木聯、イオ大教会の聖女タチアオイ、精霊王の加護を受けた稀有な存在のアロエ、魔法使い最年長の経歴を持つ月桂樹げっけいじゅという錚々たる面々を押さえつける座天使ソロネ級最強の魔法使い…」

イニティウムが握りしめている領収書には目玉が飛び出る金額が記載されている。続けて、

「魔塔のNO,2であり、ウェルテクスの右腕よ」



余韻なのか風がまだ吹いている。パラパラと小さな石などが落ちてくる。地面はその衝撃のあまり四方に割れている。しかしながら、これほどの魔法を放っておきながら、涼しい顔をしているカトレアは魔力探知を続け、些細な変化に対応できるように備える魔法使いの徹底ぶりに感心する。

「だが…」

ノーヴァはイレミアに目を向ける。揺れを感知したカトレアはなぜか得意気に微笑む。

「やはり元祖、そう簡単にはいきませんわね」

金色に輝く鹿角とハスを基調としている髪飾り、腕には金の蔦が巻きつき異彩を放つ。それとは対極してその瞳は朧気だ。

「なるほど、今までは小手調べということでしょうか」

「美しかったわ、貴女の魔法…だけれど、魔法の開祖には見劣りしちゃう」

口調は変わらないものの、その言動から放たれるオーラによる空気の振動が感じられない。

(無機物とお喋りしているようだわ、これが”穏”の元祖イレミアの戦闘モード…)


―”穏”の元祖、彼の者平和と平穏を愛す者也

 彼女が望めば猛けた波も静まり返り、蝶は舞い、華は芽吹き、風が吹く

 彼女望まぬものには、金色を纏いて自ら罰を与えん

 それは平穏を崩さぬ為に


イレミアが動く度に、ズズズと何か得体の知れない何かが地面を這っているのかと不安に襲われる。その何かはイレミアの元祖の才としての威嚇なのだろうとカトレアは脳内でそう言い聞かせる。

「お遊戯はここまで……仕事をしましょう」

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