失セモノ捕物忘レモノ(上)
こうして手紙を書いても、今のお前に届くかはわからないな。何しろずいぶんあれから時間が経った。
まだお前は俺といた長屋にいるんだろうか。床がほとんど腐って抜けそうな、黒ネコが通るたび悲鳴をあげるばあさんが大家の長屋に。
ユーレイになって長い年月が経ったせいで、ところどころ記おくがうすれちまった。お前に教えるために覚えた漢字も忘れちまったから、一通目より読みづらいかもしれない。
でも、お前のことは全部覚えてる。
手紙を出してすぐ、お前が見世物小屋に駆け込んできたのを、昨日のことみたいに思い出せる。
まだ十四だったお前は、デカい用心ぼうを押しのけて、俺のいるオリまで走ってきたな。
お前があんなに泣くのを見たのは赤ん坊のころ以来だった。
近所の悪ガキに捨て子だとかオヤジが盗人とかからわれて石を投げられたときだって、お前は泣かずにその石でなぐり返したくらい強い子だった。俺の教育が悪かったとも言えるか。
お前は新聞売りの仕事で貯めた金をにぎって、ここを出ようと言ったな。
俺はユーレイだからもうシャバには戻れないよと答えたら、だったら自分も夜市で暮らすと、オリに縋り付いて離れなかった。
自分だけ幸せになるなんていやだ、父さんに楽をさせるために勉強もがんばってきたのにひとりじゃ意味がない、まだ何にも恩を返せてないと言ったっけ。
お前は恨み言のひとつも言わず、ずっと俺のことばっかり心配してたな。
ごめんな。俺が馬鹿だったばっかりにお前を独りぼっちにしちまった。あのときも同じことを言ったな。
泣きじゃくってるお前を抱きしめてやりたかったのに、オリがジャマで手を伸ばすことしかできなかった。おれの二本足りない指からお前の髪がスルスルこぼれちまって情けなかった。
俺の雇い主のパワフルさんがお前をひっぺがして、もうお家に帰んなと言ったとき、やっとお前は泣き止んで目をこすった。
用心ぼうたちに見送られて、でっかい肩の間から一度振り返ったお前を覚えてる。
セキと同じ目をしてた。
元の雇い主にお前が我が子じゃなく俺がイシにはらませた子だと言われときの目だ。腹をくくってやってやるぞと決め込んだ、するどくて強い目だった。
あれがどうも引っかかって、未だに俺はこのオリの中にいる。
あれから夜市もずいぶんと様変わりした。見世物小屋も変わって、俺の状況も変わった。
悪い方じゃないぜ。いい方だ。
ユーレイがキツい思いをするような芸はなるだけやらなくてすむようになった。代わりに、生きてる人間がやる大道芸みたいなものを覚えることになった。本物のサーカスから先生を呼んだくらいだ。
メシ代わりの線香は朝夜二回必ずたいてくれるし、オリにはカーテンもついて、布団とちゃぶ台、モノを入れるツヅラまでもらった。
昔じゃ考えられない話だ。
おひねり以外の給金も出るし、十日に一度は休みがもらえて、ガマ通りの中だけなら遊び歩くこともできる。
風呂屋だっていけるんだ。ユーレイたちが店じまいの後に風呂に入りにくると、ちょうどよく湯が冷めて風呂ガマが傷まなくていいと評判だ。
それもこれも、今の雇い主のおかげだ。
名前も素性もわからない。五番通りの男の呼ばれていることと、顔にデッカい火傷があることだけは知ってる。
うわさじゃ十代の頃からヤクザの下っぱやサーカスの呼び込みまでやって、ウラ社会で生きるすべを身につけたらしい。
親分からもそれなりに見込まれたが、二十歳できっぱり足を洗って、夜市の五番通りに飛び込んだ。
何でもえらく見世物小屋にシュウチャクして、ガマ通りの店々を買い上げるために金を貯めてたとか。
夜市以外で生きられるヤツがわざわざ何でここに来たのかは想像もつかない。
手始めに二、三の店を買い取って、男は見世物小屋に来た。当然門前払いだ。パワフルさんと用心ボウは「酒もタバコも知らないキレイな面のガキが来るところじゃない」と笑い飛ばした。
すると、男はガソリンみたいな度数の酒を頭からかぶって、吸いさしのタバコの火を押しつけて、自分の顔半分を焼きつぶしたそうだ。真っ青になったパワフルさんに男は「もう一回言ってくれないか」とドスを効かせた。
そこからはヤツがここの王だ。
パワフルさんはケイエイコモンというたいそうな役についた。あのシャブ中が信じられるか。
五番通りの男はうわさ通り商才があった。
見世物小屋の西側で客を取らせてたのは前の手紙に書いたな。あれを全部やめた。代わりに自分から雇ってほしいと来たやつらのぶたいになった。
いちばん人気は透明女のストリップだ。
ガマ大明神のアブラは肌がすけるようにキレイになるって売り文句で、アブラ女屋のジジイから買っていく女がひっきりなしだ。
でも、あれは使い続けると、どんどん肌から色が消えて、しまいにゃ筋肉や筋まで見えるようになっちまう。
ぶたいにあがる女は分厚いケショウをしておどる。だんだん汗で白粉が落ちて、服を脱ぐ頃には人体モケイが踊ってるみたいになるんだ。
客がよこした酒がノドを下るのが見せたり、セーラー服のガイコツが花電車をやることもある。
夜市の外からも客が来る。
俺も休みに見に行くがすごいもんだった。全身金ピカの女が踊ってる間に、金パクが汗で流れて見えなくなって、金色の足跡だけがブタイから去っていくんだ。
お前もそういうのを見る年になっただろうか。
五番通りの男はやさしくてうでがいいだけじゃない。
おっかないときはすこぶるおっかない。怠けモンにはようしゃがない。俺の前の雇い主なんかは歌を仕込まれて怠けてたら、ヤツにぶん殴られて、ガラスを食う芸を覚えるか歌をやり直すか今すぐ決めろとおどされたらしい。
だが、マジメにやってる俺たちにはジゴクに仏みたいな経営者だ。俺はちゃんと稼いで、たまにストリップを見たり、タバコを買う以外はずっと金を貯めた。いつかお前が来るんじゃないかと思ってな。
お前はあれからどんな風に成長しただろう。
かんちがいするなよ。見せに来いって言ってるわけじゃない。こうして思いうかべるのが生きがいなんだ。
ユーレイだから死にがいか?
死人ってのは楽しみが少ない。
生きた人間からはどんどん忘れられるし、自分もどれだけここにいるかわからなくなる。俺は毎日爪でオリに傷をつけて、お前がいくつになったか数えていたが、それでも記オクがぼやけてきたくらいだ。
俺にはお前がいるが、他の連中にそんなよすがはない。
となりのオリのヤロウなんかは仲間や客にヒワイなバセイを浴びせることだけが楽しみのさびしいヤツだ。俺がぶん殴ってから、俺に対しては手下みたいにへつらう。
そのヤロウが教えてくれた楽しみってのがユーレイ香だ。
見た目は線香と変わらないが、要はユーレイ用のシャブだ。パワフルさんが見向きもしないってことは大したもんじゃないんだろうが。
何でもユーレイがそれをかぐと、生きてた頃のいい思い出や会いたい人間が見られるそうだ。
となりのオリのヤロウは給金のほとんどをユーレイ香に注ぎ込んで、夢の中で昔の女のチチをもんでいた。さわった感じも匂いも味も全部本物そのものらしい。
他のユーレイたちも入れ込んだが、俺は使わなかった。理由はふたつだ。
ひとつは見世物小屋でユーレイ香を流行らせたヤツらが気に食わなかった。
ウワバミってヤロウとクモってスケだ。ふたりは恋人で、見世物小屋にときどき売りモンをおろしにくる。悪どい商売人だ。
今はこんなところでくすぶってるがいつかデカくなって出て行ってやるといきごんでる。それ自体は悪いことじゃないが、他のヤツをいくらふみにじろうがおかまいなしだ。
今だから言うが、俺が死んだのはウワバミにちょっとした借りがあったせいだ。クモがへまやらかして、落とし前に代わりに死んでくれるヤツが必要だったんだと。
昔の借りをアレコレ言われて、返すあてもないんで、それじゃあ、俺が死ぬかって話になった。
まあ、いい。終わったことだ。
もうひとつの理由はお前だ。
煙が流れてくるたび何度もお前に会おうか迷った。だが、使ううちに本物のお前を忘れて、マボロシの顔形や声で満足しちまうのが怖かった。
ちかっていうが、俺は自分でユーレイ香を使ったことは一度もない。
五番通りの男は、俺たちがユーレイ香でシャブづけになるのをキケン視して早めにキセイした。ユーレイどもは従うふりして、こっそりウワバミとクモから買い付けてたがな。
ユーレイ香に関してはケッパクだが、俺はお前に謝らなくちゃいけないことがある。
休みにガマ通りをぶらついてるとき、ヘビアメ屋と人間風車の出店の間の細い路地でお前を見かけたんだ。
目をうたがった。会いたさにマボロシを見てるのか、となりのオリから流れるユーレイ香にあたったのか。本物のお前だったらすまない。まさか、信じられなかったんだ。
お前は少しやせていて、セキに似た真っ白な顔がよけいに白くなっていた。暗い顔してとぼとぼ歩いてた。
思わずかけよろうとしたとき、お前は大人にうでを引っ張られて、あっと叫んで路地裏に消えた。
あわてて追っかけたが、もうお前はいなくて、ヘビアメ屋から血を煮立てた甘い煙が漂ってるだけだった。
あれからずっと現実だったのかマボロシだったのか迷ってる。
お前はかしこい子だ。こんなところに来るはずない。わかっちゃいたが、不安だった。
お前が昔ここに来たとき、となりのオリのヤロウが聞かせたくないようなろくでもないことを言ったんだ。
書くか迷ったが、謝るついでに書くと、お前は細くて顔がキレイだからここで客を取ればすぐに金を作れるとかそんなことだ。
安心しろ。あいつには俺が一足早くジゴクを見学させておいた。
もしかして、お前が俺をここから出すために金を稼ごうとしてるんじゃないか。
そんなことを思った。
本当はすぐにでもガマ通りを走り回ってお前をさがしたかったが、できなくなった。
ちょっとした問題が起きたんだ。
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