死ニモノ見世物親子モノ

木古おうみ

死ニモノ見世物親子モノ

 お前がこれを読んでる頃、もう父ちゃんはこの世にいないだろう、なんて決まり文句は要らないな。


 お前は俺と違って優しい子だから、一昨日蝦蟇通りの夜市までこんなクズを探しに来ちまった。きっと五番通りの見世物小屋でお前の親父の幽霊を見たって噂を聞いたんだろう。


 今日は誤解を解くためにお前に手紙を書いて、脂女屋の爺に預けた。

 言っておくが、あの爺は父ちゃんの死には関係ない。デブ女が好きすぎて夜市に居を構えてるだけのいい奴だ。


 父ちゃんと言うのもやめた方がいいな。

 お前も怪しんだことがあるだろう。

 俺は子持ちにしては若いし、女みたいに色白で細っこいお前と違って、肌は真っ黒で手には殴りダコがあるし、前歯二本と左手の薬指と小指がない。


 今日はお前の本当の父ちゃんの話をしよう。そして、未練を断ち切ってくれると嬉しい。



 まず、お前の名字にもなったカワズミって名前だが、俺の本名じゃない。

 俺は生まれてすぐ捨てられ、夜市の川の隅に流れ着き、土左衛門をオカズに抜きに来た脂女屋の爺に拾われた。だから、カワズミだ。



 俺は日の光を知らずに夜市で生きて、見世物小屋の用心棒として雇われた。


 興業の目玉は幽霊だ。

 幽霊どもが語る生前の思い出は俺よりずっと人間らしくて苛ついた。奴らをを電気警棒でぶん殴るのだけが楽しみだった。


 幽霊を作る仕事もした。流石に人殺しじゃないぜ。後押しをするだけだ。

 パワフルさんっていう、満月になると二階の窓から飛び降りちまうシャブ中の女がいた。奴は数を数えられないから、俺が八階に連れて行ったらそのまま飛び降りた。

 幽霊になったパワフルさんはいつも真っ暗の夜市でも月の夜をわかって飛び降りる真似をしたから客に人気だった。

 そろそろ俺に幻滅したか。



 ある日、店主が目玉商品を連れてきた。

 子育て幽霊だ。

 見世物小屋の最奥、橙の提灯をぶら下げた朱の漆が剥げかけの檻の中に奴はいた。


 肌は死装束と同じくらい白くて、夜の川みたいな長髪だけが黒かった。胸に抱いた赤ん坊を触らせまいと髪の檻で閉じ込めてるようだ。

 遺影売りの店で見た幽霊画の女にそっくりだった。


 だから、筋張った首に喉仏が見えたとき、俺はひっくり返った。

 男かと聞くと、奴は檻の間から鋭い歯でがちんと噛みついた。避けなかったら俺の指は今頃更に少なかっただろう。


 奴は獣みたいに威嚇し、電子警棒でぶん殴っても赤ん坊を離さなかった。

 こっちも意地だったが結局根負けした。

 俺は見張りだ、赤ん坊を盗りゃしねえと言うと、奴はようやく格子から離れた。



 俺が煙草を吸うと、幽霊は子に毒だから離れろと言った。死人は癌にならねえだろと答えると、奴は死んでないと赤ん坊を掲げて見せた。

 親に似て色白だが、ちゃんと血が通っていた。俺はまたひっくり返った。



 俺が言われた通り離れたから気を許したのか、幽霊は身の上を語り出した。


 名前はセキというらしい。

 セキは名家の生まれだが、両親に恋人との結婚を反対され、女が半殺しにされた。駆け落ちして水路で逃げる最中、家の下手人が追っかけてきて船をひっくり返した。


 気づいたときには土の中で、隣には生まれたての赤ん坊がいた。

 穴から這い出してみると、俺の溝川の隅だった。そばにかまぼこ板の墓標が転がってた。脂女屋の爺が立てたのかもな。

 土手を掘り起こしても嫁は見つからなかったが、赤ん坊は嫁さんそっくりで、我が子とわかったと。



 セキはお坊ちゃんとは思えないくらい金に汚く、興行のたびにおひねりの分け前を俺にせびった。赤ん坊のミルク代だとさ。

 夜市じゃ粉ミルクなんて売ってないから、脂女屋から乳香色の汁を買うんだ。


 セキは俺に紙札を寄越してパシリに使いやがった。ネコババしたら耳朶を噛みちぎると言われた。



 だがな、夜市で妙なものを買うより、巷の買い物のが安く済む。

 俺は夜市から出て一番安い粉ミルクを買って、余った金で雇い主の下に行った。


 奴はおかっぱの美少女みたいな見てくれだが、三十年も見世物小屋を営んでる。奴のクソみたいな性根は夜市で大成するのにぴったりだった。



 見世物小屋はセキがいる東側の客が見るだけの場所と、西側の見世物に触れる場所で分かれていた。どういうことかわかるよな。


 西側の手前には四つ脚の女や顔がふたつついた男がいて、奥からは売り物になる前の男や女の泣き声が響いていた。


 雇い主は俺が金を持ってることを珍しがった後、馴染みのイシって女のところに通した。


 イシは髪が真っ白で、ブヨブヨの身体に紫斑があって、頭もおかしかった。

 イシは名前の通り石が好きだった。俺が河原の石をやると、昔宝石をくれた恋人だと勘違いするんだ。虚しい話だが、俺に笑ってくれるのはイシだけだったんだ。



 俺は東側の檻に戻り、セキに粉ミルクを渡した。脂女の汁よりガキの身体にいいはずだとか言い訳すると、セキは目から涙を落とした。

「この夜市で我が子を大事にしてくれた人間は初めてだ」と微笑んだ。

「ありがとう」

 人生で礼を言われたのは初めてだった。



 セキは仕事に精を出した。蛇を食ったり、火のついた蝋燭を丸呑みして、客から山程おひねりをもらった。金はきっちりせびられたが、今度は俺がピンハネするまでもなく、粉ミルクを買いに行く手間賃をくれた。



 俺たちは夜毎、友だちみたいに檻越しに喋った。


「妻に会いたいのだ」

 セキは長い髪で赤ん遊ばせながら夜空を見上げた。

「我が子の名は妻がつけると約束した。この前では息子は名無しだ。心残りで成仏できない。きっと妻も同じ思いで幽霊となって彷徨っているだろう」

「俺も親なし子だから気持ちはわからんでもねえよ」

 俺が名前の由来を話すと、セキは自分のことのように辛そうな顔をした。本当に育ちがよかったんだろうな。だから、俺なんかを信じて妻を探してくれと頼んだんだ。


「探すったって顔も知らねえよ」

「顔は私によく似ている」

 困惑する俺にセキは言った。

「妻は我が家の女中だった。妻の母も女中だった。私の父が奉公に来た娘に生ませたのが我が妻だった。私たちは兄妹だったのだよ」

 親の因果が子に報いってのは見世物小屋の謳い文句だな。セキは悲しげに笑い、死装束から翡翠の耳飾りの片方を見せた。

「この片方を妻が持っている」



 俺は仕事の暇を見つけてセキの妹兼妻を探した。

 幽霊を扱う店を片っ端から訪ね、丑三つ時の河原に立ってみたりもしたが、なしのつぶてだった。

 脂女屋の爺に聞きに行ったこともあった。


「爺さん、溝川にかまぼこ板の墓を建てたのはあんただろ」

「立てた。よく膨れて眼福だったが、途中で男だと気づいて弔ってやった」

「変態め。赤ん坊も一緒に埋めただろ」

「埋めたな。あの子の母親が夫と一緒にしてくれと言ったから」

 俺は爺に詰め寄った。

「ガキのお袋は誰だ? 今どこにいる?」

「よく膨れてた。お前のすぐそばにいるよ」

「気色悪いこと言うんじゃねえよ」


 二百貫ある爺さんの嫁が、「あたしの前で他の女の話をするんじゃないよ!」と俺を蹴り出したからそれで終わりだった。



 脂女屋を出ると、青い煙を吐く瓦斯屋や蝦蟇大明神の緑の脂で夜市が汚く輝いていた。

 蛇飴屋が大蛇の餌にする犬を入れた檻をぶら提げて、輪切りの赤い蛇飴を並べていた。

 セキのガキにはこんなところで育ってほしくないと思った。



 俺は雇い主の元に行った。

 奴は西側の檻で足がない少年に鞭打ってるところだった。


 雇い主は汗を拭って少女みたく笑った。

「カワズミ、あの幽霊と仲良しだね」

「仕事ですから」

「それ以上に見えるな。困るよ。幽霊は満足すると成仏しちゃうから手酷く扱わなきゃ」

「奴に張り切らせるために餌が必要なんです」


 俺は少し迷った後、セキの嫁の話をした。雇い主はひどく厭な含み笑いを浮かべた。

「そんな幽霊女は知らないな」



 俺は鞭の音と少年の泣き声を聞きながら雇い主の元を去った。

 帰りにイシに相手してもらおうと思ったが、檻は開け放たれて、あの娘の姿はなかった。


 東側に戻ったとき、獣が吠えるような声が聞こえた。セキの声だった。

 俺が駆けつけると、檻の前に指や耳を食い千切られた男どもが転がって、朱の塗装が禿げた格子が赤く染まっていた。


 セキは口から血を垂らしていた。振り返ると、雇い主がイシを連れてニヤリと笑っていた。傍にはセキの子を抱いた男がいた。


 セキが吠える。

「私の妻に何をした!」

「妻?」

 雇い主は俺の問いに答えず、笑ってイシを殴り倒した。泣き叫ぶイシの懐から翡翠の耳飾りがひとつ転げた。血の気が失せた。


「幽霊女は知らないって言っただろ。彼の妻は変わり果てもまだ生きてるよ。これから死ぬけどね」

 雇い主はイシの顎を掴んだ。

「夫婦の幽霊なんて見物だ。お互いが未練になれば成仏しないしね」


 セキが叫ぶ。

「私の妻と子を離せ。カワズミ、止めてくれ」

 雇い主は右手で電気銃を構え、左手で赤ん坊に触れた。

「お前のじゃないよ。カワズミが孕ませた子だ。イシが産んですぐ溝川に捨てたはずだけど生きてたんだね。夫婦で顔が似てるから気づかなくても無理ない」


 あのときのセキの目は今でも忘れない。

 奴は怒りと悲しみに顔を歪ませて、見世物小屋が震えるほど吠えた。

 破壊の音が響いた。セキは自分を押さえる奴らの喉笛と檻を食い破り、雇い主に飛びかかった。


 鋭い歯が迫る寸前、雇い主は電気銃を赤ん坊に向けた。セキが怯み、銃声が二発響いた。

 ひとつはセキの胸を、もうひとつは赤ん坊を庇って飛び出したイシの背を貫いた。



 俺は馬鹿みたく立ち尽くしていた。髪を振り乱したセキが俺を睨む。

 俺は咄嗟に雇い主の傍の男を殴った。奴に殴り返されて前歯が折れたが、俺は奴の両目に指を押し込んで赤ん坊を奪った。


「セキ、赤ん坊を」

 俺が差し出した左手の指に稲妻が走った。熱さの次に激痛を感じた。薬指と小指が吹っ飛んでいた。


 雇い主は電気銃を俺に向けた。

「商売道具が駄目になったんだ。代わってもらうよ」


 セキが俺に逃げろと叫んだ。まだ俺を心配するなんて。

 俺は赤ん坊を抱きしめ、身を丸めて目を瞑った。


 ズドンと天地がひっくり返ったような音がした。

 痛みは襲ってこなかった。

 目を開くと、雇い主がパワフルさんに押し潰されて伸びていた。

 満月の夜だった。


 俺は下敷きになった雇い主から電気銃を奪い取り、電池が切れるまで頭を撃ち続けた。



 電流が血を沸騰させる焦げ臭い匂いが見世物小屋に満ち、俺は我に返った。


 イシの死体は消えていた。代わりに、セキの隣によく似た綺麗な女が立っていた。

 ふたりは細い身体で抱き合って微笑んだ。女がセキに何か囁き、セキは俺の方を向いて言った。

「ホマレ」

 と。


 漢字も聞いておけばよかったな。お前の名前が全部片仮名になっちまった。


 幽霊たちは消え、辺りは死体だらけになった。噛み千切られた男たちと、首無し少女みたいな雇い主。

 返り血を浴びたお前が俺の頬に触った。満月の光の下でお前を抱きしめながら、真っ当に生きようと思った。



 娑婆で暮らすのは難儀したが、クズなりに頑張ったつもりだ。字もろくに書けなかった俺がお前に手紙を残せるようになったくらいだからな。


 とはいえ、お前には貧しくて辛い思いもさせた。でも、お前はこんな俺を慕ってくれたな。

 お前に父ちゃんと呼ばれるたび胸が痛んだ。


 雇い主の話は嘘だと思う。あのカスが俺たちを動揺させるために言っただけだ。

 お前はちっとも俺に似てない。どんどんセキに似てきてる。

 クズの血は一滴も入ってないから、安心してくれ。



 俺が死んだのは俺のせいだ。夜市にいた頃のしがらみでな。ツケが回ってきた。


 頭にズドンと一発だったから苦しまなかったし、死体は脂女屋の爺が溝川の土手に埋めてくれた。結局故郷に逆戻りだな。


 今、俺は見世物小屋でセキがいた檻にいる。

 蛇は意外と美味いし、蝋燭の丸呑みも慣れた。向かいの檻にいるのが元の雇い主ってことだけが不満だ。

 恐ろしいことに、今見世物小屋を経営してるのはパワフルさんだ。奴に商才があるとは思わなかったが、前の雇い主よりずっといい。



 俺のことは忘れて日向で真っ当に生きろ。


 でも、もし、どうしても金に困ったら、五番通りの見世物小屋の東側に来い。客からもらった紙札を溜めてある。

 満月の夜には来るなよ。イカれた女が降ってきて下敷きにされるぞ。



 もう紙が足りなくなっちまった。

 俺は人生でお前といた時間が一番幸せだった。俺みたいなクズにはもったいないホマレだ。


 じゃあな。元気で。

 お前の親父は片方幽霊で片方クズだが、どっちも人でなしだから、人並み以上にお前を愛してる。

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