第6話

香織と涼介は再び藤崎恭一の部屋を訪れた。門司港のホテルの一室は、以前と変わらず整然としていたが、今回の訪問には明確な目的があった。二人は事件の決定的な証拠を手にしており、藤崎と対峙するための準備を整えていた。


「どうぞ、お入りください」

と藤崎の声がドア越しに聞こえた。香織と涼介は緊張感を抱えながら部屋に入った。


藤崎は落ち着いた表情で二人を迎え入れたが、その目には微かに警戒心が見え隠れしていた。彼の鋭い目は、相手の心の奥底まで見透かそうとしているかのようだった。


「お忙しいところ、再度お時間をいただきありがとうございます」と香織が礼儀正しく言った。


「いえ、どういたしまして。松本さんの件で何か進展があったのでしょうか?」

と藤崎が問いかける。


香織は軽く微笑みながら、「はい、実は非常に重要な進展がありました」と答えた。


藤崎の表情に一瞬の緊張が走ったが、すぐに冷静な顔に戻った。香織と涼介は彼の動揺を見逃さなかった。


「藤崎名人、まずはこの映像をご覧いただけますか?」

と涼介が言い、持参したタブレットを藤崎の前に差し出した。映像には、名人戦の対局中に藤崎が毒を仕込む瞬間が映し出されていた。


藤崎の目が映像に釘付けになり、その鋭い目が徐々に動揺を見せ始めた。


「これは…一体どういうことですか?」

と藤崎が声を震わせながら尋ねる。


「映像にはっきりと映っています。あなたが駒に毒を仕込む瞬間が」と香織が静かに言った。


さらに、香織は藤崎の手帳を取り出し、

「そして、この手帳には『王将の死角』という言葉とともに、松本さんに対する異常な執念が記されています」と続けた。


藤崎の顔から冷静さが消え、苦しそうな表情が浮かんだ。

「それは…松本に対する正当な対策を記録していただけです」

と弁明しようとしたが、その声は明らかに力を失っていた。


「そして、これが決定的な証拠です」

と涼介が言い、毒の成分分析結果と藤崎が毒を購入した記録を藤崎の前に置いた。

「この毒は、あなたが特定の研究施設から購入したものです。」


藤崎は完全に追い詰められた。その顔には絶望と後悔が入り混じり、冷静さを装うことができなくなっていた。


「なぜですか、藤崎名人。なぜ松本さんを殺さなければならなかったのですか?」

と香織が優しく問いかけた。


藤崎は一瞬目を閉じ、深い息を吐いた。そして、重い口を開いた。

「松本は…私にとっての屈辱そのものでした。十年前の敗北が、私の中で深い傷を残していたのです。彼を超えることでしか、私は自分を許せなかった。」


「だからと言って、命を奪うことが正当化されるわけではありません」と涼介が冷静に指摘した。


藤崎の目に涙が浮かんだ。

「私は間違っていました。彼を倒すことが私の唯一の目的になってしまっていた。将棋は私のすべてでしたが、それが私を狂わせてしまったのです。」


香織と涼介は藤崎の言葉に耳を傾けながら、その深い悔恨と絶望を感じ取った。香織は優しく言った。

「藤崎名人、あなたの行動は許されないことです。しかし、真実を語ることで、少しでも心の重荷を軽くすることができるかもしれません。」


藤崎はうなだれたまま、

「すべてを話します。私の罪を…償わなければなりません」と呟いた。


香織は静かに立ち上がり、最後の一撃を放つ準備を整えた。

「藤崎名人、最後にもう一つだけお聞かせください。あなたは、なぜこのタイミングで松本さんを襲ったのですか?」


藤崎は一瞬、動揺を見せたが、再び口を開いた。「松本が再び私に挑戦してくると知ったとき、過去の屈辱が蘇ったのです。彼を再び破ることで、自分を取り戻せると思いました。しかし、それは間違いでした。」


「その通りです。そして、あなたの過ちはもう一つあります。将棋の本質は勝敗だけではなく、対局相手への敬意と誠意を持つことです」

と香織は静かに語りかけた。


「チェックメイトです、藤崎名人。」


その言葉に、藤崎は深い絶望の中で全てを悟ったように見えた。彼の目には涙が浮かび、その後、深い沈黙が部屋を包んだ。


こうして、藤崎は松本一郎を殺害した事実を認め、その動機と詳細を語り始めた。香織と涼介は、藤崎の自白を記録し、彼が犯した罪を明らかにするための最後の手続きを進めた。


事件は解決に向かい、真実が明らかになる瞬間が訪れた。藤崎の心の中には、将棋への情熱と同時に、自らの過ちへの深い悔恨が残されていた。

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