オーロラ

「櫻子も海外とか行ってみたら?結構価値観変わるよ」 


家のベッドに寝転がりながら、南帆の帰り際の言葉を思い出していた。


海外、ねえ…。


なにかしたいことがあったような、行きたい場所があったような気はするのに、思い出せない。

もしかしたら、最初からそんなものなかったのかもしれない。


こんな空虚でいいの?私の人生。


母の死も、大して楽しくない毎日も、いつかは乗り越えられる、大丈夫になる。

でもその「いつか」とは、いつなのだろうか。

その時まで、どうやって耐えればいいのか。


結局答えが出ないまま、なんとなくスマホで動画サイトを開く。

さほど面白くもないのにこんなもので半日くらい消費できてしまうのだ。普通にすごいなと思う。


好きなアーティストの曲も、中学生の時から好きな小説家の本も、最近の私にはどうも響かない。

心を動かされるという体験を、しばらくしていないのだ。



ふと、あるショート動画に目が止まった。


『オーロラを見てきました!』


バックパッカーの人のチャンネルらしい。

今まで何回かこの人の動画が流れてきたことがある。


オーロラ、という単語に惹かれて、動画を見てみる。


映し出された光景は、それはもう綺麗だった。粗雑な音声と、急いでカメラを回して撮ったことがわかる素人臭い映像でも、オーロラはまるでこの世のものではないかのように、美しく輝いていた。


この光る波を、どこかで見たことがある。

唐突にデジャヴを感じた。


なんだっけ、どこで見たんだっけ、と必死に思い出そうとしたが、なかなか出てこなかった。


「お母さんなんて大嫌い。」


突然、その言葉を思い出した。

オーロラとなんの関係があるんだろうと思ったが、すぐに分かった。

あれはまだ、十四歳の、中学生の頃の私が心の中で何度も言った言葉だ。


たしかしょうもないことで母と喧嘩して、不貞腐れて自室でなぜか旅行雑誌を読んでいた。その雑誌に、オーロラの写真が載っていた。その美しさに感動したのだ。あの時の私は。

母は旅行が好きで、常に旅行に行きたい、と言っているような人だった。

母は旅行に行くのも好きだったが、旅行雑誌を読むのも同じくらい好きだった。だから私の家には母が買い溜めた旅行雑誌が大量にあって、私も暇な時に読んでいた。


とりわけ母と喧嘩した時は、現実逃避をするかのように旅行雑誌を読んでいた。


思い出した。


今の私がそのことを忘れていると知ったら、十四歳の私は怒るだろう。


ごめんね。


あの頃の、母を本気で恨んではすぐにまた大好きだと思ってしまう、情緒不安定でどうしようもなく幼かった自分は、早く大人になりたいと思っていた。早く大人になって、自分を縛るあらゆるものから解放されたい、と思っていた。



オーロラを見に行きたい。


中学生の自分はそう思っていたのだ。


母からも、父からも、面倒くさい友人関係からも、この家からも、逃げたい。


そう、思っていた。


でも大人の私は、あなたのことを忘れてしまっていた。あなたが思っていたこと、行きたかった場所、見たかったもの。全部大人の私に託してくれたのに。




「じゃあ、今からでも見に行けば」




突然、中学生の自分の声が聞こえた気がして、そして今更気付いた。

そうだ。行けるじゃん、今の私は。

あの頃の私がしたかったことを、今は叶えてあげられる。



オーロラだ!



そう思いついたら、なぜだか心が宙に浮いたみたいな感覚になった。

久しぶりに、気持ちが上がっているんだ、と気づいた。

ワクワクする、という感覚は本当に久しぶりだった。


オーロラを見に行って、それで、それで…。



もう、それだけでいいや。と思ってしまった。



どうせ帰ってきたら、いつもと同じ毎日が待っている。

もう二度と会えない母。どうしても家族になりきれない父。最近あまり楽しいと思えない友人とのぬるい付き合い。ただお金を稼ぐためにやっている仕事。


単調で、退屈で、変えようがない。

終わりも希望も見えない日々。



なら、いっそ―――終わらせてしまおうか。



オーロラを見る、そして帰ってきたら、死ぬ。



多分これ以上ないほど最高な人生の終わり方だ。



死ぬ、という選択肢を認めたら、なんだか一気に楽になった。


そうか。私、死にたかったんだ。


母が逝ってからずっと、何に対しても希望を見出だせないでいたのだ。ただ認めたくなかっただけ。


『死ぬ前の、最後の旅』


なんだかいい響きだと思った。


早速私は、スマホでオーロラを見れる場所を探し始めた。

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夜光歌 隣乃となり @mizunoyurei

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