ムサカ
店内は意外と混んでいた。
従業員は忙しいのか、こちらに顔を向けないまま半ば投げやりに「いらっしゃいませー」と言ってバタバタと厨房とテーブルを行き来している。
先に店に入っているらしい友人を探そうとキョロキョロしていると、突然後ろから「櫻子!」と呼びかけられた。振り向くと、待ち合わせしていた友人の
「南帆!久しぶり〜!」
久しぶりに友人に会った嬉しさからか、少し声が高くなる。すぐに南帆の座るテーブルに向かい、座った。
久しぶりに会った友人は、今まで背中まで伸ばしていた長い髪の毛をバッサリと切り、可愛らしいボブ姿になっていた。
「髪切ったんだ!似合ってるじゃん。」
思わず私がそう言うと、南帆は軽く首を左右に揺らして「えっへへ」と照れ笑った。
席に着いて、私も南帆もハンバーグセットを注文した。
料理が届くまでの間、私たちはいろんな話をした。もちろん母に関することは、お互いまるで避けるかのように話題に出さなかった。南帆の髪を切ってくれた美容師がかっこよかっただとか、この前散歩の時に異常に犬に吠えられて大変だったとか、そういうくっだらない話。でも、話すのはほとんど南帆だった。私はこの2ヶ月間母に関することしかしていなくて、友人との雑談に最適なネタは全くと言っていいほど持っていなかったのだ。
だから私は、南帆の話に耳を傾けて、馬鹿だねと笑う。それだけでよかった。
料理が運ばれてきたので、2人で食べ始めた。
ここのレストランのハンバーグは、デミグラスソースというよりはかなりケチャップ感が強いソースで、程よい酸味があってなかなかに美味だった。
「これおいしいね。」
「うん。びっくりした。」
思わず南帆と顔を見合わせて言ったほどだ。
「ここ最近で食べた料理の中で一番おいしいかも。」と私が言うと、彼女は「たしかに」と言いかけて、いや、もっとやばいのあったわ。と慌てて鞄からスマホを取り出して私に見せた。
南帆が見せてくれたのは、切り分けて皿に盛り付けられたラザニアのような食べ物の写真だった。
「なにこれ。」
「知らない?ムサカっていうんだけど。ギリシャ料理。」
へーと相槌を打ちながら、ギリシャか、どこだっけと思考を巡らせた。ギリシャヨーグルトとかきいたことあるな。
「これがほんっとうに美味しくて!ナス入ってる料理なんだけど、うますぎて私ナス嫌いだけどぺろりといけちゃったもん。」
「へー。ギリシャ料理の店?」
私が聞くと、南帆は待ってましたと言わんばかりに、
「いや、実はね。本場行ってきた。」
とドヤ顔で言った。
本場…。ということは、ギリシャに?
「え!ほんとに!?」
驚きのあまり、思わず席を立ち上がりそうになった。
「行ってきましたよ〜ギリシャ。」
きっと彼女は、この話を一番したかったんだろう。満足気ににんまりと笑って、私が質問するよりも先に話し始めた。
「職場の後輩と行ったんだけど、あ、出張とかじゃなくて普通に旅行ね。その子がギリシャ行ってみたいですって言うからついて行ったら、まあすごい楽しくて!」
興奮気味に話す南帆にうんうんと相槌を打ちながら、彼女の言った「職場」という言葉に、胸が微かに痛んだ。
――母が亡くなってから、会社には一度も行っていない。
もちろん無断欠勤ではなく、優しい上司がしばらくは休みなよと言ってくれたので、それに甘えさせてもらっているのだ。いや、本音をいうと、そう言ってもらった以上、断るわけにはいかなかった。上司の気遣いを無下にできるほど傲慢な部下でもなかったし、ここで断ったら、それこそ母の死を悲しんでないように思われるかもしれない。
でも、もう2ヶ月だ。そろそろ復帰してもいい頃だろう。でもなぜだか、職場に行くことを考えると少し憂鬱になる。
悪い職場ではない。待遇にも上司にもかなり恵まれていると思う。
――じゃあ、なんで。
「ねえ聞いてる?」
不満そうな南帆の声で現実に引き戻された。
はっとして、「ごめん。ちょっと考え事してた。」と曖昧に笑う。
「櫻子、なんか顔色悪いよ。大丈夫?」
南帆が私の顔を覗き込んだ。精一杯の作り笑顔で大丈夫大丈夫、と言い、続けて、と言った。
「聞かせて。さっきの続き。」
南帆は一瞬心配そうな顔をしたが、すぐにさっきの調子に戻って、喋り始めた。
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