マイ・ファザー

私は昔、父のことが大嫌いだった。

まあ思春期の女の子なんて、大体そんなものだと思うが。

具体的に言うと、私は父の「常に人を見下して嘲笑っているところ」が一番嫌いだった。相手が妻だろうが子供だろうが、自分が常に正しいということを信じて疑わず、相手を格下だと決めつけてかかるのだ。反抗期の私は、大して筋の通った話もできないくせに、その自信はどこからくるのかと半分呆れていたものだ。

でもあの頃の私もまだまだ幼く、しょっちゅう父と言い合いになっては泣いていた。それもそのはず、父には妙な威圧感があって、子供の私は言いたいことが山程あるのに結局それを言えず、挙げ句泣いてしまうことが多かったのだ。泣いている私を見て、父は論破してやったと言わんばかりに満足そうに部屋を出る、そんなことの繰り返しだった。


父は私と家で2人きりになるとすぐに何かと小言を言ってくるので、私はできるだけ父と顔を突き合わせないようにしていた。


そうして、私たちの会話はどんどん減っていったのだ。


中高生の頃、父親の愚痴がしばしば話題になった。「うちのお父さんさぁ〜」から始まる友人たちの話は、スカートが短いと大げさに心配されたことだったり、いちいち話しかけてきてキモいだったり、愚痴でありながらも父親との仲の良さがうかがえる可愛いもので、そんな微笑ましい話とは無縁の私は、友人たちを心から羨ましいと思っていた。まず私は、友人たちが家で父親と何かしらの会話をしていることに驚きを隠せなかった。ましてや、仲が良いだなんて。私は友人たちの話を笑って聞きながらも、密かに衝撃を受けていた。


私には兄弟がいなかったため、家での話し相手は主に母だった。その日学校であったくだらない出来事を話したり、テストで思いの外いい点を取ったことを自慢したり。一方父との会話は格段に減り、嫌悪感が大きくなるだけだった。

大人になった今は、父の気持ちもわからないでもないし、何より時が癒してくれて、かつてあったような燃えるような激しい怒りや嫌悪感はいつの間にかすーっと消えていったと思う。だけど、私たちの間にある妙な気まずさはいつまで経っても消えず、帰省しても父とは軽く挨拶を交わすだけだった。

だから、母が亡くなった後が父と一番話したと思う。葬儀のことだったり、相続のことだったり。驚くくらい、それらはスムーズに片付いた。まるで昔から気まずさなど存在しないかのように話せたのだ。私と父はあの本当に短い期間だけ、になれた。

もしかしたら、このまま私たちは本当のファミリーになれるのかもしれない。そんな思いが頭を掠めた。

が、あらゆることが一段落すると、結局私たちは元通りになってしまった。必要以上に話さず、会わず。同じ家で生活していても、お互いの存在をあまり感じなかった。母が生きていた頃は、母が私と父をかろうじて繋ぎ止める役割をしていたので「家族」の形はなんとか保たれていたが、母がいない今、私と父はお互いに歩み寄らないと今度こそ本当に離れ離れになってしまう。

私も父もお母さんに甘えすぎていた。そのことに気づいてもなお、不器用な私たちは自ら動こうとしなかった。いや、本当は不器用なんていうのはただの言い訳で、心のどこかでは、父との距離を縮めるのを諦めていたのかもしれない。別に今のままでいい、と。


このままずっと実家にいても、お母さんの不在を強く感じて辛くなるだけだし、父もきっと気まずいだろうし、と思ったので、そろそろ家を出ることにした。そもそも離れて住んでいるとはいえ同じ東京都内なのでさほど問題ないと思っていた。そのことを父に告げると(もちろん、気まずい云々は父には言わなかった。そんなこと言ったら余計気まずくなるだけである。)、彼は「そうか」とだけ短く言って、黙りこんでしまった。

私はその沈黙に耐えられなくなって、「じゃあ、そういうことだからね。見送りとかは別に大丈夫だから。」と言い残して、足早に自室に戻った。


その後少し、父について考えた。母が亡くなってからの父は、当然悲しみに暮れてはいたが、無気力な感じとは程遠かった。

もっと言ってしまえば、自殺してしまいそうな感じには見えない。だから、私も少し安心した。


じゃあ私はどうなんだろう。

その問いが心に生まれた瞬間、身体中にブワッと鳥肌が立った。

なんてことを、私はなんてことを考えてしまったんだ。必死に、心に浮かんだ残酷すぎる思いつきを振り払おうとした。でもそうしようとすればするほど、意識が向いてしまって消えない。 


――――自殺。


今自分は本当に、そんなものに何か奇妙な喜びのようなものを感じてしまったのだろうか。


自分が自分じゃないみたいだった。普段の私だったら、例え何かの間違いだったとしてもそんな思いつきはしない。


やはりこのまま実家に居続けるのは良くないと思った。本当はあと何日かはいようと思っていたが、やっぱり明日の朝出発することにした。

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