46話 それは四百年の昔

 目の前に現れたのはローゼにとって見覚えのある光景、グラス村の神殿の中だ。

 だけど祭壇に立っているのはアーヴィンではなく見覚えのない壮年の男性神官。そして、神官の目の前にいるのは、エルゼ。


【やめろ!】


 聖剣からレオンの悲痛な声が響く。

 だけど神官もエルゼも声に反応しないのは、これが過去の出来事だからだ。ローゼもレオンも、四百年前のこの場にはいなかった。


「本当にそれでいいんだね、エルゼ」


 壮年の神官が声をかけると、未だ涙にぬれている赤い瞳を上げたエルゼがうなずく。


「はい。お願いします、神官様。大神殿に連絡をして、少しでも早くレオンを捕まえてください」

「分かった。禁忌の枝を持っているのならば、きっと大神殿の動きは早い」


【みたくない! ききたくない!】


 駄目よ、とローゼはレオンに言う。声は出ないのだけれど。

 レオンはこれを見なくてはいけない。聞かなくてはいけない。本来なら四百年前に知るべきだった事実だ。


「レオンは徒歩なんだね? まだこの辺りにいるかもしれない。村人たちに手を貸してもらえばすぐに捕まえることもできるんじゃないか」

「いいえ、それは駄目です。レオンは、絶対に大神殿へ近寄らないと言っていました。それなのに禁忌の枝を持っていたのです。……品が品ですから、好意の協力者がいるとは思えません」

「……なるほど。今のレオンは手段を選ばなくなっている。下手をすれば村人に被害が出る可能性もあるか」

「はい。ですから大神殿側で捕まえてもらいたいのです、それもできるだけ早く。そうすれば」


【やめろおおお!】


「今ならまだ間に合います」


 エルゼの声は大きくはないのによく通った。


「まだ、魔物にならずにすみます。大神殿がレオンを捕まえて浄化してくれたら、レオンは人に戻って、きっと罪に気づいて、たとえ何年かかってもきちんと償ってくれます。……そうしたら」


 顔をあげてエルゼはほんのり笑みを浮かべる。青い顔に少しだけ紅がさした。


「今回でよく分かりました。レオンは近くに誰かいないと駄目な人なんです。だから私は、レオンと一緒に行きます。レオンのことを近くで見ていてあげるんです」

「いい考えだ」


 神官はエルゼを元気づけるように笑って、彼女の肩を叩く。


「あいつはいつまでたっても子どものままで困ったものだな。よし、では私は大神殿に禁忌の枝のことを連絡するとき、レオンが瘴気に染まっていることも一緒に書いておく。大丈夫、きっと元通りにしてもらえるさ」


 エルゼも神官もレオンはすぐに見つかるだろうと思っていたはずだ。神殿はどの地域にだってあるのだから、逃れるのは難しい。

 しかし意に反してレオン発見の報が届かないまま時が流れた、ある日。


「エルゼ!」

「神官様? どうなさったのですか」


 家に駆けこんできた神官は顔色を無くしていて、悪い知らせなのだと一目で分かった。


「今しがた大神殿から連絡が届いた。巫子全員に託宣が下ったらしい」


 全員。ならばそれは確実な神託だ。


「神が……あるじのいなくなった十一振目の聖剣を、ご自身の元へ戻されたと……」


 エルゼは「ああ」と呟いて力なく床に座り込んだ。

 聖剣がこの世にないのであれば、どういう形であれレオンはもうこの世にいない。大神殿はレオンを捕まえられず、レオンが人に戻ることもなかったと、エルゼにも理解できた瞬間だった。


 エルゼの頬を涙が伝い、喉から出た声が辺りを震わせる。魂が引き裂かれるような慟哭のなか、神官が呟いた。


「……北の地で、レオンらしき人物を見たという話があったそうだが……」


 最後の「間に合わなかった」は、誰の耳にも届かなかった。


 村が魔物の襲撃を受けたのは、レオンが消えた次の年の話だ。

 運悪く大きな瘴穴しょうけつが村の中に出来てしまった。現れたのは食人鬼。太い腕と足は人々と建物を片端から蹂躙していく。


 小鬼ならともかく、食人鬼のような大型の魔物は神の力を持つ者でないと対峙できない。付近の集落から神官たちが集められ、出現の翌日にようやく魔物を退けられた。


 この戦いで最も果敢だったのは壮年の男性神官だった。

 小さな村の神官を務めるかたわらで近隣の魔物を消すことに尽力していた彼は、食人鬼との戦闘でも常に先頭に立っていた。彼のおかげでほかの神官はほぼ無傷だったが、代わりに彼は神の力でも癒せないほどの深手を負って倒れてしまった。


 彼の最後の言葉は懺悔だった。


 せっかく名誉の大役を受けることができたのに、あの子にとっては何も良いことがなかった。

 自分がもっとしっかりしていればあの子に信用してもらえたはず。良い方向へ導いてやれたはず。きっと違う結末だって見せてやれたはず。


 レオン。

 すまない、すまない、すまない。


 謝りながら彼は息を引き取った。


 食人鬼による被害は大きく、この神官のほかにも多くの村人が命を落とした。

 しかし赤い髪と瞳を持つひとりの女性と、神殿は無事だった。


 新たな神官も赴任し、村もどんどん綺麗になる。

 復興がなったと思われるころ、村長が言った。

 村も新しくなったことだしこれを機に名前も新しくしてはどうか、と。


 その案にみんなが賛成し、話し合いの結果、村の名は『果ての緑グラス』に決まった。


 これからみんなで力を合わせ、この地を緑豊かな地にしようとの決意の表れだった。



   *   *   *



 禁忌の枝の捜索は続いたが、いくら探しても見つからなかった。

 よって大神殿は「所持者が消えたとき枝も一緒に消滅した」と結論付けた。


 同時に大神殿は不名誉な聖剣の主だったとして、『十一振目の聖剣を初めて持った者』に関する内容を記録から消し去ることにした。


 名前も、年齢も。

 何をしたのかも。

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