43話 木立の中の影

 朝食を終えたローゼがセラータに荷物を積み終わるころには、フェリシアも自分の馬、ゲイルに荷物を積み終わっていた。


 今日はフェリシアとふたりきりになる。今までは一団について行けば良かったがそういうわけにはいかない。王都へ行くにはどういう道を通るのか分からなくてローゼは不安だったが、フェリシアは自信があるようだ。


「ここからですと王都は南の方角ですもの、南へ行けば良いのです」

「それだけで分かるもの?」

「ええ。道の途中には行先を示す看板がありますもの。それにアレン大神官様の一団はとても人数が多いですから、きっと大きな街道を選んで進むはずですわ」

「なるほど! 今までもそうだったもんね!」


 こうしてローゼはフェリシアと連れ立ち、ふたりで道を進むことになった。いにしえ聖窟のせいくつがある山から下り、南へ行くため来た道の途中で方向を変える。

 フェリシアとふたりだけの旅は不安もあるが楽しみも多かった。一番良かったのは途中の集落に立ち寄りが可能だったことだ。先を急ぐのだからゆっくりはできないが、この旅に出てから初めて集落に立ち寄ったローゼはそこにあったもの、それこそ家の柵や商店の売り方ひとつに至るまで感動して声を上げた。おかげで、フェリシアだけでなく周囲の人たちにもくすりと笑われ、店の人からは「そんなに喜んでくれたのだから」と果実をおまけしてもらった。


「この果物、美味しいねえ!」


 再び街道へ戻ったローゼがセラータの背の上でたっぷりの果汁を味わっていると、横のフェリシアも果実にかぶりつく。


「本当に、とても良い味ですわ。わたくしもご相伴させてくださって、ありがとうございます。ローゼ様」


 同じ果実を同じように齧っているというのに、彼女が食べるととても優雅に見えるのが不思議だった。


 青空の下、こうして共に馬に揺られていると、昨日までよりずっと近い距離にフェリシアの存在を感じる。ずっと一緒にいた神殿騎士たちの姿もないので今のローゼはフェリシアとふたりきりだ。これは、良い機会なのかもしれない。

 果実を食べ終えたローゼは果汁に濡れた手を布で軽くふき、同じく食べ終えていたフェリシアに顔を向ける。


「あのね、フェリシア。お願いがあるんだけど」

「はい? なんでしょうか?」

「あたしのことを『ローゼ様』って呼ぶの、やめてほしいの」

「あ……申し訳ありません」


 フェリシアが目を伏せる。


「聖剣の主様、とお呼びするべきでしたわね。それとも、ファラー様?」


 声は馬の蹄にかき消されそうなほどに小さかった。ローゼはセラータの背から慌てて手を振る。


「違う違う。『様』をつけずに呼んでもらいたいだけなの。ただの『ローゼ』でいいよって、そういう話」


 初め、フェリシアはローゼの言っている意味が良く分からなったらしい。ぽかんとした様子を見せたまま馬に揺られていたが、しばらくしてみるみる頬を紅潮させる。


「……あの、もしかしたらそれは、お名前を呼び捨てにしても良い、と、いうことですの……?」

「うん。あたし今まで『様』つけて名前呼ばれたことなんてないの。特に友達には。だから、やめてもらえたらなぁって」

「友達……? わたくしは、お友達、なんですの?」


 あまりに不安そうに尋ねて来るので、ローゼも不安になってくる。


「あたしはそのつもりでいたけど、フェリシアはあたしを友達だと思ってなかっ――」

「いいえ! いいえ!」


 フェリシアは勢いよく何度も首を横に振る。


「わたくし! わたくしも、お友達だと思っていますわ!」

「良かった。じゃあこれからは、ただのローゼでよろしくね」

「はい! よろしくお願いします、ローゼ様! ……あっ……いえ、ローゼ」


 呼び方を訂正し、目元を赤くしたフェリシアは照れた笑みを見せる。つられてローゼも笑みを浮かべたときだった。


【まもの いる】


 今までとは違う緊迫したレオンの声が聞こえ、ローゼの視線が揺らいだ。


(な……に?)


 突然のことに驚いて体が傾ぐ。咄嗟に手で両目を覆ったとき、レオンが言った。


【ひだり】


 恐る恐る手を外すと、普段通りにセラータの首元が見える。もう視界に揺らぎはなかったので言われた通り道の左側へ首を巡らせると、木立には先ほどまで無かったはずの黒いもやがかかっている。


「なに、これ……」

【しょうき おく しょうけつ まもの】

「もしかしてこれ、レオンが見てるもの?」

【そう】

「あたしにも見せてくれてるの?」

【そう ろーぜ おなじ みる】


 ローゼに伝えるレオンの声は、とても嬉しそうで、そして感慨深そうだった。


「レオン様とお話なさってますの、ローゼ?」

「うん」


 汗ばむ手で聖剣の柄を握り、ローゼは言う。


「林に瘴気が漂ってるの。奥に瘴穴があって、魔物もいるみたい」

「瘴気が……?」


 不思議そうな声ではあったが、フェリシアは深くは追及しなかった。


「分かりましたわ。魔物はわたくしにお任せ下さい。ローゼはこの場に残って――」

「駄目」


 左側へ向かいかけるフェリシアをローゼは制する。


「あたしはもう、聖剣をもらったんだもの。きっとレオンも手伝ってくれる。だから、フェリシアと一緒に行くわ」

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