13話 訪問者

 目が覚めたローゼはあくびをしながら窓の外へ顔を向け、一筋のほんのりとした橙色を見ながら小さく頭を掻いた。


「……なんか、変な夢だったな……」


 おそらくは「聖剣の主に選ばれた」という信じられない話を聞かされたせいで、頭の中で妙な話を作り上げてしまったに違いない。

 そう結論付けたローゼが手早く身支度を整えて二階の自室から階下へ行くと、末っ子のイレーネが使用後の皿を厨房へ運んでいるところだった。


「みんなはもう、畑に行ったの?」


 イレーネは首を横に振る。


「おばあちゃんと、お父さんは、草原」

「草原? ……あー、そっかそっか。大神官様のところね。なるほど」


 おそらくは一番の大きな仕事を片付けてくるつもりなのだろう。ローゼも近いうちに会いに行かなくてはいけないが、答えの出ていない今はまだ会えない。


「厨房はイレーネに任せて大丈夫ね?」

「うん」

「じゃあ、あたしは川に行ってくるわ」


 今日のローゼはイレーネと一緒に家事の担当だ。洗濯でもしながら考えをまとめようと考えたローゼが洗い物の置いてある籠へ向かおうとしたとき、雷かと思うような足音が家中に響き渡る。続いて音の源となった人物がものすごい音を立てて扉を開けた。上の弟のマルクだ。


「なあ、姉貴!」

「マルク。あんた、家を壊すつもり? もっと静かにしなさいよ」


 睨みつけながら放った姉の言葉は彼の耳にまったく届いていないらしい。どたどたと足を踏み鳴らし、マルクは唾をとばして叫ぶ。


「姉貴、すげえ可愛い! すげえ可愛いぞ、姉貴!」


 別にローゼを褒めているわけでないのは必死に背後を指差している様子で明らかだ。


「可愛いんだよ、姉貴!」

「姉ちゃん! 表! 美人!」


 続いて駆け込んできたのは下の弟、テオだ。


「あっ、兄ちゃん! 見た? あの人見た?」

「見た! すげえ! 可愛い、すげえ!」

「だよね! 美人すぎ! びっくり!」


 ふたりしてローゼの前で可愛いだの美人だのと叫び続けているが、何があったのかは彼らの語彙が少なすぎてまったく分からない。呆れまじりのローゼが「何があったのかは自分で確認しに行くしかないか」と思っていると、先んじて様子を見てきたらしい妹のイレーネがローゼを呼ぶ。


「お客さん」

「あたしに?」


 客と言われて最初に浮かんだのはあの恰幅の良いアレン大神官の姿だ。だけど違うらしいというのは次のイレーネの言葉で分かった。


「女の人がひとり。知らない人。すごく綺麗な人」


 イレーネは寡黙であまり表情の変わらない性質なのだが、そんな彼女ですら頬が赤らんでいる。どうやら客人は本当に美女のようだ。


「そうだった、忘れてた。姉貴にお客さんなんだった」

「僕も忘れてた。姉ちゃんに会いたいから呼んで、って言われてたんだった」

「……あんたたち、伝言役くらい果たしなさいよね」


 ため息をひとつ吐き、ローゼは弟たちに「見に来るんじゃないのよ」念を押してから玄関へ向かった。


 扉を開けると、涼しいというより冷たいと呼んだ方が近い温度の風が吹き込んでくる。暖かい季節に向かってはいるが、この時期の朝夕はまだまだ寒い。

 それなのに、外にいたのはごく薄い生地の服を着た少女だった。この気温だというのに上着も羽織っていない。


 寒くないのだろうかと思ったローゼだが、自分へと顔を向けた少女を見た途端、すべての考えが頭から消えた。


(……うっ……わあ……!)


 ローゼより三歳ほど年下に見える彼女は、女神もかくやと思えるほど可憐で愛らしかった。

 大きな紫の瞳は光を受けた水面のようにキラキラとしており、背中まで伸びた柔らかそうな白金の髪は光に照らされて輝いている。

 纏う空気もとても優雅で、彼女はただ立っているだけだというのに、この辺境の村の玄関前がまるでどこかの貴族の屋敷前になったかのような錯覚に陥るほどだ。


(あの子たちが騒ぐのも良く分かるなあ! ……だけど……誰?)


 こんな美少女は一度見たら絶対に忘れない自信があるのだけれど、ローゼの記憶のどこを探しても彼女の顔はない。

 黙って首をかしげていると、美少女が艶やかな赤い唇を開いてローゼに問いかけてきた。


「ローゼ・ファラー様でいらっしゃいますか?」


 顔に見合うだけの優美な声だが、やはり聞き覚えがない。


「そうですけど」


 ローゼの返答を聞いて、少女は頭を下げる。


「お目にかかれて光栄です。わたくしはフェリシア・エクランドと申します。どうぞフェリシアとお呼びくださいませ」

「あ、えーと、ローゼ・ファラーです」


 名前を知っている相手に名乗るのも間抜けな気がしたが、フェリシアは気にしなかったらしい。にっこりと微笑む顔はただただ輝かしいばかりだ。


「あの……あたしに何の用?」

「わたくしは伝言係です。アーヴィン様に頼まれて伺いましたの」

「アーヴィンに……」


 ローゼは思わず後ずさりする。自分の目つきが険しくなったのも分かった。


「あなた、何者?」

「神殿騎士見習いですわ」


 神殿騎士は神に仕える騎士たちだ。神官同様に王都の大神殿で修行を積むが、神官とは違って各集落へ赴任するようなことはせず、大都市にだけ駐屯して部隊を組んでいる。そうして周辺地域でただひたすらに魔物を退治するのだ。

 この近辺で神殿騎士を見かけたことはないので、おそらくフェリシアも今回の大神官の一団のひとりとして来たのだろう。


(だとしたら、アレン大神官様の手下? ……信用していいのかな)


 どう考えても好意的ではなかったアレン大神官の目つきを思い出しながら微笑むフェリシアを見つめていたローゼは、悩んだ後に玄関の扉を大きく開けた。


「……話は中で聞くわ。入って」


 ローゼの申し出が意外だったのか、フェリシアは目を丸くする。


「入れてもよろしいんですの? わたくし、敵かもしれませんわよ?」

「敵なの?」

「違いますわ」

「そう」


 ローゼが行動を決めたのはフェリシアの格好だった。別に震えているわけではないのだが、そんな薄手の服では絶対に寒いはずだ。


「敵じゃないなら、別にいいでしょ」

「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきますわね」


 そうしてフェリシアは、春の日差しのような笑みを浮かべた。

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