金曜日の夜、大学時代の元カノと

猫魔怠

金曜日の夜、大学時代の元カノと

 金曜日の夜。

 明日から二日間の休日は何をして過ごそうか、と考えながら夜の帳が降りた街の中を歩く。

 体に感じるのは程々の疲れと、不思議な高揚感。金曜日の帰り道には決まってこんな感覚を感じる。


 人を避けながら道を進み、駅の中に入る。改札を抜けてホームに向かい、いくつかできている列の一つに並ぶ。

 軽く視線を巡らせれば、疲れを滲ませながらもどこかホッとしたような表情を浮かべている社会人が多く目に入る。みんな、明日からの休日に思いを馳せているのだろう。


 視線を巡らせる中で、僕の目の前に並ぶ女性の耳、そこに付けられているピアスに目が止まった。

 そのピアスは雫状に固められたレジンの中に、小さな花が形作られているものだ。確か、この花の名前はチョコレートコスモス、だったはずだ。


 目の前に立つ女性がつけているピアスによく似たものを、昔、恋人にプレゼントしたことがある。今では別れてから七年も経ってしまっている。


 別れた理由は何だっただろうか。

 そう考えていると、目の前に立つ女性が何の前触れもなくこちらを振り返った。


「浩平……?」



=====



「まさか浩平に会うとは思わなかったよ」

「僕もだよ。別れて以来だから、七年ぶりくらいかな?」


 駅で偶然の再会をした僕と大学時代の元カノ、怜奈。金曜日だしせっかくなら、と駅を出て駅付近の居酒屋に入っていた。


 テーブルの二人席で向かい合って腰を下ろし、注文を済ませる。僕は梅酒、怜奈はレモンサワーを注文した。

 レモンサワーと梅酒が届くと、それぞれ一口ずつ口に含む。梅の風味が口の中に広がり、鼻から抜けていく。


「浩平は老けたね。最後に会った時よりもくたびれて見えるよ」

「しょうがないよ。7年も経てばそりゃ老けるよ。でも、怜奈は逆に大人っぽくなったよね」

「そうかな?嬉しい。ありがと」


 そこからも二人で会話に花を咲かせる。

 仕事の愚痴、最近の趣味、大学時代の話、楽しかったこと、面白かったこと、嬉しかったこと。


 話題は尽きないままに、二時間ほどが経過した。お酒を飲むペースは抑えていたつもりだったが、すっかり酔いが回ってしまっている。頭がふわふわとしている。


 と、そこで再び怜奈が耳につけているピアスに目が止まった。

 駅で、僕が恋人にプレゼントしたものとよく似ている、と思ったピアスだ。持ち主が怜奈であるならば、多分僕がプレゼントしたものなんだろう。


「それ、まだつけてくれてたんだね」

「どれのこと?」

「ピアス」

「あぁ……」


 怜奈は納得したような声を出すと、そっとピアスに触れた。

 雫が照明の光を反射する。


「なんとなく、外す気になれなかったんだ……」


 どこか儚げに見える笑みを浮かべた怜奈。

 その姿に思わず、心のうちに留めていた言葉が溢れてしまった。


「怜奈。今、彼氏いるの?」

「……お店、出よっか」


 怜奈がそう言って立ち上がる。

 僕もどこかふわふわとした頭のまま立ち上がり、怜奈の後に続いて会計を済ませて店を出る。


 店を出てから怜奈は一言も話さず、歩き続ける。

 しばらく歩くと、怜奈の足がピタリと止まった。休憩、宿泊の二つの単語が書かれた看板のあるホテルの前だった。


「ね、浩平。私に彼氏がいると思うなら、このまま駅に行こう。いないと思うなら、私をここに連れ込んで?」


 誘うように、艶のある笑みを浮かべた怜奈がそう言う。

 僕は、怜奈が示した二つの選択肢、そのどちらも選ばなかった。


「僕は、怜奈に彼氏がいると思うよ。昔よりもずっと綺麗になってるから、いない方がおかしい」

「……そっか。じゃあ、駅、行こうか」


 どこか残念そうに駅に向かおうとする怜奈の手を掴む。

 振り返ったその瞳には期待の色が滲んでいる。


「でも、僕は怜奈をここに連れ込む」

「……いけないんだ」



 七年ぶりの感触、熱さ、吐息。

 それは、ほんのりとレモンの香りが漂っていた。



=====



 目が覚めると見慣れない天井が視界の中に入った。

 寝ぼけたままの頭を横に動かすと、怜奈の顔が視界の中に入った。

 今日は土曜日、休日だ。


 ベッドから降り、備え付けの小さな冷蔵庫の中から水の入ったペットボトルを取り出す。蓋を開けて一口飲むと、体がひんやりとする。

 ペットボトルを片手に後ろを振り返り、穏やかに眠る怜奈の姿を視界に収める。そして、思う。


 やっぱり、僕と怜奈は一緒になることはできないんだ、と。


 大学時代、僕達は恋人としての関係を終わらせた。

 その理由は、お互いに相手との未来が見えなかったから。

 別に、意見の食い違いだとか、性格の不一致というわけではない。相手と未来を歩んでいる自分の姿がイメージできなかったのだ。

 だから、別れた。お互いの未来のために。


 そして、昨日の夜再び関係を持っても、その考えは変わらなかった。

 僕も怜奈も、相手と一緒に未来を歩む自分の姿がイメージできない。僕達は、どうあっても一緒になることはできないのだ。


 身支度を整えて、部屋を後にする僕と怜奈。

 外に出ると、太陽は空の頂点近くまで昇っていた。


 適当な店で朝食兼昼食を済ませて駅に向かう。

 休日の昼間、通勤時間よりもほんの少しだけ空いている電車に揺らている間、怜奈と連絡先を交換した。連絡先の交換は2回目だ。

 僕より先に怜奈が電車を降りた。


「またね、浩平」

「うん、また」


 電車の外の景色が流れるのに合わせて、怜奈の姿も見えなくなった。



 一年後、怜奈は結婚した。



======



補足

チョコレートコスモス 花言葉は「恋の思い出」

浩平と怜奈の交際は大学一年生の時から大学四年生の半ばまで。

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