第6話 夜明けのワインとイエローチェリー(3)

 人気ひとけのない道を抜けると地元の人がまばらに行き交う路地に出る。人を避ける必要もないその道を暫く歩くとグラスの模様の描かれた看板が下がる店の前でアルルカは立ち止まり扉を開けて中へと入る。

 田舎にある食事処と一緒になった酒場ではなく、本当に酒を飲むための酒場だと思っていたエレインは慌ててアルルカを止めようとするが、中に入ると匂うのはアルコールの香りではなく珈琲の香りだった。

 

 中にいるのも上品な老夫婦や1人客、子供連れなど酒場らしくない客層ばかりだ。

 カウンターに座る女性だけは何か酒を嗜んでおり、やはり酒場ではあるようだということがわかる。

 アルルカはカウンターに寄るとマスターと一言二言話し、イエローチェリーを渡す。カウンターの2席の椅子を引くと片方にエレインを座らせその隣に座り、ティティを膝の上に置いた。

 

「今マスターにイエローチェリーを渡したから塩漬けにしてくれるよ。1瓶だけ貰ってあとはあげちゃったけど良かったかな?」

「ええ、大丈夫です。流石にあのまま旅には持っていけませんから助かります」

 

 ちょうど小腹が空いたこともあり、珈琲とイエローチェリーを使ったソースの使われた料理を頼むことにした。

 ティティ用には酒のつまみに出すナッツのはちみつ漬けを頼んだ。

 

「マスター、夜明けのワインを」

 

 料理が出来上がるのを待っているとカウンターで酒を飲んでいた女性がワインを頼んだ。

 ちらりと横を見ると運ばれたのは紺色をしたワインがグラスで1杯だけ。女性はくるりとグラスを揺らしてワインを見つめている。

 

「それ、夜明けのワインですよね?」

「え? ええ、そうよ」

 

 突然話しかけられた女性は驚きながらもアルルカににこやかに答える。

 アルルカはワインを見て首を傾げるとマスターを呼んでイエローチェリーをひとつ持ってくるように頼んだ。

 

「ほら、イエローチェリー。ったく、貰えって言ったり持ってこいって言ったり忙しいやつだな」

「ありがとう」

 

 マスターからイエローチェリーを貰ったアルルカは女性にそれを差し出した。

 

「夜明けのワインにはイエローチェリーがいるでしょ?」

「おい、それはつまみにはならねぇぞ。いくら夜明けのワインが甘いったって酸味が強すぎる」

「違うよ」

「違うったって、酒なんかまだ飲めないだろ」

 

 マスターがアルルカを止めようとするが女性は笑ってマスターを止める。

 

「いいのマスター。坊やよく知ってるのね。……この街にイエローチェリーが生る場所なんてあったのね」

 

 女性はイエローチェリーを受け取ると夜明けのワインの中へと入れた。イエローチェリーはゆっくりとグラスの底へと沈んでいく。まるで月が夜の海へと沈むように。

 イエローチェリーの入ったワインを女性は1口飲むと涙目になった。

 

「〜っ、はぁ……すっぱ」

 

 マスターは夜明けのワインがと言われたことに意味がわからないという顔をする。イエローチェリーは酸っぱいとはいえあんな短時間に味が移ることは無い。なんならイエローチェリーは塩漬けの塩やシロップ漬けのシロップをその実に蓄えて酸味を和らげるがその逆に塩やシロップを酸っぱくさせることはない。

 女性はワインを飲み干すと底に沈んだイエローチェリーを取り出して齧る。

 

「それすごい酸っぱいですよ!?」

「チチィ!?」

 

 先程痛い目にあったエレインとティティが止めようと声を上げるが女性は普通にイエローチェリーをひとつ丸ごと食べてしまう。

 その光景をエレインとティティ、マスターは驚いたように呆然と見ていた。

 

「ふふ、面白いでしょ」

 

 女性は2人と1匹の反応に笑う。

 

「イエローチェリーは夜明けのワインに入れると甘くなるんだ。その代わりワインの方がかなり酸っぱくなるらしい」

「詳しいのね。あまりこの飲み方を知ってる人はいないのに」

「師匠が毎年飲んでいるので」

「そう、毎年……」

 

 女性はレアと名乗った。

 彼女は田舎の葡萄畑の多い地域で生まれ育った。夜明けのワインの原産地だという。紫や緑の葡萄ではなく暗い黒のような紺色の葡萄がずらりと並ぶ光景を嫌って故郷を飛び出しこの街に辿り着いた。飛び出した時の母と同じ年齢になってふと故郷を思うようになった。あれだけ嫌った故郷を恋しいと思った。そして昨日、故郷から手紙が届いた。

 それは随分と前の日にちのもので、長い時間彼女を探してやっと届けられたのだ。

 

「明後日は母さんの命日なの」

 

 レアはもう1杯夜明けのワインとイエローチェリーを頼んだ。

 

「だからかしら。こんなものを頼んじゃって」

 

 ぽちゃり。イエローチェリーが紺色のワインに沈む。

 飲めば酸っぱさで涙が頬を伝う。

 

「1年も経ってやっと自分の母親が死んだのを知ったの。馬鹿みたいでしょ」

 

 流れる涙は酸っぱさのせいなのか、それとも――。

 

「……イエローチェリーを入れた夜明けのワイン、昔はね故人を偲ぶ時に飲んでいたの。泣くほど酸っぱいから、涙のわけをワインのせいにしてたのね……。今更そんなことを理解するなんて」

 

 残ったイエローチェリーを齧ると、昔父から食べさせてもらった甘いチェリーを思い出した。あれは夜明けのワインに使ったあとのチェリーだったのかと。ならばあの時、父は誰かを偲んでいたのだろうかと。

 

「ごめんなさいね。こんなこと聞かせて」

 

 レアは拒絶を乗せたような笑みを作って謝った。

 ひとりになりたい気持ちを尊重してアルルカはそれ以上何も言わなかった。

 アルルカとエレインの前に料理が置かれる。

 白身魚に黄色いソースがかかった洒落た料理だ。この黄色いソースがイエローチェリーのソースなのだろう。

 魚の下にはペーストした芋があり、それと一緒に食べるのだろう。

 

 パリッとした皮とふっくらとした身、しっとりとした芋。淡白な魚と甘みのある芋に酸味のあるソースで強すぎないさっぱりとした味が次へ次へと口へと運びたくなる。

 添えてあるサラダにもソースは使われており、そちらはジャムにしたイエローチェリーを使ったのか魚の方のソースよりも甘みがある。

 

「加工するとあのイエローチェリーがこんなにも美味しくなるんですね」

「チ?」

 

 首を傾げるティティに少しだけソースを舐めさせてやると、ティティもその変わり様に驚いていた。

 悪食なケープチップだとはいえあまり多く食べさせるわけにもいかず、すぐにナッツのはちみつ漬けと道中手に入れた木の実を与えてやる。

 食事を終えると珈琲と一緒にイエローチェリーが置かれる。

 

「マスターこれは?」

「夜明けのワインに1回つけたイエローチェリーだ。アルコールは入ってないようだったからな」

 

 夜明けのワインとイエローチェリーの味を確かめるついでだというが、アルコールの有無まで確認するあたりちゃんとアルルカとエレインへのマスターのサービスだったようだ。

 アルルカはイエローチェリーを少しだけちぎりティティへ、エレインはひとくち齧る。

 

「んっ、確かに甘くなっています。ジャムよりも甘いかもしれません」

「チチィ〜!」

 

 ティティへと与えたあとのあまりをアルルカも口へと放り込む。

 毎年この甘いチェリーは師匠は食べずにアルルカへと食べさせていた。今年は師匠が隣にいないのにも関わらず食べることが出来ていることが少し不思議な感覚だとアルルカは笑った。

 

「珈琲より紅茶の方が合うかもしれませんね」

「参考にさせてもらうよ」

 

 珈琲を飲み終えたアルルカ達は会計を済ませ、塩漬けにしたイエローチェリーを受け取って席を立つ。

 レアは静かにイエローチェリーの沈まない夜明けのワインを飲んでいた。

 

「その1杯は彼らへ?」

「そうね。……それと私へ、かしら。1度故郷に行くわ。母の墓参りをしなくちゃ」

 

 夜明けのワイン。甘い味のそれは女性に人気だ。

 主に知られている酒言葉は門出を祝う。

 旅に出る者へ、新たな生活を迎える者へと送るのが広く知れ渡った夜明けのワインの飲み方だ。

 しかし今日新たな飲み方がひとつこの酒場で見つかった。

 

「故郷から帰られたらきっとイエローチェリーを入れた飲み方が流行ってるでしょうね」

「ふふ、こっちに帰ってくる楽しみが出来たわね。この商売上手」

「美味い酒は広めてこそですから」

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