第4話

それから一週間ほど。いよいよ、コンクールに向けた本格的な練習が始まった。望美達も、曲決めのいざこざなど忘れてしまいそうなほど、新しい自由曲、『七夕』の練習に追われていた。

「よっ」

「わっ!びっくりした〜、叶人かぁ」

音楽室に向かう途中、望美は叶人に声をかけられた。小柄で華奢な望美とは違い、高身長で筋肉質は叶人は、ぱっと見吹奏楽部には見えない。茶髪っぽい、やや長めの前髪や、綺麗な二重幅のアーモンド型の瞳、高い鼻や薄い唇には、実は女子達からひっそりと人気がある。ただ、音楽のこととなると少々頑固な変人のため、部内では全くそのようには見られていない。

「今日から天宮先輩来るよな?」

「うん、ちょっと緊張する」

「そう?僕は結構楽しみだけど」

少し表情を堅くした望美に、叶人は得意げに言った。

「え、なんで?」

「だってさ、たくさんのこと教えてもらえるって思うと、なんかわくわくせん?」

叶人は、カブトムシを見つけた昆虫好きの少年のような瞳で、望美の方を見た。

「それは叶人が上手いから思えることだよ」

ため息混じりに言って、望美は音楽室の扉を開けた。

 音楽室内には、いつもとは違ったざわめきがあった。いつもなら、のんびり楽器の準備をしながらお喋りする声がたくさんだが、今日は皆、楽器の準備も早い。天宮先輩が来ることに対する皆の緊張を、改めて感じた。


 叶人が基礎合奏を終える頃に、音楽室の扉が開いた。天宮先輩だ。

「「こんにちは!」」

と、ちらほら声がした。望美も、それにつられて、ワンテンポ遅れて挨拶をした。天宮先輩は、

「どうも」

といって、小さく頭をさげた。動物園のゾウが歩くのと同じくらいの速度で、指揮台に向かう。用意された椅子に、どっしりと腰掛け、細長い、艶やかな木のケースから、指揮棒を取り出した。

「じゃあ早速、B♭べーください」

天宮先輩のしなやかな手が、皆の呼吸と共に音の出だしを示す。いつもどおり、微妙に音程が合わない。

「ストップ」

天宮先輩は、少しだけ顔を顰めて、指揮棒を下ろした。

「チューバもうちょっと音出して。それからアルトサックス、音程悪いよ。もう一回」

「はいっ」

天宮先輩に指揮棒で指され、望美は嫌な汗が出た。音程が高い。慌ててネックを抜き、恐る恐る音を出した。

「まぁ悪くないでしょう。じゃ、早速曲やりましょか。あ、でもその前に」

そう言って、天宮先輩は両手を叩いた。パチン、という乾いた音に、部員皆が、一瞬手を止める。

「ソロって、誰がやります?」

『七夕』には、ソロパートが多い。特にこの曲のソロと言えば、曲の中盤、アルトサックスとユーフォニアムのソリだ。天宮先輩の問いかけに、ソロパートを担当する部員の何名かが手を挙げる。

「先輩、手挙げないんですか?」

望美の隣に座る一年生の笹野ささのみのりが、望美にそっと耳打ちした。星降高校は、基本的にパート間で話し合ってソロパートを決めることが多い。しかし、肝心のアルトサックスのソロをまだ、望美は話し合っていなかった。

「みのりちゃんはいいの?」

「私には来年がありますから。それにウチ、望美先輩のソロ聴きたいです!」

みのりは、少し鼻息を荒くしながら、望美の方へ身を乗り出す。落ち着いて、と、望美がなだめると、えへへ、と、へらへらと笑った。確かに、みのりは吹奏楽経験者ではあるものの、サックスは高校から始めた。ここは、二年生の望美が担当するのが妥当かもしれない。


 望美は、恐る恐る手を挙げた。


 手を挙げて、キョロキョロしていると、叶人と目が合った。叶人が何故か満足そうな笑みを浮かべたため、望美はどういう顔をしていいのかわからなくなった。

「あ、オッケオッケー。ありがとうございます。じゃ、七夕いきましょ」

今から、七夕を通す。一応練習していたから良いものの、ソロとなると、緊張度合いが段違いだ。


 曲が終わり、先輩が指揮棒を下げた。ソロの出来は、まぁまぁ良かったのではないだろうか。

「はい、そこまで。う〜ん、まぁ、最初の合奏にしては悪くないと思う。ただ、ちょっと気になったとこは……まずトランペット。出だし弱いから、もっと最初から息入れて。それからピッコロ。ソロのとこ縦ズレがちやから、練習するときメトロノーム使ってな」

各パートが熱心に楽譜に書き込みをするなか、それからアルト、という言葉に、思わず望美の背筋が凍った。

「アルトのソロ、全然音出てないやん。ユーフォの響きに負けとる。テンポも揺れすぎや……テスト明けの次の合奏までに、なんとかしといて」

天宮先輩の言葉は、凍てつくような氷の刃になって、望美の胸にぐさりと刺さった。さっきまでの自惚れていた自分が、馬鹿みたいで、恥ずかしくなった。

「……はい」

ちょっと吹けるくらいでは、人の心をうつのはおろか、楽譜通りの表現すらできない。自分の未熟さに、望美はただただ、唇を噛みしめることしかできなかった。

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