第89話 アグリの距離感はバグっている。

 アグリは自身の容姿の価値を理解しているが、率先してそれを主張することはない。


 とても……いや、とてつもない破壊力のある武器であることは理解しているが、だからと言ってそれを全面的に活用するという意思は皆無である。


 そもそも、自身の容姿が『キュウビの努力の賜物』であり、『芸術作品』と言って過言ではないことをよく理解している。


 もちろん、『私の体は芸術作品です』などというキモいことを言いふらすことはないし、影響力を把握できていないので、武器として『抜き所』が分かっていない。


 それゆえに、プロデュースをキュウビに任せているという事もある。


 ここまではほぼ『前提』と言えるが、『女装』しているとき限定でとある事が起こる。


 まず間違いなく、アグリは男であり、自意識もそうである。周囲の人間も、アグリが男であるとしっかりわかっていて、姉さんとか姉貴とか呼んでいるわけだ。


 ただ、元がというよりそもそも男であるゆえに、『女性的な仕草』というのは意識しないと難しい。


 そこで活躍するのが、アグリが持っている『集中力強化』の付与魔法だ。


 仕草は意識しないと難しいが、キュウビによって知識として持っているので、付与魔法を使うことで全身に意識を張り巡らせることができる。


 雑念も入らず、『ミニスカスーツを着た美少女』として完成度は高い。


 しかしその反面、何かの集中するという事は、何かがおろそかになるものだ。


 例えば……。


「えーと、この書類はここでいい?」

「えっ!? あ、はい! 大丈夫です!」


 ムーンライトⅨの事務室で、書類を置きながら他の人に聞いているアグリ。


 ただ、聞くだけなら多少は離れていてもいいはずだが、近くにいた女性事務員にかなり接近して聞いている。


 幼さと美しさが完璧に調和している顔がいきなり目の前に現れるのだから、ぶっちゃけホラーより心臓に悪い。


「……やっぱり距離感がバグってんな。あるじ」

「ぴぃ?」

「これ説明してわかるのか微妙だが……あるじは男だろ?」

「ぴいっ」


 ランは首を縦に振った。


 ランの普段の行動はなんだかアグリを『ママ』と思っていそうだが、一応男として認識しているようである。

 まあ、風呂に一緒に入るだろうし、そこで一発でわかるだろうが。


「でも、ああいう恰好をしているときはしっかり集中してるからな。普段はしっかり意識していないことはできないようになる。例えば、距離感だ」

「ぴいぃ」

「常に鏡を見ながら生きてる人間なんていねえから、自分がどう見えるのかを、その時その時で客観的に判断するのは難しい。あるじの場合は、外見が『作品』に近いからそれがもっと出てくる」

「ぴいっ」

「近づかないわけにはいかないし、一々事務員の手元を狂わせてたら仕事にならないから『考えている』けど、集中しているときはその考えもあやふやになるんだ。だから、ああやって急接近するんだよ」

「ぴいいっ」


 ランは理解したようだ。


 まあ要するに、アグリは『集中力強化』を使うがゆえに、『視野狭窄』は必然的に発生する。


 普段は距離感にしても考えて行動しているが、理解しているわけでもないし、沁みついているわけでもない。


 相手を驚かせるような行為はほとんどしないはずなのだが、アグリは女性的な仕草に集中していて『視野狭窄』のため、距離感がバグっている。


 しかも身体能力が高すぎて、本当に『急に』現れるのだ。


「いやぁ。我ながら、凄い男に育てちまったもんだぜ」

「ぴいぃ……」

「どうしたランちゃん」

「ぴぃ……」


 ランの視線だが、アグリの太ももである。


「……ランちゃん。流石に歩いてる人間の太ももに挟まりたいっていうのは無茶だろ」

「ぴぃ……」


 ランが行えるコミュニケーションは少ない。


 ただ、考えていることが明け透けなため、見ていればわかる。


 ランの視線のさきにアグリの太ももがあれば、そこに抱き着きたい、もしくは挟み込んでほしい。ということなのだ。それを世間では手遅れと言う。


「まあでも、仕事中だ。とりあえず、今すぐは無理だぜ」

「ぴぃ」


 ランは頷いた。


 狐組にいるとよくある事なのだが、一応の分別……という言葉を過剰評価している気がしなくもないが、とにかくそれができる変態が増える傾向にある。


 弁える。その代わりに、思っていることはぶちまける。


 そういう……手遅れな楽園が、アグリ率いる狐組なのである。


 処方箋はない。

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