第7話【ウロボロスSIDE】 アグリの爪痕
「よ、よし、書類は弄れた。これで、アノニマスの解体の影響だとバレないはず」
集中力が強化されているという事は、一人が多くの作業量をこなせるという事。
全然仕事が終わらないという事は、人が足らないという証拠。
言い換えれば、『本来なら受理されている書類が、手付かずになっている』ということでもある。
ウロボロスの重要書類を保管する場所で、アティカスは書類の改ざんを済ませて一息ついていた。
「……あー、人を雇わないとな」
書類整理を自動でやってくれる魔道具など存在しない。
膨らみ続けた仕事の取捨選択をするべきだが、まず目の前にある書類を仕上げなければ、違約金や賠償金が発生するものもある。
「失礼します」
「おお、ユキメか」
アティカスの執務室に入ってきたのはユキメだ。
「ゆ、ユキメ。書類を手伝ってほし――」
「すみませんが……私は今日の昼でこのギルドを辞めてフリーになりますので」
「えっ……う、嘘だろ?」
「二週間ほど前に、今日の昼に辞める書類を提出して、受理されていますが、知らなかったのですか?」
「お、俺は聞いてないぞ!」
「では、アティカス様しか開けられない、そちらの引き出しを開けてください」
「……」
アティカスはポケットから鍵を取り出すと、引き出しのカギ穴に差し込んで捻った。
開けると……いくつかの書類と共に、ユキメの『受理手続き』が済んだ脱退申請書の控えが置かれている。
「……え、こ、こんなの、貰ってたか?」
「その鍵、特注品ですよね」
「そ、そうだ。ウロボロスは大手ギルドになったから、管理はしっかりしろと、わざわざダンジョンの深層の素材で作成した魔道具だ」
「なら、自分で入れたはずですが」
「……」
言葉を失っているアティカス。
「って、昼って言ったか?」
「はい」
時計を見ると、すでに、正午を過ぎている。
アティカスが視線をユキメに戻すと、茶封筒をテーブルに置いている。
「引継ぎの書類を作っていました。あとは後任を雇って何とかしてください」
「ちょっ、待っ――」
「契約上はこれで何も問題ありません」
「おい、ふざけるな! 三か月前の事件のことを忘れたか!」
「……」
無表情を崩さないのがユキメだ。
しかし、『三か月前の事件』と言われて、その表情が一瞬だけ曇る。
「それを『問題扱い』した場合、困る冒険者は多いですよ。『責任のある立場』なのですから、あまり不用意な発言は控えた方が良いかと」
「ぐっ……」
何かあったのかは語らない。
とはいえ、ユキメはその事件の関係者。アティカスは事件を知るものだ。ここで説明する意味もない。
ユキメの返答の意図はともかく、それでアティカスが顔をしかめるという事は、『アティカスからの追及は控えた方が良い』ということ。
「……では、お世話になりました」
ユキメはそう言って、アティカスの執務室を出ていった。
「……私の役目は、ガイア商会の裏組織の調査。それが……アグリ姉様からの指示。もう、ここに用はありませんね」
そんなことを言いながら、ユキメは建物の一階に降りていく。
……なお、自然にアグリを女扱いしているが、アグリが男であることは知っているはず。
アグリにとって『そこまで重要ではない』ということではあるが、それはそれでいいのだろうか。
「……っ」
一階ロビー。
一部は外部の人間も入れるようになっており、このギルドへの依頼を発注できるカウンターがあったり、廊下を歩けば応接室が用意されている場所だ。
今日の朝にここに来た時は、あまりにも書類が整理されておらず。
依頼の発注はできない。
アイテムの換金は出来ないし終わっていない。
集中力が切れて負傷した冒険者が駆け込んでくる。
頼んでいた申請が受理されていない。
などなど、散々だった。
ついでに。
噂を聞き付けた『
「おい! どうなっているんだ!」
ただ、今は、『ついで』とばかりに強烈なことになっている。
「何故ここまで混乱している。『オーバス課』所属のお前たちがヘマをしたら、このオーバス・ナーシフガメの評価が下がるんだぞ!」
「も、申し訳ございません!」
かなり太っている強面の男性が、受付嬢に怒鳴りつけていた。
「……いったい何が起こっている!」
「す、すみません。私には……」
「おい、ギルドの会長を呼べ!」
「は、はい!」
受付嬢が慌てた様子で走っていく。
(……地獄ですね。まあ、集中『していた』のではなく、集中『させられていた』ので、そうなるのも当然ですが)
ユキメとしては、内心、ため息をつくしかない。
このギルドは、とある白い悪魔の、実験場でしかなかった。
ライセンスを発行することができる『公認ギルド』でありながら、『アノニマス』という匿名雇用部署を抱えていたから選ばれたに過ぎない。
「クソっ、今までこんな事にはならなかったのに、一体なぜ……」
「随分荒れてるな。オーバス」
「な、べレグ。一体何をしに来た!」
四十代半ばのスーツ姿の男性、べレグが入ってきた。
「いや、今日が期日の注文がこのギルドにあってね。それの確認に来ただけだ」
「お前の要件などどうでもいい! さっさと出ていけ!」
「そうもいかんぞ。違約金は凄い額が設定されてるからな」
「はっ?」
「知らんのか? このギルドは無茶苦茶な仕事の取り方をしているから、そのままだと安心できないゆえに、違約金を高く設定することで安心させている相手は多いぞ」
人間、出来ていることは自慢する。公表する。
言い換えれば、ギルドの規模に不相応な『莫大な営業利益』は、公表するに値するのだ。
しかし、『ウロボロス』を調べてみればわかるが、利益とそれに必要な仕事量に対して、あまりにも職員が少なすぎる。
所属している全員が『仕事人として超人』といえるレベルに達していなければ不可能と言えるような、本当の意味で『膨らみまくった風船』のような状態。
そんな風船を目の前にして、さらに空気を入れようとしているところに安心して近づけるはずもなく、普通よりも高い違約金を設定することで取引している場合も多い。
特に『新規』かつ『中堅』はそうなる。
新規の相手は付き合い方がわからない。
大手視点では気色悪くて寄り付かず、零細組織はこのギルドに関わろうと思えるほどの商材を抱えていない。
よって関わるのは『中堅』になるわけだが、当然『中堅』と言われる組織には経験があるわけで、その経験を基にすると、ウロボロスは異常すぎる。
そのため、違約金を設定することは、安心感につながる。
そういうわけで、今現在、ウロボロスは『大量の違約金や賠償金の支払いで資金が底をつく』と思われているのだ。
そりゃ『
「チッ……ぐ、くそぉ。オーバス課の間で資金をやりくりさせるしかないか。いや……そういえば昨日、優秀で外見の良い女の新人が現れたとか……そいつをうまく騙して取り込んで、ダンジョンでの奴隷労働と、貴族の変態共の相手を強制すれば、金は足りるか?」
どうやら皮算用を始めたようだが……。
「ああ……その話だが……」
「ん?」
「昨日やってきた新人のことだな? なら、これを見ろ」
べレグがオーバスに見せたのは、『冒険者支援部べレグ課契約書』のコピーであり、アグリが契約したことを示すものだ。
ついでに、アグリの写真と、昨日の『寄付』のリストのデータもつけている。
「なっ……き、貴様! 横取りする気か!」
「横取りって……」
横取りというのは、べレグ本人だけの魅力で、アグリを落とせるという事が前提となるのだ。
なんせ魅力がない奴が話しかけたところで頷くわけもないので。
現役冒険者でありながら支部の職員も務めるべレグだからこそアグリは話を持ってきたわけで、そもそもべレグに職員になるよう勧めてきたのはアグリなのだ。
横取りと言うよりは、アグリの掌の上で踊っているだけである。
べレグ本人だけの魅力で、アグリほどの冒険者を落として抱えられるのなら苦労はしない。
「まあいずれにせよ、その新人はアンタの物にはならん。皮算用は辞めて次を考えた方が良い」
「ぐ、クソ、一体どこで、この小娘に……」
「男だぞソイツ」
「はっ?」
オーバスは写真を見る。
アグリだが、半袖シャツと足の細さが分かる長ズボンを着ているが、まあ、まだギリギリ、男性でも着ると言えなくはない。かなり厳しいけど。
ただ、張りのある真っ白な肌と、艶のある白い長髪と、何よりもその神秘的な美しさのある顔面は、明らかに美少女!
「そんなことがありえるか! どう考えても女だろ!」
「いや、俺は一緒に風呂入ったことがあるぞ。男で確定だ」
「な、何、こんな美少女と風呂に入った!?」
「いやだからそいつは男だって」
「この変態野郎がああああああっ!」
「……」
何故だろう。ちょっとだけオーバスの言っていることに対する納得感がべレグの中で生まれてきた。
「……まあ、話を戻してだ」
契約書の控えと資料をパパっと回収。
「あ、写真だけ返せ!」
「お前のじゃねえよ。てか冒険者支援部の人間なんだから寄付のリストに興味もてよ……あーだめだ。話が戻らねぇ」
べレグとしては、もうこうなってくると『姉貴が悪い』と言う話になる。
「とにかく、もうお前には手出しできねえから、それじゃ」
「ま、待て! 一体どうやって契約した! どんな裏技を使った! 答えろ!」
「……はぁ」
べレグは溜息をついて、答えた。
「自分にとって都合のいい強者を探すんじゃなくて、自分が強者にとって都合のいいやつになる。それだけだろ」
べレグはそれ以上は何も言わず、ロビーから出ていった。
オーバスはまだまだ追求したいが……彼も彼で、ここでやるべきことがある。
「はぁ……オーバスの奴も変わらんな……うおおっ!」
建物を出たべレグは驚く。
彼の視界に、いきなり、『とんでもない形相』を浮かべたユキメが現れたからだ。
「……ゆ、ユキメ。どうした?」
「本当ですか?」
「え、な、何が?」
「アグリ姉様とお風呂に入ったというのは、本当ですか?」
「……」
なるほど、全てを理解した。どうしよう。
べレグの内心はそんな感じになった。
アグリはその外見のレベルが高すぎて、時折、『呑まれる』人間もいる。
べレグは良い年したおっさんであり、経験もあるのでそうではないが、ユキメはアグリと『関わってきた経緯』にちょっとした事情が絡んでおり、暴走しがちだ。
「……ああ、本当だ」
「……写真は?」
「あるわけねえだろ」
「……チッ」
ユキメは露骨に舌打ちすると、べレグから離れていった。
「……はぁ、サイラス相手だと『三か月前のアレ』で強く出られないのは、まあいいとして……俺にはキツイなぁ」
すごく、苦労人のような顔になりながら、べレグはそうつぶやいた。
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