2章 第6話
目を開けると、そこは宿の部屋ではなかった。
広めのリビングルームに、木製の大きめのテーブルと椅子が四つ。近くには四人掛けのソファとリビングテーブル。正面には大きめのテレビと、部屋の窓から見えるウッドデッキには、オシャレなティーテーブルセット。
間違いない。少し古い光景だが、これは俺が毎日の様に見ていた我が家のリビングだ。
「うぅ、ひっく、お兄ちゃぁん」
……この泣き声、この呼び方、懐かしいな。これは光がウチに来て一年ぐらいの頃の記憶だ。
確か光が幼稚園で、クラスの男子に意地悪されて泣いていた時だったか。
もう十年以上前の光景。間違いない、これは夢だ。
「どうした、光? 何を泣いているんだ?」
そして、光が泣いている事に気付き、すぐ近くまで寄ってきて、目線を合わせる様にしゃがんで声をかける人物。
ああ、間違いない。これは俺だ。
この頃なら、俺は中学生か。懐かしいな。本当に懐かしい。
自分の声を主観で聞くのと、客観的に聞くのとでは声の印象が全然違うと聞いた事があるが、夢の中では関係ないらしい。
それはそうだ。俺の記憶には客観的に聞いた声の記憶なんてほとんどないのだから。
「クラスのゆうたくんが……ひっく。私にいじわるするの」
「何だって? 光、お前イジメられてるのか? よし、お兄ちゃんに任せろ! そんな奴、お兄ちゃんがぶっとばしてやるからな!」
そうだそうだ。確かこの頃の俺は、新しく出来た妹がかわいくて仕方がなかったんだっけ?
この時も確か、光に頼れるお兄ちゃんって所を見せてやろうとしたんだよな。
「ほんとう?」
「ああ、本当だ! お兄ちゃんにかかったら、その「ゆうたくん」なんて、ちょちょいのちょいだ!」
両手で紙屑を握りつぶす様な動作を見せて、光を安心させようとする。
『いや、たかが幼稚園児相手に何する気だお前は!』
自分の夢なのに、ついツッコんでしまったが、当然俺の声が届く筈もない。
そいえば、当時の俺は光の事になるとつい周りが見えなくなっていたっけ?
「えへへっ、ありがとう、お兄ちゃん。お兄ちゃんだーい好き!」
そのまま(夢の)俺に抱き着き、ギュッと抱きしめる光。
そうそう、当時の光はやたら俺に抱き着いて来ていたんだよな。
ウチに来たばっかりの頃の光は、無口でいつも悲しく、絶望に満ちた瞳をしていたのにな。
まあ、当時の光の事を思えば、それも仕方がない事だったんだけれど。
「――っ! よ、よし! 早速その「ゆうたくん」とやらを成敗しに……あいたっ!」
「あんたは何物騒な事言ってんの!」
「げ、母さん」
夢の中の俺が、母さんにはたかれた。
うわぁ、若いなぁ。この頃なら、まだ三十代の筈だ。
俺とそこまで変わらない年代。そう思うと少し複雑な気分だ。
「海斗! あんた幼稚園児相手に本気で喧嘩しようとしてんじゃないよ! みっともない!」
「いや、誤解だって母さん。俺はただ光をイジメるゆうたくんと、ちょっとオハナシしようとしただけで」
「いい訳するんじゃないよ!」
「いってぇっ!」
スパコーン、という快音が聞こえてきそうな程綺麗な音を鳴らす母のツッコみ。
光はそんな俺と母さんを交互に見てはオロオロしている。
そうだったな。今でこそしっかりしているが、当時の光は気弱で内気なか弱い女の子だったんだ。
「ゆうたくんの件は母さんが話つけておくから、あんたは余計な事はすんじゃないよ!
分かったかい‼」
「はぁーい」
夢の中の俺は、やや不満げな表情をしながらも、母さんの念押しに素直に頷いていた。
「お兄ちゃん……ごめんっ、なさ……ひっく」
夢の中の俺に向かって、泣きそうになりながら、というよりほぼ泣きながら光が謝っている。
「お、おい光、泣くなよ!」
「あらあら、光ちゃん。泣かなくていいのよ。ちょっと海斗、母さん今からゆうたくんの親御さんに電話かけてくるから、しばらく光ちゃんの事見といて」
そう言ってそそくさと部屋から出て行く母さん。相変わらず自由人だよな母さんって。
普通この状況で電話しに行くか?
「ええ⁉ ちょっ、母さん⁉」
そしてそれに振り回される夢の中の俺。
うん、当時の記憶そのまんまだ。
「光、もう泣くな。ほら、はたかれた所は何ともなってないから」
そう言って頭を光に近づけていく俺。うん、当時の俺は何やってんだろうな。
ていうか、本当にどうもなってないのは、流石母さんとしか言いようがない。
あんだけ見事な快音鳴らしていたのにな。
「なっ!」
「……うん、分かった」
なんとか光を泣き止ますことに成功した夢の中の俺。
うん、やっぱり光には泣いて欲しくないな。その気持ちは今も昔も変わらない。
「母さんはああ言っていたけど、困った事があったら何でもお兄ちゃんに言うんだぞ。お兄ちゃんは、いつでも光の味方だからな!」
……我ながら臭いセリフを言ったもんだ。
俺の言葉に光は一瞬言葉を詰まらせ。
「――っ! うん、ありがとう、お兄ちゃん!」
満面の笑みを浮かべ、またも俺に抱き着いていた。
ああ、本当に懐かしい光景だ。
と、そんな時だった。
周りの景色が段々と白く輝き始め、周囲に溶け込むかのように薄らぎ消え始めた。
どうやら夢から覚めるらしい。
俺はそのまま身を委ね、少しずつ意識が覚醒していった。
「……随分早く目が覚めたな」
窓の外を見ると、まだ薄暗い。どうやらいつもより相当早く目が覚めてしまったらしい。
結局あの後、フーリにアミィの事を聞くタイミングはなく、昨日は各自部屋に戻り、俺はそのまま寝てしまったのだ。
それにしても、久しぶりに昔の夢を見たな。生憎父さんは出てこなかったが、母さんと光は出てきた。
みんなは元気にしているだろうか?
この世界に転移してきてから、既に一週間以上の時間が経つが、昔の夢を見てしまったせいで、少しホームシックになってしまったみたいだな。
「……顔でも洗うか」
俺はベッドから起き上がり、イマイチ働かない頭を抱えながら水汲み場までの道のりを歩いた。
水汲み場まで来ると、そこには既に先客がいた。
髪を下ろしているので普段とは印象が違うが間違いない。あれはアミィだ。
アミィは井戸から水を汲み上げ、その水で顔を洗っている最中だった。
「ふぅ、さっぱりした……あれ、お兄ちゃん?」
「よう。おはよう、アミィ」
「うん。おはよう、お兄ちゃん!」
満面の笑みを浮かべて挨拶を返してくるアミィ。
いつもならその笑顔に元気を貰う所だが、さっきまであんな夢を見ていたからか、その笑顔に夢の中の光が重なる。
「っ⁉」
ブンブンと首を振り、その光景を振り払う。
アミィと光は違うんだ。一緒にしてはいけない。
「どうしたの? 大丈夫、お兄ちゃん?」
その行動を怪訝に思ったのか、アミィが俺の顔を心配そうに覗き込んでくる。
いかんいかん、アミィに心配かけてどうする。
「ああ、大丈夫。ちょっと立ち眩みがしただけだから」
「そうなの? ならいいんだけど」
首を傾げながらもアミィは納得してくれた。
「心配してくれてありがとな」
アミィの頭が丁度いい位置にあったので、撫でながらお礼を言うと、アミィはされるがまま気持ちよさそうに目を細めている。
「さあ、俺も顔を洗うか」
アミィの頭から手をどけて水桶に手を入れ、水を一掬いして顔を洗う。
井戸から汲み上げたばかりの水はとても冷たく、寝起きでぼおっとした気分が一気に引き締まる。
「ふぅ、さっぱりした」
顔を洗い、一度思考をリセットする。そして思い出した。
「そういえば昨日フーリから聞いたんだけど」
「え、フーリさんから? 何を?」
「アミィって、治癒魔法の魔導具が欲しいのか?」
結局昨日は聞けなかったし、こうなったら本人に聞いてみるのが一番手っ取り早いだろう。
「……その事ね。うん、確かに治癒魔法の魔導具は欲しいよ。でも、とても手が出る金額じゃないんだ」
諦めにも似た表情でそう言うアミィからは、どこか悲し気な空気が漂っていた。
「アミィ、その事なんだが」
「何?」
アミィの頭をチラッと見ると、そこには俺がプレゼントした髪飾りが付けられていた。
今は髪を下ろしているのに、髪飾りは付けてくれているんだな。
嬉しい限りだ。
「実はその髪飾りな。火魔法だけじゃなくて、治癒魔法も付与されてるんだ」
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