2部3章 行商隊が訪れるまで、およそ三ヵ月。日常変化の兆し 6
森を抜けるまで、オレたちはひと言も喋らなかった。
オレは何度も何度も振り返ったが、背後に迫ってくる影はなかった。
「あ、薬草っ⁉」
今思い出したとばかりに、ナーナが言った。
「……やめておこ。森に戻る気分じゃないよ」
「う~ん、それもそだね。帰ろっかぁ」
カノジョの声からは、疲れが感じられた。
オレも疲れた。なんだか、頭が上手く使えていない感覚。身体が疲労困憊になったときとは違う、いろいろなことを長い時間考えたときのようなもの。
村の門が見えてきた。ここまで帰ってくる間も、オレたちに会話はなかった。
「あ、やばいかも」
ナーナの呟きの意味を、オレもすぐに理解した。
門番の座る丸太椅子に、ハーナさんが座っているのだ。
アーウィさんから、ハーナさんに交代した。
ハーナさんは、門番の仕事をする人ではない。
それなのに、今、そこにいる。
その理由は……間違いなく、愛娘のナーナであり、オレたち兄妹もだ。
門のすぐ前で、馬を止める。
ハーナさんが立ち上がり、こちらを向いた。
目が合う。
その顔は、今まで見たことがないくらい、険しいものだった。
門が開かれる。
「……ただいまぁ」
一番にそう言ったナーナの声音は、これまた聞いたことないほど弱気だった。
怒られることを覚悟しているからだろう。
「た、ただいま」
オレも、こんな険しい表情を見れば怒っていることくらい察せたし、察せたわけだから覚悟もできていたつもりだが、喉がキュッと締まって上手く声を発せなかった。
「ただいまぁ~」
シルキアだけが、いつも通りだった。幼いからこそ勘付ける感情もあるけれど、幼いからこそまだ気付くことのできない機微もあるということだ。
馬をゆっくり歩ませ、村の中へと入っていく。
そのまま厩舎へ向かう。振り返ると、ハーナさんは門を閉めていた。厩舎まで来たところで、オレは馬から降りた。厩舎の鍵を首から外しながら、ハーナさんは近づいてくる。
鼓動が速くなっていく。ドキドキする。
怒られるのかな。
怒られるんだよな。
怒られるに決まってる。
ドキドキ、ドキドキ、ドキドキ……。
この感覚、なんだか久しぶりだ。
故郷を失ってから今まで、たくさんドキドキしてきたけれど。
ドキドキにも種類があるのなら、今感じているこのドキドキは、随分と久々。
まずオレが栗毛を戻してからシルキアを下ろそうと思っていたが、傍まで来たハーナさんが、オレの両手が剣と手綱で塞がっているのを見てか、妹を下ろしてくれた。
だから、すぐにナーナも灰毛から降りた。
「あのっ、母さん、ごめ――」
「この子たち、早く戻してきなさい」
先手を打って、少しでもこの後の叱責を和らげようと思ったようだが、掻き消された。
「……アクセルくん、先、やって」
「うん……」
昨日と同じく、オレは栗毛を厩舎に戻す。
入れ替わりで、ナーナも灰毛を中へと連れていく。
小走りで近づいてきたシルキアが、オレの腰にくっ付いてきた。
ナーナが出てくる。
がちゃん――ハーナさんによって、厩舎は閉じられた。
三人並んで、ハーナさんに向き合う。
「ナーナ。嘘を吐いて、森に行ったわね?」
単刀直入の言葉は、鋭くて、文字通り真っ直ぐに貫いてきた。
確信する。ナーナも、しただろう。
ハーナさんは、裏取りをしている。
村長さんに、今日も薬草採取をオレたちに指示しているかどうか確認を取ったのは、アーウィさんかもしれないが、とにかく、ハーナさんはもう知っているのだ。
オレたちが嘘を吐いて森に行ったことを。馬まで連れ出して。
「……うん。行った。ごめんなさい」
素直に認めたナーナが、母に謝る。
「ご、ごめんなさいっ」
当然、オレも続いた。
「……ごめん、なさい」
妹も、さすがに怒られているのだとわかったようで、弱々しい声で続いた。
「こんのっ、大バカっ!」
怒声が響いた。
びくんっ、と身体が震えた。怒られることは覚悟していたけれど、その覚悟というか予測を上回る怒りだったから。ギュッと、妹がさらに強く密着してくる。
ハーナさんの後ろを通りかかったシンニャさんがチラとこちらに目を遣ったが、すぐに正面を向いた。歩みも止めなかった。声の強さには思わず意識を取られたが、どうしてそれが起きているのかには関心を示していないといった雰囲気。
もしや、村人全員に周知されているのかもしれない。
オレたちが嘘を吐いて森へ行ったことは。
「森は危ないの! わかってるでしょうが!」
「……うん」
「……はい」
嘘を吐いたのはナーナだし。
何かあればナーナのせいにすればいいと、カノジョも言っていた。
でもそんな卑怯なこと、今、したい気持ちはまったくない。
だから、カノジョだけに受け答えさせるんじゃなくて、オレもちゃんと返事をした。
妹が無言なのは、しょうがない。今、かなり驚いて、かなり怖がっているはずだから。妹からすれば、ハーナさんはとにかく優しくて温かいだけの人だったはずだから。
はぁぁぁあ、と大きく息を吐いたハーナさんが、前髪を右手で掻き上げる。手が離れれば自然と、赤毛がはらりとまた額に垂れた。
その一連の仕草が、カノジョにとって何かしらの転換点だったのか、険しかった表情から力が抜けた。疲れた顔、に見えなくもない。
「本当に、本当に心配したのよ?」
声も、もう、怒っているとは到底思えないものだった。
「……うん。ごめんなさい」
「ごめんなさい」
ナーナのあと、オレも謝る。
「ケガは? その様子だと、何もないのよね?」
「大丈夫。ねえ?」
ナーナに同意を求められ、オレも頷いた。
「大丈夫です。妹も、何もありません」
また、ひと際大きく、ハーナさんは息を吐いた。
「よかった。本当に、よかったぁ」
心から安堵している。
それは間違いなかった。
「本当に、ごめんね?」
「もういいわよ。三人とも無事だったなら。ところで、アクセルくん、その剣は何?」
「え、あ、これは、え~っと」
頭に幾つか言葉は生まれたけれど、どれをどう繋げて発するのが正しいのか決断することができず、どぎまぎしながらナーナに顔を向けて助けを乞う。
「あのね、昨日、森でディパルさんの友だちっていう女性二人組にあったの」
女性二人組、と言い切った。
なるほど、長身さんも女性だったのか。
同性だからこそわかるものもある、ということ。
「セオの? その人たちは、何をしてたの? 森なんかで」
「昨日、ディパルさんを連れてきて欲しいって頼まれてさぁ。アクセルくんとも話して、村に会いに来ればいいのに来ないなんて怪しいってことで、無視しちゃおうと思ったんだけどぉ。でも、やっぱり伝えたほうがいいと思って、今日、亡くなってることを伝えに行ったの。あっ、だからさ、つまりぃ、アクセルくんとシルキアちゃんは、あたしについて来てくれただけなの。アクセルくんは、危ないからって、最後まで止めてくれたんだよ」
「あ、でも、オレも結局、伝えたほうがいいと思って行ったから、ナーナと一緒なわけで」
言いたいこと、上手く伝えられているだろうか。想いが先走ったような喋り方になっちゃったけれど。
「ふふっ。もう怒ってないわよ。アクセルくん、本当にありがとね」
ハーナさんの右手が、優しくオレの頭を撫でてくる。
なんだか、泣きそうになってしまった。
……母さん。
どうしたって、頭を撫でられる柔らかな温もりは、思い出を刺激する。
もう二度と得ることは叶わない、母親との思い出を。
頭から手が離れた。
涙は零れずに済んだ。
「それで? 亡くなったことを伝えて、どうなったの?」
「その、アクセルくんが持ってる剣を、お墓に備えて欲しいって渡された」
話題に上がった剣を、オレは持ち上げる。胸の高さで、両手に寝かせて。
「まぁ、何よこれ、とんでもなく豪奢な……え」
ぴたっと、ハーナさんの声が止んだ。
目を見開いている。口も半開きのままだ。
何か、驚いている?
「これ、コウケの紋章じゃない!」
……え?
……コウケ?
『コウケ』とは、なんだろう。
紋章というのは、ブレードの根本部分……ガードの中央で煌々と輝いているもののことだろうが。この細工を、この絵柄を、ハーナさんは知っているということなのか。
「コウケ? って何?」
知らないのは、ナーナも同じだったらしい。
ハーナさんがギョッと剥いた目を愛娘に向ける。
「バカ! 皇族様っ! この国を統べる偉大な方々のことよ!」
「えぇ~え⁉」
驚きの声を上げたナーナ。
一方、オレは声も出せなかった。
ただジッと、その紋章に目を落とす。
コウケ。
皇家。
嘘だろ……。
頭の中が白く染まっていく、あらゆる思考が消えていく、そんな感覚に襲われた。
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