2部3章 行商隊が訪れるまで、およそ三ヵ月。日常変化の兆し 5

 ナーナと合流してから、早速、森へと向かうことにした。

「薬草、効果あった?」

「あったよ。一応、まだ隔離することにしたけどね」

「そっかぁ。じゃあ、今日も同じ薬草、摘んで来ようか。干して貯蔵もできるし」

 薬草の多くは、乾燥させても効能が下がることはない。むしろ干すことによって成分が増すこともあると、昔、ネルから聞いたことがあるような気がする。


「そうだね。もしかすると、ほかの子たちも同じ病気にかかってるかもしれないし」

 そんな悲劇が起きたとしたら、昨日摘んだ量では足りなくなるだろう。

 悲劇が起きる前に対応策が取れるのなら、取っておいて損もないはずだ。

 どうせ森に行くわけだし。


 門が見えてきた。

 今日の門番は、アーウィさんだ。門番でないときは、井戸を作ることを夢見て、村の周りを掘っている。雨水頼みからの解放は、村人たちの悲願でもあるため、大事な仕事だ。

「アーウィさん、こんにちはぁ~」

 オレとシルキアも、ナーナに続いてちゃんと挨拶をする。

「おや、ナーナ。それに、マークベンチ兄妹も。揃ってどうしたんだい?」

 穏やかな口調だが、半袖のため剥き出しになっている両腕の筋肉は、もっこりと凄い。ただ、この人も足を悪くしている。高齢者の多い村は、機動力に乏しい。


「昨日、鶏が一羽、体調を崩したのって知ってる?」

 話の進行役は、もちろんナーナだ。

「あぁ、今朝の村会議で聞いたよ。村長がマークベンチ兄妹のことを褒めていたよ。ワシからも礼を言わせてくれ。村の大切な財産のために、どうもありがとう」

 柔和な笑みを向けられる。

「あ、そんな、やれることをやっただけです」

 気恥ずかしい……。

 もちろん嬉しいけれど。


「それでさぁ? 昨日摘んできた薬草、念のため今日も摘んで来ようと思ってさぁ。また森に行こうと思うんだよねぇ」

 柔和だったアーウィさんの表情が、サッと、大人の表情に変わった。

「それは、村長か誰かの許可を得ているのかい?」

「うんっ、もちろんっ」

 ナーナは、淀みなく、嘘を吐いた。


 ……こういうところも、ネルみたいだ。

 ネルも、大人たち相手に、なんの迷いもなく嘘を吐いていた。もちろん悪意のないものだ。いやまぁ、正直に本当のことを話さないのだからそれはどんな内容であれ悪意があると言えるのだろうが、誰かを傷付けるための嘘ではなかった。

 凄いと思う。すらっと嘘が吐けるのだから。多分それは、誰かを傷付けるつもりでないという思いがあるからこそ、できることなのだろうが。

 だとしてもオレだったら、多分、どぎまぎ、モゴモゴ、してしまうだろう。


「……そうか。なら、門番として許可を出そう」

「ありがとっ。今日も馬に乗っていきたいから、厩舎開けてっ」

「わかった」と、アーウィさんが立ち上がる。

 オレたち三人は、先に厩舎へと歩き出す。

 ナーナと目が合うと、可憐なウィンクをしてきた。上手くいったね!と語っている。

 嘘を手放しに褒められなくて、でもナーナに任せきりだったこともあって、自然には笑えそうになかったけれど意識的に口角を上げて返事とした。ナーナを引き止めることも、ナーナの代わりに対話することもしていない受け身ばかりのオレには、それしかできない。


 厩舎から、昨日と同じく灰毛と栗毛を連れ出し、灰毛にシルキアとナーナが、栗毛にオレが乗る。アーウィさんに「行ってきます」を言って、オレたちは村の外へと出た。


                ※


 そして――また、森の中の泉へとやってきた。

 二人組は、いた。泉の右側のふちから少し離れたところで、焚火を囲んでいる。

 馬の嘶きが聞こえたのか、何かの相当な達人なのか、オレたちが木々を抜けて姿を現す前から、長身の人がその上背を超える長槍を手に立ち、こちらを見詰めてきた。

 来訪者がオレたちだとわかると、槍の切っ先はスッと下げられた。


「ナーナ」

「うん」

 ナーナが灰毛を止める。

 オレも栗毛を止める。

 二人組までの距離は、三十メートルほどはある。

 森に入ってすぐ、決めていたことだ。二人組と話すとしても近づかない、と。

 ここからでも、声を張れば十分に聞こえるはずだ。


「あのっ! 昨日会った者ですがっ!」

 ナーナの張った声は、よく通っている。これで聞こえないことは、聴覚に病気でもない限りはあり得ない。近づく必要はない。

 座っていた人が立ち上がり、長身の人の前に歩み出た。

 やっぱり対応はあの人がやるようだ。

 ……あの人のほうが、立場が上なんだろうな。


 歩み出た人は、昨日とは違って、両腰に剣を提げていない。

 それに、明らかに薄着だ。黒のワンピース?だけしか着ていないように見える。

 だからこそ、わかった。女性だ、と。

 胸のあの膨らみは、明らかに筋肉だけのものではない。

 もちろん、女性だとわかったからといって、警戒心に影響はないけれど。


「こんにちはっ! また会いに来てくれてっ! 嬉しいわっ!」

 女性の顔に笑みが浮かんでいる。

 悪意は……ないように見えた。

 けれど油断してはならない、絶対に。


「ディパルさんのことでっ! お話があって! 来ましたっ!」

「ありがとうっ!」

「…………」

「……ナーナ?」

 すぐに返事を言わないから呼び掛けると、ナーナがオレに目を向けてきた。

 なんとなく、迷っているような感じが、瞳から見てとれた。


「言っても、いいんだよねぇ」

 今更迷うの? なんて思いも芽生えたけれど、そういうものかとも思った。

 それが大事だと思っても。

 そうするべきだと意気込んでも。

 いざそのときが来れば揺らいでしまう。

 人間なんて、そんなものだ。そうならない人のほうが、稀だろう。


「……オレも、今は言ったほうがいいと思ってるよ」

 ナーナが決めたことじゃん。

そう、突き放すような言い方も頭には浮かんだけれど、言いたくはなかった。

カノジョを無理にでも引き止めず、一緒にここまでやって来たんだ。

なら、もうそれは、オレも同意しているようなものだろう。

 それなのに突き放すだなんて、責任を求めるなんて、なんか格好悪いじゃないか。


「うん、うん、そうだよね」

 うんともう一回頷いたナーナが、また女性たちのほうへ顔を向ける。

 横顔からは、もう迷いは感じなかった。

 オレも女性たちのほうを見る。


「あのっ!」

「ええっ!」

「セオ=ディパルさんはっ!……もうっ! 亡くなっていますっ!」

 言った。

 ちゃんと、言った。


 女性の目が見開かれる。

 傍に立つ長身さんに顔を向け、その口が細かく素早く動いた。

 再びこちらに顔を向けた女性の顔からは、先ほどまでの柔和なものは消え失せていた。

 ……敵意? それとも、悪意?

 眼差しの厳しさは、ただただ、オレからすれば恐ろしい。

 たとえ敵意も悪意もないとしても。


「ナーナ、もう帰ろう。帰るって伝えて」

 用件は済んだのだから、さっさと姿を隠してしまいたい。

 もし背を向け動き出したところを追ってくるようなら……。

 そのときは、敵だと、悪意があると、見なして全力で逃げるべきだな。


「うん……あのっ! それではっ! 帰りますっ!」

「待って! 詳しい話を聞かせて!」

 ナーナがオレを見てくる。

「……どうしよ、アクセルくん」

「……近づいてくる気配はないし、何が知りたいのか、聞いてもいいんじゃないかな」

 動き出したときが、全力で逃げ出すときだ。

 対話だけを求めてくるのなら、応じてもいいだろう。


 頷いたナーナが、再び顔を向こうへ。

「詳しい話って! 何が知りたいんですか!」

「死因は! カノジョはどうして亡くなったの!」

 死因。

 それを知りたいと思うのは、生前に親交があったのなら自然なことか。


「あたしを! 村の子どもたちを! 助けてくれて! 亡くなりました!」

 女性がまた、長身さんに顔を向ける。何やら話し始める。

「ナーナ、病気のことと、ブゼルデスのことも、言ったほうがいいかも」

 カノジョの言ったことは、間違っていないが、不確かだろう。

「そっか……あのっ!」

 女性たちが会話をやめ、こちらに顔を向けた。

「ディパルさんは! 最近! 村に戻ってきて! そのときから! もう深刻な病気で!」

 オレはナーナが頑張ってくれている中、女性たちの表情を観察することに集中する。


 ……病気のこと、知ってたのかな。

 深刻な病気というナーナの言葉に、驚いた表情はしていなかったように見えた。

 つまり、知っていたのかもしれない。知っていれば驚くこともないのだから。

 とはいえ、表情に出さなかっただけで、内心では驚いているのかもしれないが。


「ディパルさんが! 帰ってきたとき! あたしや! ほかの子たちが! ブゼルデス! という蟲に! 攫われていて! ディパルさんが! 助けてくださったんです! それが! ディパルさんの身体に! 負担になってしまって! 亡くなってしまったんです!」

 聞く人によっては、自分たちのせいで死んでしまった、という言い方だった。

 絶対にそんなことはない。

 カノジョが、ほかの子たちが、自分を責めることではない。

 まあ、言い直させる必要もないことだけれど。


 ふぅ、とナーナが短く息を吐いた。

「アクセルくん。今ので大丈夫かなぁ」

「うん、大丈夫だと思う」

 伝えるべき真相は、伝えられただろう。


 女性たちが、また顔を向け合って話し始める。

 そして――長身の女性が振り返った。焚火のほうへ歩き出す。


 動き出した。

 近づいてきたわけでないとしても、確かに動き出した。

 何かしらの展開がある――何かしら仕掛けてくるということだ。


「ナーナ。逃げるときは、このまま左斜め前に進んで、すぐに森に入ろう」

「わかった。シルキアちゃん、あたしにギュッとしがみついていてね」

 こくんと頷いた妹が、腰を捻って上半身をナーナに密着させる。


 長身の女性が上半身を屈めた。すぐに姿勢を正した、その左手に何か握っている。

 あれは……剣だ!

「ナーナっ」

「うんっ」

「待って! 危害を加えるつもりはないわっ!」


 まるでこちらが駆け出そうとしていたのがわかったのか、女性が声を張った。

「ッ」ナーナが駆け出さなくて、後ろを行くつもりだったオレも動き出すのをやめる。危害を加えるつもりがない。そんなことを言われれば、今までの流れもあって、つい動きを止めてしまうのも仕方ないというものか。

「ナーナ、ナーナッ」

 駆け出してくれと、急かす。

 しかしカノジョは動き出さない。

「話を聞こ。多分、大丈夫だから」

 ナーナは、もう、対話を続ける気満々でいる。


「多分? 多分って、そんなの」

 なんだよ。

 絶対に大丈夫、でないのなら逃げるべきじゃないのか。

 ……クソ。シルキア、こっちに移すか?

 ナーナが話をしたいのなら、もうそれでいい。好きにすればいい。

 でも命知らずなことをしたいなら、独りでやって欲しい。

 妹だけは守りたい。

 そんな、オレの気持ちなんて、きっとわかってはくれていないのだろう。

 ……でも、ここでシルキアを移るなんてことすれば、ナーナを傷付けてしまうだろ。

 言葉にしてなくても、その行動は、最悪ナーナを見捨てると言っているようなものだ。

 ……いや、いい、それでいいじゃないか。

 逃げれるのにそうしないのは、カノジョなのだから。

 危険なことをしたいのなら、すればいい、独りで。

 ……でも。

 もしナーナを見捨てるようなことをしたら、妹の心にはまた深い傷が出来てしまう。

 妹はカノジョにもう随分と懐いている。まるでネルやモエねぇにそうだったように。

 ……あぁ、クソ。クソクソクソ。オレだって、オレだって別に見捨てたいわけじゃない!

 自分で自分とせめぎ合う。

 思考の衝突は、大抵、イライラする。

「ごめんね」

「いいよ。ナーナを、信じる」

 一番失いたくないのは、妹だ。

 でも、でもなぁ。

 ナーナを見捨てたい、わけもないだよ!


 女性が、長身さんから剣を受け取った。

「お願いがあるの! この剣を! 墓に! 供えて欲しい!」

 女性が剣を担ぎ持つ。

 投擲する恰好だ!

 今にも逃げ出したい衝動に駆られるが、ナーナは動こうとしない。

 ……信じる、信じるって決めた。それに鞘に入ってる。距離もある。大丈夫だ。

 言い聞かせる。

 そして――剣は放り投げられた。

 放物線を描いて飛んできて。

 オレたちから五メートルほどの位置に落ちた。


「……取ってくるよ」

「待って。オレが行くから。ナーナは、危なくなったら、すぐシルキアと逃げて」

「でも」

「いいから」

 オレは栗毛を前に進める。剣の傍に、横向きに、止める。妹とナーナと、女性たちとの間に入る形で。こうしておけば、何か起きても、二人の身に危険が迫る前にオレが犠牲になることだろう。栗毛には可哀想だが、付き合って欲しい。

 馬から降り、手綱を右手で握ったまま身を屈め、左手で剣を拾う。


 ……うわ、凄い剣だな。

 精緻な造りの剣だ。

 鞘は美しい銀色で、金色の装飾が施されている。しかもただの装飾でない。可憐な華と羽の細工は、精緻と豪奢が美しく組み合わせられている。素人目にもとんでもない手間がかかっていることは明らか。装飾職人のモエねぇが見たら、間違いなく感激するだろう。


 ……鞘も、柄も、その辺の剣とは格が違う。もしかして。

 貴族なのだろうか、もしくは、凄腕の商人か。

 だってこの剣、相当な価値のはずだ。金銭をいくら積めば造れるものなのだろうか、なんて考えてもオレ如きにはまだ想像もつかないほどの価値に違いない。


 ……ディパルさんと親交がある、か。本当なのかもしれないな。

 軍人であれば、高格貴族や凄腕商人と親交があっても、おかしくはないのかもしれない。

 その辺のことは、よくわからないけれど。

 親交があって会いに来たというのは、騙っているわけではないのかもしれない。

 とはいえ、なぜ村に直接来ないのかという疑問は、未だ解決しないわけだが。

 そこが解決されない限り、貴族だろうが商人だろうが、怪しいことに変わりない。


 剣を持ったまま、再び騎乗する。

 しかし、二人のほうへ戻りはしない。

 この場所にいたほうが、盾になれる可能性は高いから。


「お願いね! その剣を! カノジョの墓に!」

 そう言った女性が、深々と頭を下げる。

 一拍遅れて、長身さんも。


 返事をするのは、ナーナでなくオレがすべきだろう。剣を持っているのだから。

 唾で口と喉を潤してから。

「わかりました! 供えさせてもらいます!」

 声を張り上げた。

「ありがとう! 本当に! ありがとう!」

 身体を起こした女性が、感謝を告げてから、また頭を下げた。


 ……やっぱり、なんの企みもない、怪しくもない、イイ人たちなのかな。

 ああも丁寧に感謝を告げる暴力者なんているのだろうか。

 ……いや、だったら来ればいいんだよ村に。

 そう、そうだ。

 ……聞いて、みるか?

 墓前に供えるのは、人に頼むようなことでもないはずだ。

 ましてや、目と鼻の先、ではないけれど、すぐ近くにいるのだから。


「あのっ! どうして! ご自分で! 供えに来ないのですか!」

「理由は言えないわ! でも! 危害を加える者ではない! それだけは信じて!」

「……わかりました! それでは! お元気で!」

 問答は無駄だろう。

 村に来ない理由を話すつもりはないようだ。

「ええ! あなたたちにも! 幸福が訪れることを! 心から願っているわ!」


 女性が右手を高く挙げ、左右に大きく振った。

 別れを告げるもの。

 オレは頭を下げてから、シルキアとナーナのほうに顔を向ける。

「ナーナ、行って」

「うん。シルキアちゃん、しがみついててね」

 もぞもぞとシルキアが身動ぎし、密着し直す。

 

 灰毛が歩き出し、小走りになる。

「…………」

 オレはもう一度、女性たちにお辞儀してから、栗毛に指示を送る。

 森の中に入ってすぐ、再度振り返ってみると、女性はまだ手を振っていた。

 ……怪しさは拭えてない。でも、やっぱり。

 危ない人たちでは、ないのかもしれないな。

 まあ、もう会うこともないだろうが。

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