2部3章 行商隊が訪れるまで、およそ三ヵ月。日常変化の兆し 2

 探していた薬草は、なんとなんと、帰りの道すがらに見つかった。

 特別な場所で……なんてことはまったくなく、なんてことのない水溜まりの傍に生えていた。思わず、「こんなところにあるのかよ」なんて溜息交じりに呟いてしまったほどだ。

 ナーナはといえば、「そういうものだよ、自然が相手なんだから」と笑っていた。


 でも、場所はなんてことないところでも、見つかったこと自体は幸運だ。

 本当に、幸運だ。

 だって馬上から見つけることは、そう簡単なことではないから。

 見つかって、本当に、よかった。


 すべてを摘み取ってしまうと、もうそこで繁殖することがなくなってしまう危険性があるから、必要だろう量にほんの少しだけ加えて摘んだオレたちは、急いで帰路に着いた。

 辺りは、森に入ったときと比べて、明らかに暗くなっていたから。


「――ふぅ。なぁんとか、日が沈む前には帰って来れたねぇ~」

 村が見えてきたところで、ナーナが疲労混じりの声で言った。

「ね。薬草も摘んでこれたし、本当によかったぁ」

「シルキアちゃん? 起きろぉ~。村に着いたよぉ~」

「ぅ~ん、むにゅむにゅ、ん~ぅ」

 シルキアの返事は、半覚醒と言ったものだった。いつからあの状態かわからないが、よくここまで来る間に本を落とさなかったものだ。

 オレとナーナは目を合わせ、笑い合う。オレは迷惑をかけてしまって申し訳ないの苦笑いだが、ナーナのそれは……微笑ましいといった意味だろうか。


 村の門まで戻って来れた。

「お、戻ってきたかぁ~。おかえりぃ~い」

 出迎えてくれたのは、もちろん門番のアンライさん。

「ただいまぁ~」

「ただいま、です」

 ナーナに続いて、オレも挨拶する。


 丸太椅子から立ち上がったアンライさんが、ひょっこひょっこと歩き出す。

 厩舎の鍵を開けてくれるためだ。

「薬草は見つかったのか?」

「うん、見つかったよぉ」

 ナーナが灰馬を止める。

 オレも栗毛を止めた。

「そりゃあ、よかった。ごくろうさん」

「ん~」

「ありがとうございます」

 労いには、感謝を。

 

「アクセルくん。先に栗毛を厩舎に返したら、シルキアちゃん降ろしてくれるかな」

「ん、わかった」

 すぐに栗毛から降りて、手綱を引く。

 アンライさんが厩舎を開けてくれた。

 オレは栗毛を中へ連れていき、柱に結ばれている革紐を取って鞍に括り付ける。

 ぶるるるるるるるぅ、と栗毛は嘶いた。

 合わせて、元からそこにいた二頭も鳴く。

 ――おい、コイツの手綱さばきどうだった?

 ――ガキなんだ、全然ダメだったろ?

 ――ああ。馬心がわかってねぇよ。

 なんて会話でもしたのかもしれない。


 厩舎から出て、ナーナたちの許へ。

「ほらシルキア、降ろすぞ」

「んんん~、むぅ~~~」

 シルキアは腰を捻り、ナーナの胸に抱き付いた。

 抵抗、ということか。まったくもう。

 オレは両手を妹の脇に無理矢理突っ込み、抱き上げて鞍から降ろす。

「んんんんんんんんん~、むぅぅぅぅぅぅぅぅ~」

 不満たらたらな唸り声を上げながら、シルキアが腰に抱きついてきた。

 ポンポンと、その頭を撫でてやる。


 ナーナが灰馬から軽やかに降りた。

 手綱を引いて、灰馬を厩舎に帰す。

 ナーナが出てきて、アンライさんが柵の施錠をした。

「アンライさん、ありがとね」

「お~う」

「ありがとうございました」

「アクセルぅ、鶏のこと、助けてやってくれなぁ~」

 わしゃわしゃと、その分厚い手に頭を撫でられる。

 荒っぽい手つきだが、そこに、どうしようもない懐かしさを覚えた。


「やれることは、精一杯、やってみますっ」

「おう。それでいい、それで」

 そう言ったアンライさんは、丸太椅子のほうへと戻っていく。


「この後、どうするの?」

「薬草、少しでもって、病気の子のエサに混ぜてみるよ」

「そっかぁ。ん~、じゃあ、あたしも手伝うよ」

「いいの? ナーナ、自分の仕事は?」

 ナーナの作る草履を待っている村人を困らせてしまうのではないだろうか。

「だいじょ~ぶ。今日やらなきゃいけないぶんは、もう終わってたから~」

 ナーナに薬草集めの手伝いをお願いにしに行ったとき、そんなこと言っていたっけ。


「そっか。なら、手伝ってもらおうかな」

「任せて任せて! あたし、擂鉢と擂粉木すりこぎ、家から持ってくるよ。どこに行けばいいんだっけ?」

「あそこ、農具置き場」

 オレは指差しながら言った。

「わかった。じゃ、これ、薬草」

 ナーナが、肩から斜めに提げていた麻袋を外し、差し出してくる。

 受け取ると、カノジョは「また後で~」と手を振って駆け出した。

 

「シルキア、歩くよ」

「むぁ~い」

 まだ寝ぼけているが、オレが手を差し出すと、しっかり握り返してきた。

 ぽやぽやしている妹が急ぎ足にならない程度に、でも、もう夕方だからそうのんびりもしていられないから早足で、農具置き場に向かう。


                 ※


 ナーナが持ってきてくれた擂鉢と擂粉木で摘んできた薬草を潰し、いつも鶏たちに与えていた木の実製の団子に混ぜて、病気だろう鶏に与えてみる。

 薬草が混ざったことで拒否される恐れはあったけれど、無事、ついばんでくれた。

 よかった。

 とりあえず、一旦、様子見だ。


「ほかの子たちは、大丈夫なの?」

 農具置き場から出たところで、ナーナが尋ねてきた。

「どうなんだろ。あの子だけ明らかに変だったんだけど、ほかの子はよくわかんない」

「そっか。こういうとき、獣の医学本があれば、診断できるからいいよねぇ」

 ほかの鶏たちにもエサをあげるため、養鶏場のほうへと歩き出す。

「だね。本がなくても、知識があればいいんだけど。学ぶことが難しいから」

「リーリエッタとか、本がたくさんあったり、いろんな職の人が大勢いる都市だったら、学んだり調べたりできるんだろうね。いいなぁ」

「……リーリエッタ、行きたいの?」


 ナーナの夢、みたいなものは今まで聞いたことがない。

 もしかしたら、村を離れてどこかへ行きたい、就きたい職がある、みたいな願望を持っているのだろうか。


「ん~、そりゃあねぇ、大都市だし、行ってみたいは行ってみたいよ。でもぉ~、そうだなぁ~、正確には、大都市に行ってみたいというより、たくさんのことを学びたい、経験したいって感じかなぁ」

 たくさんのことを学びたい、経験したい、か。

 なるほど。

 強い好奇心。

 それ自体が、カノジョの願望みたいなものなわけだ。


「アクセルくんたちは、行商隊が来たら、一緒に行っちゃうんだよね?」

「うん」迷うことなく、即答。「リーリエッタに行かなきゃいけないから」

「行かなきゃいけない、か……何かさ、理由、あるの?」

「え?」

「あ、あ~、ううん、ごめん、元からその予定だったもんね、うん、うん」


 あははは、というナーナの笑い声は、普段のものとは明らかに違った。

 無理矢理に笑っているというか、笑わなきゃ!という使命感が透けたものだった。

 何か。

 違和感。

 それは、オレの中に気まずさを生んだ。

 何を言えばいいかわからず、黙っていることしかできない。


「お姉ちゃん、どうかしたの?」

 しかし、シルキアは違う。

 様子がおかしいと感じれば、呑み込むのでなく口に出してしまう。

 ましてや、自分が懐いている人の異変となれば、尚更、我慢はしない。

 幼さゆえというか、素直さゆえというか。


「ん? ん~ん、なんでもないよっ」

「そうなの?」

「うんっ、そうだよっ」

「そっかぁ」

 そしてシルキアも、感じた違和感をやり過ごすことはしないけれど、幼いから、本人になんでもないと改めて壁を造られてしまえば、そこから一歩踏み込むということはできない。壁を造られたら、素直に、止まってしまう。素直さを武器に相手の隠そうとしているものに触れることは幼さの領分だが、心の内を勘繰ったり裏の裏を探ったりすることには成長が必要なのだ。


 なんでもないは、大抵、なんでもなくはないんだよなぁ。

 そんなことを思いながら、でもオレは踏み込むことはせずに黙って歩く。

 やっぱり言いたくなれば、言い出すはずだから。


「……この村にさ、残るって考えは、ないのかな」

 村役場の前に来たとき、ナーナが言った。

 ぽつり、ぽつり、と。

 こちらの様子を窺っているような。

 いや。

 声を発することを恐れているような口ぶりだった。

 先ほどの笑い方同様、これまたカノジョらしくない。


 言いたかったことは、これか。

「それは」

「あっ、ごめんごめんっ! やっぱり今のなしっ! 変なこと言った! うんうんっ!」

 遮られた、強引に、大声で声圧で。

「あたしっ、家に帰る前に仕事場の片付けしたくなったからっ、ここでバイバイするねっ! ごめんっ! それじゃあ!」

 言い終えるとすぐに、ナーナは振り向いて走り出してしまった。


「お兄ちゃん」

「ん?」

「ナーナお姉ちゃん、シルキアたちと、一緒にいたいのかな」

「……そうだね」

「……シルキアも、一緒、いたいよ?」

「……そうだね。ナーナも、ハ―ナさんも、ほかの人たちも、イイ人たちばかりだし」

「じゃあじゃあっ、ずっとここにいるぅ?」

 妹の語尾が跳ねた。嬉しくなっているのだ。

「……ダメだよ。ネルやモエねぇを、探したいから。シルキアは、二人に会いたくない?」

「会いたいよっ。会いたいよ……」

 しょんぼりと、語気がしぼんでいった。

 会いたいならどうしなきゃいけないのか、理解できたからだ。

「オレはシルキアとずっと一緒にいたい。でも、この村にいたら、ネルやモエねぇにはずっと会えないと思う。だからさ、二人で、探しに行こ?」

「うん。シルキアも、行く。お兄ちゃんと、ずっと、一緒っ」

「うん……」

 ぽんと、妹の頭を撫でる。


 シルキアだけを、この村に残す。

 考えたことがないわけではない。

 でも、すぐにその考えは改めた。

 自分がいないところで妹が死ぬようなことがあったらと思うと、耐えられないから。

 この村は、本当に、イイところだ。村人もイイ人たちばかり。

 けれど、絶対に安全というわけではない。

 いつ、何が起きるかなんて、わからないのだから。

 シルキアが自分のいないところで危険な目に遭うなんて、絶対に嫌だ。

 自分がいれば、シルキア優先で動くことができる。守ってあげられる。

 だから、離れ離れになるなんて、絶対にしたくない。


 オレたち兄妹は、ずっと一緒にいる。

 いるんだ。

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